第34話 玉鏡星
第二森林区。中央北に位置する場所。
暗い森に光が弾けて、視界が明るくなる。
赤と緑の光。センスとセンスのぶつかり合い。
パオロと武道家が密着で接触し、生じた光だった。
(今、何が起こったの……?)
サーラは離れた場所で、それを見ていた。
パオロが一瞬の隙をついて、乱打を浴びせた。
ここまでは分かる。だけど、不可解な点があった。
武道家が放った拳が、なぜか外側に逸れていったんだ。
(わざと空振るわけがない。パオロが能力を使った……?)
サーラは今一度、二人の様子を観察する。
武術は専門外だけど、センスの知識はある。
能力起因なら、何らかの変化が発生するはず。
「ふぅぅ……」
「くっ……はぁっ、はぁ……」
すると、二人の間にはすでに変化が起こっていた。
息を整えるパオロに対して、武道家は息を切らしている。
明らかに不自然だった。今の攻防で疲れるほどの相手じゃない。
(体調が入れ替わった? いや、それだけじゃないような……)
さっきまでは、パオロが息を切らしていた。
今はその逆。武道家に息切れが移ったイメージ。
その上、直線に放った拳を空振りさせるような何か。
「……合わせ鏡。……認識の入れ替えか」
武道家は、目を眇め、能力を考察する。
事前知識はないし、見ていた内容は同じはず。
それなのに、解像度が違う。行き着く答えが異なる。
「よく分かったな。鏡は方向感覚を狂わせ、深いトランス状態になった場合、自己をも認識できなくなる。合わせ鏡の部屋で『お前は誰だ』と連呼し続ければ、自我が崩壊する実験と似た原理だな。……つまり、お前は僕で、僕はお前だ」
パオロはサラッと能力を認め、ハッキリする。
(これが、実戦経験の差か……)
あの武道家との違いは、それ以外に思い浮かばない。
相手の能力を考察できるほどの、場数が足りてないんだ。
(このまま見ているだけは、なんか……やだな)
最初はとどめを刺すだけなら、楽でいいと思ってた。
労力を使わず、成果を上げることが理想だと感じてた。
いいとこどりして、守護霊を育てるのは効率が良かった。
だけど、この戦いを通して、一つだけ分かったことがある。
楽は、惨めだ。本人は全く成長しないし、思考力が育たない。
このまま、おんぶにだっこが続けば、きっと、ダメ人間になる。
(はぁ……。めんどいけど、本気でやってみようかな)
武道家との実力差が、サーラの闘争心に火をつける。
気付けば、相手の隙をうかがい、戦闘態勢に入っていた。
◇◇◇
肉体がない霊体にも、肺は存在する。
呼吸を必要とし、息を止めれば死に至る。
理由は恐らく、霊体に魂を留めるための処置。
人間の機能に欠落があれば、自我を保てなくなる。
そのため、仮想の臓器が霊体には備わっているとみる。
(……人の形に縛られるがゆえの苦難。……厄介、極まりない)
武道家は、考えをまとめ、状況を理解する。
呼吸は荒くなる一方で、体の動き方がおかしい。
上下左右の感覚が狂ってる。思った通りに動かない。
(……ただ、入れ替えの能力がどこまで適用されるのか、見物ではあるな)
武道家は、それすらも楽しむ。
死後の余興として、存分に味わう。
苦難を通し、戦いの中で生を実感する。
揺るがない信念。揺るがない成長への渇望。
(……まずは礼を返す。……壊れてくれるなよ)
武道家は、体に纏う赤いセンスを右拳の一点に集めた。
炎のように揺らめき、拳に纏っている光が膨張していく。
本来、体に満遍なくセンスを覆い、攻防のバランスを取る。
拳一点に集めた場合、威力は増すが、体の守りが手薄になる。
そのため、相手に致命的な隙が生じた場合に使うのが、ベスト。
それ以外は捨て身。今の状態で、先の連撃を受ければ、祓われる。
「ここは僕の土俵だ。いいのか、そんなにサービスをくれて」
当然、相手はその状態に気付いている。
加えて、息が切れ、方向の認知障害がある。
不利な上に、不利を重ねた。この反応が正常だ。
「……さらにハンデが、必要か? ……よほど、武術に自信がないと見える」
荒い呼吸を整え、武道家は相手を煽り立てていく。
すると、彼は眉間に皺を寄せ、額に青筋を浮かべる。
不快そうな感情が、面白いぐらいに態度に現れていた。
「あぁ……心配してやって、損した。後で文句を言ってくれるなよ!」
すかさず、相手は駆け、迫る。
狙いは、螳螂手による崩しと攻め。
もしくは、他の技を使う可能性がある。
しかも、相手は認知障害に苦じゃない様子。
動きの条件は同じでも、明らかに手慣れていた。
(……正面からの一騎打ちは望むところ)
待ちわびていた展開に、心が躍る。
待ち望んでいた余生に、血が沸き立つ。
「七星螳螂拳――」
敵は正面。一足一刀の間合い。
相手は構え、技を繰り出そうとする。
(……このまま、打ち合ってもいいが)
ようやく、体が変化に慣れてきた。
拳を振るえば、最低限の形にはなる。
相打ち以上に持ち込める自信はあった。
『仕方ない……。子供たちをいじめて、暇でも潰そうか……』
そこで頭によぎったのは、主の命令。
初代王の子供たち。イギリス王室の血族。
自然と体が反応する。優先順位が変更される。
初代王の血が、より濃い方に、標的が移り変わる。
「――」
武道家は、踵を返し、敵に背中を向けた。
そして、地面を蹴り、明後日の方向へと走る。
「色触是、くぅ……っ!?」
そこには、第五王子エリーゼがいた。
右手を掲げ、技を放とうとしていた寸前。
背後から、こちらの不意を突こうとした様子。
しかし、技は不発に終わって、ほぼ無防備の状態。
(……曲がりなりにも王位継承権者なら、耐えてみせろ)
武道家は、一切の手心を加えない。
惜しみなく、なんの忖度もいらない。
右拳に集めた全センスを、振りかぶり。
「――ッ!!!」
放たれたのは、防御を捨てた、捨て身の一撃。
赤く揺らめく武道家の拳は、エリーゼの懐へと迫った。
◇◇◇
真っすぐ、一直線に迫るのは右拳。
それもただの拳じゃない。武道家の全力。
そう確信できてしまうほどの、圧倒的なセンス。
技でも何でもないのに、とんでもない圧を放っていた。
(バレてた……。寸前まで気配を断ってたのに、なんで……っ!!)
拳が迫る中、サーラはパニック状態に陥っていた。
目の前の問題より、起こった出来事の回答を求めている。
(あぁ、違う。そんなこと考えてる場合じゃない。どうにかしないと!!)
すぐに考えを改め、意識を切り替える。
その間にも拳は、急速に懐へと迫っていた。
(受ける……受けるしかないよね……。守るなら、お腹しかないよね……)
誰かが答えてくれるわけもなく、自問自答を重ねる。
攻めの一点集中攻撃には、守りの一点集中防御が効果的。
防御する範囲を絞り、上手くハマれば、致命傷は避けられる。
(いや、無理無理無理。量が桁違い過ぎる……。守っても、潰される……!!)
ただそれは、センスが同程度の場合、有効な防御手段。
近くで見れば見るほど、膨大なセンスを前に、諦めが先にくる。
(じゃあ、どうすんの……。諦めて、死ぬ……? いや、それも無理だから……)
パニックになりながらも頭を回し、考え続ける。
起死回生の策。ここから逆転できる、切り札の存在。
(あー、探れるほど記憶ないんだった。ってか、なんでこんなゆっくり?)
サーラは、時間の矛盾に気付く。
本来なら殴られてもおかしくない間。
それなのに、拳がゆっくりに見えている。
体験したことのない感覚に、戸惑いを覚えた。
(なるほど……。これが、走馬灯ってやつか。貴重な体験かも)
戸惑いの先に、サーラは悟りを覚える。
状況を受け入れ、何もかも投げ捨てたくなる。
(いや、待て待て。まだ頑張れるから。まだ死んでないから。まだ生きたいから!)
それでも、理性が働いて、必死で自分を奮い立たせる。
死に物狂いで、戦いたい理由。それが頭の中でひっかかる。
(うーん、でも、なんで生きたいんだっけ。世界一のお金持ちになりたい。それが動機だったと思うけど、あれは記憶を失う前のわたしの引き継ぎだし、心からやりたいことじゃない。継承戦も成り行きだし、自分で望んだことじゃない)
思考は加速し、サーラは生きる動機を考える。
本来なら、考えられる余地のない時間に考え続ける。
(……そっか。わたしって、そうだったんだ)
そこで思い至るのは、本当に自分がやりたいこと。
追い込まれなければ、思いつきもしなかった動機の言語化。
(じゃあ、仕方ない。思いついたなら、やるしかない)
サーラの意識は、ようやく、懐まで迫っている拳に向く。
不思議と危機感はなかった。むしろ、心地いい感覚だけがあった。
(前のわたしならなんとかする。……今のわたしにできない道理はないっ!!)
思いの力は、センスの根源。
思いが強いほど、強さは増す。
土壇場で掴んだ、センスの核心。
それを、乗せる。一点に集約する。
防御にではなく、攻撃に意識を割く。
「――発勁山破!!」
存在しない記憶から、サーラは呼び寄せる。
自身の経験から導き出された、最適解を掴み取る。
全身全霊のセンスを乗せ、放つのは、両手を使った掌底。
どういう経緯で習得したかは、不明。だけど、知る必要もない。
(八方の極遠に達する威力で敵の門を打ち開く。それが、八極拳……っ!)
八極拳。中国拳法の中でも、至近距離で戦うことを目的にした流派。
接近短打を主軸するため、中遠距離では劣る。が、至近距離の威力は絶大。
有効射程においては、例え、銃や剣を相手にしようとも遅れを取ることはない。
「「……っ!!!!」」
衝撃。赤と白のセンスの塊が、空中で衝突し合う。
手応えは五分。勝るとも劣らない、拳と掌底の勝負。
気を抜けばすぐに押し返される。そんな気配があった。
生半可な武術では勝てない。そんな迷いと不安もあった。
だけど、サーラが纏っている白い光がその愚行を許さない。
「吹っ飛べぇぇぇっ!! 生臭坊主っ!!!」
サーラは叫び、掌底を押しつける。
悪口混じりに、思いの丈をぶつけてやる。
すると、力の均衡は崩れ、押し勝ち、吹き飛ばす。
(うっし!!! してやったり!!!!)
坊主頭がしてやられた姿を目視で確認し、サーラは勝ちを確信する。
ここから負ける展開なんてありえないと、たかをくくって、悦に浸る。
「……独創世界【街路王】」
そこで、聞こえてきたのは、覚えのあるワード。
一度、この目で確認した、芸術系における最高峰の技。
(世界の構築……。この技を使えるのは……っ!!)
サーラは、武道家の正体を確信する。
その次の瞬間には、体は世界から消えていた。




