第150話 悪魔の顛末
王墓所上空には重力に抗えず、墜落する悪魔がいた。
真っ逆さまに落ち続け、自慢の羽根は全く動いていない。
手を差し伸べる者は誰もおらず、やがて地面と接触を果たす。
「…………ッ」
ダンと痛々しい音を立て、悪魔は身体を強く打つ。
何度も石畳を転がり続け、仰向けの状態で停止する。
身体の損傷は激しく、裂傷と骨折が複数箇所に見えた。
辛うじて五体満足なものの、手足と羽根は折り砕かれる。
「――」
そんな瀕死の悪魔に近寄る、一人の少女がいた。
名前はサーラ。姓はなく、肩書きは、組織の代理者。
ボサボサの短い金髪で、ボロボロの黒ワンピースを着る。
みすぼらしい格好で、背は低く、とても強そうには見えない。
ただ彼女は、その身なりからは想像もできない戦果を上げていた。
――最上位級の悪魔討伐。
実力者揃いの継承戦メンバーの中で、唯一の勝ち星を拾う。
まさに偉業。組織の昇進に必要不可欠な要素を密かに満たす。
その事実に気付くことなく、彼女は淡々と次の行動を開始した。
「二つ頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれるよね」
サーラは悪魔の頭を右手で掴み、語りかける。
これは取引じゃなくて、一方的な考えの押し付け。
悪魔の弱点は脳。今、彼の命は、この手が握っている。
脳だけ残したのは、頼みを断れない状況を作り上げるため。
「……仕方ないから、聞いてあげるよ」
想定通り、常人離れの生命力で悪魔は答える。
今のところ順調だけど、再生されるリスクもある。
手短に済ませるのがベスト。長い時間はかけられない。
「地獄に落ちたミネルバの待遇を良くすること。生贄の取り立て対象者は、余命一年以内の人間に限ること。以上の要求を、一生涯守ってくれる縛りを結べるなら、代わりに見逃してあげる。もし、破ったら……死んでもらう」
単刀直入に、サーラは本題を告げる。
悪魔を殺せば、どうなるのかは分からない。
完全消滅か、時間経過で蘇るか、地獄に戻るのか。
色々と考えられるけど、試行錯誤している暇なんかない。
それよりも、亡き姉のことを気にかけるのが、第一優先だった。
「……なるほど。情報開示には多少の効果があったわけだ」
対する悪魔は、どちらでもない反応を示す。
肉体を回復するための時間稼ぎにしか思えない。
「次、余計なこと言ったら、脳漿をぶち撒けることになるよ」
サーラは右手に白光を纏い、最後通告をする。
悪魔の強靭な肉体を破れるのは、すでに証明済み。
これ以上お茶を濁すなら、手心を加えるつもりはない。
――問題は反撃が間に合うか。
相手が動く前提なら、速度勝負になる。
距離は密着で、悪魔の反応と体術は脅威的。
万が一の場合、立場が逆転する可能性もあった。
「……」
ごくりと唾を飲み込み、サーラは細心の注意を払う。
目線、呼吸の揺らぎ、身体の微細な動き、センスの予兆。
一挙手一投足を見逃せない。片時でも気を抜けば、殺される。
感覚系を極めたら、触った時点で分かるんだろうけど、今は無理。
とどめを刺すにしろ、心を読み取るにしろ、技に出力する必要がある。
選ぶなら、前者。出力には時間がかかるから、両方ってわけにはいかない。
(修羅場上等……。やれるもんなら、かかってこい……)
神経を研ぎ澄ませ、集中力を高めていく。
もう数秒は経つ、選択は近いような気がした。
「答えはイエスだ。……実に悪魔的だね。取り立てに向いてるよ」
しかし、意外にも悪魔は、話を受け入れた。
身体は再生する気配もなく、ピクリとも動かない。
この時点で、縛りは成立。センスが繋がる気配があった。
約束を破れば、死が訪れるはず。波風が立たない平和的な解決。
(……これで終わり? なーんか嫌な予感がするなぁ)
油断を誘う罠か、杞憂だったのか、別の思惑があるのか。
「交渉成立なら、さっさと地獄へ帰ってくれる?」
あれこれ考えつつも、サーラは話を続ける。
気を抜いたわけじゃない。見届けるまでがセット。
「あぁ、喜んで。――やることをやったらね」
悪魔は快く了承するも、不穏な言葉を言い放ち、目を見開く。
瞳の色は赤。魔眼の特徴ではないものの、思い当たる節があった。
――邪眼。
それは、地下世界で見た魔物が持つ、異能の出力装置。
外敵排除、生理的嫌悪のような悪意に紐づき、災いを呼ぶ。
魔眼とは違い、対象者に一切の得はなく、必ず悪い方向に転じる。
「色触――」
理解と同時に、サーラは処刑の判断に踏み切った。
良くて相打ち、悪くて一方負けの、後手に回った対応。
致命的に遅く、相手は交わした縛りを破ったわけじゃない。
(駄目だ……。間に――)
最後まで言い切れるはずもなく、邪眼は赤く煌めいた。
「くたばれ外道が……っ!!!」
その時、男勝りな声と共に、一筋の斬閃が走る。
空を薙ぎ、悪魔の頭部をスライスし、脳を叩き斬った。
青い鮮血が飛沫を上げ、頭部と胴体が切り離され、倒れ込む。
(合った?)
邪眼の視線から外れ、ぶち撒けられた脳漿を浴びる。
能力が発動したかは不明。ただ、悪魔が死んだのは確かだった。




