第133話 幼少期②
幻想遊戯室から外に出た後のこと。
ガタンという音が宮殿内に突如響いた。
辺りは暗闇に満ち、非常電源に切り替わる。
最低限の照明が点灯して、廊下を淡く照らした。
「……脱出の実行日は今日、なんだね」
アルカナは黄色のポロシャツの裾を握り、反応する。
特に驚きはしなかった。前もって説明を受けていたからだ。
「一緒に逃げたいなら来てもいいよ。その代わり、失敗するリスクもある」
いつもの白いジャージを着るエリーゼは、提案する。
どうして、もっと早い段階から相談してくれなかったのか。
そんな不満が出そうになるけど、計画が漏洩する可能性もあった。
計画当日に誘うのは、むしろ正しい。当然のリスク管理のように思えた。
「急に言われても、困るよぉ……」
道理は理解できるけど、決断できるかはまた別の話。
この選択で、王子という身分を捨てるかどうかが決まる。
安定を求めるなら、王子一択。自由を求めるなら、脱出一択。
ただ、王子でいる間は自由がなく、脱出には不安定が付きまとう。
一長一短。どちらも正しいだろうし、どちらも間違ってるとも言える。
「悪いけど、五秒で決めて。それ以上は待てない」
エリーゼは時間を指定し、選択を迫る。
刻々と時間が過ぎていくのを肌で感じる。
廊下は騒がしく、複数の足音が響いていた。
(束縛された安定か、不安定な自由か……)
答えは二択。良し悪しを踏まえて、改めて考える。
「王子の安全が最優先だ。各王子につき、最低二人は護衛をつけろ!」
そこで響いたのは、近衛兵の声だった。
聞こえた方向から考えれば、かなり近い。
深く考え込む時間は、残されていなかった。
「…………あぁ、もう! 分かった!! 僕もついて行くよ!!!」
五秒。ギリギリのタイミングでアルカナは決断する。
一人なら怖いけど、二人なら不安定な自由でも楽しめる。
さっきまで遊んでいた対戦型の脱出ゲームとは、真逆の立場。
「そうこなくっちゃ。ルートは決まってるからついてきて」
エリーゼは満面の笑みを浮かべ、協力関係が成立する。
こうして、詳細を知らないまま、王室脱出ゲームは始まった。
◇◇◇
近衛兵を振り切るためか、色んな部屋を行ったり来たりした。
先頭はエリーゼの侍従。次にエリーゼ。その後ろをアルカナが走る。
ひとまず脱出するというよりも、見つからないことを優先していた感じだ。
「……あのさ、僕にもそろそろ具体的なプランを教えてくれない?」
アルカナは背中を必死に追いかけながら、尋ねる。
ゴールは決まってるけど、果てしなく遠く感じていた。
どれだけ走ればいいか分からないし、体力にも限りがある。
詳細な距離を把握して、気休めでもいいから、安心したかった。
「…………秘密。答えが分かってたら、つまんないでしょ」
エリーゼは振り返ることなく、ぽつりと語る。
彼女の侍従が現れた時と違って、答えは先送り。
先が見えないまま、不安な逃避行は続いていった。
◇◇◇
バッキンガム宮殿。一階。白の客間。
白く塗られた壁に、金箔が施された部屋。
来客者用の金のソファや、椅子が並んでいる。
天井にはシャンデリアが飾られ、壁には複数の鏡。
扉は二つで、背後には外に通じている窓が並んでいる。
窓を開いて、飛び出せば、バッキンガム宮殿から出られる。
――なんて甘い展開になるわけがなかった。
「これも計画のうち……?」
額に冷や汗を浮かべながら、アルカナは問いかける。
辺りには、紺の軍服に金兜を被る、王室師団最強の騎兵隊。
窓の外には、赤の軍服に黒帽子を被る、近衛師団の兵隊が見える。
逃走経路を読み、先んじて兵隊を配置した。そんな気配を感じてしまう。
「…………」
返ってきたのは、深い沈黙だった。
エリーゼは無視を決め込み、何も語らない。
「これは詰みかな。まともにやれば」
一方、侍従はヘラヘラとした態度で状況を語る。
計画通りなのか。策があるのか。追い込まれたのか。
分からないけど、言葉を真に受けるなら詰んだことになる。
(どうしよう。何も手がないなら、僕の知人ということにすれば、まだ……)
真っ先に考えたのは、王子の権力を使った問題の解決。
エリーゼの存在は、王室の中でも一部の人間しか知らない。
兵士目線で考えれば、侵入者に拉致されてる状況に見えるはず。
だから、彼女を賓客という配役にすれば、誤魔化せるかもしれない。
幸い、宮殿から逃げたわけじゃないから、なんとかなるような気がした。
「あの……この人は……」
アルカナは、思いつく限りの言い訳を並べようとする。
ある意味で敗北宣言だ。脱走は諦めないといけないことになる。
「わたしの代わりに死んでくれる?」
「ああ。喜んでこの身を捧げるよ、我が主」
主人と侍従との短い応答。
その内容の濃さに言葉を失った。
(何を……するつもりなんだ……)
見えたのは、黒い本を開いている侍従の姿。
本に手を置き、赤いセンスを生じ、それは始まる。
「――――――『供儀』」
その短い言葉と共に、地面には赤い五芒星が浮かんだ。
そこから生じた巨大な黒い手が、侍従を握りつぶしていく。
バキッと痛々しい音が鳴り、赤い血潮が辺り一帯を染め上げる。
「あ……あぁ……」
言わずとも分かった。これは生贄の儀式だ。
侍従はその身を捧げ、まともじゃない方法を選んだ。
「大義を得るには、犠牲は付き物だよ……おにい」
次に聞こえたのは、エリーゼの声だった。
初めて『兄』と呼んでくれた。認識してくれた。
嬉しいような気がするし、初めて『妹』と認識できた。
だけど、見えたのは、 黒い二本の角と黒い尻尾と黒い羽根。
「化け、物……」
目の前にいるのは、『妹』の皮を被った化け物。
そこで、エリーゼとは、道を違えることになった。




