第121話 強情な交渉②
王墓所にいた王子陣営は、いい感じに削れていた。
目に見えた障害は、自身の霊体に苦戦するサーラのみ。
彼女を安全に処理できれば、王位継承戦の継続は確定する。
(第三回廊区の攻略度は80%。意思の力は残り13%。王霊守護符を使えば、10%は消耗する。どう節約しても守護霊を呼び出せるのは、残り一回が限界。悪霊たちの一斉命令は、大盤振る舞いが過ぎたかな)
マーリンは現状を分析し、今やるべきことを考える。
自殺の万全を期すなら、不確定要素は排除しておきたい。
今は問題ないけど、彼女に宿った『アレ』には注意が必要だ。
守護霊を呼べる回数が限られている以上、退場させるのがベスト。
それも出来るだけ刺激を与えないようにして、出て行ってもらいたい。
(……仕方ない。ここは焦らず、じっくり詰めていこうか)
残っている力の配分を考え、予定を変更する。
長期の計画には、予期しないトラブルが付き物だ。
一度決めた手段に固執すれば、簡単に破綻してしまう。
臨機応変な対応。これが出来ないと、目的は完遂できない。
「今なら見逃してあげるけど、どうする?」
マーリンは現状における唯一の脅威に近付いて、交渉を開始する。
その当の本人は、自らの霊体に腕を固められ、うつ伏せの状態だった。
とても抵抗できるような姿勢ではなく、いつでも命を奪える状況と言える。
生きるために住民を殺した彼女なら、きっと喜んで条件を呑んでくれるはずだ。
「…………」
しかし、返ってきたのは、深い沈黙だった。
彼女なら即答するかと思ったが、やけに大人しい。
真偽は不明だが、何かを企んでいるように感じてしまう。
(心理戦か……。望むところだよ)
『アレ』を刺激しないためにも、強引な手は使えない。
強引な手を使えないのなら、脅しにはなんの効力もない。
サーラだったら、すでにそこまで読んでいる可能性がある。
それなら、沈黙が正解だ。どんな行動より賢い選択と言える。
時間を稼ぎ、増援を待つことが彼女にとっての最適解だからね。
「殺されないと高を括っているなら、それは……大きな間違いだよ」
マーリンはリスクを承知で、杖先を振り下ろす。
その先には、拘束されていない左腕の肘があった。
ゴキッという痛々しい音と共に、腕は変形していく。
これだけやれば、さっきの提案が魅力的に感じるはず。
すぐにでも根を上げて、言うことを聞いてくれるだろう。
「…………………………まさか、今ので終わりとか言わないよね?」
だが、返ってきたのは、強気な反応だった。
腕が折れた程度じゃ、死の恐怖を感じないらしい。
ジワジワといたぶる。なんて考えたけど、それは悪手だ。
追い込まれた現段階においては、即効性があるものが望まれる。
「あぁ、ごめんね。今のは僕が甘かった」
杖先の向きを変え、サーラの後頭部に狙いを定める。
このまま押し込めば、脳を貫いて、刺し殺せる状態だ。
変な前置きを挟んだり、下手な加減をすれば見抜かれる。
かといって、やり過ぎると『アレ』が出張る可能性がある。
殺す限界を攻めた脅迫。ある意味では、チキンレースに近い。
崖に向けてアクセルを踏み、どこでブレーキをかけるかの勝負。
「――これで終わりにするよ」
そんな思惑を胸に秘め、マーリンは杖を振り下ろした。
確認は必要ない。容赦のなさを態度で示さないといけない。
杖先は見る見る迫っていき、クセのある金色の髪の毛に触れる。
この程度じゃ子供も騙せない。痛みが伴わないと脅しに効果はない。
後頭部から生える毛束を突き抜けて、最初の関門である頭皮に到達した。
(……もう十分だろ)
グチャリと肉を抉る嫌な感触が手に伝わる。
肉を貫いても、鉛筆の芯を軽く突き刺した程度。
まだ声はない。ここで止めるわけもなく、前進する。
(……早く降参しなよ)
頭皮の血管を裂き、血が流れる感覚が分かる。
ただ大出血とは言えず、致命傷には至らない程度。
まだ諦める気配はない。リスクを覚悟して、続行する。
(……命乞いをしてみせなよ)
コツンという音が鳴り、杖は頭蓋骨に到達する。
この先は後戻りできない。高確率で死がつきまとう。
言わば、チキンレースの崖際。死と隣合わせの土壇場だ。
止める選択肢が頭によぎる。リスクは『悪魔』が出る可能性。
(……さもないと、死んじゃうよ?)
マーリンは、それでも押し切った。
頭蓋骨の一部を砕き、脳内に侵入する。
この時点で助かっても後遺症が残るレベル。
問題は、脳のどこの部位を損傷するかで決まる。
狙いは、前頭葉でも、側頭葉でも、後頭葉でもない。
――頭頂葉だった。
前頭葉の中には、感覚を認知する機能が備わる。
具体的には、視覚、聴覚、触覚などを司った部位だ。
損傷が出れば、そのいずれかの感覚機能に支障が生じる。
もしくは、その全てに障害が生じてしまう可能性すらあった。
だが、サーラなら知識がなくとも、気付く。痛みで感じてしまう。
なぜなら、彼女の得意系統は、鈍い肉体系でも、鋭い芸術系でもない。
――誰よりも繊細な感覚系なのだから。
「…………」
ミチミチと肉を引き裂くような音が聞こえてくる。
そこは、杖先が頭頂葉に触れたか、触れないかの場所。
生と死と障害の境界線。崖際を攻めた結果、それは起きた。
(あぁ、いいね、最高だよ。そうこなくっちゃ……)
視線の先には、折れた左腕で杖先を握っている、サーラの姿。
外的な変化はなく、自我を保ったまま、自らの意思で止めていた。
これを待っていた。期待通りの反応に、年甲斐もなく興奮してしまう。
「返事を聞かせてくれるかな?」
興奮冷めやらぬまま、マーリンは質問を重ねていく。
サーラの胸中はきっと、生きたいという気持ちで満ちている。
聞くまでもない。聞く必要がない。だからこれは、ウィニングランだ。
「――債務不履行」
そこで突如、発せられたのは予期しない言葉。
ゾワッと鳥肌が立ち、杖を引き、大きく後退する。
通常取る間合いの倍以上、下がるに値する内容だった。
(何が、起きた……。あいつは僕に何をした……っ!!!)
嫌な汗が体中から溢れ出るのを感じる。
想定する中で最悪のシナリオが頭をよぎる。
すぐさま確認するのは、自分自身の身体だった。
(いや、落ち着け……。霊体化が解ける感覚はない。あれは、ただの脅しだ)
隅々まで見回すも、人の形を保っている。
霊体とはいえ、まだ生きていられる感触がある。
起きた事実だけを並べて、マーリンは平静を保っていく。
「その能力は霊杖がないと使えない。脳をいじられて、おかしくなったのかな?」
そして、優位な立場を自覚した上で、尋ねる。
彼女が取った行動は、ただの脅しであり、強がり。
常軌を逸したフリをした、狂人ムーブ。ハッタリの類。
必要以上に恐怖する必要はなく、理詰めで処理すればいい。
これから語り出す論理を破綻させてやれば、チェックメイトだ。
「論理も打算も常識も捨てて、自分の感覚に身を委ねて、行動したことはある?」
そこで返ってきたのは、ハイになってるとしか思えない回答。
質問に質問で返す。無礼極まりないが、この場で礼儀は必要ない。
これは対等な人間同士の対話だ。偉ぶったり、かしこまる必要はない。
彼女はそのステージに立っている。ここにきて、無粋な言葉は不要だろう。
「ないね。その時々で対応することはあっても、なんの打算もないなら試さない」
マーリンは率直に彼女の言葉と向き合う。
石橋を叩いて渡る。それが今までの人生だった。
慎重に慎重を重ねた計画を立て、無理そうなら逃げる。
その繰り返しで、ここまで生き延び、キャリアを重ねてきた。
恐らく彼女はそれを否定し、自分が正しいと思い込みたいのだろう。
自分に合ったやり方というだけで、他人に強要した覚えはないんだけどね。
「わたしはしょっちゅうある。そして、それは一度も間違ったことはなかった」
説教が始まるかと思いきや、サーラが語るのは自論の範疇だった。
言語化できない領域に到達しやすい、感覚系独自の思考とも言える。
自分の系統とは別物だと割り切った上で聞けば、興味深い内容だった。
「へぇ……。だったら、今の常軌を逸した行動も間違ってなかったんだ」
煽りたいわけではなく、単純な興味でマーリンは尋ねる。
彼女の自論通りなら、わざとこちらに頭を貫かせたことになる。
その行動が正しかったのなら、何かしらの成果が出てないとおかしい。
「うん。マーリンには感謝してもしきれない。こんな素敵な力をくれたんだから」
サーラはうつ伏せのまま語ると。そばにいた霊体が消えた。
腕を固め、身動きを封じていた、彼女の分身がいなくなった。
その現象の理屈は分かる。ここにいる誰より詳細を知っている。
――債務不履行。
交わした命令に反故が生じた場合、一方的に契約を破棄できる。
恐らく、霊体サーラから何らかの矛盾を見つけ、それを指摘した。
おかげで契約は破棄。大した苦労もなく、未来の自分に打ち勝った。
理屈は分かるが、理解できない。それが出来るのは霊杖を持つ人間だ。
霊杖を持たない人間が扱えるわけがない。魔術という概念を超えている。
――それはまるで。
「魔法使いにでもなったつもりかな? 思い上がりも甚だしいよ」
マーリンは一つの可能性に言及する。
ただの憶測でしかなく、大した根拠はない。
霊杖の能力に似せた、手品と考えた方が現実的だ。
それでも、話題に上げたのは、彼女の鼻を叩き折るため。
数千年かけてたどり着けない領域に、彼女が至れるわけがない。
「それをこれから証明する。わたしの鼻を明かしたいなら、邪魔しないよね?」
その心情を見抜いたのか、サーラは丁寧な前置きを挟む。
やめろ。どうせ失敗する。上手くいかない。やるだけ無駄だ。
そんな言葉を口走りそうになるが、みっとみないことに気付いた。
これは、自分より歴が浅い人間が結果を出し、抜かれるのが怖いんだ。
常人なら問題ないが、人の上に立つ人間としては最低最悪の回答と言える。
「やってみなよ。子孫の成長を見守るのも、僕の役目さ」
だから、サーラの提案に乗った。
これでも、初代王を名乗っているからね。
今まで連ねた歴史に、泥を塗るわけにはいかない。
(さぁ、これでまぐれかどうか分かる。魔法使いになれるもんならなってみなよ)
期待と不安が胸中で生じる中、マーリンは傍観する。
目の前で何が起きようと事実を受け止める覚悟を決める。
すると、浅い呼吸音が王墓所に響き、やがてその時は訪れた。
「――死者交霊約定」
サーラは短い詠唱を果たし、すぐ隣には光が生じる。
現れたのは、黒いバーテン服を着ている、褐色肌の男だ。
この時点で分かったことがある。変えようもない事実がある。
この日サーラは、魔術師を超え、六人目の魔法使いに名を連ねた。




