第119話 ボーダーライン
エリーゼは手が塞がっている。
主戦力の三人は、脱落させられた。
残っている陣営の増援は期待できない。
(このままだと、誰か死ぬな……)
嫌な汗を額に浮かべながら、ベクターは考える。
マーリンの目的が自殺なのは今の攻防で理解できた。
放っておけば、王位継承戦は百年後に引き継がれるはず。
ただ、それを黙って見過ごせないやつしか、この場にいない。
もし、自殺を阻止してくるなら、今のように容赦なく殺すだろう。
(意地張ってる場合じゃないってか……)
一人で戦える王になる。もはや、形骸化しつつある信念。
それでも、頑なに守り続けたボーダーラインが存在していた。
「…………」
肩に乗る茶色毛のニワトリを指先に乗せ、構える。
聖遺物。人智を超えた能力を秘めた、自分以外の存在。
これに頼るのは、誰かを守る時だと、そう心に誓っていた。
――今がその時だ。
「赤き星の輝きよ、勝利と平和を願う神よ、我に大いなる力をもたらし給え」
眦を決し、ベクターは己が信念を曲げる。
詠唱により、ニワトリは赤い輝きを放ち、収束。
両手には、赤と青の無骨な槍が現れ、強く握り込んだ。
双方とも柄の先端には白い鎖があり、三節棍のように繋がる。
(このままじゃ回避されるのがオチ……。創意工夫が必要ってな……)
すかさず、ベクターは息を吸って、右腕の腕輪にセンスを込める。
邪遺物『神隠し』。能力は息が吐き終わるまでの存在認知の不可。
その間だけは、初代王であろうとも、攻撃を認知することはできない。
「はぁ…………」
万全の奇襲を仕掛けるため、ベクターは息を吐き、存在を消す。
マーリンまでの距離は約五メートル。一呼吸の間に十分対応できる。
「超電導疾駆――【絶空】」
と同時に駆け出したのは、ルーカス。
反発の力で、一直線にマーリンの元へ向かう。
愚直で読まれやすい軌道だが、陽動としては一級品だ。
「――――」
火花を散らせ、マーリンは蹴りを受け止める。
その場から全く動かず、斥力をもろともしていない。
(ナイスだ、ルーカス……。そのまま気を引いててくれよ……)
ただ、その副産物として、偏差がほぼない。
蹴りの反動で後退する距離を計算しなくて済む。
ある意味では好都合。狙いはかなり絞りやすかった。
「……」
右手の赤槍を振りかぶり、ベクターは目標を定める。
五メートル先の針に糸を通すような精密さが求められる。
それも、息を吐き続けるという制約上、長い時間は割けない。
チャンスは恐らく、一度きり。二度目の奇襲は、まず成立しない。
(一発で積ませてやる……。避けられるもんなら避けてみろ……)
聖遺物の火力。邪遺物の不可視。一級品の陽動。
信念を捨て、思いつく全ての策を講じ、本番に臨む。
「――――――枯渇必定の槍」
貴重な酸素を消費して、言霊を乗せる。
それと共に、狙い澄ました赤槍を投擲する。
白い鎖が伸びる音が響き、一直線に標的に迫る。
マーリンはルーカスに夢中で、回避する動作はない。
(もらった……っ)
赤槍は飛距離を伸ばし続け、マーリンの左手の方に迫った。
そこにあるのは、王霊守護符。本体の攻略はアレを壊した後だ。
「……ここかな」
しかし、マーリンは杖を扱い、対応する。
赤槍の射線上に突如登場したのは、肉の壁。
ルーカスが盾となる形で行く手を遮っていた。
(こいつ……っ。見えてんのか……っっ)
酸素をさらに消耗し、ベクターは鎖を引き、急停止を図る。
勢い良く投擲された赤槍は、時間差で徐々に減速していった。
間に合うかどうかは怪しい。仲間を貫いてしまうかもしれない。
(止まれ……止まれ……止まれ……っ!!)
嫌なプレッシャーを前に、緊張が高まる。
それでも、力の限りを尽くし、鎖を引き続けた。
だが、赤槍は止まる気配がなく、ルーカスと接触寸前。
(止まれっつってんだろ……!!!)
一人で戦う時にしか出ない熱量が生じる。
兎にも角にも、今はとにかく止めるのが先決だ。
その行動がもたらす意味を考える暇もなく、鎖を引く。
「――っっっ」
歯を食いしばり、力を目一杯込める。
手応え的に、槍は止まった感覚はあった。
それより問題は、味方に当たったのかどうか。
目を凝らし、自分が行った結果の確認を優先する。
「ふぅ……。どうにかなったか……」
深いため息をつき、ベクターは安堵する。
赤槍は、ルーカスの肌の一ミリ手前で止まる。
悪くない結果であり、人として当然の反応だった。
(やら、かした……)
しかし、同時に愚かな行為だと悟ってしまう。
結果に安心してしまい、息を吐き切ってしまった。
肺の中には酸素が残ってなく、吐く息を維持できない。
――それはつまり。
「見~つけた」
答えに至ると同時に、背後から声が響く。
「こんの……っ!!」
ベクターは、反射的に左手の槍を振るった。
後手にして上々の反応。これ以上の対応はない。
「君程度の若造が僕に挑もうなんて、千年ちょっと早いよ」
しかし、マーリンの煽りを聞いた途端、意識は飛んだ。




