第106話 生まれた意味⑥
「あ……あぁ……」
気付いた時には、すでに遅かった。
体は勝手に動き、両手は赤く染まっていた。
再生できないって分かっていたのに、殺しちゃった。
――化け物。
彼女が口にした言葉が脳にこびりつく。
殺害のきっかけになった言葉が思い返される。
普通。異常。狂人。それぐらいならまだ耐えられた。
人間の範疇だったし、感じ方は人それぞれだと割り切れた。
――でも、化け物は人間じゃない。
人格と人生を同時に否定されてしまった感覚。
真に受ける必要はない。でも、心当たりがあり過ぎる。
「はははっ……悪くない。私は何も悪くない。煽ったメリメリが悪いんだ」
頭のネジが外れた音がした。
主観で見ても、もう誤魔化せない。
客観的に見ても、化け物にしか見えない。
義妹を殺した状況証拠が、揃ってしまっている。
それなのに、心と体は事実を認めようとはしなかった。
「…………何が、起きたんだ」
そこで起き上がったのは、ダヴィデ。
記憶を忘却されて、状況が吞み込めてない。
(言わないと……。正直に罪を告白しないと……)
この気持ちを吐き出さないといけない。
起きたことをきちんと話させないといけない。
ここで告白できないと、本物の化け物になっちゃう。
「違う。違うんだよ、ダヴィちゃん。これは……」
真っ先に口にしたのは、否定の言葉。
自分を正当化するための苦しすぎる言い訳。
賢い彼なら、一目見ただけで状況を察してしまう。
「この感じ、記憶を操作されたか。……だったら、魔眼を使え」
ダヴィデは思考を切り替え、改善策を提案する。
分かった上でスルーした。疑問の解決を後にした。
責められないのが辛い。胸がズキズキと痛んでくる。
(まだ間に合う。今ならまだ……)
言うか、言わないか。そんな単純じゃない。
人か、化け物か。それを決定付ける瀬戸際だった。
当然、どう反応するのが『正常』なのかは、分かってた。
「……………………うん。そうだね。それで終わりにしよう」
分かっていて、ソフィアは『異常』に偏る。
ダヴィデの優しさに甘え、毛嫌いする能力に頼る。
開かれたのは左目。正常の魔眼。異常を正す能力がある。
主観という判断軸を基準に、『異常』を『正常』に引き戻せる。
記憶が『正常』になって、前後関係が繋がり、戦闘経験値も戻るはず。
「……あれ、おかしいな。…………なんで、なんでっ!!」
しかし、魔眼は反応しない。
人の道から外れた主人を否定する。
唯一にして絶対の能力は封じられていた。
「――ざまぁみろ。化け物にはお似合いの末路っすね」
肌がゾワゾワと粟立つのを感じる。
聞こえたのは足元。覚えのある特徴的な声。
捩じり切ったはずの首は繋がり、元に戻った異常者。
罪悪感を植え付けるだけ植え付けて、魔眼を封じ込んだ狂人。
「臥龍岡・メリッサ……」
正常でなくなった脳みそで、ソフィアは思い当たる。
UMAでも、聖遺物でも、遺伝子操作でもない、能力の由来。
臥龍岡家の血筋。正統な血統を引き継いだ上で発現したのが、不死。
意思の力を必要とせず、聖遺物を未知の能力で操り、死の概念を覆す生命体。
――それはまさに。
「稀代の異能。そう呼んでもらって構わないっすよ」
◇◇◇
重い瞼が開き、視界が明らかになる。
見えてきたのは、奥行きが感じられない闇。
「…………」
反射的に目にセンスを集め、周囲を見たのは臥龍岡アミ。
声で気付かれる可能性を考慮して、無言のまま警戒を続ける。
そこは第四小教区の住居の中。石造りの床に、かまどが置かれる。
体と両腕は古びた縄で縛られ、台所の一角に拘束されている形になる。
隣には同じように縛られた青髪の女性。ラウラ・ルチアーノの姿があった。
(広島さんに拘束されて……今頃はジェノさんを……っ!)
敵がいることを考慮せず、体にはセンスが生じる。
ブチンと縄が切れて、ものの数秒で自由の身となった。
腰の刀は没収されておらず、いつでも戦いに赴くことが可能。
(いや、今更、行ってどうなると言うのです……。決着はとっくに……)
途端に頭は冷静になり、誤った判断だと断じる。
客観的に見て、本気の広島相手に勝てるとは思えない。
状況的に考えれば、すでに殺されていてもおかしくなかった。
「……悪いが、解いてくれねぇか。上手く力が入らねぇんでな」
そこに響いたのは、ラウラの声だった。
気怠そうな顔をして、こちらの腰辺りを見る。
「――」
抜刀し、納刀。彼女を拘束する縄が的確に切断される。
ラウラは王位継承戦上では敵でも、個人的には敵ではない。
滅葬志士の長。『総棟梁』を倒すために、共謀関係を結んだ仲。
無碍には扱えない。むしろ、広島を除いた相手では一番信用できる。
「助かった。今みてぇに物事がスパッと解決すりゃあ楽なんだがな」
「快刀乱麻を断つ、ですね。思い通りにいかないのが、現実ですが」
恐らく、互いに思い至っていることは同じ。
急いだところで間に合わないほど時間が経った。
王位継承戦を進めようにも、全く気が乗らない状態。
「だったら、思い通りにいく現実ってやつに賭けてみるか?」
「悪くはない提案です。いいえ、それ以外の選択はあり得ませんね」
現状の目標が定まり、二人は同時に駆け出した。
すぐ見えたのは、強引に砕かれた壁。見覚えのある道。
確認し合うまでもなく、第三回廊区に向かう方向を選択する。
「……これは余談なんだが、一つ聞いてもいいか?」
街路を並走していると、ふとラウラは尋ねてくる。
前置きから考えて、肩の力を抜いて聞けそうな話題だった。
「もちろん構いません。年齢と生い立ちとスリーサイズ以外はお答えします」
アミは特に考えることもなく返事を返す。
するとラウラは、少しだけ目を見開いていた。
何か口にしてはいけないことを言ったような反応。
「…………お前とメリッサって、どういう間柄なんだ?」
ただ、返ってきたのはなんでもない問い。
答えても答えなくても、意味がないものだった。
(確かにこれは余談、ですね……)
気が少し抜けると共に、胸の内は温かい気持ちになる。
「メリッサは私の娘の娘。端的に言えば、『孫』ですね」
アミは親しみを込めて、メリッサの続柄を明かす。
年齢も生い立ちもスリーサイズにも触れない質問だった。
相手の反応は、大体想像がつく。年齢を聞くか、驚くかの二択。
「ま、孫だぁ!?」
ラウラは想像の範囲内の反応を示し、第四小教区には通る声が響き渡った。




