ファーストフラッシュ 他 二欠片(かけら)
ファーストフラッシュ
「ねぇ」と僕は言った。店の中はコンサートのアンコールを求めた後のように、やけにシンとしている。僕たち以外誰もいない。クラシック音楽が、たぶんモーツアルトだと思うが、低く流れているだけだった。
僕の声が場違いのように響いた。
「人を死ぬほど憎んだことある?」
ほんの少し間をおいてから、
「……あるわ」
そう言って彼女はニコリと微笑み返した。飲もうとしていたティーカップを受け皿に戻し、
「私、その相手に呪いをかけたこともあるのよ。古本屋さんで『魔法大全』っていう本を買ってきて、難しい折り紙を完璧に折り上げるように、細心の注意を払って一生懸命相手を呪ったの。でも、その人は死ななかったわ」
そう言ってから僕の方を見て苦笑した。
僕は彼女の話しを聞きながら、煙草に火を点けた。
「死なないものだね。で、今その人はどうしているの?」
「……私と一緒に今、ダージリンのファーストフラッシュを飲んでるわ」
彼女は僕を見つめながら、もう一度ニッコリ微笑んだ。
幻覚
今日、堤防を歩いていた時のこと。一匹のモンシロチョウが私の目の前をひらひらと泳ぐように舞っていた。と、そこに一陣の風だ。わっと蝶が無数に乱れ飛んだ。そう思った。目の前は桜吹雪。そのすべてが蝶になった幻覚に襲われた。私は思わず立ち竦んだ。泉 鏡花の世界に入り込んだ気がした。
(2023.4.2 mixiから)
青空と死
ウオーキングをしながら何もない青空を見上げると、時折、そこに「死」を感じることがある。同じ空なのに夜空では不思議と死を感じない。死は暗い夜の方に親和性があるように思うが、そうではない。澄み切った青い空の方がその彼方に死を見透せる気がする。
ふと、太宰治の「右大臣実朝」にある一行を思い出した。
『アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ』
(2022.10.18 mixiから)
紅茶が好きだった。いや、今でも好きなのだが、日常ではコーヒーに軸足を移した格好となっている。昔々、紅茶に関するショートショートをいくつか書いていた時期があった。そのほとんどは散逸してしまっているが、上に挙げた「ファーストフラッシュ」はプリントアウトされて生き残っているものの一つである。何日書いたのか、もう記録もなく、私にも分からない。おそらく二十歳代ではなかっただろうか。箸にも棒にも、折れ曲がった錆釘にも引っ掛からない代物であるが、記憶を掻き混ぜると、これがフッと頭に浮かんでくる。なぜ?