「婆子焼庵」
禅宗である臨済宗の公案(問答)に「婆子焼庵」と言うものがある。
無知な私は(この「なろう」で現代語勝手訳を試みた)幸田露伴の「対髑髏」を読むまで知らなかったのだが、面白そうだったので、ネットで検索してみた。すると、出てくる、出てくる。たくさんヒットする。これは結構人気の公案なのである。
公案の大体の筋を書いてみると……。
あるところに、一人のお婆さんがおりました。
ある時、托鉢をしている僧を見て、『これは見所のある僧だ』と、その僧を見込んで庵を建ててやり、修行ができるようにと、若い女性に寝食など、身の回りの世話をさせていました。
二十年が経ちました。お婆さんは、二十年も経ったのだから、あの僧も相当修行を積んだに違いないと考え、自分の若い孫娘を呼んで、こう言いました。
「いいかい、今日、給仕が終わったら、あのお坊さんに抱きついて、こう言うんだ。『こんな風にされたら、どんなお気持ちですか?』とね」
孫娘はお婆さんに言われたとおり、修行僧に抱きつき、
「ねぇ、こんな風にされたら、どんなお気持ち?」と言いました。
すると、僧は、
「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」、すなわち「私の心は寒さに凍った岩のようなもの。それに寄りかかってくるあなたは枯木にしか思えません。真冬に暖気などあるわけもないように、私には色気などはなく、そんなことで心は少しも動きません」と、孫娘を突き放したのです。恥じらいながら帰ってきた孫娘から、それを聞いたお婆さんはかんかんに怒ります。
「何ということ! こんな馬鹿な坊主に二十年もただ飯を食わしてやったのか!」と、その僧を追い出したばかりか、庵までも「汚らわしい」と燃やしてしまいました。
それで、公案なのだが、僧はどのような振る舞いをすればよかったのか? というものである。
なぜ、お婆さんは僧の振る舞いに激怒したのか? 娘を抱けばよかったのか?
これに関しては、ネットにも色々書かれているので、これ以上書かないが、よく引き合いに出されていたのが、与謝野晶子の「みだれ髪」の中の有名な一節。
柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君
この歌と婆子焼庵の公案を比較してみると、確かに色んなことを考えてしまう。
逆にこの話を女性に置き替えてみればどうなるのだろう?
ふっとそんなことも考えてしまった。
いずれにしても悩ましい問題ではある。
私? うーん。
煩悩深き爺は……そうさねぇ、こんな感じと言えば分かってもらえるか?
女人の香亦めでたしや老の春 飯田蛇笏
ハハハ、ちょっとカッコつけ過ぎか。(笑)
(2017.1.27記 オリジナル)




