エッセイ
村上春樹の「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」を読んだ。
少し前、本屋で平積みになっていて、買おうかな、どうしようかな、とためらっていた本で、1,400円+消費税という値段は、「じっくり読みたいのなら、買って損はないよ」って感じだったのだが、短編のエッセイ集なので、立ち読みしようと思えばできる。
でも、最近、エッセイの書き方みたいなものをちょっと考えてみてもいいなと思っていたところで、そして、以前から村上春樹のエッセイのうまさには感心していたので、財布の中に2,000円しかなかったけど、買ってしまった。
だから、お金はもう数百円しか残っていなくて、ポケットに片手を突っ込み、握った手のひらを広げてみると、わずかな硬貨しか乗っておらず、それを見て、買って良かったのか、悪かったのか複雑な気持ちになった。
それにしても、村上春樹の比喩は特別で、いったいなぜこんな喩えが思いつくのだろうといつも感心しているのだが、この「サラダ好きのライオン」というのも「稀なこと」のレトリックで、もちろん類語大辞典にもどこにも載っていないのに、サラダ好きとライオンの関係に綺麗な補助線を引けば、これはもう立派な比喩になっている。
ただし、このエッセイでは特別な比喩は、それくらいのもので、あとはそんなに比喩が頻繁に使われているわけでもないけれど、でも、さらさらと読めて、なるほどな、とか、ああそうね、とか、思わせられてしまうところがやはり憎いし、読後感もスッキリして、後に嫌味を残さない書き方はやはりさすがだと思う。
このエッセイが連載されたのは、「アンアン」という女性雑誌だということだが、なるほど女心のツボをしっかり掴んでいるなと、思うと同時に、村上春樹に是非とも書いてほしいものがあって、それは、彼の納得のいく説明がきっと読者を満足させてくれるであろうパソコンのマニュアルだったりする。
先日、吉本隆明の「真贋」を読んでいたら、その中に『いい作家は、それとは逆に「俺だけにしかわからんだろうな」と、たくさんの人に思わせるものです。一人一人は「俺だけ」という感じに思うのですが、そういう人がたくさんいる。そういう作品を書く人だけが、時代が経ってもなかなか滅びない作家と言えます。人間としての普遍的な心理をうまくつかんでいるとも言えるでしょう』と書かれてあって、そう、確かにそのとおりだと思ってしまうし、それが村上作品の特徴をなしているのではないかと思ってしまう。
それで、この「サラダ好きのライオン」を読んでみて、納得したのは、やはり作家というのは、ものごとをものすごく注意深く観察しているということで、そうすることによって、自分の言いたいことがきちんと表現できるんだという、言ってみれば当たり前のことだが、素人にはそれができない。
それと、色んなことを(できれば若いうちから)経験しておくというのが、本当に大事だということがわかり、僕なんか人生60年以上生きてきたけれども、あまりにも世間のことを知らなさすぎると愕然とさせられてしまうのも事実である。
だから、これからは少しずつではあるけど、自分の興味の幅を広げていかなければと痛感すると同時に、ものごとをよく観察しなければならないなと、肝に銘じているところで、僕もできればエッセイの一つや二つ、満足に書けるようになりたいなと思う今日この頃なのだ、って、この文体誰かに似ているような気がしてならない。(笑)
(2012年08月04日 mixiから)
10年以上も前、こんな思いを持っていたのに、まったく進歩していない現状に我ながら情けない。特に仕事を離れてから新しい経験もなくなり、趣味の幅も狭まり、物事を注意深く観察する体力も減少してしまった。
最近目にしたサッポロビールの黒ラベルのキャッチコピー「丸くなるな、★になれ」という言葉がグサリと胸に刺さる。




