人は死んだら?
確か高校に入学した頃だと思う、どんなきっかけがあって読もうとしたのか、もうすっかり忘れたが、三木清の「人生論ノート」を買った。確か新潮文庫だった。それほど分厚いものではなく、どちらかと言えば薄い本である。その冒頭に書かれてあったのが「死について」の文章だった。
『近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが』という文章で始まる。このフレーズがずっと頭に残っている。
三木清がこの「死について」を書いたのは41歳だという。私が41歳の頃はまだ死というものを恐れていた。まして、高校生になりたての頃の私にとって、死とは想像するだけで恐怖の対象となり得た。
人は死ぬとどうなるのだろう? 無になるとはどういうことなのだろう? 想像もつかず、死の恐怖に襲われた時期もあった。
人間は死ねばどうなるのだろう? いや、人間だけではなく、生きとし生けるもの、命を失うとはどういうことなのだろうと、考えた人は少なくないのではないか。私もその一人だった。
しかし、そんなことは誰にも分からない。死んだ人が戻ってきて、
「死んだらこうなるのだよ」と教えてくれる訳でもないのだから。(宗教的な教えとして思う所を持つ人はいるだろうが)
昔々のことだが、手塚治虫のマンガにこういうのがあった。題名は忘れてしまい、手許にもそれがないので、細かいことは覚えていないが、
マンガの中である男が言う。
「私には時折、肉の塊が見えることがある。その肉の塊には渦巻きが描かれてあるのだが、見えたと思ったら、すぐに消えてしまう。そういうことが度々あるのだ」と。
この渦巻きの付いた肉の塊とは何なのか。それが見えたと思ったら、直ぐに消えてしまうとはどういうことなのか。
ポイントはそれを話しているのが「マンガの中」の男だということである。
種明かしをすれば、肉の塊とは、そのマンガを読んでいる人の指先である。渦巻きとはその指先の指紋である。二次元のマンガの中にいる人は三次元の世界のマンガを読む人の指先がページをめくる度に、一瞬、二次元のマンガの世界の人の目に触れるが、指先を離せば当然消えるように見えなくなってしまう。
この話を読んで、私はフッと、もしかしたら命というものも、そういった類いのものなのかも知れないと感じた。三次元の世界にいる私たちには、それよりも高次の世界は知る由もない。命も何らかの形で高次の世界から降りて来て、死ねば再びその世界へと吸い上げられる。私たちの目にはそれは見えない。ちょうどマンガの男が渦巻き付きの肉の塊を見失うように。
これは私だけの馬鹿げた発想かも知れない。もっと多くの違った考え方があるとは思う。しかし、このマンガを読んだ時、閃いた自分の思いは結構面白いのではと今でも思っている。(もちろん、この話には宗教的な意味合いはないと考えていただきたい)
(オリジナル)
昔、ある人が「人間死んだら皆、二十歳」と言っていたことがあった。
ん? 何で二十歳なんだ? とよく分からなかったが、そうか! と腑に落ちた。多分、死後(4×5)=20(二十歳)! そういうことだろう。この時は馬鹿馬鹿しくって、笑ってしまったものである。




