具体的に生きる
働いていた時、毎年、年の初めに「今年の抱負」というものを考えていた。
それは抱負という言葉から想像されるような大袈裟ものではなく、「貧乏揺すりは止めよう」「新聞の一面は隅々まで目を通そう」みたいな、ほんの些細な事柄ばかりであった。
この抱負は一年間、他の人に話すことはなく、自分の中にだけ仕舞い込んでいた。喋ってしまうと、その思いが色褪せてしまうような気がしたのである。また、ユングが小さい頃に見た夢を死ぬ間際まで誰にも話すことなく、自分だけの秘密にしていた、とどこかで読んだことがあり、私もそれをほんの少し真似てみようと思ったのである。
ある年に「具体的に生きよう」という抱負を考えた。
具体的とは何か? 自分ではわかったつもりでいるのだが、それを人に伝えるのは簡単ではない。
一つ例を挙げてみる。
私には家でゴキブリを捕まえようとする時、できるだけ手を汚さないようにと、封筒を持ってきて、その中にゴキブリを追い込み、封をしてポイというやり方があった。
昔、職場で大掃除をした時のこと。机の下からゴキブリが出て来た。すっかり弱り切っており、這う姿もヨタヨタとしている。これなら私の方法で捕獲できる、と試みたのだが、相手もさるもの、思うように封筒に入ってくれない。私が腰を屈めながら封筒を手にもたもたしていると、それを見ていた先輩が、
「何をお姫様みたいなことやっとんねん。こんなん、こうやるのが一番や」と一撃の下に靴の裏で踏みつぶしてしまった。
……私は何も言えなかった。
確かに、そうやるのが一番確実で、現実的である。
私のやり方は、あまりにも抽象的過ぎ、夢想的過ぎで、先輩曰く、現実を知らない『お姫様みたいな』やり方だったのだ。
私は、ゴキブリを見つけた時、靴で踏みつぶすやり方なんて、まったく頭になかったし、先輩も、封筒でゴキブリを捕まえるなんて考えもしなかっただろう。どちらが具体的なやり方なのかは、あまりにも明白だった。
もう一つ。
私は子どものころ、よく母と一緒に市場に買い物に行った。確か漬物屋だったと思う。母が買うと、店のおっちゃんはキュウリや茄子の漬物を包む時、吊してある釣り鉤に引っかけた四つ切りの新聞紙の束から、きちんと一枚取るために、必ず親指を下唇で舐めた。(おっちゃんの下唇がぶ厚いのはきっとそのせいだと子ども心に思っていた)
母は「汚いわねぇ」と嫌がっていたが、おっちゃんにはそれが一番現実的なやり方だったのだ。できるだけ間違いなく新聞紙を一枚取る。手間取ってはいけない。そのためには、唾で指先を湿らせることは非常に具体的な行為だったのだ。
目的を達成するには、現実的に処理しなければならない。それは、見た目に綺麗でなくてもいい。私の言う「具体的に」とはそういうことだ。
しかし、それを行うのは結構努力を要することでもある。自分のこれまでのやり方を変えなければならないこともある。
話は飛躍するが、私は相田みつをの詩がどうしても好きになれなかった。あまりにも内容が純情過ぎて、心のひねくれた私には、こっぱずかしく、読むだけで気持ちがムズムズしてくるのだ。しかし、ただ一つだけ、心に残っている言葉がある。この言葉だ。
「ともかく 具体的に動くことだね。いま、ここ、を 具体的に動く… それしかないね。具体的に動けば 具体的な答が出るから。自分の期待通りの答が出るかどうか それは別として 具体的に動けば 必らず具体的な答が出るよ。 そして… 動くのは自分。」――アノネ がんばんなくてもいいからさ 具体的に動くことだね――
仕事で、どうにも動きが取れなくなった時、この言葉に出会った。
そうか、今まで頭でばかり、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせていたが、何の行動にも移せていなかった。思い切って具体的に行動してみよう。それが結果としてどう出ようと、その時また具体的に考えて行動すれば良い。そんな気持ちになって、自分を後押ししてくれた。
今の世の中、スマートさが優先されることが多い。
しかし、きれい事だけで世の中は動いている訳ではない。もっと、ドロドロしたものが現実を動かしているのだろう。表面は綺麗でも、すべてが綺麗というわけでもない。
話は完全に飛躍するが、これに関連してよく考えることがある。
それは、たとえば、子供が産まれる時、母子ともに血に塗れた状態になっているということだ。人間は、子どもは、生き物は具体的に産まれてくるのだ。
と、こんなことを書くと、話がややこしくなるので止めておくが、この問題も私にはどこか、これまで書いたことと通底しているのではないかと感じている。
(オリジナル)
この話を書いていて、これよりもずっと以前、友人とこんな会話をしたことを思い出した。
私「人間という存在がどんなものかを確かめたくって、昔、人の吐いたゲロを見つけると、じっと見詰めていたことがあったなぁ」
友人「僕は道端に馬糞が落ちていると、思わず駈け寄り、顔を近づけて、クンクンとその臭いを嗅いでいたよ」(昔は道に馬糞が落ちていたこともあったのだ)




