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二度目の罪

 結局零士は車の駐車しているところまで三人とその他護衛に付いてきて手を振って見送ってきた。

 その様子を見るかぎり零士はよほど陽月との別れが悲しいらしい。陽月の乗る車が見えなくなるまで手を振っていた。

 泉宮邸に着くまでの間朔はずっと眠っていた。

 そんな朔の色素の薄い髪を撫でながら陽月は流れゆく外の景色を眺めていた。

『僕はずっと幸せなんです』

 出会った頃の朔を思い出すような、昔と変わらない優しくて陽だまりのような、でも少し儚げな声色。

 時折朔が別人のように見える事がある。

 ふと、陽月は考え始めた。

 朔は変わった。それは確かなことだ。そしてそれは一年ほど前から。

 一年前といえば陽月は泉宮家当主として周囲の人間関係も完成し、軌道に乗り始め、新たな事に着手していたため、目まぐるしい生活を送っていた頃だ。

 その頃の朔は……。

(……だめだ、忙しかったから朔とのコミュニケーションを疎かにしていた……思い出せない…というか分からないな)

 寝息を立てる朔を見つめた。

「……」

 長い睫毛が窓からの光に呼応して煌めき、朔の目の下に影を作った。

 それがあの日の狂気満ちた朔を想起させた。

 もう動かない死体を、何度も何度も刺して形が分からなくなった死体から溢れ出た生ぬるい血に浸る朔の事だ。

 睫毛に血がついていた。

(“あの朔”は、あの頃の朔とも、今の朔とも違うな)

 殺すという行為に酔っているようだった。瞳が妖しく輝いていて、口の端を吊り上げてにやりと、哂っていた。

(今の朔は何と言うか、冷静で、冷酷で……冷たい、でもあの頃の朔は優しくてふんわりと嬉しそうに笑う子だった……)

 朔がまるで三人いるようだった。他にもいるのかも知れない。

 いつからそうなったのか、陽月には検討もつかない。原因もわからない。

「……」

 そして眠る朔を見てもう一つふと気が付いた。

(最近……よく寝ているな)

 しょっちゅう眠る上に、睡眠時間が全体的に長いように感じた。夜に仕事があっても昼前には起きるだろうに、昼過ぎに目を醒ましたり、こうして今みたいに電池が切れたようにふっと眠りに落ちる。

 そんなことが最近増えたように感じた。

 しかし明確に前とは全く違う、と言い切れる要素が無いため、もしかしたら勘違いかもしれないとも思う。

「……ん〜」

 そして陽月はなとなく口にする。

「……成長期か……?」

 自然と口から出てしまっていたため、運転中の渚が

「どうかしましたか?」

 と陽月を気かけた。

「あ、いや、なんでもない」

 と陽月は言葉を濁した。

 考え過ぎかもしれない。というか、何より人とは変わる生き物である。成長の証かもしれないこの朔の変化を、何か普通とは違うことのように扱うのは違うのかもしれないと、陽月は考えることをやめよう、と思った。

 窓から見える景色は気がつけば夕焼けが緑がかりはじめていた。

 もうすぐ夜になる。

 帰ったらまずやり残した仕事を処理して、その後準備をして朔の部屋の扉をノックする。

 それから、それから……

 と考えているうちに陽月も朔と一緒に目を閉じていた。

 

 ***

 朔は目を醒ました。

 気がつけば自分の部屋だった。

「……」

 朔はベッドから体を起こして辺りを見回す。

 窓から月光の光が朔を照らす。それを見て朔は夜だと認識する。

 今日は仕事がある。

「……今何時だ?」

 気だるげにゆっくりとした動きでベッドから降りて歩き出す。しかし、その足はすぐに止まった。

 足音が聞こえる。それも陽月のものだと分かった。

 そこで朔は安堵する。

 よかった、仕事に間に合ったと。

 そして朔の予想通りその足音の持ち主は部屋をノックし、朔に話しかける、その声は陽月のものだった。

「朔、起きているか?」

 優しい声。きっと朔はこの声が昔から好きだった。だってその声のする今朔の顔が、先程までの気だるけな表情から少し楽になったような表情へと変わったから。

「はい」

 しかしその表情とは少し対象的に朔の声は相変わらず少し無機質だ。

「仕事だ」

 陽月の声に緊張感が感じられる。朔への仕事は大抵そういうことだからだ。

 朔はその声を聞くとドアを開け、陽月の前にやって来る。その瞳は陽月のことだけを見つめている。例えば陽月のいる場所の要素、床や壁や今さっき掴んでいたドアノブなどへの関心の一切が陽月のみに集中する。今日の陽月はスーツ姿である。

「今日は……」

 誰を始末するのか、何人始末するのか、どういう人間なのか、以前よりも気になっていた。

「今日は──」

 その概要を陽月が説明する。今日これから陽月はとある会議に行く予定である。こんな時間に行くのだからどのような会議かは大方察しがつくだろう。そしてその会議の道中に陽月への刺客が待ち伏せているとの事だ。

 刺客などの情報は泉宮家には筒抜けであった。この国のトップ四家の中で情報について言うならば一番が北の小鳥遊家、そしてそれに次ぐのが泉宮家であった。刺客の居場所も筒抜けだ。

 この情報により今夜の会議の時間は一時間ほど遅らせた。その間に朔が刺客を始末するのだ。

「分かりました」

 朔はそう言うと部屋へ戻り、竜胆の件の時に着ていたスーツではなく、スーツよりは目立たないカジュアルな格好へと着替えてまた部屋から出てくる。

「……」

 こんなことを思うのもなんだが、と陽月は思う。

 仕事に行く前と仕事中の朔は一際人間離れしていて美しいと。

 伏せがちな睫毛が日中は朔の瞳に影を落とすが、夜の朔はどうだ、月明かりに照らされた瞳ははっきりと開かれていて宝石のようだった。どの季節も冷たい色を持つそれは人の心を惹きつける。

 白い肌は輪郭を明瞭にし、薄紅の唇はそんな肌に良く映える。

 そんな朔の意識のすべてが、今は陽月にのみ注がれる。

「……よし、行ってきなさい」

 陽月は少しだけ震える声でそう言った。

 朔は歩きだそうとつま先を動かす。

 しかし、

「……陽月様?」

 足を止めて、陽月の方を見る。

 陽月は驚いた様子でアメジスト瞳を小さくさせながら目を大きく見開いた。

「ど、どうした……」

 少しの間、時が止まったかと思った。

 心臓がようやく鼓動を始める。

 朔は分かり難い表情ではあるが、心配そうに陽月の顔を覗き込んでいた。きっと、陽月の声が震えていたことに気が付いたのだ。

 そう察すると陽月は、ああそうだ、と思った。

(この子は昔から私の声色や表情や瞳の動きをよく観察していて、私よりも私の気持ちを察するのが上手いのだった)

 それがすこし怖くて、自分の不安を見せたくなくて、忙しいこと理由に朔から少しだけ遠ざかったのは陽月であった。

「……大丈夫だよ」

 優しくそう言い放つ。

 お願いだから詮索しようとしないでと。

 その声に安心したように朔は今度こそ歩き始めた。その背中は真っ直ぐに伸びていた。

 それ見つめる陽月は唇を噛み締めていた。

 

 ***

 音を立てずに、一定のリズムで朔は歩いていた。泉宮邸と会議会場とのちょうど真ん中辺りの狭くて暗い道を歩いていた。呼吸の音は聞こえない。浅く浅く息をしていた。

「……」

 頭痛がしていた。泉宮邸を出たあたりから。

 ズキズキと、たまにキーンと耳鳴りがして周りの音が遠く感じる。五感が優れている朔にとって武器である目や、鼻や、耳。そのうちの耳が今使い者にならないため朔は耳鳴りがした途端に周りの状況を目で確認するようにした。痛みは波があって、収まりそうに無かった。

 耳鳴りがすると遠くから何かが聞こえるのだ。周りの音かと思ったが、こんな夜中に耳鳴り越しでも聞こえる物音とは何だろうか。

「……」

 歩くに連れて、対象に近づくに連れて朔の頭痛と耳鳴りは酷くなった。

 痛い、痛い痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……

 頭の中が“痛い”で一杯だった。耳元で爆音を流し続けられるような、頭の中が飽和している感じだった。

 そんな中、アイスクリスタルの瞳がピクリと動く、何かを視界に捉える。

 生き物だ。動いている。

 サーモグラフィーカメラの様に生きている物だけを捉えて朔はそっと今いる階の階段を少し降りて隠れる。

 朔の首筋に汗が一滴伝う。冷や汗だった。

 対象のいる小さな建物の階段を登っていたにも関わらず、この建物に入っていたという事に今気が付いたからである。狭い道を歩いていた記憶はしっかりある、が耳鳴りが酷くなってからの意識というか注意力が散漫になっていて建物に入ったことにすら気が付かず、更には対象を視覚が認知するまで対象に気がつけなかったのだ。

 まずい、と思った。今の集中力ではいつもどおりに戦えないと。耳鳴りさえしなければこうはならなかったはずだ。今でも耳鳴りの中から何かが聞こえるようだった。

 でも、戦わなければ。

 そう思うと朔の瞳は妖しく輝き出す。月明かりに呼応するように。

 目の前にいる対象は陽月を始末しようとしている憎き相手。そう考えると全身の血が沸騰するようだった。怒りのようなものが湧いてきた。

 もう周りの音なんか、聞こえなかった。聞こえなくてよかったのだ、耳鳴りなど気にしなくてもよかったのだ。

 だって耳鳴りなどあっても、朔にとってはハンデにすらならない。

「……っ!!」

 対象はようやく朔に気がついたようだ。だがもう遅い。

 その時すでに朔は対象の首元に白く輝くナイフを突きつけていたからだ。

 小さなビルの床面積はもちろん狭い。対象はその屋上階から遠く陽月が通る予定の道を狙撃銃のスコープから眺めていた。ちょうどそのタイミングでこのビルの狭い屋上の入り口から対角線上にいる対象の背後へと朔は瞬きするよりも早く忍び寄ったのだ。

 この瞬間、対象は死を悟ったのか少し全身の力を抜いたように見えた。

「……」

 

 ***

 対象の名は上村かみむら優月ゆずきという。この物語ではきっとここで出番が終わり。

 彼には妻がいた。娘がいた。息子がいた。愛犬がいた。

 みんな彼の宝物。みんな彼の、大切。みんな彼のすべて。

 それだけがあれば彼は満足で、彼の心も命も満たされる。そんな家族がいた。殺し屋をやっているのに家族とは、笑わせるだろうか。

 いいや、厳密に言えば家族、と言う形ではあるが、戸籍上は家族ではないのだ。血は繋がっているが。

 少し彼の過去を振り返ってみようか、ありきたりな人生だ。

 20代で彼は妻と恋に落ち、30代前半で二人の子供を授かり、彼らは幸せに暮らした。子供に加えて大型犬も家族になった。幼い子どもの面倒をよく見てくれる優しい犬だった。

 しかし彼はある日暗殺者になった。彼は心底運命を恨んださ。愛する家族を持ちながらこの仕事を続けていたら家族が危ない、そう思った彼は本当の理由を告げずに家族の前から消えた。

 苦しかったが彼には選択肢はこれしか無かった。

 家族のことを脅されながら無理やりやらされている仕事。全て諦めて死んでしまおうと考えたことは何度もあった。でもどこかで、いつか元の形に戻れるのではないかと希望を持つ自分がいた。このままなんとか生き続けたら、老いてしまってもいい、遅くてもいい、やり直せるのではないかと。

 そんな思いで彼は今でも未練がましく首にロケットペンダントを下げている。彼のすべてである家族の写真の入ったロケットだ。

 そんな彼は今もう殺されようとしていた。

 

 ***

(当然の報いだ……)

 優月は過去の傷あとだらけの、自分の血塗れの手でロケットを優しく撫でた。

(……ごめんな、凛花りんか璃子りこりく……そしてブランコ)

 その瞳は潤んだ。

 そして、優月は力無い声で、でも優しい声で、朔に一生懸命焦点を合わせて震える声で一言、

「ごめんな、苦しかったよな……俺でよかった……君のことも、愛してやる……神様にそう言っておく……」

 と放った。

 嗚呼、その言葉は余りにも眩しかった。

「……っ」

 朔は息を呑んだ。そして詰まった。

 おかしい、と思った。だって自分を殺した相手にそんなことを言う理由がない。そんなに優しい目をした笑顔を向ける筈がない。何だこれは。どうしてこんなにも、胸が痛いのか。涙が止まらないのか。

 理由がわからないまま涙が出た。溢れていた。

 息を求めながら優月に懇願した。

「行かないで……っ」

 血が、血が止まらないのだ。頸動脈を裁ってしまったから、朔が自身の手で。

 そう、自分の手が誰かの大切を奪ってしまったのだ、“二度”も。

 いつにも増して自分の手が汚く見えた。穢らわしい、誰にも見せることのできないもののように思えた。

 この手でやったのだ。

 そう自覚すると涙は更に溢れた。

 溢れて零れた涙はその頬を伝うことなくポツリと落ちた。落ちた先は血の池だった。

 血と涙が混ざって何故か凄く美しいと心惹かれていた事に、彼はまだ気づかない。

「行かないで……やだやだ……行かないで、やだ」

 声にならない声でそう訴えながら、ペンダントに優しく触れている優月の手を必死に両手で握り締めた。

 汚い手で、優しい彼の手を必死に掴んだ。離してしまったら消えてしまう気がしたから。離さなくても、消えてしまうのに。

 彼はこの世から居なくなってしまうのに。

「あぁ……やだ……行かないで行かないで……行くならそんなこと……言わないで……」

 彼の手はもう冷たくなってきた。あの優しい温かさが失われてゆく。

 頭痛は無くなっていた。

 ズキズキとして遠ざかってゆく音の奥から聞こえていた音の、言葉の意味がわかったから。

 “愛してる”

 ドクン

 頭痛の代わりに心臓を掴まれたような感じがした。

 あぁ、思い出してしまった。こんなに優しい言葉。

 朔が知ってはいけない言葉。

 何も無い彼にとって唯一、その琴線に触れた言葉。

 特別な言葉な気がした。

 意味はわかっている。

 でも、きっと、自分が持ってはいけない感情だと、信じて疑わない。自分がその対象であってもいけない。

 “愛してる”

「……っうぅ」

 朔は胸を抑えてしゃがみ込んだ。そしてそのまま膝をついて蹲った。冷たい屋上の床がやけに心地よく感じた。

 “愛してる”

 うるさい、うるさい。

 聞きたくなんてない。空っぽな朔の空っぽじゃない部分がこの言葉に激しく反応する。

 “君は、愛してるんだよ”

 無邪気な声色の優しい女性の声が頭に響いた。

 きっとこの声の持ち主を朔は知っている。覚えている、この声も、フレーズも。

 何時だったか、誰だったか、朔は必死に思い出そうとした。なんだか急に、忘れたくなかった記憶のように感じたから。

 しかし、

「……はっ……、ぁ、ぅ」 

 思い出そうとした瞬間にものすごい頭痛が迫ってきた。と、同時に睡魔がやってくる。

 こんな所で眠っていたらきっとすぐに人殺しだとバレてしまうだろう。寝ては駄目だ、駄目だと朔は思い出すことを放棄して立ち上がろうとする。

 しかし、治まったのは頭痛だけで眠気はどんどん酷くなってゆく。そうして朔は膝から崩れるように倒れてそのまま眠ったのだ。

「……」

 まるで、死んでしまったかのように。

 その瞳からは一滴の涙が頬を伝って零れた。それは月明かりに反射してキラリと煌めいた。

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