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いたずら好きの幼馴染

 雪の日のことだった。

 その日は街が真っ白に染まっていて、夜空の紺と星の煌めきと相まって雪がよく映える日だった。そんな素敵なある夜、街の路地裏で泣き声が微かに響いた。

 泣かないでと、誰かが言う。

 それは無理だと泣き叫びながら名前を呼ぶ。

 ただそれだけの、夢だった。

「…ぁ」

 アメジストの星空のような瞳が開いた。黒の睫毛が何度も揺れた。

 久々に夢を見た気がした。それももう随分と昔の夢だった。陽月はゆっくりと起き上がる。透明感のあるブラウンの長い髪はゆるりと波を作って揺れた。カーテンの隙間から漏れる朝日に毛先が照らされて、その危うさを感じさせた。

泉水(せんすい)……?」

 ポツリと小さな声でつぶやいた。その声色は何かを懐かしむような、哀れむような、悲しむような、少しだけ悲壮感を灯した、縋るような声色だった。

 よく見ると陽月の睫毛が濡れていた。瞳はしっとりと潤んでいて、少しだけ充血していた。頬には涙の跡が見える。どうやら夢を見ながら泣いていたようだ。

「なんで?」

 また泣き出してしまいそうな声で誰に言うでもない言葉が静かに虚しく響いた。小さく震える両手を特に意味もなく見つめていた。

 暫くするとゆっくりと瞳を閉じた。まぶたの裏に映る何かを見ているように、誰かの声を思い出すように。

「もう、声も思い出せなくなったよ」

 自嘲するように少しだけ口の端を上げた。しかし両手を胸の辺りに当てると強く抑えつけた。その表情にはもう、自嘲する余裕はなかった、薄紅色の唇を噛み締めていた。

「夢一つ見ても……涙が止まらなくなりそうなんだ……助けてよ……」

 誰かに助けを求めた。ゆっくりと深呼吸をしようとするがその呼吸は震えていて、そんな自分の震える息を聞いてもっと辛くなった。なんて惨めな自分なんだと苦しくなった。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ……」

 優しい声で自分にそう語りかけては両手で胸を強く抑えつける。

 (そう言ってくれたあなたはもういないけれど)

 誰かの温もりを心の中で追いかけながらひたすらに自分に言い聞かせる。陽月は暫くそうしていた。

 小鳥のさえずりが聞こえだして、ドアの外が騒がしくなり、屋敷の中の者たちが一日の活動を始めだす頃には陽月の様子は落ち着いてきていた。

「さぁ、着替えよう」

 自分にそう言って気持ちを切り替える合図を出す。

 そして立ち上がると、少しふらつきながら歩いて、カーテンを思い切り開いて光を浴びてからからクローゼットを開くと、濃紺の襟の縁が金の皺一つ無いスーツを取り出した。

「今日、か……」

 その表情は覚悟を決めたような表情だった。

 

 *****

 緑が生い茂る夏のある日の事だったのかもしれない。誰も知らない秘密の場所でひそひそとした話し声が聞こえる。

 あの方は泣き虫だから、何かあったら側にいてあげてね、と言う。

 僕は側にいるだけで何もできない、と悲しそうに言うと相手は、優しく笑ったような気がした。

 そして相手は、あの方はそれが一番嬉しいんだよ、と言った、そんな夢を見た。

「……」

 アイスクリスタルの瞳がゆっくりと開いた。白い睫毛は何度も揺れた。瞳もゆらゆらと揺れている。

 朔はゆっくりと上半身を起こした。いつもの癖で耳のルビーのイヤリングを何となく触る。真っ赤なイヤリングは、カーテンの隙間から漏れる光を反射して部屋を微かに照らした。

「……」

 朔は自分のベッドの端に自分のではない手が置いてあることに気が付いた。

「ぇ……」

 少し驚いた様子で体を震わせたが、よく見るとベッドの横の椅子に座ってベッドの端に体を預けて眠っている渚の手だった。

「なんで?」

 動揺した様子で朔は渚の事を見つめる。

 黒くて毛艶の良い髪がさらりと耳にかかった。それがくすぐったかったのか、渚は少しばかり眉を動かしてからその真っ赤なスピネルの瞳を開いた。

「……ぅ」

 意味も無くよく分からない声を出してぼーっとしてから朔の事を意識の中に捉えると、

「……あ」

 起きたばかりの寝ぼけた様子がまるで無かったかのようにしゃきっと瞳を開いた。そして起き上がる。

「朔、おはよう」

 そう明るい声で言うと、椅子から立ち上がった。

「調子はどうかな?」

 優しい声色で朔にそう問いかける。

「体調は大丈夫、だけど、どうして渚がいるの?」

 朔は静かにその質問に答えると、今度は渚にそう問いかける。

 渚は少し考えてから

「やっぱり朔の事が心配で、気になって暫く看ていたんだけど気づいたら寝てたんだ」

 と、そう言って微笑った。

 朔はどういう反応をすればいいのか分からないといった様子でそわそわして手元を見ながらそっか、とだけ言った。そんな朔の様子を見て渚はいたずらっぽく微笑いながら

「うん、そうだよ

 自分のこと大事にしてね」

 と言って自分の着ていた上着を朔の肩に掛けた。

 朔は上着の温もりに居心地の悪そうな困った様子でいた。慣れない温もりが少しずつ体に広がってゆく。

「温かくしないと風邪ひいちゃうから、ちゃんと温かくしてね? ……じゃあ俺はもう行くから、何かあったらすぐに呼んで」

 渚はそう言ってすぐに部屋を後にしてしまった。朔は黙ってこくりと頷いて渚が出て行くまでじっとしていた。

「……」

 慣れない温もりに包まれながら暫くカーテンの隙間から見える空を眺めていた。いつの間にか胸の辺りまで温もりが広がっていたようだ。

 (友達ってこんなに温かいんだ)

 そう感じたのだ。

 胸の辺りで体温以外の何かががじんわりと広がる感じがした。そんな朔は少しだけ優しい気持ちになれたような気がした。

「大丈夫、大丈夫」

 何となく小さな声でそうつぶやきながら、もう少しだけ偽物でもこの優しい気持ちを味わおうと静かに噛み締めた。

 

 *****

 静かな朝食。食器と食器の奏でる金物の音と鳥のさえずりが広々としたダイニングルームによく響いた。

 陽月は自分が口に運んでいるものの味が分からないまま食べていた。全く別のことを考えながら食事をしていたのだ。

「……」

 その瞳は少しだけ気だるげで、もう何回目かのため息が部屋に響いた。側に立っている料理人はそのため息を聞くごとにびくっと肩を震わせていた。

「デザートの──」

 料理名や使った食材、どこから遥々取り寄せたのか、どう調理したのかを説明されても全く頭に入ってこなかった。傍らにいる料理人とは別の者がデザートを持ってきて説明しているのだが、彼も途中から陽月の不機嫌そうな様子に気づいて声が震えだしている。

「……」

 説明が終わったに関わらず陽月の手は止まったままで、一向にデザートに手を付ける気配がない。そんな彼女の様子に周りの者たちは目を見合わせて如何しようかと動揺している様子だ。

 すると、ダイニングルームの入り口の方から、

「陽月様、しゃんとしなさいな」

 と女性のハキハキとした声が響いた。

 その声の主は少し白髪の混じった黒髪を纏めていて清潔感があり、他の女性の召使いたちとは少しばかり制服の生地の質や、胸元のバッジが違うような格好をしていた。

 彼女はメイド長の華頂(かちょう) 彩葉(いろは)である。陽月のことを幼い頃から世話を見てきた者で、今も絶賛陽月の主な世話係である。

「……わかってる……! ……わかってるけど……」

 陽月は突然響いたメイド長の良く通る声に驚くことはなく、むしろその声を聞いてうんざりしている様子だ。メイド長の前では陽月も反抗期の子供のようだった。取り敢えずフォークを持って何となくデザートの上でふわふわと動かして食べたくないと言う気持ちがバレないように誤魔化しているようだ。

 しかしそんな癖は、メイド長にはお見通しなようで、陽月様、と一括すると陽月は嫌々ながら口に運んでゆく。

 何もデザートが苦手であるとか、体調が悪いとか言うわけではないのだ。

 ただ、

「……はぁ」

 憂鬱なのだ。

「陽月様、先程からため息ばかり、そろそろ出発の時間でございますよ」

 メイド長は呆れ7割、同情3割くらいの声色で陽月のフォークの動きを急かす。

「ん〜……わかってるって……」

 上唇を少し尖らせて、なんとか口へと運ぶ。

 口中に甘さが広がり、果物の少しの酸味を感じた。

「……おいしい……」

 ようやく食べているものの味を感じて、美味しさを少しばかり噛みしめる陽月なのであった。

 

 *****

 緩やかな振動が体を揺らした。

 この時代に車を持っているということはその者が裕福であることを象徴する。持っている者といえば、成り上がりの商人や、貴族や王族である。もちろん泉宮家もその例に漏れず、車を所有している。そして泉宮家の分家である華頂家、栗花落(つゆり)家、四条(しじょう)家、一ノ瀬家も所有しているし、泉宮家に対して友好的な西の皇家、東の久遠くおん家、北の小鳥遊たかなし家も同様である。

 そして今こうして陽月が艶めく漆黒を纏う車に乗っているのは皇家に行くためなのだ。

 もちろん護衛には朔を始め栗花落家や四条家の者を付けていて、陽月の隣には朔、陽月の乗る車の前後に分家の者たちを乗せている。

 ちなみに華頂家は代々泉宮家の召使いを輩出しているため、護衛は滅多にいないのである。

 そして陽月の乗る車を運転しているのは一ノ瀬家の渚である。護衛兼運転手といったところか。

「……はぁ」

 しかし、折角のドライブ(皇家までの)だと言うのに陽月は相変わらず朝と変わらぬため息をついていた。ガラス越しに眩い光を放つ太陽を睨んだ。

 車内は重苦しい空気を纏う。

 朔は時々周りを見たり、陽月を見たりと護衛として周囲を警戒している様子だ。

 渚は重苦しいこの雰囲気に呆れの表情を灯しながら安全運転を心掛ける。

 さて、そんな彼らの服装はいつもと違って礼服であった。

 陽月は光の反射具合で色の強弱が変わってしまうような見飽きることのないブルーの襟の詰まったロングドレスに、同色の肘下くらいまでのイブニンググローブを着け、まるでシンデレラのガラスの靴のように煌めくアイスクリスタルのヒールを履いていた。

 そして朔は一昨日から昨日の深夜着ていたが、もうクリーニングされた綺麗なスーツを着ていた。

 渚はネイビーのスーツを着ていて、グレーのシャツと艶やかな紺のネクタイがスーツの襟元からその姿を覗かせた。

 彼らが向かう皇邸はさすが「西の皇家」と呼ばれるだけあって、西の最大都市、オヴェストシティの中心にそびえ立っている。

 ちなみに、陽月や朔のいる国は中緯度に存在し、その領土はさることながら、人口が多く、生産力もあり、科学技術も満足な世界から見ても上位に位置する国である。西の最大都市オヴェストシティには皇家、東の最大都市ヴァストークシティには久遠家、北の最大都市ノルズルシティには小鳥遊家が古くからこの国に根付いていて、陽月の泉宮家はこの国の一番の大都会であるスタットシティの中心にその本家を構えている。そして、紫翠家はスタットシティの北側の少し外れたところに本家を構えている。

「……朔?」

 すると、少しだけ緊張感の走った陽月の声が車内に響いた。渚は瞳をピクリと動かして、ミラーからその様子をちらりと見る。

 呼ばれた朔はびくっと肩を動かして陽月の方を見た。

「眠いのか?」

 陽月はそんな朔のアイスクリスタルの瞳を見つめながら問う。どうやら朔はうとうとしていたようだ。

「申し訳ありません」

 朔はただ謝った。しかしそんな朔の返答に満足の行かない様子で陽月は顔をしかめた。

「そうじゃなくて、眠いのかと聞いているんだ」

 ともう一度問うた。

 朔は一体自分がどんな答えを要求されているのかを考えつくことができない様子で、取り敢えず素直に頭を縦に振った。

 すると陽月は若干瞳の色を和らげると、自分の足をぽんぽんと両手で叩いて朔の方を見た。

「……?」

 朔は理解できていない様子だ。

 陽月はしょうがないな、といった感じに、

「膝を貸そうか?」

 と朔に言った。

 そんな陽月の表情や声色はいつもの堅い感じとは違って柔らかいように感じる。車の閉鎖的な空間が陽月に仕事や立場を少しの間だけ忘れさせているのだろうか。

 一方朔の方は、それを聞いた瞬間に瞳を大きく揺らしてから固まってしまう。

「恐れ多いです」

 という言葉だけがか細く口から零れた。

 しかし陽月は

「そういうのは今気にしなくていいから、寝たい? 寝たくない?」

 と朔の回答を急かした。

 急かされた朔は少々気まずそうに首肯する。

 すると陽月はそんな朔の体を膝に乗せようと手を伸ばした。

 しかし、

「……?」

 伸ばした手は優しく払われたのだ。

 朔は無意識にそうしてしまったのか、暫くしてから瞳を大きく開いて陽月に謝罪した。

「……申し訳ありません」

 違う、違うんだよと朔の心は必死に訴えかけようとするが、朔自身が謝罪しかしないためにきっとその思いは届かない。

 陽月は振り払われた手をしばらくの間見つめていた。その瞳は睫毛の影が落とされて、うまく光を灯せなかった。

 渚は運転に集中していたのか、車内の今の雰囲気にひどく困惑している様子だ。

 すると陽月の薄紅色の唇が微かに開く。

「……わかってる」

 そう言った。

 何に対して言ったのか、ただそうとだけ言うと、朔の方を見た。

 その瞳は夜空のように光がまぶされていて、あまりにも綺麗だったので朔は眩しそうに瞳を少しばかり細めた。

「大丈夫、気にしていないよ?」

 そう言う陽月の表情はなんとも言えないような穏やかな表情であった。

 朔はそんな陽月を見たまま肩透かしを食らったような顔をしていた。

「……ほら、おいでよ」

 陽月は再び朔に優しく言う。

 暫くして朔は折れたのかおずおずと体を横に倒し始めた。

 もう眠気が飛んでしまっているだろうなと、陽月は朔に申し訳ない気持ちになったが、それでもこうしたかった。

(あの頃みたいに……)

 すると、膝の上に確かな重みを感じた。

 膝の上を見ると一番に目に入ってくるのは艶めく白銀の髪がゆっくりと一房一房重力に従ってさらりと落ちてゆく様であった。

 あまり顔は見えないが、気のせいか朔の耳が熱を持っているような感じだ。

 遠慮がちに横になったため寝付けないかと思ったが朔はあっという間にリラックスしたように規則的な寝息を立て始めた。

「……」

 陽月はそんな朔を見ながらその髪を優しく梳いてやった。

 

 *****

「到着いたしました」

 体を揺らす振動が完全に止まり、エンジンも切られ、あっという間に訪れた静寂のなかで渚のそう伝える声が届いた。

 陽月は、わかった、と返事をすると膝の上で気持ち良さそうに眠っている朔のことを呼ぶ。

「朔、着いたよ」

 あどけなさが残る寝顔は陽月に朔の幼い頃を思い出させる。

 朔は睫毛を少し揺らすと、瞳をゆっくりと見せた。

 2回ほどぱちぱちと瞬きをする。

 その表情にはあどけなさはもう去ってしまっていて、陽月の膝からすぐに起き上がって離れた。

「……朔おはよう」

 陽月は少しだけ寂しそうに朔にそう言った。

(あの頃はとても可愛かったし、心の支えになってた……でも私には今の朔がわからない……)

 髪の色も、肌の色も、瞳の色も変わらないのに、背は伸びて、声も変わって、その表情もいつの間にか変わった。語る言葉は無機質に紡がれ、その瞳が見ているものはもはや想像もできない。

 いつの間にか置いて行かれてしまったような感覚を、数年前から陽月は感じていた。

 そんな陽月の気持ちも分からないまま朔は車を降りて陽月の手を引いた。

 足元に気をつけて下さいと言いながらエスコートするその手は、なんだかとても冷たいような気がした。

 車を降りると目の前に広がるのは生い茂る自然いっぱいの穏やかな片田舎の一本道であった。

 決して今から行くのは皇家別邸ではない。皇家が元々この片田舎に配属された位の高い騎士を始まりとしているため、本家がこの場所にあるのだ。

「ここですね」

 渚がそう言うと、目の前には大きな門がそびえ立っていた。

 だだっ広い田舎の有り余る土地のごく一部に建てているようだが、恐らくこの広さは主要な貴族の本邸のどこをも凌ぐだろう。

 渚たちが門の目の前に着いた途端に、門がゆっくりと開いてゆく。少しずつ見え始める皇家本邸のあまりにも広い庭。門から伸びる一本道は少し遠くに見える本邸に続き、その道の中間辺りに大きな噴水が置かれている。薔薇園があり、葉や枝が切り揃えられた木々が置かれ、別館がいくつかある。一体何人働いているというのだろうか。

「よくぞいらっしゃいました、ご案内いたします、凛皇りおうと申します」

 そう言ったのは先程門を開けた者のようだ。

 凛皇と言う彼は、執事服を着ていて、背は高く、前髪は長く目元が上手く見えないがその髪色は金。年は陽月に近そうだ。

 麗しい見た目の者を寄越すことで客が喜ぶこともあるだろうが、陽月は特にこれと言って表情を変える様子はない。

「では、こちらです」

 そう凛皇が言うと三人は入っていった。

 ちなみに他の護衛者は門の外で待機しており、何かがあれば何時でも出動できる体制だ。

 

 *****

 長い一本道を過ぎると大きな扉がゆっくりと開き、広すぎるその本邸の中が顕になった。

 中に入ってからも長い道のりであったが、ようやく主人の待っている部屋の扉の前までやってきた。

「ここでございます」

 凛皇がそう言うと、陽月は前へ出てその重厚感のある扉をノックする。

 コンコンコン

「泉宮 陽月でございます、本日はお呼びいただき嬉しく思います」

 そう軽く挨拶をすると、鏡のように磨かれたドアノブをゆっくりと開く。

「失礼いたします」

 そう言いながら。

 しかし、

「……」

 陽月は扉を開くとドアノブを持ったまま動きを止めている。言葉が出てこない様子だ。

 なぜならそこには誰もいなかったから。

 その異変に気づき渚が警戒し始める。

「……ふふっ」

 そんな中笑い声がすぐ側からいやに大きく響いた。

 三人が視線を向けたその先にいたのは、先程まで案内役をつとめていた凛皇であった。

「……なにがおかし……っ」

 陽月は言いかけた瞬間に何かに気がついた様子で、体から力を抜いた。

 凛皇は嬉しそうに口角を上げながら口元に手を当てたあと、片手でその長い前髪をかき上げた。

 大きく揺れるその金糸は窓から差す光に反射してきらきらと煌めく。その拍子に隠れていた耳元が顕になると、ひし形の銀の細かな細工の施された縁取りを持つサファイアのピアスがキラリと一瞬大きく光を放った。そんな彼の持つ瞳は緑や深緑、オレンジやピンクの混ざる綺麗なアースアイ。

 鼻筋は通り、その口元は自信ありげに笑う。

 そんな彼は一体何者なのか、その答えを本人が言う前に陽月が呆れながら名前を言った。

零士れいじ……」

 彼の名前は皇 零士。

 皇家現当主の名である。そして何よりも、

「やっと気づいてくれた、陽月ちゃん」

 陽月の幼馴染である。

 

 *****

 なぜ遠くに住む二人が幼馴染なのか、その理由は至って簡単なことで、両家の仲が親しいためだ。

 その始まりは、皇家の始まりの、あの騎士の代からだ。

 かの騎士は、国王の血縁であった。

 そのため、位が高く、国王からの信頼があった。

 一方で、泉宮家の始まりも、また別のものではあるが、騎士なのだ。そしてその騎士も国王と血縁であった。

 よって両家はお互いに元々今の泉宮家本邸と、その隣に皇家本邸があったのだ。

 そこである時、長らく隣の国のものであった西方の広大な領土が、北方の領土とのいわゆる交換条約、のようなものでこの国のものとなった。

 しかしそんな広大な土地、しかも違う国の民であった者たちが多く住むような所を治めるものは中々居らず、そこで王や諸侯が選んだのが皇家であった。

 そうして両家は離れ離れになったものの、両本邸の中間地に別邸を設け、よく会っていて、その交流は絶えず今も続いているというわけだ。

 その一環で今回陽月は皇本邸にお茶会をしに来ないかと皇家に呼ばれたのである。

 ではなぜ陽月は零士に会いに行くことをあんなに渋ったのか、交流があるのなら渋る必要はない。

 これには理由があるのだ。

 その理由というのは現当主、皇 零士があまりにも性格に難あり、なのだ。

 表舞台では一見良識があってまともそう、優しそう、王子様、などと持てはやされているが実はそんな事はなく、何となく人が困るようなことを言ってみたり、やってみたり、そして困っている人の反応を見て楽しむような、そんな人間なのだ、零士という者は。

 そしてそれをよく分かっているのは幼い頃からそんな彼の“遊び”に付き合わされてはよく泣かされたり、困らされてきた陽月である。

 

 『陽月ちゃん、ほらカエルだよー』

 幼い頃はまだ純粋な(?)いたずらであったのが、

 『幸薄そうな顔〜』

 とか

 『ねぇ、構ってよ〜陽月ちゃん? 陽月ちゃん?』

 『なによ』

 『……なに? もう、今忙しいから話しかけないでよね!』

 とか、明確な悪意があるような、ないような、なんとも言えぬ困ることばかりを言ってくる。

 いつまで経っても脳みそが子供なのだろうかと陽月は嫌気が差して最近はあまり会わないようにしてきたが、どうしても、と今回強く押されて断るに断れなくなってしまったのだ。

 

 *****

 そうして今も、前と変わらず陽月たちにドッキリを仕掛けては一人嬉しそうに笑っていた。

「はぁ……」

 陽月は呆れるしかできなかった。

「あ~、おもしろい……あ、入って入って〜」

 ご機嫌な様子で零士は三人を部屋に入れてそれぞれの椅子を引いてやった。

「ふふっ……」

 その最中もまだ先程のことを思い出して笑っている。

 他の者にとっては呆れてしまうようなことが彼にとってはよほど面白いようだ。

「は〜……笑った笑った……

 改めて、来てくれてありがとう、さあ、始めようか」

 そう零士が言うと、その言葉を合図にお茶会が始まった。

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