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忠節と紫苑色

 朔は歩いていた。少し高さのあるシャープな印象を与えるトウをもつ濃いブラウンの革靴を履きながら朔は夜の闇の中を音も立てずに歩いていた。夜の闇が彼の白い輪郭をくっきりと映し出す。今宵も、美しい月夜だ。白い月が、柔らかく光った。今夜は冷える。朔は冷たい空気を鼻からゆっくり吸うと、少し欠けた月を一瞬だけ見てから、月を背にして裏路地へと入った。

 決まったパターンを持つレンガが整然と道を作る。しかし、それとは正反対に路にはゴミや何かの死骸、ボロを一枚だけ羽織って座り込む人間やその他のもう何かすら分からないものたちが共存していた。朔はそんな路とも、規則的に並ぶレンガとも、どれとも違う雰囲気を漂わせていた。特定の決まりを持つ美しさではないのだ、複雑に絡まった彼の持つ様々な要素が美しいのだ。だから朔は街中の何処にも馴染まない、路地裏なら尚更馴染むことはない。しかし彼はそんなことは気にも留めずに一つの目的のために歩いていた。

 一歩、また一歩と進むたびに指先が硬く冷たくなっていった。冷気が彼の体を包み込んでいた。

「……」

 渚の言葉を思い出していた。彼との会話を思い出していた。言われたこと、感じたこと、自分の犯してきた罪について。

 後ろから見下すように照らしてきた月が薄い雲に遮られて少しの間、周囲は暗くなった。

「……」

 朔は唇を噛んでいた。

 一人目なんて知らない。命の重さなんて分からない。自分の罪の重さももちろん分からない。何よりも、自分の価値が分からないのだ。

 その理由も、分からない。

(心は……ある)

 でも、分からなかった。喜怒哀楽があってもどうしても分からないことがあるのだ。何かが、先程の月のように欠けているような気がした。そのピースが嵌れば、

(私は……満ち足りるのに……)

 朔は何となくそんな気がした。

 そんな感覚を、いつから感じていたのかも分からない。何故か彼の人生には分からないことが多すぎて、彼自身も少しだけ不安だった。でも彼は、苦しくはなかった。

「……」

 朔の足が止まった。目の前には大きな洋館がそびえ立っていた。壁は純白で、この洋館の住人の高潔さを表しているようだった。入れるものなら、入ってみろ、と言われているような気がした。この建物自体に仕掛けがありそうな感じはなくて、ただ、入る勇気があるのなら、覚悟があるのなら入ればいいと見下ろされているような気がしたのだ。

 この洋館は縹本家ではなく、竜胆の物である。本家の縹家は此処からかなり遠い北方の雪国にある。紫翠家が竜胆のみを求めて本家までやって来たため、本家ではなく紫翠家に近い洋館を新たに紫翠家に建ててもらったのだ。ちなみに、このように紫翠家には分家や特定の仕えている家などは存在しない。何故なら紫翠家はごく最近成り上がってきたからだ。そして代々地域、国、時代の主となって先導してきた泉宮家と肩を並べるくらいにまで近年成長している。

 だからこうして朔は紫翠家の排斥に足を突っ込んでいるのだ。他の家や刺客の排除ももちろんのことであるが。

「……」

 朔は窓がある方に薄花桜の雪が降り積もるような冷たい瞳をやる。仄かに明りが付いているようだった、窓から少しだけ光が漏れていた。恐らく警備だと朔は察した。だとすると音を立てなかったとしても裏口からでも、正門からでも入れば間違いなく見つかる。何人居るのか情報が足りない。尚且つ、本人は気づいていないが朔は街やこの通りの雰囲気と比べると少しばかり異質で目立つ、いつまでもここで考えている時間はない。とは言っても、館の周りを警備するものはいなかった。恐らく、紫翠家がまだ成り上がりな一面が大きいのだろう、特別重用している護衛、縹竜胆、と雖もそこまでは警備を回さなかったと思われる。

「……」

 朔は少し考えると裏口の扉の金色でよく磨かれた玉座タイプのドアノブに白い手を掛けた。

 

 *****

 竜胆の部屋は2階で、裏口はもちろん1階にある。

 1階には10人ほどの警備が居た。彼らは皆黒系統の制服を着ていた。紺のネクタイに、黒い警備服、黒いベルト。仄かに明かりが付いているとはいえ、薄暗い廊下では彼らを識別しにくいようになっていた。彼ら自身もうまく識別することはできないだろう、だから各々持ち場を確認してそれぞれの居場所を知ることで人影が見えても持ち場であれば警備の仲間、そうで無ければ侵入者である、と判別をしていた。

 10人ほど居るなら誰かしらさぼっていても不思議はなさそうだが、雇い主の選ぶ目がいいのか、警備の者たちは忠実に今夜の仕事をこなそうとしていた。彼らの手には銃、万が一に備えて腰に短剣などの刃物類が備えられていた。

 さらに2階には同じく10数人の警備の手がある。もし万が一1階を制圧できたとしても、2階に登れるかどうか、登ろうとすれば踊り場から銃殺されるだろう。

 要するに、ここの警備を抜けて竜胆の元へゆくのは中々難しい。

 しかしそれは、並の人間であればの話だ。

「……っ」

 誰かが驚きのあまり反射的に声を出そうと、息を吸おうとする音がした。しかしそんな声は廊下のカーペットに吸い込まれて誰の耳にも届く事はなかった。

 警備の一人がネクタイで首を締められていたのだ。声が出ない。それはそうだ、首がやられてしまっている。

 そのネクタイを引っ張る手は白く、その手の持ち主は静かにアイスブルーの瞳を1ミリも動かすことなく相手が事切れるのを待っているようだった。その表情にも行為にも心はない。もちろんその人物とは朔のことである。

 暫くすると警備の者は抵抗しなくなった。少しずつ動きが緩慢になる。そして力が抜けてその者の体重が一気に朔にのしかかる。しかし朔は動じることなくゆっくりと寝かせておいた。

 少し時を戻してみようか、裏口のドアを開くのにはもちろん鍵が必要だった。強引に壊せば音で朔の存在が知れ渡るだろう、だから細い棒状のものを使って特殊な方法で鍵を開けた。そこまではいいが、開けば相手が待ち構えているかも知れない。朔は相手がどのような装備でどれほどの数がどのように配置されているか情報を持っていなかった。そこで彼は“耳を澄ませた”。ふざけているのかと思うだろう、でも実際にそうしたのだ。先にも述べていた通り彼は五感に長けている、いいや、五感だけでなく第六感にも長けているだろうが。

 長けている、とは言ってもレベルが段違いなのだ。嗅覚も、聴覚も、視覚も、触覚も、味覚も、全てがとても鋭いのだ。特別に訓練した記憶は彼にはないが。

 だから彼はその能力を使った。ドアの向こう側が如何なっているのかを音と音の反響具合や、音質の感じで、どれくらいの広さの廊下があって、相手はどの距離にいるのか、どのような武器を装備しているのかをだいたいの感じで掴んでいた。

 そして視覚、ドアの向こう側の状況が大まかに把握できたところで、彼の五感が彼に行ってよし、と合図をして彼はドアを開いた。警備の者でも分かりづらいくらいなのだからただ暗い、よりも少しばかり質の悪い妙な明るさが、並大抵の人間だと視覚を暫く奪われるだろう。だが、朔は、彼の視覚は入ったときから鮮明に館の様子を捉えていた。だから、影からの攻撃ができたのだ。

 さて、絞殺したものだから吐瀉物などの臭いが広がれば誰かが怪しんでこの事がばれるだろう。時間との戦いになりそうだ。

 そう察するや否や、朔はソレが装備していた短剣を手に、拳銃を腰に素早く装備して、足音を立てずに走り出した。

 そしてすぐに立ち止まると、ゆっくりともう一人の警備の者に近づいた。そして、胸ポケットから純白のシルクのハンカチを取り出すと、背後から警備の口を塞いだ。

「……!?」

 警備の者は慌てて朔のその手を離そうと、白くて細い腕に両手で掴みかかった。瞬間、隙だらけになった警備はビクッと体を震わせると、歪めた表情から一変して、困ったような、悲しそうな表情を浮かべた。

 それは自らの死を悟った表情だった。

 ハンカチで口元を塞がれた瞬間に、警備はゆっくりズッと刺されていた。

「……っ」

 朔は刺している所からさらに短剣をゆっくりと左右に揺すって刀身を全部、警備の体にねじ込んだ。どこまでだろうか、内臓は確実に傷ついていただろうし、苦しさのあまり息もできなかっただろう。

 そうして2人目の警備はゆっくりと体を倒した。もう力のない体を支えながら朔はゆっくりと音を立てずに見えにくそうな影になる場所に移動して、ソレを静かに置いた。

 そしてすぐに次の警備の元まで足音を立てずにやって来る。クッションを使って音を立てずに射殺。次も射殺。すると異変に気づいた様子の警備が朔と目が合い、何か叫ぼうとした瞬間に、彼の裏に回って朔は彼の口を塞いで刺殺。すべての動作に無駄は無かった。ここまでさほど時間は掛かっていなかった。何人殺しても朔の瞳は相変わらず冷たく、青みを帯びた銀白色だ。何も感じないのか、感じないように心を殺しているのか、心が壊れてしまったのか、朔も分からないだろう。

 ただ彼は、淡々と作業を熟すだけだ。

 

 *****

 どれほどの時間が経っただろうか。

「……」

 目の前には死体と血の海。

 気がつけば終わっていた。朔自身も途中から記憶がなかったが、終わっていたのだ。

 だが、まだ本命を殺していなかった。竜胆の部屋のドアの前だった。

「……」

 ゆっくりと白い手がドアノブに触れる。

 指から掌、そしてドアノブをゆっくりと握る。その時、朔の白い指がピクリと動いた気がした。

 しかし、何事も無かったかのようにゆっくりと金色のハンドル型のノブを回した。

 そして、一息にドアを開いた。

 パァンッ……!

 発砲音が響いた。

 朔がドアを開いた瞬間に視界に入ったのは自分に向けられている拳銃と、跪いて下方から自分を狙う、拳銃の持ち主であった。拳銃の持ち主は片手で拳銃を操作し、もう片方の手で自分の口元にすみれ色のハンカチを当てていた。息を殺して待っていたようだ。もちろん、拳銃の持ち主というのは竜胆であった。

 彼の瞳は若干黒寄りのグレーで、髪色は同じく透明感のある艶やかなグレー。センターパートの前髪に、少しだけ耳に掛かった髪はきれいに切り揃えられたマッシュヘア、口元が隠れていて表情全ては読めなかったが、瞳の感じからして、竜胆はとても冷静に弾を放ったようだった。つまり、気づいていた。耳がいいのか、たまたまドアノブの動きを見てしまったのか、それとも夜中まで起きているということは朔が来ることを予め知っていたのか、いや、護衛をする時の習慣だろうか。

 何はともあれ彼はたしかに朔に銃撃した。しかも、ドアを開いてすぐという隙ができるような瞬間に。

 しかし、弾を放った後、竜胆は眉間に皺を寄せた。

「……?」

 目の前の相手が涼しい顔をして立っているからだ。

 片手で操作したとはいえ、腕を掠めただけということに信じられない様子だった。至近距離で打てないと言うことは、竜胆の心理状況が反映されたと考えられるが、落ち着いていたはずだった。

 だが、竜胆は気づいていた。ドア越しからでも感じていた、意図せずに全身が粟立っていた、ドアの向こう側の相手は自分の手には負えないのでは無いかと、感じていた。だから銃の狙いがブレたのだと。しかし、それにしては傷が浅すぎた。しかしそれは当たり前のことなのだ。

 朔が気づいていたからだ。

 ドアを開く前、ピクリと朔の指が反応した時、彼はドアの向こうがあまりにも無音なこと、そして無音の中にほんの小さなカチャリ、という音があったことに気づいた。銃を持ち直した時の音だろう。

 だから開いた瞬間に撃たれることは分かっていたのだ。

「……っ」

 竜胆が少し動揺している瞬間に朔は素早く彼の拳銃を持っている手に蹴りを入れた。しかし、竜胆はすんでのところで後ろに転がるように避けた。そして竜胆はすぐに立ち上がり朔に向けて両手で拳銃を構えた。

「……お前は……」

 竜胆は思い出したように言葉を放つ。

 朔はピクリとも動かずに竜胆を絶対零度の瞳で観察している。

「……泉宮家の」

 言いかけた瞬間、竜胆は腕に物凄い痛みが走り、苦しそうに顔を歪ませる。朔が先程とは比べ物にならない速さで蹴り上げたのだ。

「……っ……」

 同時に拳銃が転がり落ちた。竜胆の腕は使い物にならないくらい感覚が無かった。一瞬痺れるような痛みが走ったかも思えば、痛みと同時に感覚が麻痺して手が使えなくなった。

 まずい、と思っても遅かった。

 朔がすかさずに竜胆の首を掴んで壁に押し付けた。

「……ぐっ……!」

 息がしにくい苦しさと、壁に打ち付けられた頭や背中が痛んで苦しそうに声を漏らすが、もうこの館には竜胆と朔以外の生者は居ない。誰にも助けを呼べなかった。

「……ぅ……ぁ……」

 竜胆の表情は当然苦しそうだったが、しかし、死を恐れているわけではなかった。

 そんな竜胆の様子に朔は怪訝な表情をした。

 朔は経験上こういう場合、普通相手の様子は瞳が酷く揺れて、顔面蒼白で、歯と歯をガチガチと鳴らして助けを求めることが多いと知っていた。なのに、竜胆はそうでは無かった。ただ、息ができないとか、痛いとか、反射的に現れる苦痛の表情をするばかりで、恐ろしいとか、許してほしいとかそういう様子は見られなかったのだ。

 しかし、恐怖を灯さない表情は別の感情を灯していた。竜胆は薄紅色の唇を噛み締めながら、少しばかり、悔しそうだったのだ。

 何が悔しいのだろうか。ここで死ぬことか、朔に殺されることか。

 すると、竜胆は上手く息ができていない中、苦しそうな声で、

「……ごめ……なさ、い……っ」

 と、謝罪をした。

 朔に謝っているのかと、命乞いかと朔は一瞬だけ思ったが、悔しそうにそう言う彼は続けてこう言った。

「……紫苑……様っ…」

 朔は瞳を見開いた。揺れている。心も、瞳も。

 竜胆はもう朔の事を見ていなかったようだ。そのグレーの瞳は窓から見える月に照らされながら、ここに居ない違う誰かの面影を見ていた。

「……ま、……っ……もって……あ、げられな……っ……く……て……」

 ここに居ない主人に謝罪していたのだ。

 主人を守って死ぬのが、騎士としての使命なのか、守るべき主人に対して、それが全うでき無かった悔しさからそう言っていたのだ。その言葉は忠誠の証、誠実な心の印。献身的な、騎士の忠義を示した。

「……っ……」

 朔は息を呑んでいた。その拍子に手が緩んだ。しまった、と朔は焦ったが、竜胆は既に。

「……ぅ……っ……」

 朔は手を離した。ぐったりと力無く竜胆は崩れ落ちた。竜胆の手にあったは、先程拳銃を両手で持つときにポケットに仕舞っていたすみれ色の、いや、崩れ落ちて月明かりが届かない場所にあるそれは、紫苑色のハンカチだった。

「……ぁ……」

 力の入らない手で、動かない手で死ぬ間際に必死に握っていたそれは、静かにそこにあるだけだった。

 竜胆の死に顔(そのかお)は、穏やかだった。

 暫く固まっていた朔は死体の様子を見て気づく、自決だったと。

 殺しきれていなかったと、手を緩めたときに感じていた。それでもこうして冷たいのは、竜胆が自決をしたからだと、そう気付いた朔は力が抜けて崩れ落ちた。

 そこまでの忠誠心に圧倒されたからなのか、そんな相手を殺めてしまったことへの今更だが罪悪感からか。

「ゃ……ぁ……、さい……」

 朔は全身が震えていて、顔はいつもよりも白くて、青白くて、その瞳はどんどん冷えてゆく。それとは反対に、目頭は熱く、それよりも熱いものが頬を伝う。

「ご……め……、なさい…」

 小さな声で、蚊の鳴くような声でただそれだけを紡いだ。指も肩も、全身が震えていて、唇も震えていて、四肢の末端がひどく冷たくなっていた。

「ごめんなさい…ごめんなさ…」

 座り込んで、もう温度を持たないソレに向かってひたすら謝り続けた。鼻の奥がツンとして、喉元が苦しい。

「僕……ぁ……ごめ……なさぃ……」

 消え入りそうな声で、弱々しい声で、まるで、子供のような声で許しを乞う。

 だいぶ時間が経った。まだ外は暗いが、もうすぐ月が隠れようとするだろう、それなのに朔は未だに謝り続けていた。誰かが来て朔の顔を見たらこの大量殺人の現場が泉宮家によるものだと明らかになるだろう。それでも朔は泣きながら許しを乞う。もう今の彼に正常な判断はできないだろう。

「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 声が枯れても、涙が枯れることはなかった。例えば涙が枯れても、彼の心は飽きることなく許しを乞うだろう。

「ごめんなさい……ごめんなさ」

 言い続けていたその時、朔の冷たい震えた手のひらを優しく握りしめる手が、後ろから現れた。

「……っ……?」

 同じくらい冷たかったその手の持ち主は、ワインレッドの瞳を持ち、夜の闇に紛れるような淡いぼんやりとした雰囲気を持っていた。

「朔……帰ろう……?」

 朔はまだ腫れた瞳から涙をボロボロと流しながら振り向く。すると、驚いた様子で

「……な……ぎ、さ……?」

 と、掠れた声で友人の名を呼んだ。昨日の昼に初めて出会い、初めてできた友人である。

 渚は優しい瞳で朔の冷たい瞳を見つめた。

 朔の目の周りは酷く腫れていた。それはそうだ、任務を遂行し終わってから2時間ほど泣き続けていたのだから。

 唇は皮が少し剥けていて血が滲んでいた。唇を噛み締めていたのだろう。

 そんな朔の有様を見て渚は何も言わずに肩を貸した。朔はされるがままに立ち上がらされる。そして渚は部屋から出ようとドアの方に振り返る。

 途端に、朔が弱々しいながらも抵抗しだした。

「……朔……? どうしたの……?」

 少し困惑した様子で渚は朔に問うた。

 朔は嗚咽しながら

「……ぅ……まだ……っ……許して……もらえて、ない……っ」

 とそんな事を訴える。

 すると渚は朔の目を見て少しだけ物憂げな表情をしてから、優しい声で、残酷な真実を突きつけた。

「許してなんか、もらえないよ……朔が、殺しちゃったんだから……」

 渚は悲しそうな瞳を僅かに揺らしていた。

 朔はそれを聞くと、瞳を小さくさせて、目を見開いた。涙は出なかった。ただ驚いているのだ、許してもらえないと思っていなかったのだろうか。もう戻ってこないことは朔が一番知っているはずだ。

 その言葉を聞いて暫く呑み込むのに時間がかかった様子だったが、理解した時、もう何人も殺めてきた彼でもこの状況下で残酷な真実を突きつけられると、心のどこかの糸がプツリと絶えてしまった様子で、苦しそうに言葉を吐き出す。

「……ぁ……も……ぅ……、む……っ……り……」

 苦しそうにそう言うと渚の肩に朔の体重が全部乗っかったため、渚は慌てて体勢を立て直した。

「……朔……?」

 そう呼ぶが、彼の瞳は白銀の糸を持つ瞼によって閉ざされてしまっていた。気絶している。

 それを確認すると渚は朔を背負うことにした。

「……よっ……と……」

 渚は朔を背負うと、足音を立てずに小走りで館から出た。誰もいないことを確認すると、建物の影から影へと移りながら泉宮邸へと入っていった。

 美しかった月夜も、もうすぐ終わる。月が沈んで、眩しすぎる光が差し込むだろう。

 渚は朔をベッドの上にゆっくりと丁寧に寝かせると、朔の銃弾が掠った腕を手当してから暫く隣りに居た。

 朔の頬や服に付いている返り血を優しく拭きながら渚は部屋をきょろきょろと見回す。

 もう消え入りそうな月明かりに、何かが入っている瓶が呼応するように煌めいた。

 渚はその瓶の元まで吸い寄せられるように静かに寄って、それを手に取った。

「これ……」

 中身を確認した渚は少しだけ、暗赤色の瞳を揺らしていた。そのままその瞳は眠っている朔の方へ向けられた。

「……」

 暫く渚は固まった様子でいたが、部屋の床に太陽の微かな光が差し込んだのを見ると、気がついたように、

「もう朝か……」

 と言って、朔の部屋を後にした。

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