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ある日の夜

 “愛してる”

 

 鈍い音が響いた。目の前には血の池がみるみるうちに出来上がる。

「……は……」

 ため息が聞こえた。

 

 “愛してる”

 

 今宵は美しい月夜だ。満月に薄っすらと雲がかかる。星の海が見える。

 その月はほんのりと桃色がかった銀色の髪を照らしていた。

 

 “愛してる”

 

 同じような銀色の糸は、アイスクリスタルのような白っぽい青の瞳を覆い隠した。片方の瞳からほんの一瞬だけ透明が落ちた。

 

 “愛してる”

 

 もう動かない冷たいモノに対して髪の色と同じように光るナイフを何度も突き刺す。

「っ……」

 その瞳におよそ理性と呼ばれるものは無かった。

 

 “愛してる”

 

 何度も何度も刺しても刺しても飽きることなく刺し続ける。空っぽの表情を灯しながら。瞳に光はない。睫毛のせいではなく、その人間の心の問題だ。

 

 “愛してる”

 

 その人間は綺麗な顔をしているがその力や喉仏から華奢な女性と言うわけではなかった。しかし無駄な筋肉は無く、見た目は若い。

 

 “愛してる”

 

 さっきから彼は“その言葉”以外聞こえていない。

 彼がどんなに温かくないソレを刺しても、その音は彼には届かない。届くのは感触とソレが事切れたと言う事実だけだった。

 音のない、色のない彼の世界でその言葉だけが響いた。

 

 “愛してる”

 

 すると彼は何かを諦めたかのようにその動きを急に緩めた。手から力が抜けてナイフがするりと落ちる。

 カラン

 でも彼にはその音は聞こえない。

 本人も撃たれたように膝から崩れ落ちて座り込んだ。

 

 “愛してる”

 

 ゆっくりと両手を見つめてだんだんその手が震え出した。彼の唇が震えていた。

 空っぽの瞳は急に怯えだした。

「……っはぁ……っ……はっ……はっ……ぁ……あぁ……」

 息がどんどん荒くなって肩で息をしだす。

 

 “愛してる”

 

 酸素が多すぎてくらくらした。

 自分の手のひらを見て小さな声を漏らす。

「ぁ……あぁ……」

 色彩が失せた世界で彼は手のひらに黒くてベッタリとしたものがついているように見えていた。

 しかし実際今彼は黒い革手袋をしているため、血はあまり付かない。

 

 “愛してる”

 

「ああぁ……は……」

 更に様子が変わってゆく。悲鳴とも取れる小さな声はだんだん違うものに変わっていった。

「は……はは……っ……あは……」

 彼の先程の怯えた瞳は恍惚と光っていた。

 血の池にゆっくりと体を近づけて、その銀の髪は赤く染まり、白い頬も染まる。

 瞳を細めて口の端を上げた。

「あは……」

 脚を曲げて血の池に横になりながら手袋を外して手のひらを池に浸している。

 

 “アイシテル”

 

 もう彼にその声は聴こえなくなっていた。

 幸せそうに笑みを浮かべながら血の池の中、頬ずりをしながら声を出して笑っていた。

「あは……あはは……」

 

 *****

 暫くすると革靴の音が聞こえてくる。でも今の彼は、ぬるいべっとりとした赤い液体に夢中で聞こえていない様子だ。

 すると革靴を履いた人物が彼に声を掛けた。

「おい、さく、何してる」

 至って静かな声だが、威厳や圧力を感じた。

 朔、と呼ばれた彼はその声を聞いた途端に肩を震わせてから態度を変えた。

 月明かりと呼応して妖しく光っていた瞳が冷たく無機質に変わり、血塗れのまま落ち着いた動きでゆっくりと立ち上がった。彼の世界に色彩と音が戻る。

 そして目の前の人物の目を見て話す。

「……アレがあなたの事を狙ってました」

 と冷たくなったモノを指差す。

 もう形がよく分からないそれは手らしきところに銃のようなものが転がっていた。

 狂っている。この光景は狂っている。

 しかしそれをかき消すくらい、彼らが美しかった。

 まるで世界が彼らを中心に周っているような、まるで何かの絵画のような、美しさ。

 血まみれの青年と、

 彼の目の前に革靴の女性が一人。

 するとその女性の後ろから何人かのスーツ姿の護衛がやって来た。

「……そんなに刺す必要はないだろ」

 と女性が朔と話していると、護衛たちがソレを見てざわつく。そして各々目を合わせながらため息をついた。

「まただ……」

「これどうやって掃除するんだ……」

 と腰に手を付く者がいたり、形のないソレを観察しだす者がいた。

 そして彼らはすぐさま各自の仕事を決めて、ソレを掃除し始めた。

 するとその女性は朔に付いた血を白いタオルで拭きながら護衛を一人選んで、朔と選んだ護衛と共に帰って行こうとする。しかし掃除をしている他の護衛たちは黙って掃除を続けているため、これがいつもの事なのであろう。

「朔、行くぞ? いいな?」

 と仕方なしに宥めるように女性が朔に問う。朔は相変わらず無機質な瞳で、感情を灯さない表情で、黙って頷いた。その白銀の睫毛には紅色が残っていた。

 そして三人で人気のない道を黙って歩いて帰った。

 朔以外の靴の音が二つ響く。朔は黒く輝くエンジニアミドルブーツを履いていて、歩き方も関係しているであろう、彼は足音を立てなかった。

 その日の夜はひどく短かった。

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