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宮小路深月

 古式ゆかしい煉瓦造りの学舎ですら、僕にはファンタジー世界の牢獄に見える。

「は?何をクソ雑魚的な発想をしているのですか、深月さんーーこれは仕事、ビジネスです。その点に思いを致して欲しいものですね」

「美兎さん・・・」

僕の隣には、同じ制服を着た女の子がいる。いつものことだけれど、彼女は沈着冷静で、なおかつ毒舌だ。

女の子ーーとわざわざ云う以上、対義語がある。『男』だ。

つまり・・・僕は『男』だ。

「解っています。いや、そのつもりですが・・・何というか・・・」

「最初から解っていた筈です。深月さんは確認済みの現状をわざわざ再確認するために、私にも無駄な時間を使わせる気なのですか」

「いえ・・・そうですよね。すみません、行きましょう」

「大丈夫。あれだけ特訓したのですから・・・貴方が無事にこの業務を達成できる素地は十分なはずです」

そういう話をしているんじゃないんだけどね・・・。いや、突き詰めればそうなのかもしれないけれど。

「そうですよね。まあ、時間を戻せない以上は」

ーー前に進むしかないよね。

「とは云え、一歩前に進めば、深月さんは犯罪者なのですが」

「ちょっと!美兎さんっ!!」

そんな僕の抗議を、美兎さんは一笑に付す。

「いいですか。その犯罪予備軍になる心構えの為に、ちゃんと放課後の時間を選んで来てあげたのです。感謝してほしいのですーー今のうちに雰囲気に慣れておいて下さい」

「・・・解りました」

僕は、深く深く、一度だけ息を吸うとーーそのまま、未踏の学舎へと足を踏み入れた・・・。

「それにしても」

「なんでしょう」

ーー自分が作った女声ソプラノに違和感を覚えつつ、女学院の廊下を歩く。

「今更ではありますが、断るという選択肢もあったのでは?」

「・・・本当に今更ですね」

それは、もっと以前に云ってくれてもよかったんじゃないかな・・・。

「・・・私は、恩に報いることができるならと、そう思ったのです」

「それは義理堅くて結構なことですね」

「本心でそう思ってはいなさそうですね、美兎さんは」

彼女は『高崎美兎』さんーー僕とは別口でこの仕事を引き受けた、いわば同僚だ。

表情が読めなくて、言葉には棘のある人なのだけれどーーそれでも、悪い人ではないように思える。

「確かに思っていませんね。ですが、社命で無理な業務に従事しているのはお互いさまなので、気にすることはないのです」

僕たちは、とある会社の業務として・・・身分を隠して、この学院にやって来ていた。

「・・・あはは。愚かさのレベルとしては、私の方が上でしょうか」

「愚かというレッテルの元にあるのなら、その評価の時点で、上下を気にするのは無駄なことですね」

「美兎さん・・・はい」

ここしばらく、この人からは化粧法や身嗜み・・・まあ、『女性としてどう振る舞うべきか』といった訓練をずっと受けていた。

そして、今日から実践ーーというわけなのだけれど。

「失礼します。高崎、参りました」

理事長室に声をかけると、内鍵が開く音がする。美兎さんに促されて、僕も一緒に入る。

「ご苦労さま。どうぞ座って?」

そこには理事長ーーという感じではない、白衣を羽織った妙齢の女性が一人。

「失礼します。宮小路さんも座るのです」

「はい」

僕たちがソファに座ると、女性も目の前のソファに座って微笑んだ・・・というか。

「く・・・くく・・・っ、っは」

微笑みが歪むと、笑いを堪えるように震えて、最後に噴き出した。

「あはっ、あはは・・・っ・・・は、はぁぁ・・いや、ごめんごめん」

僕は、聞き覚えのあるその声に驚いていた・・・っていうか、ええっ!?

「まさかとは思いますが・・・薫さん!?」

「さすがに声を出したら判るかぁ・・・笑って済まない。久し振りだな、深月」

この人は結城薫ゆうきかおるさん・・・一時期受講していた護身教練での教官で、僕にとっては寧ろ実の兄に近い感じの人だ。

「でもどうして・・・もしかして、薫さんもお嬢様の警護要員のひとりですか?」

そうーー今回の業務は、この学院に通う社長令嬢の身辺警護なのだ。

薫さんは桜ノ宮のグループ企業の一つである警護会社の所属で、主に要人警護のボディガードなんかを仕事にしている。

「そんなところだ。何しろウチはむさい男所帯で、俺みたいな美青年の他に、女学院に潜入できそうなやつはいないからな」

「またそういう・・・まあ、今回は僕も人のことは云えない恰好ですが」

この人はいつもこんな感じ。大言壮語に聞こえるけれど、これで実力は折り紙付き。

この薫さんが『できる』とか『大丈夫』と云った事柄は、基本的には本当に大丈夫になってしまう。それくらいすごい人だ。

「俺もそれなりの美人に化けたつもりだが、さすがに深月には負けるな。ははっ・・・もっともお前の場合は昔っから女の子にしか見えなかったけどな」

「・・・ええ。おかげでこの有様です。それで、理事長先生は?」

「こほん、ーー私が、本年度の理事長代理を務めています、結城薫。どうぞ宜しくね」

「ああ、そういう・・・」

「もともと桜ノうちが運営してる学院だ。了解はとってあるから問題はないーーというか、もし俺たちが某かの不祥事をやらかした時、本物の理事たちに責任をおっかぶせるわけにはいかないからな」

そう云いながら、せっかくの美人がスリムサイズの煙草を咥えると、軽く紫煙を吐く・・・いや、まぁサマになってるけど、横では美兎さんが渋い顔をしている。

「ここにいる三名で、姫依ひより嬢の学院内、及び登下校時の警護を行なう

ーー表面上、学院側では関知していないという立場スタンスを取るから、そこはわきまえて欲しい」

「「はい」」

国内に百社以上の傘下企業を抱える、国内有数の企業体ーー花桜グループ。

その総帥である桜ノ宮圭一の一子、桜ノ宮姫依はこのセントルチアナ女学院に通っている。

彼女を陰から警護するのが、今回の僕達の仕事ーーなのだけれど。

「取り敢えず、深月は警護より先に、この場所に浸透することを優先してくれ。仕事に掛かる前に、正体がバレることになったらどうしようもないからな」

「はい。そうします」

「学内の教師、シスターたちも俺たちの正体は知らない。だから何か問題が発生したら、基本は俺に連絡を」

「承知しています」

美兎さんが返事する。

「深月の登校は明日からだ。学院の間取りは頭に入ってると思うけど、今日のうちに一回り見て回っておくと良い」

「はい」

煙草の最後の一口を深く吸い込むと・・・その吸い止しを灰皿でねじ消した。

「・・・それでは二人とも、これからよろしくお願いします」

薫さんは女声で優雅に微笑むと、僕たち二人を見回した・・・。

「・・・失礼いたしました」

頭を下げて廊下に出ると、既に日が傾き始めていた。

「深月さん、学院の中を見て回るのですか?」

「そうですね。少しでも慣れておかないといけませんから」

「承知なのです。では私は寮に戻って、深月さんの到着を寮生の皆さんに伝えておきますからーー場所はご存知ですね」

「大丈夫だと思います」

美兎さんはもう、二年近くこの学院に潜入している。僕に付き合う必要はない。

「もし解らなくなったら電話をーーそれでは」

「はい」

僕は美兎さんを見送る。

少し歩き回って、この雰囲気に慣れておかなくては・・・。


 ーー「ん・・・こんなところ、かな」

一回り歩いてみて、やっぱり女学院というのは独特の空間だと思う。

一番気になるのは匂いかもしれない。女所帯とか、男所帯というものは普通の場所とは空気が違う。

まあ、薫さんが所属している警備会社のオフィスみたいに、このご時世に煙草の匂いが充満しているようなのも、ちょっとどうかとは思うけれど。

「ふふ・・・っ」

つい、薫さんの女装姿を思い出してしまう・・・いや、かなり完璧に女装出来ているとは思う。元々細い人だからっていうのもあるんだろう。

でも、長袖だったのはきっと筋肉が見えてしまうからだろう。

っと、いけないいけない。

「背筋を伸ばして、『美の女神が常に私を見ている』ーーだったわね」

ちょっと気を抜くと、すぐ男っぽい立ち方になってしまう・・・あれだけ美兎さんに叱られたのに。

けれどまあ、明日には強制的に女の子たちの監視下になるーーこんなふうに気が抜けるのも、今のうちかも知れない。

「・・・よし。じゃあ、寮に行ってみましょうか」

女子寮かぁ・・・寧ろ、そっちのほうが心配のような気もするんだけど。

「・・・あ」

昇降口を出ると、そこにはマリア像へ一心に祈りを捧げてる女生徒の姿が。

足元には、ハンカチーフが落ちている。

彼女のものだろうか。

僕はそれを拾い上げると、祈っている彼女に向かって歩を進める。

 「恵みあふれる聖マリアさま、主はあなたとともにおられます。主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。神の母聖マリア、罪深い私たちのために、今も、死を迎えるときも祈ってください。アーメン」

ーー近づく僕に気づく様子もなく、彼女はマリア像に祈りを捧げている。

「はぁ・・・」

祈りを終え、顔を上げても、彼女はぼうっとマリアさまを見つめていた。

「・・・あの」

初めて、女の姿で見知らぬ人に声を掛けるーーそう思うとつい緊張してしまいそうになる。

けれど、そんな内心の葛藤も、振り返った彼女を見て吹き飛んでしまった・・・!

ーー間違えるはずも無い。彼女だ。桜ノ宮姫依だった。

まさか、隠れて警護する対象に、いきなり出逢ってしまうなんて・・・!

とは云え、こうなっては仕方ない。

僕は女の子ーー女の子なんだ。

「これ、落としませんでしたか?」

そこに人がいるとは思わなかったのだろう、一瞬驚いた顔をすると、彼女は差し出したハンカチーフを確かめる。

「ありがとうございます、助かりました」

彼女は、僕を見ると目を見開いてーーやっぱり、僕の女装にはおかしなところがあるのではないかと不安になる。

いや、ここで怖気づいては駄目だ。今は女になりきらないと・・・!

「・・・落としたことに気づかないほど熱心にお祈りをなされていたのですね」

どうやら、彼女のもので間違いないようだ。ハンカチーフを返すとそっと微笑んだ。

「そのようです・・・本当にありがとうございました。ではわたくしはこれで」

「ええ、ごきげんよう」

足早になっては駄目だ。ゆっくりと、姿勢を正して、堂々とーー。

(それにしても、あれが姫依さんーー圭一社長の娘さんなのか)

彼女を護るために、これから一年・・・僕はここで過ごす。

果たして、それは上手くいくのだろうか・・・?


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