やってきた編入生
「恵みあふれる聖マリアさま、主はあなたとともにおられます。主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。神の母聖マリア、罪深い私たちのために、今も、死を迎えるときも祈ってください。アーメン」
私『桜ノ宮姫依』は中庭にあるマリアさまの像に祈りを捧げていた。
いつもしているわけではない。
ここ『聖ルチアナ女学院』はカトリック系の学園である。
私の家系はこの学園の創立に携わっている。
そのため、私は生徒の模範となるため時々祈りを捧げているのだ。
「あの」
すると背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには背の高いとても美しい女性が立っていた。
「これ、落としませんでしたか?」
女性が差し出したのは私のハンカチだった。
(なんて綺麗な方なのかしら?)
同性の私でも見とれてしまうほどだった。
しかし、初めて見る顔だ。
「ありがとうございます、助かりました」
「落としたことに気づかないほど熱心にお祈りをなされていたのですね」
「そのようです・・・本当にありがとうございました。ではわたくしはこれで」
「ええ、ごきげんよう」
そして、この時はそれほど彼女のことを気にすることなく私は帰宅したのだった。
その夜、私は父に呼び出されていた。
「それで、お父様。わたくしにお話とはなんでしょうか?」
「ああ、姫依ももう三年生でいい年齢だろう?」
「はあ・・・」
「だから、これからは姫依の好きなように過ごしてもらおうと思ってな」
「好きなように・・・ですか?」
「ああ。今までお前には色々と強制してやらせてきたからな。だから、今年一年は姫依の好きなことをするといい。なんなら会社の財力を使っても構わない」
確かに今まで花桜グループの後継者となるべく様々な教育を受けてきた。
習い事や帝王学のようなものまで。
「わかりました。まだ、わたくしが何をしたいのかはよくわかりませんが考えてみます」
やりたいこと・・・。
今はまだよくわからないのだった。
翌日、登校すると皆さんがいつものように私に声をかけてくる。
「姫さま、おはようございます」
「姫さま、ごきげんよう」
私はいつものように笑顔で返事をする。
「皆様、ごきげんよう。今日も1日励みましょう」
そして教室に入ると、友人の『厳島寧々(いつくしまねね)さん』に声をかける。
小柄で気さくな性格の彼女は、私と対等に話ができる唯一の友人である。
「寧々さん、ごきげんよう」
「あ、ひめおはよう」
「今日はなんだかとても顔色がいいですわね」
「うん、夕べはつい寝落ちしちゃってね。いつもより多く睡眠が取れたからかな」
彼女は時々私の分からない言葉を使ってくる。
『寝落ち』という言葉もつい先日教えてもらったばかりだ。
私は、父に先日言われたことを思い出し、彼女に尋ねてみることにした。
「寧々さんは、最近楽しいこととかありますか?ゲーム以外の回答だと嬉しいです」
「ゲーム以外って・・・。あ、そういえば寮に季節外れの新入りが来たんだ」
「新入り・・・面白い方なのですか?」
「ま、あたし的にはね」
「そうですか・・・日々に新しい刺激があるのは確かに楽しそうですわね」
人との出逢い・・・それは確かに新鮮な驚きと言えるだろう。
「・・・っ!!」
思いがけず私の脳内には昨日出会った彼女の顔が思い浮かんだ。
そんな事を考えていると、寧々さんが曰くありげににやっと笑ってみせた。
「んー、もしかしたらだけど・・・ひめにとってもちょっと面白いことになるかもね」
「え・・・・?」
その編入生・・・私に何の関係が?
「外を見て?今ちょうど歩いてる」
そう云われて私も窓の外に目を向ける。
そこにはーーー。
「ごきげんよう、お姉さま方」
「おはようございます、お姉さま」
「あ、あのっ、ごきげんよう!お姉さま方!」
頬を染めた生徒たちが、意を決したかのようにやってきた上級生に挨拶をする。
「・・・ごきげんよう、気持ちの良いお天気ですね」
「ごきげんよう、皆様。今日もお励みなさい」
「は、はい!」
彼女たちが挨拶を返すと、周囲から黄色い歓声が上がった。
「ね、ね、野兎の君とご一緒のお美しい方は一体・・・私、初めてお見かけするのですが」
「ほら、先日噂になっていらした転入生の・・・」
取り囲まれ、騒がれる彼女たち。
片方の方は知っている。
去年生徒会で書紀を務めていた『高崎美兎』さん。通称『野兎の君』と呼ばれている。
毒舌だが、何でも卒無くこなす才女だ。
「それで・・・あの方は?」
そうだ。あれは昨日マリアさまの前でお逢いした女性だ。
「あれが、新しく寮にやってきた宮小路深月さん。一組ね」
「・・・あの方が、編入生」
スタイルの良い長身に加えて、背筋のすっと伸びた面差し。そこに長く美しい髪がなびく姿に思わず釘付けになる。
「ひめでも見惚れるとかあるんだ」
「見惚れる・・・そう、見惚れているのですね、わたくしは」
昨日も今も、一瞬で眼を奪われそのまま釘付けになっていた。
「・・・なんというか、不思議な存在感のある方ですね」
「そうかな?じゃあ、知性でも滲みだしてるってことかな」
「知性・・・ですか?」
「評判なんだよ。編入試験の成績がほぼ満点だったってさ」
「ーーーっ!?」
思わず振り返ってしまった私の驚きに、寧々さんがにたりと笑う。
「どう?少しは楽しくなってきた?万年首席のひめとしては」
「・・・どうでしょう」
寧々さんにはそう答えたが、胸の奥では否応なしに鼓動が高まっていた。
そう、楽しいというのはこういう気持ちだったのかもしれない。
「一組なら、きっとこの教室の前も通りますね。ああ、ですが今日は初日のようですから・・・」
私は胸がときめくのを抑えきれず教室のドアを開けた。
「って、ひめどこ行くのさ?」
「あら、教えてくださったのは寧々さんじゃありませんか」
「いや、まぁそれはそうなんだけど」
私が何をするのか理解してくれたのだろう。寧々さんは小さく苦笑いをしていた。
廊下から聴こえる黄色い歓声が教えてくれていた。もうすぐ彼女がやってくると。
そしてーーー。
「ごきげんよう」
廊下で彼女を待ち、声をかけると少し驚いた表情をする。
「覚えていらっしゃいますか?わたくしのこと」
「ええ・・・マリア像の前でお会いしましたね」
「昨日はありがとうございました。わたくし、桜ノ宮姫依と申します」
見詰めると、彼女は私の視線を真っ直ぐに受け止めて少し目を細める。
「宮小路深月と申します。あの折は、お祈りのお邪魔をしてしまいましたようで申し訳ありませんでした」
ーー微笑み。
飽くまでも控え目で、それなのに瀟洒な・・・。
きっとこの人は油断ならない人だ。
そう思える。
「そんなことはございません。一組に編入していらしたそうで、少し残念です」
「残念・・・ですか?」
深月さんは首を傾げてそう答える。
「ええ。わたくしの競争相手になって下さりそうな方なのに、これでは楽しさも半減というものです」
「競争相手になれるかどうかはわかりませんが、せっかく知り合えたのですから良かったら仲良くしてくださいね」
彼女とはもっと仲良くなってみたい。
そう思い、私は勇気を出して彼女に向かって手を差し出した。
「あの、良かったらわたくしのお友達になってくださいませんか?」
しかし、彼女はなかなかその手をとってくれない。
私は黙って待ってみる。
「深月さん、ひめの言うとおりにしたほうがいいよ?」
「寧々さん?」
「深月さんは知らないだろうけど、ひめはあの花桜グループの跡取りで、この学園の創立にも関わった家柄で学園内に知らない人はいないくらいなんだよ。そんなひめからの友誼を断った、なんて話が広まったら学園内での深月さんの立場がどうなるかわからないよ?」
「ちょっ、寧々さん!?」
それでは私がまるで悪役みたいじゃないですか。
するとーー。
「私で良ければぜひ仲良くさせてください」
彼女の少し冷たい指先が私の手のひらに触れたのだった。