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「感情労働」への危機感

 ホックシールドは、前述の『管理される心』の中で、現代の感情労働を、19世紀イギリスの過酷な労働者階級の労働と対比させる記述をしている。しかし、私は18世紀のイギリスのべドラムと呼ばれた精神病院の姿が、現代の感情労働と対比させるにはふさわしいと思っている。18世紀、ロンドンのべドラムと呼ばれた精神病院(現在の王立ベツレヘム病院)では、精神疾患の患者を閉じ込め、彼らが、奇矯な行動をとるのを見物しに来る客から1ペニーずつ料金を取っていた。見物客には杖が貸し出され、無反応な精神疾患患者をつついて、反応を楽しむということも行われていたという。1819年には96000人がべドラムを訪れている。むき出しの形で行われる、狂気の商品化である。




 私がここで言いたいのは、このべドラムの狂気を商品にする非人間性と、近所の紳士服屋の女性店員の「仮面様顔貌」さながらの「営業スマイル」を強制している現代の接客業の非人間性には通底するものが有るのではないかということだ。感情労働の行き着くところ、感情が商品になるのではなく、商品になっているのはもはや狂気に近いのではないか。現にである、おおよそいかなる刺激やストレスを与えても、笑顔でいることを強制されるという感情労働の極致を考えたらそれは限りなく精神疾患に近いものにならないだろうか?現代においては、なんだって商品になる。狂気、あるいはその症状を意図的に作り出し、それを商品化しても何らおかしなことはない。それでいて、おおよそいかなる外部刺激に対しても、笑顔しか作れず、ただひたすら笑顔しか作ることができない感情障害(そんな症状があり得るのかはわからないが)がもしあったとしたら、それは精神・神経疾患と認識されて治療の対象と考えられはすまいか?




 我々は、接客業における、恭しい従業員の態度をもっと真剣に考えてみる必要と、現に多くの感情労働従事者が、精神的に追い詰められているという事実とを反省してみる必要がある。どこかで歯止めをかけないともはや危険な状態なのではないか。社会学者の山田昌弘さんは「感情労働というのは今の時代の労働の特徴。やり過ごして我慢しよう」というようなことを、悩み相談に投書してきた、接客業に従事する方に回答していたそうだが、家族社会学者としては良質な業績を残してきた山田さんらしからぬ失言だと思う。本当に感情労働の過酷さを知っているのは学者よりも、実際に感情労働に従事している人々なのではないか。




 社会学者の一部には感情労働について、一定の知識があるようでいて、その過酷さをよく認知しておらず侮っている者がいることも確かである。私は現にそのような社会学者から以下のような言葉を聞いたことがある。「まあ、学者も院生の指導してて、あんまり院生を貶めてもだめだし、時に厳しいこと言わなきゃだめだし、励ましたり、うまく叱ったりで、気を遣うよね。もはや学者も『感情労働』なんだよね」。




 では、学者は院生がどんな理不尽な怒りをぶつけていても、必ず笑顔でいるだろうか?院生が、どんなおかしな論文を書いてきても、気を付けて気を付けて院生の自尊心を全く損なわないように、ずっと作り笑顔をしたまま修正点を挙げていかなければならないか?院生がいかに怠けていても、怒りを表出せずにやる気を出させるために、あの手この手で手段を講じ、院生と対面しているあいだ中、笑顔を作っている必要があるだろうか?ある意味においては、学者というのは、物事を知るには不向きな職業なのかもしれない。



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