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自発的な心

ここで、私が眼鏡屋で習得しようとしていた「感情労働」における笑顔であるが、この時点では、業務用作り笑顔、いわゆる「営業スマイル」というようなものと、病気による仮面様顔貌というものは違ったものと思っていた。いくら接客のプロフェッショナルが頑張ったところで、勤務時間中ずっと笑顔で通し切る、というのは無理がある。客の前でなければ仏頂面をしていてもいいのである。




 とはいえ、先ほども書いた通り、どんなに体調的、精神的に嫌な状態であったとしても、どんなに嫌な客の前であっても、客の前では笑顔、というのは変わらない。また、客が怒っていたら、深刻そうな顔をしなければならない。「そんな些末なことで怒らなくてもいいだろうに」と心の中で思っていても、「どうもすみませんでした」を、顔面で表現するのである。




 そういったわけで「作り笑顔」や「営業スマイル」という言葉が示す通り、我々は客として、接客業従事者と接する場合、それが、いついかなる時でもそうでなくてはならないようにこしらえあげられたものであることも知っている。普段私生活で見ている人間の「自然な笑顔」と、業務用に作られた「営業スマイル」とを見分けるのは容易であるし、「営業スマイル」をしている人が本当は喜んでもいないことぐらい承知しているのである。




 「感情労働」について研究した書、といえば、A・R・ホックシールドの『管理される心--感情が商品になるとき』世界思想社、がある。この本は2000年に日本語版が出ているが、それ以降の「感情労働」に関する本は皆、この本を元ネタとしている。この中で、ホックシールドは、こんな指摘も行っている。


 「私たちは今まで与えてこなかったような価値を,自発的で『自然な』感情に与え始めたのである。私たちは,管理されない心に,そしてそれが私たちに語ってくれることに好奇心をそそられている」(218ページ)

 

つまり、キチンと作られた「営業スマイル」ではなく、常連の客となじみになって初めてできるような打ち解けた雰囲気のほうがいいと思い始めているというのである。当然といえば当然であろう。「アナタ、本当は面白くもおかしくもないよね」ということがまるわかりの「営業スマイル」には一定の効果はある。だが、限界もあることもすぐにお分かりいただけると思う。眼鏡屋では、安価なものから高価なものまで扱っている。実は5千円程度の眼鏡を売ってもほとんど利益は出ない。レンズはれっきとした医療機器であるから、販売単価のダンピングにも限界がある。質は落とせないのだ。そんなわけで、5千円程度の眼鏡フレームの原価は、生産ロット数にもよろうが、数百円程度だという。案外チープなものを顔面に着けて「おしゃれ」と言っているのが世人というものだ。




 そこで、売り手としては「いかに高級商材を売るか」が腕の見せ所となる。実は、私が働いていた眼鏡店で、一番売り上げが多かった従業員はもう10年以上この店舗で働いている中年女性パート労働者だった。売り上げが少ない社員の倍は売り、全社員の売り上げランキングでも、上から数えて、10位以内に入るほどの位置にいた。




 だが、社員たちは、別にやっかみがあったわけではなく「あの人の売り方は、マネようと思ってマネられるものではないよ」言っていた。事実、私も無理だと思った。彼女の売り上げが多いのには特殊な理由がある。


○勤務年数が長いので、なじみの客が多数いること。

○社員は、人事異動があるために、長くても5年程度で、勤務店舗を変えて異動するのに対し、パートは異動がないため長期間勤務ができること。

○店の近所に住んでいるので、地域のゴシップなど、話題に事欠かないこと。

○パートなので重い責任がなく、クレーム対応などは基本的にはしないで済むこと。

 などがあげられる。


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