笑顔--「表情」という問題
さて、私がクビになった後、いやでも、接客や営業をやっている人たちの作っている「笑顔」というものに敏感になってきた。今でも、表参道や青山のあたりにある眼鏡屋に行って、眼鏡を見て回るのが私の趣味だが、そこら辺の方々はあまり笑顔ではない。というよりなんかこわい。だが、「感情労働」の非人間性、不自然性を知っていた私としては、「まあこんなもんだろう」としか思わない。ただ、硬い表情をしていて「いらっしゃいませ」とも言わず、客の私を一瞥して、またなにがしか作業をしている店には何となく入りにくい気がした。
仕事をクビになって数か月後、私は閉鎖病棟に入院した。この入院についてはいろいろと思うところがあったので別の機会に書いてある。その中で書いたことであるが、極度にやせ細った重度のうつ病患者と思しき女性がいた。彼女の痩せ細った体形にも驚いたものだが、表情も興味深い。ほぼ全く動かないのである。彼女にとって最も苦しかったのは食事のときであろう。なんで痩せ細っているのかといえば、食べられないからである。私にも覚えがあるが、うつ病の時の食事は苦痛である。食えない。うまいもまずいもない、すべての可食物が砂を食うように味気ないのである。だが、まったく食わないとうつ病は治りが悪いという。そこで砂を飲み込むようにして少量を無理やり我慢して必死で食うわけである。
だが、病院の看護師は、そんなこともよくわかっていないらしく、ガリガリのうつ病患者に無理に食べさせようとしている。患者が食事のトレイを返そうとしても、また突っ返して「もうちょっと食べてねー」などと言っているのである。「ひでえな」と思ったのだが、興味深いのは、その女性患者の表情が動かないことである。嫌なのはわかる。だが、「嫌だ」という表情を作れないらしい。
長く閉鎖病棟にいると、テレビ以外文化的なものにも触れないし、刺激もない。娯楽もないので、顔面の筋肉が落ち、無表情な人もいた。そういう人でさえ、不快な時には不快さを示す表情はしていた。その女性患者は病状が悪すぎて、感情を表出する顔貌が作れないらしい。私はそれを見て、なるほど、これが「うつ様顔貌」というものか、と妙に得心した。
さて、もうしばらく入院していると、また新しい患者が入院してきた。女性であったが、私はその人を見た瞬間、「あっ」と思った。パーキンソン病かな?と思ったが、表情が明らかに「病的」なのである。入院する前から、パーキンソン病の症状として、表情が独特の無気力性を帯びることがあり、これを「仮面様顔貌」ということは知っていた。しかし、見ると聞くとは大違いというもので、いざ、実際に見てみると表情は能面のようであり、「あ、これは何らかの神経性疾患だ」と素人でもわかるような顔貌となっている。その患者は、すぐに私が入院していた区画から別の区画へ移っていったので、言葉も交わさなかったし、私の入院生活にさしたる影響を与えてはいない。しかし、その容貌はすぐに私の心に焼き付いた。「精神疾患というのはいろいろな症状が出るものだな」と改めて感心したのである。もっとも、別の女性患者から聞いてみたところでは、私がパーキンソン病と思ったのは間違いで、うつ病だという。後で調べてみると、「抑うつ顔貌」と「仮面様顔貌」は鑑別が難しいそうだ。精神科を受診すると、まともな医者なら、まず表情をよく観察する。容貌で診断をつける材料を得るというのは、精神科診療の基本である。そんなわけで、その固着化した容貌というのも、うつ病やパーキンソン病の特徴だというわけである。