閑話・ある侍女の日常(※番外編です)
今回はひたすら天使(義弟)が可愛いお話です。
男爵家の侍女目線でお楽しみください。
追記:誤字報告ありがとうございました!
私はとある男爵家で働いている名もなき侍女。
いや、名前はあるが、名乗る必要がないので割愛させて頂く。
そんな私の仕事は多岐に渡るが、一番の仕事はお嬢様とお坊ちゃまのお世話係である。
因みに、これはこの屋敷では垂涎のお仕事であることは明記しておこう。
この役目を勝ち取るまでには使用人たちの血で血を洗う争いがあったりしたのだが、そこはどうでもいいので省略だ。
あの時の執事長に炸裂した侍女頭の一撃が明暗を分けたと言っても過言ではないが、とりあえず置いておく。
当家のお坊ちゃまは非常に愛らしいお方である。皆が天使と呼んでチヤホヤしているが、それも仕方のない事だろう。だって、お坊ちゃまは本当に可愛い。可愛いは正義だ。
私が事実を事実として噛みしめていると、お昼寝をしていた筈のお坊ちゃまが目を擦りながらやって来た。
「んむぅ…?」
「お坊ちゃま、どうなされましたか?」
「ねーたん…ねーたんは?」
目をコシコシと擦り、首を傾けながら私を見上げてくるお坊ちゃま。
この時間、お嬢様はまだ学園で、いつもは屋敷にいらっしゃる奥様(別名女神)は所用で実家に戻られているので、今このお屋敷にはお坊ちゃまと使用人しかいない。
お昼寝前に起きたらお嬢様がお帰りになっているだろうと言った事を覚えていたようで、大好きな姉の姿を探していたのだろう。
「お嬢様はまだ学園ですよ」
「ねーたん、まだおべんきょ?」
「はい」
「しょっかぁ」
ショボンとしてしまったお坊ちゃま。可愛いという以外の表現が見つからない。小さなつむじを見ながら私はお坊ちゃまに提案した。
「そろそろ学園の授業が終わる時間です。お嬢様を迎えに参りましょうか?」
そう言えば、お坊ちゃまはパッと顔を上げて、満面の笑みを浮かべる。
「うんっ! ねーたんおむかえしゅる!」
両手を上げて、ぴょんぴょん飛び跳ねるお坊ちゃま。
もう寧ろ『可愛い』はお坊ちゃまに土下座しろ。今日もお坊ちゃまが尊い。
★ ★ ★ ★ ★
お嬢様が通われる学園は馬車に乗って2時間程の場所にある。
毎朝お嬢様は体力づくりの為に走って通われているが、普通の人間でしかない私や、天使故に歩くことに不慣れなお坊ちゃまは当然馬車で向かう。
田舎道を通り過ぎ、少し拓けた街中へと入ると、お昼寝が短かったためにウトウトしていたお坊ちゃまが目を覚まし、外を見て目を輝かせていた。
「わぁ! しゅごい! いっぱい、おみしぇある! しゅごいねぇ!」
キラキラ輝く笑顔を私に向けるお坊ちゃまが天使過ぎて辛い。
「降りて少し見てみますか?」
「うんっ! おりりゅ!」
嬉しそうなお坊ちゃまに頷き、馬車を止めさせる。
好奇心に目を輝かせ、私の手を引っ張りながらヨチヨチ歩くお坊ちゃま。
ニコニコと笑ってそれを見守る私。
「あの、大丈夫ですか?」
護衛が話しかけてくる。
「可愛らしく天使であられるお坊ちゃまが地上を歩く事が心配だと言うのですね? 少しくらい平気ですよ」
「いえ、貴女の鼻血の事ですが」
「ああ、これは天使といる人間なら誰でも流すものですから可笑しくはありません」
「周りドン引きしていますけど」
護衛が何故か顔を引き攣らせているが、気にせずお坊ちゃまの探索について行った。
「おはにゃ、いっぱい!」
「いらっしゃい、可愛いお客様だねぇ」
お花屋さんの前で足を止めたお坊ちゃまに、店の女店主が愛想よく対応してくる。
「お坊ちゃま、お買いになりますか?」
「うんっ! ほちい!」
「どのお花が欲しいんだい?」
「えっとね、えっとねー、このちろいおはにゃ!」
お坊ちゃまは白い花を指さした。
「とってもとってもキレイにゃの! ねーたんにあげゆの!」
お坊ちゃまは嬉しそうに笑う。
女店主は笑み崩れながら、白い花を取り出した。
「これだね。何本欲しいんだい?」
「ひとちゅでいいの!」
「一本でいいのかい?」
「あのにぇ、あのにぇ、『ちろいおはにゃ』は『だいしゅきなひと』にあげゆんだよ!」
お坊ちゃまは一生懸命説明している。
多分、寝る前に読んで差し上げた絵本の話をしているのだろう。
貧しいけれど心根の優しい少年に、天使が一本の白い花をくれるお話だ。
その花は少年の心の美しさを表していて、何も持たない少年はそれを愛する幼馴染の少女に贈る。花は送られた少女の喜びによってピンクに変わるというお話だった。
「ねーたんはね、とってもキレイでやさちいの! いつもいっぱいあしょんでくれるの! ぼくね、ねーたん、だいしゅきなの!」
ぱぁぁと顔を輝かせたお坊ちゃまに釣られて、私と女店主も顔が緩々になってしまう。
「じ、侍女殿、鼻血が滝のように流れておられますが…!?」
「当たり前の事です」
「当たり前とは!?」
護衛の煩い声を聞き流している中、女店主はいそいそと一番綺麗に咲いている白い花にリボンを結んでくれた。
「そうかい、そうかい。じゃあ、このお花はおばちゃんがプレゼントしようね。綺麗で優しいお姉さんに宜しくね」
女店主はそう言って花を無料でくれる。
これはお坊ちゃまと一緒にいるとよくある事だ。
純粋で心優しい天使であらせられるお坊ちゃまは、下々の者からの貢物が絶えない。
差し出された花を大事そうに受け取り、満面の笑顔でニッコリ。
「おばちゃま、あーと!」
キュンッ!
今、女店主と周りで見ていた者たちの心のときめきが聞こえた。お坊ちゃまの信奉者が増えた瞬間だ。
そんな信奉者たちの事など気にせず、お坊ちゃまは女店主に近づき、エプロンを引っ張る。
何かと膝を曲げた女店主の耳に、お坊ちゃまはコッソリ聞く。
「…もちかちて、おばちゃま『てんち』ちゃま?」
ズキュンッ!!
今、女店主が狙撃された音がした。
意識もせずに、一撃必殺だっただろう。
出かけていたらしい女店主の旦那が、呆然と立ちすくんでいる妻に話しかける。
「おい? お前、どうしたんだ?」
「天使様とお呼び!」
「本当にどうした!?」
そんな花屋を後にし、私はお坊ちゃまを連れて再び馬車に乗り込んだ。
乗り込む直前、新参者のお坊ちゃま信奉者たちから色々なものを貰った。
「しゅごい、たくしゃん! あーと!」
坊ちゃまの笑顔、プライスレス!
「侍女殿、鼻血の出し過ぎで顔色がヤバいですけど、本当に大丈夫ですか!?」
「プライスレス!」
「大丈夫じゃない!?」
★ ★ ★ ★ ★
「ねーたん!」
学園の馬車置き場に馬車を置き、校門の前で待っていると、お嬢様がやって来た。
ふわりと色素の薄い髪を輝かせながら、優雅に歩いてくる。
私共のお嬢様は本当にお美しい。
何故か周りが距離を置いているが、それはきっと、お嬢様がお美しすぎるからだろう。
お嬢様の御母上様も美しい方だった。けれど、顔の作りはよく似ていても、あの方は明るく朗らかな方だったので、印象はまるで違う。
その凛とした立ち姿は、初めて会った時とまるで変わらない。
浮いてもおかしくない程の美貌でありながら、下町に馴染んでおられたお嬢様とお母上様。働き者で、しっかりしていて美人な二人はとても人気者だったという。
私も奥様に頼まれて、何度かお二人の様子を見に行っていた。
笑顔でお客のセクハラを躱す御母上様と、絶対零度の視線で体に触ろうとした客の関節を問答無用で外していたお嬢様。
度が過ぎる横暴な客に対しては、口に含んだ度数の強い酒と手に持ったマッチの火を使って、火炎放射で撃退していたっけ。
私が懐かしく思っている間に、お坊ちゃまに気が付いたお嬢様が駆け寄って来た。
「二人とも、どうしてここに…」
「ねーたん、おむかえにきたの!」
褒めて欲しそうな期待した笑顔で言うお坊ちゃまに、お嬢様はしゃがんで目を合わせながら僅かに顔を緩めた。
「そう。ここまで来れるなんて凄いわ」
「えへへ…」
「とても嬉しい。これ、お土産よ」
照れてモジモジしているお坊ちゃまに、お嬢様がどこからか袋を取り出して渡す。
中にはミッチリと『どんぐり』が詰まっていた。
「うわぁ、袋がミチミチ過ぎてちょっと怖い…虫みたいで…いで!」
余計な事を言おうとした護衛の足を踏んで黙らせる。
「どんぐり! ねーたん、あーと!」
お坊ちゃまは目を輝かせて嬉しそうにそれを受け取り、それを一生懸命ポケットに詰めた。当然、全く入りきらないが、入るだけ頬袋に詰め込むリスの様に、一生懸命詰めている。
その姿にほっこりとしていると、ハッと思い出したように私に手を伸ばした。
思わず握る。ぷにぷに、もちもち。ずっと触っていたい。
「おはにゃ、ちょーだい?」
少し困ったようにそう言うお坊ちゃまに、渋々手を放して預かっていた花を渡せば、元気にお礼を言ってから、それをお嬢様に差し出した。
「ねーたん、はい!」
「え?」
「おはにゃ! ねーたんにあげゆ! ぼくね、ねーたん、だいしゅきだかりゃ!」
プクプクの頬っぺたを真っ赤に染めて、白い花を差し出すお坊ちゃま。
お嬢様は目を丸くして、それから、宝物のようにそっと花を受け取る。
お坊ちゃまがずっと握りしめていたから、白い花はちょっと萎れていた。けれど、お嬢様はそれをとても大切そうに見て、泣きそうな顔をしてから――――
「とっても綺麗ね。ありがとう」
――――ふんわりと、それはもう柔らかく微笑んだ。
ブシュ―――――ッッ!!
私の鼻から勢いよく血という名の激情が噴き出した。
流石に貧血になり、ふら付きながら周りを確認すれば、護衛も顔を真っ赤に染めて鼻血を垂らしている。いや、見ていた周りの者も全員顔を真っ赤にして鼻血を垂らしていた。
「――――お嬢様の笑顔、激レア。プライスレス」
滅多に表情を変えないお嬢様の笑顔は、とんでもなく破壊力がある。
その笑顔に耐性があるのは、頻繁に見ているお坊ちゃまと奥様だけだ。
私共のお嬢様はとてつもなく美しい。
とても美しいが、凍り付いたようなその表情は冷たく無表情で人を寄せ付けない。
けれど、その凍り付いた表情の奥には、氷河を吹き飛ばすほどの可憐な笑顔が眠っている。
何故か自分を平凡な女だと思っているお嬢様は、まるで気が付くようすはないけれど。
先日、レビューを頂いてしまいました!滅茶苦茶嬉しいです!!
拙い作品にありがたい評価を頂けて幸せです!感謝を込めて!!
後、花は鼻血でピンクを通り越して、赤く染まりました(落ち)