刻印の魔女 2
「生き返っても、さっきみたいに人外に即刻殺されるような気がしてならないんだが?」
生き返ることが可能ならば、生き返りたいとも思う。しかし、生き返るには色々と厳しいように思うのも本音だ。
まず、レテシィアは俺が人外に魅入られた、と言っていた。だとすれば、人外共による魔の手に晒される可能性が高い。何せ、古今東西、異形を見るような者は異形によって殺されるか、変死体となる話が殆どなのだから。
俺だけがその例に漏れるとな思えない。
「そもそも、だ。俺を殺した張本人の言葉を、そう易々と信じるとでも思ったか?」
一番の不信の理由は、他ならぬレテシィア本人だ。
何の躊躇いもなく俺を殺したやつが、何の理由もなく俺を蘇生させるとは思えない。
「そうでしょうね。説明させてくれる?」
無言で頷いて、先を促す。
「まず、貴方を殺したのは、それが契約だから。
私はね、人間達に呼ばれたの。条件さえ満たせば、私は誰でも呼び出すことが出来る存在だから。まぁ、これは私に限った話では無いのだけれど。
彼らは、私を呼ぶ気なんてさらさらなかったみたい。でもね、そんなの関係無いわ。呼ばれたからには、私は私の役割を果たすだけ。彼らの望みを果たす、と言う役割をね」
魔女は言葉を続ける。
「老若男女、様々な人間がいたわ。これからも出会うでしょうね。
私は彼らに一人づつ願いを聞いて、叶えることを約束したわ。代償と引き換えに。ここまで言えば、少しは察しが付くんじゃないかしら?」
「俺は誰かの願いの代償に、殺された。あるいは、俺を殺すこと自体が、願いそのものだった、と言うことか?」
下らん。
本気でそう思うが、それで実際に死んでいるから、どうにも出来ない。
「えぇ。その通り。貴方は、願いの代償に捧げられたの。身知らずの人間にね。向こうも、貴方のことなんて、何一つ知らなかったわ。最も、貴方を彼らに提示したのは、他ならぬこの私なんだけど」
やはりか。
本当にこの魔女は話せば話すほど、信用ならない。
「でも、私を、魔女と言うものを碌に知りもしないで契約を結ぶようなお馬鹿さん達にも、代償を伴ってもらったわ。異なる世界へ落とす、と言う代償をね。中にはそれ自体を願う子もいて驚いたわ。だから、飛びっきりの世界へ落としてあげたの」
どんな目に遭っているのかは知らんが、同情の余地は無い。いずれも碌な目に遭っていないだろうが、精々生き足掻いてくれ、としか言いようがないな。
「その話と、俺が生き返る話は、どう繋がってくるんだ?」
俺を死に追いやった理由は、理解したくはないが理解した。
しかし、俺を蘇生させる理由が何一つ分からない。
「簡単なことよ。私が貴方を気に入ったから。だから、蘇生させるの」
「理由にすらなっていないな」
「ふふ。貴方にとってはそうかもね。でも、私には十分な理由よ。それに、つまらないお願いを沢山叶えたから、楽しいことをしたいの。貴方と一緒にね」
「断ったら?」
「魔女の悪虐を、その身に感じたいのなら止めないわ」
爛々と光る双眸が、脅しでも何でもないことを如実に物語っていた。
「なら、生き返るしかないな」
最初から、選択肢なんて無かったのだろう。何となく察してはいたが。
俺はこいつに囚われてる。最初に、こいつの姿を見てしまったその時から。ならば、精々この魔女が用意しているであろう籠の中で、安息の地を探すとするか。
「貴方ならそう言ってくれると、信じていたわ」
「それで、俺はどうすればいい?」
下らんレテシィアの戯言を掻き消すように言葉を被せれば、六本足がずい、と飴玉くらいの大きさの水晶玉を差し出してきた。
「これを飲め。仮初めの命をお前に与える」
レテシィアに視線を向ければ、ニッコリと笑って頷かれたので、その水晶玉を飲み込む。口に入れた途端霧散したが、それと同時に体の中心から鼓動の音が聞こえ出した。今まで、何の音もさせていなかったらしい俺の心臓が、とくとく、と規則正しい脈動を打つ。
「×××××。貴方は死んだ。肉体は代償に捧げられ、貴方の魂も既に私のもの。だから、貴方の名前を貰うわ」
その言葉と共に、俺の中で何かが失われたような喪失感が広がる。これが、名前を奪われると言うことなのだろう。
俺は自身の名前を思い出せなくなっていた。家族の存在は覚えているが、顔や名前が墨で塗りたくられたようになって、何一つ思い出せない。友人も、恩師も、恋人も、会社の同僚でさえも。自身のみならず、他の誰の名前も思い出せなくなっていた。
目の前の人外達を除いて。
「貴方の人格を象る記憶も経験も、それらを司る命も全て、貴方のもの。魂は返してあげないけれど、これは貴方に返すわ」
レテシィアがその小さな掌に、見えない花びらを散らすように息を吹きかけると、俺の朧げな記憶が鮮やかに蘇る。勉強の知識は勿論のこと、向けられた愛情や嫉妬と言った感情も、親切も悪意も蘇った。それでも、人物の顏や名前に関しては、一向に思い出せなかったが。奪われたものは、二度と戻ってこないのだろう。それが、自然と理解出来た。忌々しいと思うが、どうしようも出来ないことに感情も時間も割くのは無意味だ。
今後のことを考えておこう。
「貴方の死は、間違いなく公表されて、死体も偽物だけどちゃんと親元に届くから安心してね」
「要らん世話は焼くのだな」
俺と両親の中は別に不仲では無かったが、互いに多忙で基本関わり合いは少なかった。そのせいか、関わり合いは他所に比べたら淡白な部類だろう。それに、俺の両親なだけあって割り切りが早い。家族である俺の死は、悲しいことは悲しいが、それだけだろう。それを冷淡ととるかは、個人の判断による。
少なくとも、俺は無駄に悲しむことが愛情だとは思わない。それを周囲に知らしめることも。死んだ者はどう足掻いても、生き返りはしないのだから。それをまざまざと見せつけられているにも関わらず、何年も悲しみに暮れる人間の気が知れない。呆れることはあっても、情の深い人間だと言う評価は下す気には到底なれなかった。
「私の気まぐれな誠意なんて、こんなものよ。無いよりマシ、程度が精々じゃないかしら?」
自分で言っておきながら疑問形である辺り、この魔女の誠意のいい加減さが見て取れる。
まぁ、これ以上気にしてもしょうがない。俺ではどうにも出来ないのだから。
「捧げた肉体の代わりに、仮初めの命を宿す器を作ってあげる。そうして落としてあげるわ。異なる世界に。貴方を生贄に捧げた人間が生きる世界に」
歌うように、呪うように、レテシィアは言葉を紡いでいく。それに伴って、俺の肉体が徐々に変質していくのを感じる。
「貴方を捧げた人間を見つけなさい。そうすれば、その仮初めの命を本物に変えてあげる」
まるで音楽を指揮するように、たおやかな腕を振るう。呪詛めいた言葉と共に。きっと、これがレテシィアと交わす契約なのだろう。
「貴方を捧げた人間は三人。彼らには、魔女との契約の証に、その身にこの刻印が刻まれているわ。その三人から、貴方が望むものを取り戻しなさい。取り戻したものは、好きにしていいわ」
レテシィアの言葉に合わせて、六本足が入り組んだ蟲と薔薇を思わせる紋章のようなものを見せてくる。それを、そっと俺の右手の甲に乗せたかと思えば、紋章はそのまま俺の皮膚に吸い込まれ、消えてしまった。
「ねぇ、生き返りたい?」
レテシィアが一言喋る度、意識に靄がかかりそうになる。それを、渾身の力を振り絞って、なんとか意志を保つ。
「あぁ」
「異なる世界に落とされても?」
陶酔を呼び込むような声音。それを甘受しそうになる意志を叱咤して、言葉を紡ぐ。
「仮初めの命と肉体で生きるには、そこしかないのだろう?」
こいつは魔女だ。こいつの言葉には、悪意が前提にあることを、忘れてはならない。そう強く己を戒める。
「魔女と契約を交わしても?」
「お前みたいな人外と契約なんて、心底したくはない。だが、しないことには俺はずっとこのままなんだろう? 人にも、化け物にもなれずに、死ぬことも生きることもないまま、自我さえ失って。そんなのは御免だ。
ならば契約した方がマシだ。
奪われたものを取り戻し、この身を、この命を本物にする方がずっと有意義だ」
こいつにはおべっかも何も意味を成さない。だから言葉にする。俺の本音を。俺の意志を。無力な鳥籠の鳥にも、求めるものはある。
「奪われたものを取り戻す方法も分からないのに?」
レテシィアのこの言葉に、全身が冷え込むような怒りが湧き上がる。
あぁ、そうだ。俺は知らない。何一つとして。また、何一つとして持っていない。この肉体も、この命も、この自我でさえも。全て目の前の魔女の掌の中だ。
ここにあるのは、未だ、レテシィアの手の内にある仮初めのものに過ぎない。この場にいる限り。
契約を結ばない限り、俺には何一つ手にすることは出来ないのだ。
「教えろ、忌々しい魔女、レテシィア。俺の魂を手にした、人ならざるもの」
俺の全てを今尚奪おうと狙う、人の姿をした厄災に睨みつけながら、方法を請う。請うと言いつつ、その言葉は不遜の限りであるだろうが。人間でないものに、人間の常識を当てはめたところで無意味だろう。
「良いわ。契約しましょう。ひどく脆弱で、矮小で、そのくせ不敵で、どうしようもなく愚かしくて、有限の時の中でしか生きることの叶わない、愛おしい人間。そうしたら、全て答えてあげる。
魔女、レテシィアの名にかけて」
獲物を仕留めた歓喜に震える双眸に射抜かれながらも、俺はただ頷く。恐怖は無かった。あるのは、ただ、この状況を当然と言う心持ちだけ。平常に近い。人外に囚われたと明言されているような状況なのに、不思議なものだ。
「右手を」
レテシィアの言葉に従い、右手を彼女の前に差し出す。
「怖い? 今ならまだ間に合うわよ?」
にやにやと、悪意と愉悦を隠すことなく向けてくる視線を不快に思いながらも、「いや」と短く否定する。
「このまま何もかも失う方がずっと怖いし、何より、許せない」
それは目の前にいる魔女か。はたまた、こいつの掌の上で踊るしかない俺自身に関してか。
だから契約を。
そう口にすれば、一層悪意と嘲笑、それから慈愛の篭った壮絶な笑みを浮かべられた。