刻印の魔女
不吉な美貌を持つ魔女と、彼女によって殺された青年の物語。
恋愛要素は皆無です。
魔女は心からの悪意と愉悦を以て、青年を弄び、
青年はそんな魔女に対して心底侮蔑しながらも、助力を乞う感じの物語です。
「ねぇ、知っている? 貴方、死んだのよ?」
ひどく不吉なことを口にしながら、目の前にいる妙齢の女は、その内容に反してすこぶる楽しげな表情を浮かべている。
流れるような、長く艶やかな、毛先にいくに従って薄水色の色合いが濃くなる銀の髪。白亜の陶磁器を思わせる、シミひとつない、瑞々しい肌。服装は髪の色に合わせて、白と薄氷色を基調としており、袖口に金の刺繍が施されているドレスが、目の前の女の体型をやんわりと浮かび上がらせ、露出の殆ど無い格好にも関わらず、背徳的な色香を漂わせる。
薔薇の花弁を連想させる紅い唇に、ほんのりと色づく桜色の頬。人形よりも整った、美しい顔立ち。髪よりも一層澄んだ色をした蒼い双眸には、悪意と愉悦の光が宿り、仄暗く、不吉さを内包する彼女の人外じみた美しさを際立てる。
あぁ。
こいつは魔女だ。
何の疑問もなく、当然の事として理解出来た。
こいつは人間などでは無いのだと。
人の姿をした、忌々しい化け物なのだと。
「知っている。俺を殺したのが、お前だと言うことも」
不遜な態度を隠しもせずに答えれば、一層魔女は笑みを深めた。
「ふふ。嬉しいわ。ちゃんと私が見えていたみたいで。知っている? 魔女って、普通の人間には見えないものなのよ? 見えるのは、そう。貴方みたいに、異形を見てしまう、いいえ、本人の意志に関係無く認知してしまう、異形に魅入られた者だけ」
「知るか」
異形なんてこれまでの人生で一度たりとも見たことなどなかった。気配すらも感じたことはない。強いて言うなら、目の前にいる女をこちらに来る前に視認した程度だろう。生まれてこのかた、異形に魅入られる要素なんて、身に覚えが無い。
「そうでしょうね。でも、さして興味も無いんでしょう? 自身の死でさえも」
肩をすくめる仕草をしながら、いつの間にか出現していた、白檀で作られたであろうアンティーク調の椅子に腰掛け、同じくアンティーク調の丸テーブルの上に用意されたティーカップに優雅に口付ける。そうして、俺に座るよう勧めてくるのだ。
俺を殺した挙句、その肉体を塵へと還し、実体のない身にした張本人が。
「そこまで分かっているのなら、さっさとこの茶番を終わらせて欲しいものだが?」
風が吹けば意図も簡単に吹き飛ばされそうなほど脆弱な、フワフワと漂う丸い球体でしかないこの身では、何の表情も浮かべることは叶わない。なので、せめて自由に出来る言葉だけでこちらの意を伝えておく。
最も、この女に対しては、さしたる意味も効果も無さそうだが。
「ふふ。分かっていないのね。殿方を焦らすのは、女の嗜みなのよ?」
案の定、女は何一つ意に介した様子は見えない。どころか、機嫌が良くなっている始末だ。
「いい加減にしろ。目的はなんだ」
「あらあら。随分と素っ気ないのね。でも、そう言うところが好ましいのだけれど」
魔法なのか、なんなのか。
見えない手のようなものが、席の方に寄り付かない俺を無理矢理掴み、魔女の前へと固定した。
温度も何も感じないその感触の不快さに、眉を顰める。最も、表情なんて作れないから、あくまでそう言う感覚に陥っている、と言うだけなのだが。
「あら? ダメよ、六本足。そんな乱暴に扱っちゃ。彼とはこれからお話をするのだから」
たしなめるような魔女の声を受けて、俺を拘束していた感触が消え失せた。恐らく、六本足と呼ばれた何かが引き下がったのだろう。しかし、この場から去る気はないのか、妙に気配を感じる。きっと、あの温度も何も感じさせない手は、俺には触れないが、まだ俺の周囲に潜んでいるのだろう。
この場に居る人外は目の前に居る魔女だけかと思ったが、どうやら誤算だったようだ。
「ごめんなさいね? あの子はまだ使い魔になって日が浅いの。だから、まだこう言う場には慣れていなくて。許してくれないかしら?」
「許さないなんて言っても、どうせ意味なんてないんだろう? 申し訳なく思っているのなら、さっさと話し合いとやらを始めてくれる方がずっと有難いんだがな」
飲め、と言わんばかりに紅茶の注がれたティーカップをこちらに傾げているのは、あの六本足と呼ばれた何かだろう。魔女が何かした素振りはない。代わりに、見えない空中に向かって微笑ましいものを見るような視線を送っている。きっと、その視線の先に、六本足と呼ばれた何かが居るのだろう。相変わらず姿は見えないし、見たくもないが。
押し付けてくるティーカップが疎ましいので、六本足の見えない手から離れるようにして球体に過ぎない体を離せば、手の付けられなかったティーカップは、渋々と言わんばかりに丸テーブルの上に置かれた。
視線を感じるのは、気のせいではあるまい。
「えぇ。構わないわ。まず、名乗りをあげさせてもらうわ。
私はレテシィア。レティシアとよく空耳されるけれど、間違えないでね。《×××××》に連なる魔女よ」
そう言ってレテシィアは、小首を傾げるようにして微笑んだ。一部聞き取れない言葉があったが、聞き返す必要は無いだろう。総じて不吉なものであることに変わりはないのだから。
それにしても、人間の美しい女が、同じ仕草をすればさぞかし麗しく、また、品良く見えたことだろう。しかし、こいつは自分でも言っていたが、魔女だ。人の姿をした厄災がいくら美しい所作をもってこちらに対峙しようと、不吉さしか感じられない。
それを理解して尚、この人外から目を離せず、あまつさえ美しいなどと思ってしまうのだから、余計に質が悪い。
無論、当の本人が一番それを理解して楽しんでいるのだろうが。
「ふふ。そう怖い顔をしないで? 折角の男前が台無しよ?」
「その男前な肉体を塵に還した張本人が、よくも言えたものだな」
「あら? 自分の死にも興味が無いのに、そんなつまらないことを口にするの? もう、貴方が自我を保てる時間も、僅かしか残っていないのに」
「理解しているからこそ、下らんことで時間を潰したくは無いんだ」
「そう? 大抵の人は、消滅するまで一人で居ることを嫌がるのだけど。どんな相手であろうと構わないから、側に居て欲しいって。話をさせて欲しいって。泣き言を聞いて欲しいって。
そう、ひたすらに願い続けるものだけど。
貴方は消滅する瞬間まで、一人で居たいの?」
「貴様みたいな人外と過ごすよりかは、よっぽどマシだ」
「それが、地獄に等しい虚無の世界であっても?」
「程度によるな」
「正直な男性ね。良いわ。好きよ、そう言うの」
「嬉しくないな」
「あら残念。それじゃあ、そろそろ六本足もこれ以上は待てないみたいだし、お話をしましょう。でも、その前にそのままの姿じゃ物足りないわね」
そう思案したレテシィアが、指先でなぞるように俺に触れた。
刹那、ズシリと重くなる感覚に襲われる。確認するように視線を下げれば、失った筈の肉体が視界に入る。服装はこの奇妙な空間とレテシィアに合わせてか、時代錯誤な異国の服装を着せられていたが。
服装は騎士などが鎧の下に着込んでいそうなもので、派手な装飾も無ければ、動きを阻害するような無駄な造りでもない。まだ実用性のある服装だろう。
「今の姿なら、茶の一つでも飲めるだろ?」
とん、と湯気を立てる紅茶を出されたので振り返れば、青年がいた。歳は俺と同じか、それ以下か。髪の毛も瞳もサファイアのように青く、肌は骨のように白い。その白い肌には所々、虹色の鱗のようなものが浮かんでいる。額には瞳と同じ色の複眼が左右に三つずつ並び、側頭部には蛾の触角らしきものも見える。明らかに人外と評せる特徴を持っていた。
顔立ちそのものは別段美しくはないが、整えられた髪型なども鑑みて、清潔な印象を受ける。だが、そんな青年の印象と、上半身にある異形を凌駕するような特徴が青年の下半身には備わっていた。
明らかに蟲のような異形をしているのだ。それも、自然界には存在しないような、僅かに奇異な部位を持つ蟲の。
従僕のような格好をした人間の上半身に、鱗を持つ蟻と魚が合わさったもののような蟲の下半身。それらが奇妙に融合した姿。それが青年の姿の全貌だった。
なるほど、確かに下半身の足らしき物の数だけを数えれば六本ある。恐らく、こいつが六本足と呼ばれた人外だろう。あの疎ましい手の持ち主として、これ以上相応しい見目も無い。
「菓子もある。食え」
そんな俺の感想などお構い無しに、青年はいつの間にか手にしていたのか。籠に盛った菓子も籠ごと押し付けてくる。実に鬱陶しい。
「こら。押し付けちゃダメでしょう?」
「分かった」
レテシィアの言葉に、素直に頷いて籠を俺の元から退ける。まるで母の言葉を聞く幼子のように。
「分かってくれて嬉しいわ。六本足は良い子ね」
そうレテシィアに言われれば、表情は大して変わらないが、嬉しいのか、触角が微かに揺れている。
「俺に何をした?」
楽し気な雰囲気を醸し出すレテシィアを遮るように問いかければ、ふわりと微笑まれた。
「仮初めの肉体を与えただけよ。あのままでは味気がなかったから。それに、折角六本足が淹れたお茶も、あの姿では飲めないでしょう?」
「本当にそれだけか? 何で六本足が見えるようになった?」
しかし、レテシィアは俺の質問に答えない。俺の手元にある、陶器のティーカップに視線を軽くやるだけだ。
飲め、と言うことなのだろう。恐らく、飲まなければ話す気は無いのだろうな、この魔女は。
仕方なしに紅茶に口をつければ、案外美味い。そんな俺の様子を見届けてから、レテシィアは満足そうに頷いて、口を開く。
「最初に言ったでしょう? 私達魔女を見ることが出来るのは、異形に魅入られた者だけだって。きっかけさえあれば、幾らでも見えるようになる素養を、貴方が持っていただけよ。
だから、見えるの。こちらが何の手を加えなくともね。今の貴方なら、元の生活には戻れないほど見えるでしょうね、きっと」
レテシィアの言葉に耳を傾けながらも、特に言葉を返す必要を感じなかったので、そのまま紅茶を飲むことにした。殺された身で、元の生活、いや、そもそもここがどこかも分からないのだ。神隠しのような、異空間の可能性も十分にあり得る。日本どころか地球に戻れるのかも怪しいのだ。そんな状態で、元の生活に関する話なんて、興味もない。
そんな俺の内心を違うことなく理解しているのか。
レテシィアは蠱惑的な笑みを浮かべて、囁いた。
「ねぇ。生き返りたいと思わない?」