どこかで微笑む貴方は……
あれは一体誰だったんだろう?
遠い昔の記憶。
でも、君は確かに目の前に存在して
私たちの方に手を向けながら
酷く顔を歪ませて
水の中に沈んでいったんだ──。
***
日曜日の午後。
いつもと何も変わらない、そんな午後の事だった。
お互いに、何を話すわけでもなく、雑誌を読んだり、スマホを弄ったりして過ごしていた。
すると、父が突然話を始めた。
「父さん、実は昔、殺されかけた事があってな。」
「……は?」
思わず、そう言っていた。
父親からいきなり、そんな告白をされたのだ。
暇潰しの冗談としか思えなかった。
「あれは、確かお前がまだ小さかった頃の話だ。」
そこから、父の話が始まった。
***
「アッハッハッハ!!!!」
賑やかな笑い声が、家中に響き渡る。今日は、久々に同級生が集まり、飲み会を行っているのだ。集まったのは、仲の良かった3人。自分の子どもの事、仕事の愚痴、昔のバカ話、色んな話をしながら盛り上がった。もちろん、酒もどんどん進んでいく。
「ちょっとトイレ行ってくる。」
「はいよー。」
階段を降り、さっさとトイレを済ますと良い気分で、皆の元へと向かう。
まだまだ盛り上がっているようだ。
「おう、ほら飲め飲め!」
先程まで飲んでいたグラスは空になっていたが、今は新しいお酒が注がれている。
「サンキュー!」
そう言ってグラスを持つと、グイッと喉に流し込む。そして、一瞬固まる。
何だ?
そのまま立ち上がると、舌がピリピリと痺れてきた。
何だこれ……。
呼吸も苦しくなってくる。
よく見ると、まわりの3人はこちらを真顔で見てきていた。先程までの楽しそうな様子から一変して、その瞳は酷く冷たかった。
フラフラしながら、階段を降りていく。そして、一階に辿り着いたところで崩れ落ちた。意識が朦朧としてくる。
どういうことだ?
もしかして……あの酒に……
────何か盛られてたのか?
ギシッと音が鳴る。
その方向に目をやると、娘の望が立っていた。パジャマを着て、ぬいぐるみを持っている。
「……お父さん……?」
娘に話しかけられても答えられない。喉が焼けるように熱くて、体中から汗が噴き出す。呼吸もままならないのだ。
すると階段の上に3人の人影が見えた。遠くなる意識の中、その3人を見つめる。
3人は、こちらの様子を見て満足げに微笑んだ。それから、大きく目を見開いて恐ろしい顔で叫ぶ。
『死ーね!死ーね!死ーね!死ーね!』
そんな3人の言葉を聞きながら、俺は意識を失った。
***
あまりにも重い告白に、私は少しの間口を開けなかった。父さんが、そんな経験をしていたなんて……。
そして、私はあることを思い出す。
そういえば……。
そう思うといてもたってもいられなくなり、部屋を出ると階段を駆け上がった。そして、自分の机の引き出しを勢いよく開ける。そして、その中から分厚い紙の束を取り出した。
紙の色も変色してるし、字は汚いし、かなり前に書いているということが分かる。
そして、その紙を一枚一枚めくり、納得した。
何か聞いたことあるなと思っていたけど……やっぱり、そうだ。
その紙には、父が殺されかけた経緯、父への励ましのメッセージがたくさん書かれていた。小さいなりに何かを感じ取って、自分で一生懸命書いたのだろう。
そして、気になるのはこのページだ。
そこには、女の子が二人描かれていて、二人はニコニコと笑っている。でも、そこには微妙な距離感がある。
自分で描いたものではあるけど……何か……
すごく気持ち悪い。
そして、ページの端に書かれている名前も聞いたことないんだよね。
誰なんだろう?
花菜ちゃんって────。
***
それから数日後、家に父親宛の手紙が届いた。茶封筒に包まれた手紙。差出人は不明だ。
「父さん、手紙届いてるよ。」
「おー、ありがとう。」
茶封筒をひっくり返し、差出人を確認する父。何も書かれていないことに気づくと、顔をしかめる。
そのまま、封筒を開けると、中から手紙を取り出した。
何だろう……?
妙な胸騒ぎがする。
そして、父親はその手紙を見て固まった。
「……父さん?」
呼び掛けても全く反応が無い。私は、父の手紙を奪い取るとその内容に目を通した。そして、思わず固まる。
『 いつ ま で ノ コ ノ コ 生き て ル つもり だ ?
俺 は お マエ ら を 許 サ ない。
お前 ガ を 見 殺 シ に した ん ダ 。』
「何っ……これっ……?」
私は、父の方を見る。父は苦しげに俯く。
文章は、新聞の切りぬきで作られており、筆跡から誰の手紙なのかを予想することは出来ない。ただ、気になるのは……
─────お前 ガ を 見 殺 シ に した ん ダ 。─────
この文章だ。父が、誰かを見殺しにした?
そんなことがあるのだろうか?
「───多分……これは、あの時の3人の内の一人の仕業だろう。」
父は、俯いたまま話を始める。
「……昔、望と一人の女の子を連れて、川に遊びに行ったんだ。お前が小学生に上がってすぐの頃だったかな?楽しく遊んでた……。でも、そこで、二人揃って────溺れたんだ。」
「………え?」
「橋の上から、知り合いに声をかけられて……少し目を離した隙に……大慌てで川の中に入って、まずは娘であるお前の事を助けた。幸いな事に、そこまで水も飲んでなかったし、すぐに救出したから、命に別状も何も無かった。」
「……その女の子は……?」
「助けに行ったけど……間に合わなかった。悲痛に顔を歪ませて……こっちに手を伸ばしながら……水の中に沈んでいったよ……。」
その時、私の頭の中にバババッと映像が流れてきた。
私と同い年くらいの、2つくくりの女の子。
急に視界が反転して、水に飲まれる。
すごい表情をした父親。
苦しい呼吸。
助けを求める女の子。
苦しそうな表情。
水の中から見える手。
そして、見えなくなる姿。
そこで、私は叫んでいた。
『────花菜ちゃんっ!!!!!!』
手紙を持つ手が、プルプルと震える。
花菜ちゃんって……私があの紙に描いていた女の子。
名前も、顔もすっかり忘れていたけど……一番忘れてはいけない人だったのではないか……?
「──きっとこれは、その子の父親からの手紙だ。そして、その父親に……俺は殺されかけてる。今度はきっと……本気だろう。」
***
その日の夜は眠れなかった。
父の悲しげな表情や、花菜ちゃんの溺れ死んでいく表情が脳裏に焼き付いて離れなかったからだ。
私は、何気なく過去のメールを見ることにした。そうすれば、面白い会話でも見つけて楽しいかもしれない。それだけを楽しみに、メールを見続けた。
それから10分くらい経った後、私はとあるやり取りを見つける。
それは何年か前のやり取りだった。その人とは、どうやって知り合ったのだろうか?名前も、"□□□"と訳の分からないものだ。
とりあえず気になったので、メールのやり取りを見るために画面を開いた。
『こんばんはー。』
『こんばんは。』
『望ちゃんって何歳だっけ?』
『18歳ですよー!』
何気ないやり取りから、内容はだんだんと気味の悪いものになっていく。
『18歳かー。僕の娘も君と同い年なんだよ。』
『そうなんですか!何か親近感わきますね!』
『そうだね。でも、娘はもう亡くなっているんだけどね。』
『あ、そうだったんですか……。』
『小さい頃に川で溺れてね。そこには、もう一人の女の子がいたんだけど、その子は助かったんだ。その子は、その子の父親が一番に助けてくれたからね。』
『辛い出来事ですね……。』
『辛いの一言だけで言い表せないよ。でも……その女の子は一体どこで何をしているんだろうね?一度会ってみたいよ。』
『そうですね!いつか会えると良いですね!』
『その時、僕は一体どんな気持ちになるのだろうね?きっと、父親もその子の事も許せないと思うんだ。』
『なるほど……。』
『いつか会えた時にはきっと──』
私は、すぐさま画面を閉じた。そして、スマホを枕の下にしまいこむ。
体の震えが止まらない。
私は、知らない内に花菜ちゃんの父親と連絡を取っていたようだ。花菜ちゃんの父親は、そうやって私たちの事を監視してたっていうこと……!?
狙われていたのは、私の父親だけではない。
『いつか会えた時にはきっと
───二人ヲ殺シテシマウダロウネ。』
私もだったんだ───。
***
次の日の朝。
起きてから、ご飯が喉を通らなかった。
「望、どうしたの?調子でも悪いの?」
「あー……実は昨日の夜眠れなくってね。」
「あら、そう?何かあったの?」
「ううん、何も!気にしないで、お母さん。」
とりあえず、飲み物だけは飲んでおこうと、アイスコーヒーに手を伸ばす。父は、いつもと変わらない様子で、新聞を読んでいる。
父に、昨日のメールのやり取りを見せるべきなのだろうか?見せれば、また恐怖に呑まれてしまう。でも、知らせておくべき事なのではないだろうか?
コーヒーを飲みながら、自問自答を繰り返すばかりだった。
「……父さん。」
「ん?どうした?」
父は、新聞から目を離すと私に尋ねてきた。私は、覚悟を決めて、スマホを取り出す。
「あのさ……父さんに届いた手紙の差出人の事なんだけど……。」
私がそう切り出すと、父は顔をしかめた。
「……何だ?」
「……実は、私その人とメールのやり取りをしてたみたいなの。」
「……は?」
私は、そのやり取りの画面を開くと、深呼吸をする。
これを見れば、父はきっと更にショックを受けるだろう。でも、もう私だけでは手に負えない。少しでも、味方を増やしておくべきだろう。
「あのね……これなんだけど───」
父の隣に移動して、画面を見せる。
と、その瞬間──
『しまった。』
画面に、浮かび上がったその文字。
えっ……?
メッセージは次々と送られてくる。
通知の音が、何度も何度も鳴り響く。
『まさかな。』
『見せたのか。』
『望ちゃん。』
『ねえ。』
『見てるんだろ?』
『返事しろよ。』
『おい。』
『返信シロヨ。』
『無視スルナ。』
・
・
・
・
スマホの画面を閉じても止まらない、バイブ音と通知音。父は固まり、私は耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。
やめて、やめてよ。
やめて。
やめて。
やめてってば!!!!!
あまりの恐怖に目から涙が溢れてくる。もう、どうしようも出来ないの……!?
私、殺されちゃうの……!?
呼吸が乱れる。嫌な汗が、体中から噴き出してくる。
と、その時──
───ピンポーン。
インターホンの音が鳴り響く。
私と、父は目を合わせる。
まさか……。
───ピンポーン。
再び、鳴り響くインターホンの音。
恐怖で震えが止まらない。
嫌だ。助けて。
お願い。助けてっ……!!
そう思った瞬間───
「はーい!今開けまーす!!」
「「──!?」」
母親の呑気な返事が聞こえた。
私は、すぐさま立ち上がると玄関へと向かう。足元がふらついて、うまく走れない。
「───待って!!お母さ───!!」
玄関には、フードを目深に被った男が立っていた。
男は、私を見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
そして呟く。
「……さあ、花菜。これで寂しくないからね───。」
これは、作者が見た夢の話です。