第14話
弘子は現れる度に、生前の出来事を話してくれた。
元は美大の学生だったが、彼氏に浮気された挙句に、殺されたらしい。
しかし、証拠不十分で彼氏は無罪。結局は、自殺扱いになったそうだ。
その恨みと、志半ばだった画家への想いが未練として残り、成仏できないらしい。
いや、成仏しなかったらしい。弘子の話では、成仏も自由意志に依るそうだ。
ところが恨みを晴らし、天界へと向かったが、多くの人を殺めたせいで、
天界を締め出されたそうだ。かなり恐ろしい霊だったようだ。そこで私は弘子に聞いてみた。
「今でも絵はかけるの?」
「出来るわ、箪笥だって動かせるのよ。鉛筆なんて朝飯前よ」
そう言うと、私が差し出した紙と鉛筆で、弘子はすらすら絵を描き始め。
「うまい!」
私は思わず叫んだ。弘子から受け取った紙にはミロのビーナスが見事に書き写してあった。
「本当は油絵専門だけど、デッサンも得意よ」
弘子の笑顔は美しかった。幽霊とは思えない。私は恥ずかしかったが、弘子に尋ねた。
「ヒーローのコスチュームを考えてほしいのだけど……」
「えっ?……。あー、描いてほしいの?」
「そう、私は絵心がないし」
「コスチューム?私も得意ではないけど……。でも、面白そうね。考えてあげる」
すると、弘子は姿を消した。どこに行ったのかと思っていたら、
突然、弘子が舞い戻ってきた。
「どこに行っていたの?」
「ふふ、漫画家のところよ。覗き見してきたの」
そう言うと、弘子はなにやら描き始めた。私は弘子の能力に脱帽した。
一瞬で好きなところに飛んで行き、誰にも不審の思われず行動する。
幽霊はヒーローになる素質を十分に持っていると、私は心底そう思った。
弘子の絵は見事なデッサンだ。私は覗き込みながら、自分の希望を付け加えた。
顔は隠して、突き出た腹も目立たないような衣装。
弘子は何度も描き直しながらも、それは徐々に形を成してきた。
全体的な雰囲気は、目立たないことを条件に、黒が基本となった。
黒はスマートにも見えるし、一石二鳥だ。
黄色のラインが身体を取り巻き、さながら工事現場だが、
弘子曰く、トラのイメージだそうだ。
しかし、タイガーマスクではない。マントは協議の結果、ボツになった。
飛べない?私には無用の長物だと。
コンセプトはスパイ○ーマンに近いものだ。全身はフィットした感じだが、
バッ○マンのような胸当てがついている。マスクは目の周りだけが黄色い。やはりトラだ。
なぜか?私は寅年生まれだ。弘子も寅年だった。
ただ、弘子は私よりも二周りも先に生まれたが……。
ついでに、胸には(H)のマークを入れてみた。勿論、私と弘子のイニシャルである。
完璧だ!!マスコミがどんなネーミングを付けるのか、今から楽しみだった。
私は、絵に集中する弘子に聞いてみた。
「私は遠くの声を聞き分けられるが、弘子の場合はどうだい?」
既に、呼び捨てあう仲だ。
「私は無理よ。でも近くならば、心も読めるの」
そう言って目を閉じた。何をするのかと思ったが、目を伏せた弘子は美しかった。
幽霊でなければ、押し倒し……。なんて人間的な考えだろうとにやけていると、
「嫌だ、変なこと考えて」
弘子は私の心を読んでいたのだ。私は慌てたが、弘子は笑顔だった。
「でも、嬉しいわ。ありがとう」
正直、恥ずかしかった。しかし、幽霊とエイリアンの恋物語も面白そうだ。
映画になりそう……。
「私ね、初めは貴方を信じなかった。でも、心を覗いて分かったの。真実だって」
弘子はそう言って肩をすぼめた。
「出来た。これでどう?」
出来上がったデッサンは、最高の出来だった。だが、問題は残る。制作が問題だ。
どんな生地を使い、どうやって仕上げるかが見当も付かなかった。
弘子はしばらく考えていたが、やがて何かを思いついたらしい。
「待っていてね」
と一言残し、そして姿を眩ました。しかし、いつまで待っても弘子は戻ってこなかった。
仕方無しに、夕食の買出しに向かおうと思ったとき、
不動産屋の親父から電話がかかって来た。
「どうですか」
その声は僅かに震えていた。
「問題ないですよ。楽しく生活しています」
「楽しく?」
「いえ、何でもないです。気になさらずに」
まさか幽霊と親しくなったとは、言えないだろう。
不動産屋の親父は、恐縮したように、何かあったら言ってください、
と言い残し電話を切った。
例の商店街で買い物をしようと坂を下り、小さな商店に足を踏み入れた。
店主は初めてみる顔に、いささか用心したようだ。
店には食料品や、日用品が並べられていた。
昔ならば、迷わずカップラーメンに手を伸ばしていただろう。
しかし今は、豆腐や果物、脂身の少ない肉、小魚の干し物など、
一般的には健康的と思われるものに変わっていた。
そして私が牛乳に手を伸ばしたとき、弘子の声が耳元に聞こえてきた。
「日付をよく見て。ここの親父は古いものでも平気で売るから」
振り向くと弘子が立っていた。正確には浮いていた。
しかも、見慣れない人物までもが一緒に浮いているのに気がついた。
「その人は?」
「後で紹介するわ。先に帰っているから早くね」
そのまま弘子とその連れは、スーッと消えて行った。何か新婚夫婦の会話みたいだと、
ニヤけていると、店主が不審そうに見ていた。勿論、店主に弘子達は見えるはずもない。
変なおっさんが食品売り場でニヤついたいたら、不審がられても可笑しくはない。
一応、挨拶はしとくべきだと思った。これからも利用する可能性があるからだ。
来る度に不審がられるのもいい気分はしない。
「今度、坂の上のアパートに越してきました。利用すると思うので、よろしく」
そんな簡単な挨拶でさえ、親父の顔は急に笑顔に変わった。
「そうですか、いや、こちらこそ御贔屓にお願いします。変な顔していませんでしたか?
物騒な世の中なので申し訳ない」
店主は自分でも理解しているようだ。と言うよりは、初めての客を『見ているぞ』と、
脅かすのが店主の行動パターンとして確立されていた。
「こう言ってはなんですが、そのアパート、過去に殺人事件があったそうですよ。
もっとも私はまだ子供でしたから、聞いた話ですがね」
店主は、商品を袋に詰めながら呟くように話した。
黙っていたら、話が長くなりそうな予感がしたため、料金を払うと早々に商店を後にした。




