(6)
「死ね……」
「死ね、だな」
「死ねがいっぱいか。今回の騒動そのものだな」
僕とマツタケと広重がページ一杯の死ねにそれぞれのコメントを残すと、コスモは手を止め、ペンとノートをしまい代わりにごとりと瓶を一つ机の上に置いた。白い粉の詰まった瓶の蓋を開け、瓶の中に入っていたプラスチックのスプーンで白い粉を掬い上げ口の中に運びばりばりと頬張った。
この白い粉は時にとてもハイに、時にとてもローになるデンジャラスパウダー、ではなく、純粋な砂糖だ。まあそれはそれでヤバイとは思うのだが、なんせ常に脳みそフル回転なコスモは常に糖分が足りていないからこれは仕方がない。と思う。
「コスモ。何が見えたんだよ」
広重が問うとコスモは瓶底丸眼鏡をことりと机の上に置いた。眼鏡を外せば割とカワイイ顔してるのに、彼女はこの眼鏡を自分に強いている。この眼鏡の度数はかなりきつく造られており、かけた瞬間どれだけ視力の悪い者でももれなく世界が歪みだす。
そんなものをコスモがわざわざかける理由は、広重が「世界がよく見えちまうからしんどくなるんだよ」という言葉の下、目につくモノ全てが気になり計算、処理を始める脳を抑える為にわざと世界を濁してよく見えないようにする為だ。
そこに関しては、天才にはあるまじき少々お馬鹿な対処法な気もするが、僕らには分からない辛さが彼女にもあるのだろうから何も言えない。
「解を始めます」
「おっと、こりゃ長くなるぜ」
その言葉の通り、コスモはガトリングガンのごとく言葉を連ね始めた。
「言葉。言葉。わたし達は言葉を用いる。言葉は必要。言葉は必須。言葉失くして人間にあらず。言葉があるからわたし達は生きている。当たり前。それはすごく当たり前。だから、ゆえに、その為に忘れてしまった。どれだけそれが大切か。どれだけそれが尊いか。言葉の威力を知らない。分かっていない。考えなくして放たれる言葉達にもどれだけの魂が宿っているか考えもしない。わたしはもちろん知っている。でも皆は知らない、知ろうともしない。だからこうなった。だからこうなった。いろんな手段で野に放たれる言葉達に責任はなくなった。そのせいで私もとばっちりを食らう。でも力を失ったわけじゃない。使い方の誤り。そのせい。全部そのせい。若き者達の愚かさのせい。死。死。死。面と向かって言う言葉。面も分からない者に言う言葉。面は知っているけど直接面に届けない言葉。汚い、尖っている、傷つけるしか能力のない言葉。安易に使いすぎ。死ね死ね言い過ぎ。皆が死ねを安直に使う。簡単に使う。それを向けられた者達の感情も知らずに死ねを繰り返す。溢れた死ねが浴槽から溢れて行き場を失くしている。失くした死ねが生者にあてがわれている。死ねの収束。死ねのリサイクル。死ねの無駄遣い。全部罪。言葉を軽んじたわたし達の罪。全てはその結果。ああ死にたくない」
そこまで一気に話すとまたコスモは砂糖を口に含んだ。
「えーっと……」
コスモの言葉は、僕らに伝えようという意志がないように思えるし、理解してもらおうという気は感じられない。でも今コスモが導いた解はとても大切なものがいっぱい詰まっている気がする。だから必死でコスモの言葉を僕は理解しようとする。
「つまり、死ねって言葉が駄目って事、だよな。まず」
必死に頭を動かして絞り切るように僕はようやくそれだけ口にすると、マツタケも広重も呆れ顔を見せた。
「当然」
「そんなのコスモが言わなくても知ってる」
「そうだけどさ……」
すると広重がコスモの解を一般人にも分かり易いように噛み砕き始めた。
「要は、死ねって言葉を簡単に使いすぎたんだよ、俺達若者は」
「はあ」
「罰」
「そう、マツタケちゃん。罰なんだよこれは。分かってるみたいだな」
「罰だって?」
「直接死ねって言う事もあるだろうが、コスモが言いてえのは多分ネットとかバーチャルの方面だろうな」
「ネット?」
「ネットだとさ、誰でも気軽に言いたい事言えるようになってるだろ、今って。お前2ちゃんとか見た事ある」
「ああ」
「ああいう所とかさ、常に誰かが誰かに死ねって言ってるだろ。こんにちはなんかより簡単によ。つまり、そうやって無責任に放たれた死ねって言葉があまりに多すぎて、溢れかえって、そのおこぼれが今俺達に回って来てるんだよって事。そだろ、コスモ?」
「ピロシキ、貴様に砂糖をくれてやろう」
「ありがとう、後でもらうよ」
コスモは広重をピロシキと呼ぶがその理由は広重本人も未だに知らないらしい。
「っていうか、待てよ」
広重のおかげでコスモが言いたい事は分かったが、やっぱりイマイチ頭の中に浸透していかない。
「皆が死ね死ね言い過ぎたから、その責任をとって死ねって事が今起きてるってわけ?」
「コスモはそう言ってる」
「はあ? ふざけんなよ! そんなので千佳とか皆が死んだってのか!?」
「コスモはそう言ってる」
ふざけてる。あまりにもふざけてる。僕も死ねって言葉を使った事はあるけど、そんな無暗に使った事はない。僕はまだしも、千佳はどうだ。千佳はその位置から一番遠く離れているじゃないか。それなのに、頭の悪いネット住人共とかのせいで巻き添え食らって自殺しただなんて、ふざけるのも大概にしろよ。僕は腹がたって腹が立って沸騰寸前だ。
「ふざけんなよ」
僕は改めてそう言う。適当じゃなくて、本気で心の底から思うから。
「帰る」
答えを聞いて満足したのか、マツタケは席を立って部屋を出て行こうとする。
「おう。またな、マツタケちゃん」
そしてマツタケはそのまま部屋から出て行ってしまう。マツタケのあまりの無感情っぷりにも腹が立ちそうになるが、僕はそれをぐっと堪える。マツタケにだけはそれをぶつけてはいけない。
「さ、俺らも帰るかな。ケイちゃん、どうする?」
「ああ、うん……後で、帰る」
「そっか。じゃあ鍵だけよろしくな。コスモ、帰ろうぜ」
「耳の中に鈴虫がいらっしゃる」
「いるわけねえだろ。ほら、行くぞ」
と広重とコスモは部屋を出て行き、図書室には僕だけが残された。
っていうか、何も解決されてないじゃないか。
理由は分かったとしよう。でもそれじゃ、指を咥えて自殺するのを待つしかないのか。
それに理由がそうだとしてなんでそんな事が起きるんだ。あまりに非現実的で超常的だ。
結局コスモが導いた答えは、僕をただただ混乱の深みに陥れただけだった。