(5)
「よう、ケイちゃん」
図書室に入ると本棚に背中を預けていた広重が、僕の姿を見つけ手を挙げて呼びかける。開いているのか閉じているのかも分からない目は、漫画なんかで書く時はしゃっと一つ線で済む程に細い。だがそれを口にすれば命以外の全てが終わる。それは比喩でも何でもなく。
僕に「ようケイちゃん」なんて気さくに明るく声を掛ける様だけ見れば、気の良い優男をイメージするかもしれない。まあそのイメージも合ってはいるのだが、一つ付け加える必要があるとすればキレたら手に負えないとんでもない狂犬だと言う事だ。
制服をだらしなく着崩す訳でもなく、さっぱりとしたベリーショートな短髪と、がっしりとした体格の良さはスポーツマン的爽やかさを感じさせる。だがジャンル分けするなら完全に広重は不良の箱の中に入れられる。
蚊も殺さないような善人面だが、一度彼の逆鱗に触れれば文字通り終わりだ。命があるだけラッキーだと思わせる程の徹底したトラウマを植えつけられる。広重は肉体的暴力だけに限らず、精神的暴力も使いこなす。それは言葉にするのも悍ましいものばかりだ。特に彼の細い目の事をからかう発言なんかしてしまった日には、少なくとも、広重と同じ県内に身を置く事は一生出来ないと思った方が良いだろう。
「広重」
「お休みの所悪いね。マツタケちゃんがさ、ケイちゃんも呼んだ方がいいって言うもんで」
そう言いながら広重は両手の人差し指で向かいの席に座っているマツタケを指差す。
「いいよ。暇だし。で、何なの?」
「俺も分からない」
「は?」
「コスモが今受信中だから」
「ああ、そう」
広重はちらりとすぐ傍に座っている一人の生徒に目を向ける。
コスモは背筋を直角にピンと伸ばし、上を見上げ口をぱくぱくと動かしている。まるで水槽の上から投げ込まれた餌を啄む金魚のようだ。
「マツタケ、どういうつもり?」
「コスモなら分かるかもしれない」
代わりに答えたのは広重だった。
「分かる? 何が?」
「今回の自殺騒動」
「なるほどね」
目には目を。毒には毒を。常識外れには常識外れを。今回の件は確かに僕らなんかの一般常識的な脳みそでは太刀打ち出来ないだろう。でもコスモこと、夜見零
ならあるいは、常識がない代わりにそのぶっとんだ頭で、答えが見つかるかもしれない。
広重いる所にコスモあり。必ず広重の傍にはコスモがいて、コスモの傍には広重がいる。
小柄で丸眼鏡をかけたおかっぱ頭の少女と、見た目優男の極悪不良の絆の理由が恋愛なのか主従なのかも知らないが、片方が欠ければ何らかのバランスが崩れるのだろうというのが皆の憶測だ。
コスモは高校生にしてIQ200を超える超天才児で、まっとうに常識を持ちあわせ生きてさえいれば、絶対的な将来が保障されていた。けどコスモは少々頭が良すぎたせいで、この世界を生きるという事についてはひどく不器用だった。
例えば、人は歩く時に足を交互に前に出す。右足、左足、右足。普通そんな事に疑問は抱かないし、考える事もない。でもコスモは違う。どうして今自分は右足を出したのか。そして次に前に出す足は左足であるべきなのか否か。そんな考える必要のない事にまで脳が作用してしまうのだ。
テストはいつも白紙で提出。理由を問い質されると、この星の水がいつなくなるか気になって計算していたとか将来的には重要だろうが今それをするかといった事に頭を働かせておきながら、後日自作の答案用紙に答えをびっしり埋めて、「これ先日のテストの答えですよろしくです」と突きつけるのだ。テスト終了直後に問題用紙なんて回収されてるし、物理的に確認する手段なんてないのに、頭の中に保存しておいた問題用紙を見ながら答えを書き連ねてくるのだ。だったらその時答えて、テスト終わってから水の事なんて考えればいいのに。と僕は思うけど、コスモはそうは思わないらしい。
そんなぶっとんだ発想や行動が、この惑星ごときでは納まりきっていないという意味合いで、広重が宇宙を意味するコスモと呼んだ事からそれが皆に浸透していった。
コスモは受信を終えたのか、パクつかせた口をきっと結び、鞄から取り出した鉛筆とノートに物凄い勢いで何かを一心不乱に書き始めた。
「へーこりゃまた」
広重が呟きながらコスモの手元を覗き込む。コスモの向かいに座るマツタケもじっとコスモの鉛筆の動きを見つめていた。気になって僕もコスモの傍に近付く。上からコスモのノートを覗き込む。
「うわっ……」
意志に反した情けない声が口から洩れた。簡単に言えばドン引きだ。それ程までにノートに記された内容は異様だった。
【死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね】