―5.模擬聖戦(シャーム・クルセイド)ー
模擬聖戦開始のブザー音が鳴ると同時、角田は体格に似合わない素早い動きで翔との間合いを詰める
そして勢いよくハルバートを振り下ろすと凄まじい轟音が鳴り響いた
翔は素早く左前方に飛ぶことで直撃を回避したが、わずかに反応が遅れてしまい、右頬を薄く切れてしまった
ギャラリーの大きな歓声を聞き自分の居た場所を振り返ると、地面には直径1メートルの大きなクレーターが出来上がっていた。その形状を見るに人間の体を容易に粉砕できるほどの破壊力である
しかしその光景にとらわれている暇もなく、角田はさらに目にも止まらぬ速さで、上下左右から斬撃を自在に繰り出してきた。
(この速度と正確さは目を見張るものがあるな。なんといっても本来重装備であるハルバートをまるで棒切れのように扱う様はさすが学内トップクラスの腕前ということか)
翔は冷静に分析しそれらをすべて紙一重で交わすと、涼しい顔で開始状態と同じ間合いをとることに成功していた
「よくぞかわした。主は相当な腕前だな」
賞賛の言葉とは裏腹に、翔の右頬の傷をみると口元にうっすらと笑みを浮かべていた。角田はまるで獲物を狩る興奮を隠しきれていない。まるで鋭い牙をむいた虎が今にも飛び掛りそうな様子である
「お褒め頂きありがとうございます」
そんなことは微塵も思っていない様子で、いまだに抜刀はせずに自然体の状態で翔は返事をした
「ほほう、ならこれはどうかな?」
不気味な笑みを浮かべ、ハルバートを胸の前に突き出すと、生命の宝玉から甲冑の色と同じ真紅の輝きを放ちハルバートは炎に包まれた。それを壁に叩きつけると同時に爆発音が鳴り響き、その爆発と発生した衝撃波によって壁は無残に爆散した
「俺の月の魔術は爆轟。この灼熱地獄にたえられるかな?」
模擬聖戦は1対1の決闘方式で行うのが一般常識である。
基本ルールは武器と魔法の使用は自由で、仮に攻撃を受けたとしても魔法治療士が迅速に対応できる位置ですぐに待機しているため致命傷などの心配はない。また審判は3名おいずれも上級の月の使者であるため、危険と判断された場合にも迅速に対応できる。そのため安全に決闘が行えるのである
勝利条件は聖戦毎に変更されるが、基本的には
1.対戦相手が身体的戦闘不能になること。もしくはギブアップ
2.対戦相手の月装を破壊すること
この2つのいずれかを満たすことができれば勝者となる
月装とは、自分の武器や鎧などを魔法力によって練成された武具のことである。これにより通常では考えられないほどの攻撃力、防御力を有する。その効果は魔法力によって左右され実力が高い者ならば、剣を一振りするだけで大地を斬ることが可能であり、対空ミサイルが直撃しても怪我はおろかかすり傷ひとつ負わないほどである。そのため月装を破壊することは同時に聖戦において死を意味するからである
角田のハルバート(通称、焔戟)は角田の魔法力によって周囲には炎を纏っている。これを一撃喰らえば相手の月装を爆発とともに粉砕し、上手くよけたとしても轟く衝撃波によって深いダメージを受けることとなる。この高範囲の攻撃に焔戟という長柄武器が加わることでさらに広範囲に攻撃することが可能となった。この超広範囲の火力とそれを巧みに扱える角田の戦闘能力こそが上位ランクを有する最大の理由である。その圧倒的な姿から彼は炎帝の二つ名で呼ばれている
この完全ともいえる戦法を前に、翔はひたすらに避けるしかない。斬撃を紙一重で避け、その場から急いで跳躍して衝撃波から逃れる。これの繰り返しである。しかし、このままではジリ貧である
いつ当たるか分からない絶体絶命の状況といっても過言ではないのである
無論ギャラリーのほとんどが翔の敗北を確信していた。「これはだめだ」、「所詮こんなもんだ」、「前のはまぐれだった」などと翔に対する野次があちらこちらからあがっていたが、それでも夕実と響はなにをいわずこの戦況をみつめていた…この二人だけがこの状況に安心していた
周りが変化に気づきはじめたのはそれから数分後だった
そのうち一撃が入ればすぐに終わるだろう。そう考えていたギャラリーは今の状況を見て驚きの色を隠せていなかった
なぜならすでに十分以上は経過しているにもかかわらず翔はこの状況で初撃以来、一撃はおろかかすり傷さえひとつしていない。すべてを紙一重にかわし、回避しつづけている。さらに驚くべきことに彼の生命の宝玉は何色にも発光していないのだ
つまり―この数々の爆発と衝撃波が入り乱れている状況を月装なしで戦っているのだ。こんな状況で一撃喰らえばいくら魔法治療士がいるとはいえ、致命傷は逃れられないだろう
そんな無謀という言葉では足りないほどの暴挙をしているのにも関わらず…
当たらない。当たらないのだ。
やがて角田の動きが鈍くなる。顔には大量の汗。爆轟の連続使用で魔法力が急激に減少し消耗しているのが一目で分かった
対する翔は息ひとつ切らしておらず、いまだに武器を構えていない。まるで開始から様子が変わっていないのだ
角田はこの異様な状況が信じられなかった
(なぜだ、なぜまったくあたらない!)
いままで回避が得意な相手とは何度も対戦してきたが、あんなにギリギリで避けているレベルならば、いずれ衝撃波などでダメージが蓄積し、最後は焔戟の餌食となっていたが、今回はどれほど爆轟を使用しても直撃はおろか衝撃波すら当たらないのだ。攻撃は遅くはない。むしろあれだけの速度で扱えるものは他には数えるほどしかいないほどである。攻撃を繰り出せば繰り出すほどまるでこの空間に自分ひとりしかいないような感覚に陥っていた
角田は一度冷静になるため息を整えた。翔の身のこなしと回避手段を思い出していると、恐ろしい仮説が脳裏をよぎった
(ま、まさか…わざと紙一重で避けていたのか!?)
もし、相手が簡単に避けることができるとわかっているならばおそらく角田は別の方法で翔と対峙していただろう。その方が勝率は格段に上がる
しかし、もし当たりそうな状況ならば…特に角田のような広範囲可能な攻撃であればなおさら当たるまで同じ攻撃を繰り返すだろう…その状況を作り出すために彼は初めの接触でわざと右頬に傷をつけられたのだ
思えば自分の爆轟、相手は下級生、自分の実力…すべてに対し驕っていたのかもしれない。自分よりも年下、しかもかの有名な「落第生」の彼に負けるはずがないと相手をどこかで見下していた。その彼はこの状況で的確に相手を分析し自身の性格までもがすべて見極められていた
その事実に到達したとき、自分が恥ずかしくなった。唐突に角田は構えを解き翔の方を向き、深々とお辞儀をした
「主を勘違いしていたようだ。本当にすまない。今から俺の持てる全力で主に挑む」
そう謝罪すると再び焔戟構えた。その姿は先ほどまで消耗しきっていた表情はなく、凛とした表情、堂々とした風格を漂わせて信念をもっとその瞳は一人前の守護者そのものであった
(こんなにも立派な先輩がいるのなら、俺が強行策をとらなくてもなんとかなったのかもしれないな)
角田の姿に翔はすべてを悟り、初めて上級生を尊敬した。そして先ほどの角田同様に今度はこちらから深くお辞儀をした
彼の誠意に答えるべく、この聖戦で初めて翔は両腰の小剣を抜いた。そしてそれらを逆手に持ち、腕をクロスする。腕輪をこすり合わせるようにカチッと音を鳴すと、生命の宝玉は白く輝きだした
その光景に、その場にいる誰もが驚愕した。彼は今まで自分の生命の宝玉が光るところを学校で見せたことがなかったのである
本来ならこの聖戦でも使用する気はまったくなかった。しかし、あれだけの男気を見せられてそれに答えないほど冷めた人間ではない。それに初めて聖戦が楽しいと感じさせてくれた先輩に全力で向かうことが今できる最大の恩返しであると決意したのである
この赤と白の輝きに包まれる中、誰もが息をするのを忘れ、誰もが瞬きするのを止め、誰もが時が来るのを待っていた。勝負は一瞬で決まる、この会場の誰もがそれを知っていた
先に動いたのは角田である。身に纏った炎をすべて焔戟に込め、先端の刃の部分に凝縮し、全ての魔法力を注ぎ込み、袈裟斬りを放った。振り下ろされた紅蓮の斬撃が翔の体に触れたと思った瞬間、翔はクロスしていた構えを解いた…
ほんのコンマ何秒かの瞬間の後、翔は角田の背中から約1メートルも離れたところに居た
その一瞬でなにが起きたか…会場にいるほとんどはわからなかった。しかし、誰も声をあげることができなかった
「…まさか俺の爆轟の爆発も、衝撃波も全て斬り伏せるとは…」
「俺の腕輪を光らせたのはあなたが初めてですよ、健吾先輩」
静寂を切り裂いて、二人の声だけが響いていた。お互い顔は見えない位置だが、どちらも笑顔であることは感じていた
「そうか…それが主の月の魔術…高速移動といったところか…」
「…おやすみなさい、今まで一番楽しい聖戦でしたよ」
「見事だ…「新月…」
翔の二つ名を呼ぶと同時に、健吾の焔戟は刃の部分もろとも砕け、身に着けていた真紅の甲冑も細かく破壊され自分の身から離れていくのを感じながら健吾は意識を失った
もう一度健吾に対して深くお辞儀をすると、会場を割れんばかりの拍手と歓声が包み込んだ
最後に、勝利者の名前を挙げられもう一度大きな歓声があがったが、そんなことなど気にしないでその場を後にした
すでに翔の頭には次の「約束」である夕実との夕飯の買い物のことで頭がいっぱいであった