王位の継承
薄暗い午後の光が、城の古びた窓から差し込み、部屋の隅に長い影を落としていた。
俺は、ベッドの上にゴロゴロと転がりながら、天井の梁を見つめていた。
埃っぽい空気が鼻をくすぐり、遠くから聞こえる城下町の喧噪が、ぼんやりとした心に染み入る。
体は重く、まるで鉛のように沈み込んでいた。
ルキア嬢の告白、アルラ嬢の訪問……すべてが頭の中で渦巻き、息苦しい不安を掻き立てる。
「はぁ…最悪だ。ルキア嬢だけでなく、あのアルラ嬢にまで目をつけられるとか…」
そんな声が部屋に虚しく響いた。
心の中では、逃げ出したい衝動が湧き上がる。
執爺が部屋に入ってきて、いつものように穏やかな視線を向ける。
彼の白髪が、窓からの光で銀色に輝いていた。
「そうですね。それより…あの情報もバレかけているようですしね」
執爺の言葉に、俺は体を起こした。
心臓が少し速く鼓動を打つ。
あの魔法戦争の件――。
俺が10歳の頃、大国同士の争いに巻き込まれ、父の静止を振り切りたった一人で戦場に立った。
でも、それはごく一部しか知らないはず。
外に漏れれば、三大国が俺を放っておかないことは分かっていた。
「…だな。まぁ、100%確信があるってわけでもなさそうだけど。もしバレたら…それこそ…もっと面倒なことになるしな」
俺はため息をつき、再びベッドに倒れ込んだ。
魔法戦争の記憶が、フラッシュバックのように浮かぶ。
血の臭い、叫び声、目の前で惨劇を繰り返された。
あの時のことをいまだに夢で見る。
結果的に…国を守ることは出来たが、それ以降俺は魔法が怖くなった。
「あーだるい。これからどーすっかな…」
そんなことを呟きながら、外を眺めていた。窓の外では、城下町の人々が穏やかに暮らしている。
市場の賑わい、子供たちの笑い声。
この平和が、俺のすべてだった。
それから、少し気分転換に部屋から出て、メイドのメイが通りかかったのを見計らって、後ろから近づいて、スカートをめくってみた。
彼女がため息をつく。
「おぼっちゃま…なんですか?」と、ゴミを見るような目で見つめられる。
「いや…どんなパンツを履いているか気になりまして…」
「…はぁ…本当にどうしようもない人ですね」と、怒られたのちに、執爺に呼ばれる。
廊下の石畳が、足音を冷たく反響させる。
「…ユーリ様が呼んでおります」
父の名前に、俺の心が引き締まる。
それから一人で父の寝室に向かう。
その途中で昔のことを思い出していた。
◇十数年前
その頃から三大国は争っており、その争いが最も激しかったのがこの頃だった。
しかし、この国は僻地にあり、三大国のどの国の加盟国でもなかったが故に、ここまで戦果が飛び火することはなかった。
そんな5歳頃の春の日。
城の庭で、母と父と三人で過ごしたピクニックしたのを覚えている。
母は金色の髪が綺麗な女性だった。
いつも、風に揺れて輝いていた。
母さんはいつも優しく、時に厳しく、そして何より争い事が大嫌いな人だった。
「ユラン、喧嘩はだめよ。みんなが笑顔でいられるのが一番。そしたらもっと世界は平和になるの」と、俺の頭を撫でてくれた。
そんな母の横に父が座り、大きな手でサンドイッチを3人で食べた。
「ほら、ユラン。お前の分だぞ。今日は特別に、蜂蜜をたっぷりかけてやったぞー」
父は俺だけでなく誰にでも優しくて、国民から愛される王だった。
他国の王のように威厳を振りかざすのではなく、親しみやすく、何かあればすぐに声を掛けていた。
そんな優しい家庭で俺は育った。
父も母もこの国が大好きだった。
だから、俺もこの国が好きだった。
「この国の人はみんな家族なんだ。だから、もしお父さんに何かあったら、お前がこの国を…この国の民を守るんだぞ」
父の声は優しく、それでいて力強かった。
でも、そんな幸せは長く続かなかった。
母の病気が発覚したのは、俺が6歳の時。
寝室で、母はベッドに横たわり、弱々しい笑みを浮かべていた。
病名は急性魔法中毒。
この世界では難病と言われており、具体的な治療方法は確立されていない病気だった。
通常であれば、魔法により痛みの軽減や病気の進行を遅くすることができるのだが、この病気にかかると、魔法による治癒は一切効かなくなるため、薬でしか治療することができなかった。
日に日に弱っていく母を…俺は間近でみていた。
「ユラン、泣かないで。お母さんは、いつもそばにいるから」
病床の母は俺の手を握りしめて、よくそんなことを言ってくれた。
父は王としての仕事をしながら、可能な限り母の側にいた。
そんなタイミングで魔法戦争の戦果はこの国にまで及ぼうとしていた。
もう戦争は避けられない状況だったが、母は最期まで「戦争なんて、絶対にだめよ」と父に言っていた。
しかし、それから間も無くして母が亡くなった。
その後、魔法戦争は激化して、我が国にも三大国のいずれかに加盟するように圧力がかけられていたが、父はそれを拒否し続けていた。
しかし、俺が10歳の頃…痺れを切らした三大国の傘下の国が独断で俺たちの国に攻撃を始めた。
この国には魔法学校はないため、国民は魔法を使うことが一切できなかった。
防戦一方で目の前で国が崩壊していく中、この国では俺と今より少し若かった執爺だけが魔法を使うことができたため、彼らに対抗ために城を飛び出そうとしたところで父に止められた。
「待て!ここで手を出せば…この国も戦争に巻き込まれる!」
「でも…!じゃあ誰が守るの!」と、無抵抗にやられていく国民たちを指差す。
「…それは…」
「あの人たちも…家族なんでしょ!」
そう言い残して、俺は城を飛び出し、そして10歳の子供がたった一人で、特級魔法師率いる魔法軍を壊滅させたのであった。
のちに聞いて分かったことだが、
「ごほっ…急に呼び出して…すまない」
父の声は弱々しく、俺の胸を締め付ける。
俺はベッドの隣にある椅子に腰をかけると、父の手を握った。
前よりずっと冷たく、細くなった手。
「どうした?」
すると、父はゆっくりと息を吐き、目を細める。
「…多分、私はもう長くない」
病床に伏せてから初めて、そんな弱気な言葉を聞いた。
父はいつも強かった。
いつも豪快笑って、母が亡くなった時でさえ、俺の前では泣くことがなかった。
大国への加盟を強制させられた時でさえ、俺に「王というのは諦めないものだ」といい、この国が安定しているのも父さんのおかげだった。
結果的に他国からは色々と嫌がらせをされ、父はダメな王と呼ばれ、その息子である俺もダメ王子なんて呼ばれるようになっていた。
けど、誰になんと言われようと、俺は父を愛していた。
そんな父が…。
「そんなこと言わないでよ。執爺にも腕のいい医者を探してもらってるから。医者さえ見つかれば、すぐに特効薬だって…」
「よせ。この体で、この心で延命したとしても国のためにはならんことはわかってる。だから…王位をお前に譲る。…本当なら、王のあるべき姿をもっとちゃんと教えてやるつもりだったのに…」というと、咳き込み始めて、その口からは血が滲む。
「父さん…!」
「…大丈夫だ。…結局、私はお前に何も与えてやれんかった…。それどころか、国のためとはいえ、あの時僅か10歳のお前に頼る羽目になって…その結果…お前は…」
「違う!あれは…俺のせいで…」
「それを止められなかったのは私だ。…お前のことを頼んだというアルカとの約束すら、果たせない。王…どころか、父親としても未熟だった私を…どうか許してほしい」
父の言葉が、心に突き刺さる。
「…わかった。王位は継承する。その代わり、母さんに申し訳ない気持ちがあるなら、最後の最後まで生き続けてほしい。諦めないでほしい。最後の最後まで生きたいと思って、俺たちを思ってくれた母さんのように」
それは残酷な言葉だと、自覚していた。
父はもう精一杯やってくれた。
自分の人生を賭けて、この国を守ってくれたのだ。
そんな優しい父が、母の死後、どれだけ苦しんだか。
そんな父に、まだ頑張れと言う俺は、息子失格だ。
でも、それでも父には生きていてほしかった。
これは俺のエゴだ。
1分、1秒でも長く……。
母は最期、父にこう言った。
「生きて、ユランとこの国を……」
父さんは立派に守ってくれた。
俺のことも…この国も。
すると、父の目から涙がこぼれ落ちた。
人生で初めて見る、父の泣く姿。
頰を伝う涙が、ベッドのシーツを濡らす。
父の肩が震え、咳混じりの嗚咽が漏れる。
その姿を見て、俺も堪えきれず涙を流した。熱い雫が頰を伝い、父の手を濡らす。
部屋に、静かな泣き声だけが響く。
父と俺、二人の涙が、幼い頃の思い出を繋ぐように。




