第三話 梅雨
学生寮に奇妙な噂が流れたのは、凱旋休暇の余韻も終わりつつある初夏のことだった。
梅雨が明けたからといって、そうそう暑くはならない井川の町に、一足早い幽霊が出現するというのだ。
出身の民族や国家がバラバラな国連学園内で、統一的な見解の幽霊が出たといわれるのだから、かなりポピュラーなイメージだと思う。
そんな話をチームに持ち込んだのは、広報部の田所=洋行さん。
チームのほとんどがレクリエーション室で物好きな事に、わざわざ浴衣姿に着替えて「温泉卓球」を競っていたときのことだった。
浴衣のマークは、ちゃんとUN印だったりする。
「で、詰まる所、ヨーコはどうしたいんだ・・・いっ!」
入魂のスマッシュを打ち込むマクドナルド=尼崎の神経は、正面の黄に向けられていた。
「 ん。」
なんの気負いも無く返す黄。
すべての衝撃を吸収したかのような、ゆったりとした返球に、マックはタイミングをずらし空振る。
「おっし、これで黄の優勝!」
「流石は中国出身!!」「でも、リョウはぼろ負けだったぞ。」「リョウは日本人。」「ああ。」
わーと盛り上がる中、緒戦敗退をした洋行さんは、ちょっと大き目の声で言う。
「真面目に聞いてくれってば。」
ふと、皆の視線が洋行さんに行く。
「だから、ヨーコはどうしたいんだよ。」
ちょっと荒々しくJJが声を上げる。
「噂は知ってる。 銀髪で真っ白な肌の何者かが、夜の学園を徘徊しているって奴だろ?」「おうおう、そう言えば、最近夜のデートをしている奴等の後ろから現れては、何やら呟いて去って行くって奴だろ?」「え? 俺の聞いた話じゃぁ、木にへばりついて男子寮に向って吠えているって話だぜ。」「いやいや、俺の聞いた話では、夜散歩している男子生徒の背後から抱きすくめる、連続痴漢幽霊だと言う話が・・・・」「美人だったら嬉しいなぁ」「幽霊って、男だって話しだぜ。」「げぇ、幽霊までゲイなのか、この学園は」
喧々囂々と、どうでも言い話を続けているのも当然。
開けたと発表があった割には、いまだ梅雨の気配を残した天気が続いており、皆ストレスが溜まっているのだった。
程度よく降る雨を喜んでいたのは初めのうちで、いまでは雨への意識が悪くなっているとか。僕などは結構雨が好きで、音が吸われて行く感覚がたまらないのだけれども。
半ば意地になって話していた皆が、再び洋行さんの方を向く。何となく目が血走っているような気がする。
「で、ヨーコ。どうしたいんだい?」
優しく聞いているが、結構雰囲気はささくれ立っていた。
「いや・・・その・・・・、その幽霊を見物に行かないかな、と・・・」
消え去りそうな声の洋行さんに、皆は答えた。
「よっし! 面白そうだ!!」
要するに、みんな閑なのだ。
早速車座になろうとするチームであった。
いざ行こうかと言う話になったその時に、単に幽霊を見に行くと言うのでは面白くない、と言い出したのはベルナルド。
母国では有名なサイ・ファイファンだたっというはなしだ。
ではどうするかと言うと・・・。
「なになにぃ? 幽霊の正体を見極め、科学的な立証の足がかりにする、だと?」
ずいぶん説明的な台詞だったが、JJも短時間に用意された計画書を読んだだけなので当然だろう。
その計画書には、使用器材と仮受け先・校内使用許可証の申請・消耗品の入手先・更に言えば映像化して学園祭への出展まで書かれていた。
作戦についても詳細なプランが、5・6通り作成されており、なんとも手回しの良い事だ。
「で、この作戦計画書にある『囮A(確定)』と『囮B・C(交渉中)』っていうのは誰のことだい?」
思わず僕はそう声を上げると、ベルナルドは嫌な笑いをした。
「囮A(確定)は当然リョウだな。」
さも当然そうなその言葉に、ちょっと僕もむっとする。
「何で当然なんだよ。」と間髪入れずに切り返す僕だったが、周囲の皆は肯いていた。
「で、リョウが囮にとなれば、必ずOKが貰える人が二人。実はもう連絡済みなんだ。」
と、ベルナルドがレクリエーション室の入り口を開けると、そこには無心にジャンケンをしているイブとレンファの姿が有った。
「な・・・、なにしてるのかなぁ、二人ともぉ。」
思わず呟く僕に、瞬間の勝利を得たレンファが微笑む。
「もちろん、こんな面白いことに加わらない手はないわ。」
悔しげに、自分の出した「チョキ」を見つめるイブも言う。
「今度は私たちも呼んでくれるんでしょ? チームだし。」
自らの手を見つめる美少女二人を加えて、作戦会議か深く行われんとしていた。
「こんちわー、サーモグラフィーを借りに来ましたぁー。」
「ちわー、録画デッキを拝借しますぅ。」
「どもー、紫外線投射機を拝借しマーす。」
「学園長からの許可を取り付けました、メインホストマシンへの直接回線をお借りします。」
「あ、どもども、・・・ええ、そういうことで、はい、では衣装の貸し出しの件は・・・ああ、はいはい、勿論交換条件の件は、はい、では。」
「・・・はい、教授。 勿論この研究結果が外に漏れることはありません。単なる応用技術としてこのマシンがお借りしたいだけで・・・。はぁ、その辺は本人に話してみますが・・・。確約は出来ません。・・・それでも良い、と? はぁ。」
学園狭しと走り廻る男達の影が囁かれる様になったのは、作戦会議の翌日からだった。
全く事情を知らない人間から見ると、なにかまた事件が起きるのかと、期待のこもった視線を向けないではいられない。
事情を知る僕たちも、余りの大袈裟な器材群に当惑しつつも楽しんでいるようだった。それは一足早い学園祭の準備のようにも感じる。
かく言う僕も、学園狭しと走り回った。
「で、これですべてだね。」
既に僕ら専用のように扱っているレクリエーションルームに、機材を運び込んだ。
山のような器材を目の前にして、黄がそういった。
「しっかし、こんなに必要なんかい?」
そういう声も聞こえないでもない。
全て学園の器材なので、生徒である僕らに使用する権利があるのであるが、山となった器材の全ての使用用途が解るかと言うと疑問だ。
手持ちのチェックリストを見てみて、実際の器材を目にしても、本当に必要なのか疑わしい。
「この、遠赤外線カメラと赤外線照射装置は余計なんじゃないのか?」
「でもでも、サーモグラフィーには出ないけれども、実像撮影されたって過去の事例もあるし。」
「じゃぁ、このウィグと制服は何だ?」
「変装用だよ。」
「なんで? 何で変装する必要があるんだ。」
「だって、レンファもリョウもかなりの有名人だぜ。良いのかい? 深夜のデートの噂が広まっても。」
ふっと寒気を覚えて背後を見ると、イブがニコニコとしてこちらを見ている。
ちらちらと手を振る彼女の発案らしい。
「いや、ほら、いいのかと聞かれても・・・」
「あら? 私と噂になるのが嫌なのかしら?」
不意にぼくの後ろから抱き付いてきたレンファと、正面のイブの視線が絡み合っていた。
「ゴシップのネタは少ないにこした事はないわ。」
「あらあら、ゴシップはいやねぇ。でも真実なら歓迎よ。」
いつに無い刺の付いた言葉の応酬に、ぼくは思わず口を挟んでしまった。
「ほ・・・ほら、文化祭での発表は実名が分からない方が面白いし・・・。」
それを聞いた瞬間、二人はキョトンとした顔をしていたが、同時にイヤーな笑顔を浮かべた。
いままで反目の絡み合いだった視線は、いまや共闘の同士の視線へと変わっていた。
まさに絶体絶命の危機が口を開いた事に、僕は気付かなかった。
「いやいや、しかしこれだけの器材を、しかもただで使えるなんて、夢のような所だな、学園って。」
冷や汗を拭いつつ、僕が言うと、皆は「え?」と言う顔になった。
「な、なに?」
「ぜんぜんただじゃないってば。」
「なに?金を取られるのか?」
「そうじゃなくて、各研究室共に、器材の貸し出しの交換条件を出してきているんだよ。」
「はぁ?」
あまり気にしなかったのだけれども、これだけの器材をいろんな研究室から借りてきているのだから、それなりの条件が加わったらしい。
確かに学園生徒である僕らに器材の使用権利はあっても、優先権は研究室などが持っているのだから、完全にただと言う訳にはいかないのだろう。
色々と細かな条件だった為に、目で解るようにと書き出してみた。
まず最多数だったのが、研究室へのデータ提出と器材の無事な返還。
かなりマニアックな器材が多い為に、研究室での運用例が少なく、フィールドでのデータも欲しいとのことだった。
次に多かったのは、このお祭り騒ぎに参加させろと言うもの。
調整休暇も終わり、夏休みまで大したイベントが無い為か、皆暇を持て余しているのが如実に解る。 しかし、無意味に人員が多くなっても、しようが無いので、その件に関しては遠慮してもらった。
「なんだよ、この、学園祭美人コンテストへの出場依頼って言うのは?」
僕の疑問に、黄が答える。
「ああ、変装用の道具を借りた際に、どうしてもと頼まれた。」
「黄、おまえなぁ・・・。」
「いいじゃない、絶対入賞間違い無しって身内もいるんだし。審査員も身内にいるし。」
と、黄は変装用の鬘等をいじっている、イブとレンファを覗き見る。
すると二人はガッツポーズを決めて見せる。
そういえば黄も、審査員の権利を腹立たしい手段で手に入れていた。
「・・・なる程な。」
「それに、今年一番間違い無しのダークホースも用意しているしね。」
「だれ? そのダークホースって。」
「秘密。」
こそこそと漫才モドキの受け答えをしている所で、真っ先にコンピュータ類の接続にかかった洋行サンたちが歓声を上げた。
「オッケー! これで学園のメインサーバーに繋がったよぉ。」
おおーと皆がどよめく中、リーガフがそれに近づく。
「ヨーコ、それからローカルホームページのリンクって出来る?」
「出来ますよ、簡単に。」
というわけで、進行状況についての詳しい状況について知りたいと言う申し入れについても、ホームページを開設し、随時報告と実況映像を流すことにした。
ホームページの開設については、殆ど洋行サンたちにこの場で一任してしまっている。
今回のお祭り騒ぎでメインとなっているベルナルドは、まるで授業担当教授のような厳めしさで交換条件表を見上げている。
列記された要望項目は、全部で223件。
同一傾向にある要望は一括りとすることにすれば、その数は56件に減るものの、その数は馬鹿にならなかった。
「・・・次に多かった『人員参加をさせて欲しい』『収集結果を独占させて欲しい』『@@を通常学科終了後に引き渡せ』等の要求は全て突っぱねました。」
言葉を引き継いだのはリーガフ。
物静かな彼は、かなりサイファイに強いことが今回発覚。
やはり理系文系問わず、SFって共通趣味なんだなぁ。
更に事務能力・交渉能力の強力さは目を見張るものがあり、今回学園の交渉窓口と丁々発止を繰り返した姿が噂になってか、「@@を通常学科終了後に引き渡せ」という要望の多くは彼に向けられたものだった。
もちろん、イブとレンファを、と言うものを抜いての話だけれども。
「で、一応、今やらないといけないお約束を先にしようよ。」
と声を掛ける僕に、ベルナルドは肯く。
「で、早急に処置すべき点は・・・。」
そういって彼が丸をつけた項目は次の通り。
1. アマンダ研究室への人材斡旋 2名 (男子希望) 期間 一ヶ月間
2. 調理実習 学生講師依頼 要員 2名 (黄+1) 期間 1日 *3回
3. 舞台演劇研究会への協力依頼 要員 6名 (問わず) 期間 作業終了まで
4. デニモ研究室 収集データ又は映像の解析協力依頼 要員 2人(問わず) 期間半月
「アマンダ教授のところって事は、あれか?」
「うん、奴隷」「げー。」「でも、ちょっと興味あるなぁ。」「まてまて。」
「他のものの優先順位は低く、各自授業のついでに行えることなので、記憶していて下さい。」
「じゃ、至急項目の人員なんだけれども・・・」
細かい配置や人員配分が決定されていった。
で、器材の設置と交換条件の消化で忙殺されて一週間。
その間にも幽霊らしき噂が、次第に大きく聞こえるように成り、僕たちはやきもきしていた。
レクルームに特設されたサーバーにも、「はやく結果を出せ」とか「とっとと幽霊を見せろ」だののメールが届くようになってきた。
そんなこんなの週末、どうにか全員の動きが取れるようになり、いざ幽霊見物とあいなったのだ。
「でもさぁ、ホームカメラ程度で済ませれば、なんのバーターも要らなかったんだけれどもなぁ。」と漏らす僕に、ベルナルドとリーガフは「しまった、気付かれた」と言う顔をして見せやがった
やられた、そんな気分で本番を迎えた。
長雨の中日のように晴れた夜空が広がっている。
僕とレンファは、変装をして学園の道を歩いていた。
ベルナルド曰く、「リョウ、お前は妙に有名だから、変装が必要だ。勿論レンファも。」との話だったけれども、なぜ「この」変装が必要なのかの説明にはなっていない気もする。
そっと僕に耳打ちするのは黄。
「外野が一杯いるんだ、変な噂も立ち易い。気をつけるに越したことはない。」
「と、言うことで、こういう事になっている訳か。」
小さく呟くように僕は言った。
「ん、 何か言った?」
長い髪の毛をあっさりと後ろでまとめ、学園の標準男子制服を身に纏ったレンファが僕を覗き込む。
覗き込まれた僕は、困った顔で彼女を見つめ返す。
「金髪ロング、青い瞳の美少女が、そんな顔をしないの。」
苦笑にしても可愛い顔は、多分暗がりでも男には見えないだろうと言うことで、イブ苦心のメイクによって端整な顔立ちの中性人間となった。
「後ろ髪を垂らすだけの、端正な顔つきの美少年は、そんな女言葉はつかわないよ。」
そう僕は今、金髪ロングのウィグを付けさせられ、カラーコンタクトを付けさせられ、学園標準の女子制服を着せられていた。
個人的には、どんなに控えめにも女の子に見える筈も無いと思うのに、なぜかチームの連中には「これならいける」と好評だった。
イブとレンファなど、調子に乗って化粧もしようと言い出した所で、とっととレンファの腕を引いて外に出てきた。
恰好の関係上から、僕の方からレンファに腕を絡ませている。
「ねぇ、出るのってこの辺だって話だったっけ?」
周りに聞こえないように彼女が呟く。
一応、手元のオンエアースイッチを入れていないので音声は向こうに伝わっていないが、僕らには集音用のピンマイクは付いているし、校舎の各所から可動式の遠隔カメラでこちらを見られているので、実際には内緒話など存在しない。
「うん、このへんの・・・あのベンチにいた時に出たって噂が一番多い。」
「じゃ、ベンチにすわりましょ。」
組まれた腕ごと僕を引っ張って、二人でベンチに座る。
目の前の夜空に月が浮かび、煌煌と大地を照らしている。
「これだけ月明かりがあれば、本でも読めそう。」
呟き身を寄せるレンファ。
ドキマギとしている僕の耳に、彼女は囁く。
「・・・もう、もっと擦り寄るの。 今は熱々のカップルなんだから。」
ぐっと抱き寄せられ、更に僕は高まっていた。
そんな事を言われても、この状況で身動きが出来るのだろうか?
僕的には出来ない。
「・・・ なるほど、内気な女の子って訳ね。 じゃ、私は・・。」
ぐぐっと僕を自分に向き直らせて、レンファは顔を寄せる。
「ちょっと強引で、積極的な男の子ってことで・・・。」
「ちょ、ちょ、ちょっと・・・、いや、ほら、さぁ・・・皆見てるぞ。」
「だめだめ、役に入りきらないと。・・・いまは熱々カップルでしょ?」
黒い潤んだ瞳が閉じられる。
ゆっくりと近づく彼女から、えもゆわれぬ良い香りが漂い感じる。
ああ、駄目だ、と何となく思っている所で僕の体は、ぐいっと後ろに引っ張られた。
力強い勢いに、思わずそちらを向くと、幽鬼の如くの雰囲気の男が立っていた。
銀髪で真っ白な肌のその男は、げっそりと頬のこけた顔で、こちらに向って何か呟いている。
メインのビデオカメラで監視をしていた人間たちが色めき立つ。
「で、出たぞ!」
レンファとリョウを監視していた部屋で、ベルナルドは吠えた。
今まで休眠中だった器材たちは、急激に光を取り戻し、色艶やかな記録を吐き出しはじめた。
「電磁捕縛機、始動。」
「なんじゃそりゃ?」
「オオギシ教授の『光線質量化理論』の応用。」
「・・・物質変換?」
「ちゃうちゃう、光線にエネルギー弾性を持たせるだけ。」
「なるほど」
何がなるほどなのかは深く追求出来ない話であった。
6台のビデオカメラ・3台のサーモグラフィー・一台のアクティブパッシブソナーが、一斉にデータを吐き出し始め、カメラからの映像をプロセッサに同時処理させ、遠赤外線カメラの映像が、オーバーラップする。
ディスプレイの表示に「オンエアー」というサインが追加された。
「声拾ってるぞ、・・・肉声っぽいな。」
幽霊がどんな形でコミュニケーションを取るのか、わからなかったので、レーザー監視から電波共振等で、あらゆる監視をしていた。
「フレーム映像、出た。各カメラ正常、サーモグラフィー正常、アクティブソナーモニター正常、処理映像、でる。」
リーガフの言葉とともに、プロジェクターへ再現ポリゴン画像が投射される。
いままでワイヤーフレームによる概念図だった映像に、各撮影要素が肉付けされる。
「電磁・温度・超音波、共に実在の存在であることをしましています。」
学園のホスト経由で渡ったデータを見て、多くの研究室が失望のため息を吐いた。
しかし映像の受像は止まらないし、アクセス数はうなぎ上りだった。
「どうやら、話を聞きつけた暇人が、直接アクセスしているみたいね。」
ネットの管制をしていたイブは、ため息交じりである。
それだけ皆、閑なのだろう、と。
「熱源分布パターン、人間と酷似している。」
「むー、類人猿の犯行ではない訳だな。」
「・・・だれがそんな事を言い出したんだ?」
「人類学のテルサルアー教授。」
そんな馬鹿な会話の中で、集音機をいじっていた洋行さんが声を上げる。
「・・・声・・・、音声取れた、声が出るぞ!」
一時的にデジタルサンプリングされた声が、徐々にアナログ音声に復元されてゆく。
「・・・あれ?」
モニターを見ていた黄は、首をかしげた。
「・・・似ている。」
呟く男の声は掠れていた。
憑かれたように熱に浮かされていて、それでいて絶望したような声だった。
「その顔を、良く見せてくれ・・・」
ゆらりと近づき、僕の顔を「つい」と上に向かせる。
ひび割れた唇から、うめきとも唸りとも判断出来ない音が漏れ、僕の顔に当てられた手に熱が帯びる。
一瞬の危険を感じた僕は、レンファの手を引き、ばっと離れた。
5歩ほど離れた位置で、思わずレンファを抱きしめるよう立っていると、それは幽鬼のようにゆらりと再び近づこうとした。
病的に白い肌のそれは、何とはなしに赤味がかかっている。
ぼくの中で、なにか嫌なことを思い出しそうになるのが解る。
僕は、その記憶を思い出そうとしたが、駄目だった。
絶対に思い出したくない事だと、絶叫にも近い声で頭が否定している。
記憶の奥底に、厳重な封印でロックされている。
「サンプリング成功、照合結果出る!」
取得音声から、過去10年間にわたるデータを解析し、誰に相当する声なのかと、彼らは調べていた。
少なくとも20を超える学園法に引っかかる行為だったが、メインホストサーバーを使用する際に学園長からのお墨付きを貰っているので問題はないだろう。
しかしなぜ学園長は彼らのようなルーキーに、そんな事を許可したのか分からない。
もしかすると、誰かに弱みでもあるのかもしれない、と田所洋行は思った。
刻、一刻とデータ検索が為されている時、ホームページ用回線維持機が悲鳴を上げはじめた。
「だめ。回線がパンクする!」
イブは管制用サーバーを、目にも止まらぬ勢いで操作始めた。
「イブ、回線に制限を!」
「やってるわ!」
リーガフとイブは、まるで喧嘩のような勢いでサーバーに向き合った。
周囲の注目は、メインプロジェクターの検索待ちの画面と、サーバー操作をしているイブとリーガフに注がれていた。
息詰まる数秒の後に、悲鳴が上がる。
「駄目、学園のメインホストが落ちる!」
ホームページ用サーバーを通して、学園メインホストへつなぐ回線の増加のため、プロキシーとなっていた回線維持機が悲鳴を上げていた。
ホストコンピュータからの検索結果が表示されようとしたとき、イブはホームページの回線を一気に落とす。
「回線オーバーよ。これ以上は学園ホストがダウンしちゃう!」
必死の操作の中、演算結果が確定され、中央のプロジェクターからの表示に声が上がる。
恐ろしいまでのデジャヴに、背筋が寒くなる。
そう、遠い記憶の奥底にしまわれた、忌まわしい思いでが引き出されそうになる。
いつか、いつだったか、こんな風に追いつめられたことがある、そう感じた。
僕はじりじりと後退しようとしていたものの、がっちりと僕を抱きしめるレンファのからだは動こうとしていなかった。
「レンファ」
僕の呼びかけに、彼女は軽く嫌々をするように首を振る。
「レンファ!」
僕の強い呼びかけにも、びくともしない。
異常な状況に体が麻痺しているのかもしれない。
意外な弱しさを垣間見た瞬間だったが、そんな事に気を使っている時ではない。
ゆったりと、ゆらゆらと近づいて来る相手が、あと2・3歩という位置に来た瞬間、僕は根性を決めた。
「レンファ、じっとしてて。」
レンファを抱きかかえる左手に力を入れ、抱き寄せるとともに体を反転。
一瞬相手には、僕が彼女を抱えあげて逃げるように見えただろう。
大きく前に出たそれにタイミングを合せ、僕は空いている右手を拳にして繰り出した。
実際にはほんの一瞬のことなのに、拳が相手を捕らえる一撃までが、酷く長く感じられた。
バーちゃんの教えに忠実なタイミングで、十分に体重と腰の回転が頂点に達し、ヒットの瞬間に最大のインパクトを与えるべき拳が最後の瞬間をを迎えようとした。
拳の一部が正面の目標にめり込んだその時、相手が誰であるかを本能的に知った。
「風御門先輩?」
バキッ!!!!
室内で皆が叫んだ。
「Mr.風御門!?」
僕の拳が顔面の強襲。
鈍い音とともにゆっくりと崩れ落ちるその顔は、かなりヤバイ感じにやつれて変貌しているものの、風御門先輩のものだった。
艶やかだった銀髪は、白髪といってもおかしくないような色合いに変化しているのが見取れたのだった。
翌日、雨吹雪の中のような抗議の中、全データを集計した数枚のDVD-RAMを学園長に提出し、僕らは速攻で器材を返しにまわった。
殆どの所へ情報公開を引き換えに機材を借りたのだから、抗議も来ようと言うものだったが、学園長直々の「不問に致せ」との書状を手にしていたので、大してトラブルはなかった。
ぎりぎりまで映像公開をしていたくせに、一番良い所で回線切断などと言う暴挙に出た僕らに対して「やらせ」だの「いかさま」だのの悪評が付いてまわったが、どうしようもない。
あらゆる場所で、色々と聞かれたのだが、全て喋れませんの一点張り。
僕らですらも、他言無用の御達しを学園長から受けているんだから。
彼らは重要なデータを隠匿していると言う講義の声をあげる研究室もあった。
学園長の一喝のよって吹き飛ばされてしまったのは言うまでも無い話だが、後日そのときの学園長の話しを聞く機会があった。
「研究や資料は総合的に処理されるものだろう。ただし、このデータは君達にはまだ早い。いずれ公開の機会が来たら、総合ライブラリーに登録することとしよう。」
いずればらすと言うのだろうか?
その時が来ない事を祈るばかりだ。
あれから二週間。
沈静化した騒ぎの中、思い出したように「交換条件」盾にとられ、僕と黄は料理教室とやらをやらされている。
本格中華な黄は、見事な手さばきで料理を仕上げてゆき、僕はそれを解説すると言う段取りになっていた。
「ソメノスケ・ソメタロウだな。」という独り言は、誰にも聞こえなかったようだ。
そんな時間の合間を縫って、僕らは人っ子一人居ない屋上へ来ていた。
「なぁ、リョウ。実際の所、どうだったんだ?」
屋上で呟くように言った。
「ああ? 風御門先輩のこと?」
「そ。」
「どうやら、どんな名医にも治せない病気らしい。」
「? そんな難病なのか?」
「ああ、少なくとも、現代医学の結集すれば治る可能性も無い訳ではないって言う奴。」「げ、病名は?」
「恋の病」
「・・・・」
そう、誰あろう風御門先輩は、誰だか知らない誰かに恋焦がれるばかりに夢遊病となり、最近夜の校舎内をうろついていたと言うのだ。
現在、本人に許可を受けた上で、学園側が逆行催眠によって証言を取っている。
「じゃぁ、Mr.風御門はリョウに恋するあまりに、あんななっちゃたのか?」
思わずむせ込む僕に、黄はたたみかける。
「美しさは罪だな、リョウ。」
「ば、馬鹿者! 風御門先輩は、休み明けにノーマル宣言をしただろう!」
そう、調整休暇が明けてすぐ、風御門先輩は全校に向けて「非男色」宣言を発した。
今まで付き合いの有った全ての愛人に別れを告げ、想い人に全てをささげると言うのだ。
休み中に何があったかは知らないが、少数の男子生徒の悲しみをよそに、本気で彼は禁欲生活に入ってしまった。
毎朝毎夜の礼拝はかかさず、困っている人には声を掛け、そしてかつての同好のよしみには、異性の素晴らしさとその想いの純粋さを説いてまわっていた。
「少なくとも、あれは本気だな。 休み中に誰が落したのかは知らないけれども。」
料理教室で残った人参をかじりながら、僕は言った。
「ま、彼は本当だったんだろうけれども、本能がそれに追従しなかったって訳なんだろうねぇ。」
ふぅ、と黄がため息を吐く。
「どうした、黄?」
「あのなぁ、リョウ。 実はその恋の病の相手について心当たりがあるんだけれども・・・。」
そう言って、おずおずと黄はMDを差し出した。
「これは?」
「Mrが呟いていた台詞の解析結果。」
「げ、それって学長命令で公開禁止になったデーターじゃぁ・・」
「マスターからも削除してあるよ、内容が内容だしね。」
「げぇ・・・。」
何ともいえない話の展開に、うめき声をあげながら、僕はそのMDを手持ちのプレーヤーで再生してみた。
その瞬間、心底うめき声が漏れる。
「うげぇ・・・・・。」
この内容については封印しようと心底思った。
間違い無く、彼の呼んでいる相手に心当たりがあったからだ。
手っ取り早くそのトラックの消去を操作する僕だった。
「で、どうする、リョウコさん?」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇ!」
軽く黄にボディーブローを決め立ち上がると、黄もそれに続く。
「そうそう、まだ罪な事があるぞ。」
「・・・あ?」
かなり不機嫌な顔をしたままで黄を見たが、彼は全く答えていないようだった。
「あの後レンファに、一緒に居た人間について問い合わせが殺到しているそうだ。」
思わず顔を顰めた僕に、黄は畳み掛けるように続ける。
「かの学園トップクラスの美少女コンビの イブとレンファに迫るクオリティーの美少女は誰か! ってね。」
「黄、きさまぁーーー!!」
「きゃー、リョウに襲われるぅー。」
僕は今日始めて、以前黄が言ったダークホースの意味を知った。
黄め、この世に生まれてこなかった方が良かったという目にあわせてやる!