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第十八話 学園所払い中

はっちゃけすぎて所払い。

これで退学にならないのは学園の目的が教育ではないからです。

奇人変人でも優秀ならOK。


まぁ、ミスターがやりたいほうだいしていたぐらいですからw


 四畳半一間、クーラーつき、風呂トイレ別。

 これが今僕が住んでいる教員寮の部屋だ。

 流れ込んでくる元帥職務一式がなければ、これが分相応の生活という気もする。

 隣の女子寮の部屋はもっと広いそうなのだが、突発的に決まった事だけに文句は言えないし、風呂トイレが付いていて、エアコンまでついているのだから文句も無い。

 ちゃぶ台で今日の授業結果と来週の授業計画書をまとめていると、腕時計がピヨピヨなり始めた。

 ぐっとひと伸びをして立ち上がる。

 そろそろ宿直の、校内巡回の時間なのだ。


 外務研修という単位が今年から開始された。

 学園内でこもりっきりなのは問題だ、知の集約は新たな戦火を生むとか何とかいうどうでもいい理由が上がって来て、実験的に始められたものだ。

 まぁ、凱旋帰郷の拡大版だと見れば間違いないのだが、国連学園学生による準備校への情報漏えいは厳罰に値するので、帰郷とは程遠い。

 実際のところは、全学園を巻き込んだ僕の情報操作が明るみになるにつれ、あらゆる学園法規を超えて研究室への勧誘が激化し、恐ろしいまでのことになっていることに起因する課題であった。

 そぞろやってこないのはアマンダ研・エメット研・ヒサナガ研ぐらいなもので、その勧誘たるや眩暈を誘発するレベルだ。

 最近、学園内の居心地が悪くなってきているので、ひとまず冷却期間が欲しかった僕は、一もにもなくその研修に参加する事にしたのだが、事は結構大事になった。

 まず、僕が普段こなしている元帥府職務がある。

 さらに随行人員を選別しなければならない。

 次に突然短期赴任する職員として不足ない学力が必要になり、最後にはいつの間にか赴任先が同じ人間がチームで占められていた。

 職務事情により僕の赴任先は日本国内になったのだが、行く先が問題だった。

 静岡県の山向こう、長野県の山村、明治大正の昔から続くミッションスクールの最高峰と呼ばれるAEミッシエル女学院であった。

 その女学院、小中高校の一環全寮制生活のうえ付属女子大学があるという超強力な女の園で、学院長以下教員・職員殆どが女性という狂気の世界だ。

 戦後の開明の流れに乗って共学にするという話もあったそうだが、OG連合会の力強い反対にあい、今をもって女学院が続いているそうだ。

 学校の目的や親の目的で考えても、純粋培養のお嬢様が精製される環境なのだろうなぁとため息ひとつ。

 そのため、僕の随行人員の殆どが女性となった。

 シスターとして元帥職務補佐であるクラウディアさん、心理学療養師としてイブ、理数学強化教師としてレンファ、そして僕は外国語指導なのだそうだ。

「実際さぁ、問題ない? 日本人の僕が外国語教育って。」

「この前、研修前に面接があったでしょ? あの時の会話で最も綺麗な発音だったって話よ?」

 レンファの言葉に思わず眉をひそめた。

 それは向こうの学院の趣味にあったということかな?

 会話で人に気に入られるということを考え、パット先生に感謝、かな?


 殆ど男がいないこの学院、全寮制とはいえ一応、申し訳程度には男性施設がある。

 学院施設に隣接した宿直塔がそれであり、学院内にある宿直室がそうだ。

 トイレも風呂もあるが、女性の侵攻はなはだしく、教務関係施設以外の男子施設で死守出来ているのは僕の宿泊室のみというありさまだ。

 とはいえ、侵攻はなはだしい彼女たちも女性という性別から逃れられるはずもなく、警備上の不安を一手に引き受けてくれる存在を必要とする。

 それが学院の男子職員の役目だ。

 というか、僕と用務員のおじさん二人の仕事なのだが。

「じゃぁ、せんせ、三階をお願いいたします。」

 にこやかな微笑みに僕も目礼で答え、三階の教室の見回りを始めた。

 2・3歩足を進めたところで、正面から人の気配が近づいてくるのを感じた。

 多分、斜め前の教室に人がいるのだろう。

 念のために懐からスタービジョンフィルタグラスを出すと、教室の窓からこちらを伺う人影が・・・五人。

(どうしたものか、な。)

 彼女たちは多分、見慣れない男に対する興味と、こどもぽい悪戯心で僕を驚かしに来たのだろう事は間違いない。

 しかし、この時間の彼女たちがこの場所にいるということは、三つの校則と23の寮則に違反している事になる。

 仮にも、教職にいる人間に見つかるのだから、それなりに覚悟してもらわないといけないんじゃ無いだろうか?

 いやいや、まてよ・・・・。

 思い直した僕は数歩あるいたところで、ごん!と何かにぶつかったようなパントマイムをして見せた。

 ぺぺぺっと両手で壁をくって見せて、ごんごんと叩く。

 試案をするポーズ。

 そして結論とポーズ。

 くるりと背を向けてもとの廊下を行こうとした。

「!」

 はっと息を飲み、身を乗り出す気配に合わせて、僕は振り返った。

「今、何も言わずに寮に戻るならよし。・・・私は何もみなかったよ。」

 ごそごそっという気配と共に、ドアから人が離れていった。

 はなれていったが、なぜか一人だけ窓にいる。

 しつこいな、そう思った僕は、今度は何も気にしないでそのままその場を通り過ぎようとして、窓の正面から見た。

 真っ暗な中、驚いたような少女が一人。

『2-B 出席番号13番、神奈川 秀美さん、君は君の思う罰を受けなさい』

 ほとんど学園で無意識に使っている英語、ゆっくりと彼女に言い聞かせるように僕は言った。

 彼女は気付いていない。

 僕がサングラスモドキの所為で昼のような視界を得ている事を。

 彼女が一つの校則を守って、校舎内の制服着用と名札の着用していたことで僕が見ていることを。


 ミッションスクール勤務でありながら、僕は朝のお勤めを免除されている。

 無論、宗教的理由ではなく、学園側で若い男性が彼女らの言うところ、公衆の面前に同席する事を嫌っての事だ。

 若い男性といっても、設定上は24~5歳なので、どのへんに相手の警戒心を与えているかが不明だ。

 僕にしても「キリスト教」系の神様にはあまり馴染みが無いので、どっちでもいい話なのだけれども。

 そんなことを、ボーっと考えながらゆっくりとシャワーを浴びたあと、身支度を整えて職員室に行くと、一人の生徒が学院長の横に立っていた。

 昨日の「神奈川秀美」嬢だ。

 殆ど無視して僕は自分の席に座ると、学院長と少女がすべるように近づいてきた。

 学院長は無言で僕を立たせる。

 何事だろうと様子を見ていると、こほんと咳払いひとつで学院長は言葉をつむぐ。

「みなさん、本日はひとつ良いお知らせがあります。 ここにいらっしゃる外国語指導担当をなさっていらっしゃるミスターイズミに、専任助手をしたいと言う生徒が現れました。」

 思わず僕が学院長を見ると、彼女は「よかったですねぇ。」とばかりの表情だった。

 専任助手とは、授業以外の時間で奉仕活動とは別に学校運営の補佐をする生徒のことで、大概の教師や教員に一人以上ついている。

 ただ、僕の存在自体が学院内で異例中の異例であったため、その制度が有名無実化していた。 が、学院長もそれでよいとは思っていなかったらしく、生徒側に自主的な立候補を求めていたそうだ。

 着任して一週間、全くそのなり手はいなかったそうだが、今日、それが現れたという。

 学院長の横でニンマリと微笑む神奈川秀美。

 奉仕とかそういう感覚とは程遠い表情に見える。

「自制と博愛の心が皆様に祝福あらんことを。」

 アーメンとか何とか始めている中で、見知った三つの視線が僕を刺していた。

 そんなに怒るなよ、僕だって希望したわけじゃない。


 外国語研究室という部屋が僕の常勤場所で、授業時間になると生徒たちがわらわらと入ってくる。

 あと五分ほどで授業開始となるところで、準備室へ一人の少女が現れた。

 神奈川秀美嬢である。

「あ、あの、ミスターイズミ。遅くなりました!」

 びし!と直立するその姿に、僕は声をかけた。

『君は、何故私の専任助手に立候補したのだね?』

 この部屋での会話は英語が基準となるよう取り決められている。

 それを暗に示唆すると、深呼吸をした彼女は言った。

『わたくしは、みずからの罰として、貴方の助手となる事が相応しいと考えました。』

『私の助手という仕事は、そんなに過酷な仕事かな?』

『いいえ、仕事としてはラクだと考えます。ただし、助手として得られる特典の少なさから見れば、罰としての要素が高いと考えます。』

 助手としての得点というのは、専属先での単位確保、成績への奉仕内容の反映、などなど、長期に渡るものであれば極めて有用といえるものなのだろう。

 しかし、短期とわかっている僕への助手は今一価値が低い、というものらしい。

 まぁ、同じように短期であるイブやレンファの元には何人も助手は溢れているというが、そのへんは彼女たちの魅力によるところが大きいだろう。

 昨夜の忠告を彼女は律儀に守ったというところか。

「了解、君が専任助手である事を認めましょう。 本日の君のクラスの授業準備は既に出来ている。準備してあるフリップを順番に渡してくれたまえ。」

 偉そうにいう僕は、彼女も見ずに準備部屋を出た。

 考えても見れば、彼女と僕は同い年なんだよなぁ。



 滞りなく済んだ授業の最後で、ミスターイズミは言った。

『君たちに、己の言葉はあるかね? 何でもいい、これだけはみんなに言っておきたいという言葉が。誰かに伝えておきたいという言葉が。 来週までにその言葉を見つけてきて、そしてこの場で語ってもらおうと思う。』

 この課題は難しいものだろう。

 好きである言葉を好きな理由と共に英語で語る、というものだから。

 ざわつく教室に背を向けて、彼は準備室に帰ってしまった。

 冷笑も怒りも無い、完全な無表情であったが、彼の表情がそればかりではないのを私は知っていた。

 あの夜、新任の冷徹な外国語担当を驚かしてやろうと、用務員のおじ様を巻き込んで校内に潜んでいたのだが、あっさりとばれてしまった。

 さらに言えば、こちらからだって殆ど解らないような真っ暗な中を歩いてきたかと思うと、笑いを含んだ声で自分の名前を言い当てた。

 そのときの声を聞いて、彼女は絶対に彼の笑顔を見たと思った。

 あの整った冷徹な顔に、どんな笑顔が浮かべれれるのか、とても気になった彼女は、ミスターイズミの専任助手に立候補したのであった。

 間近で聞く彼の声は、表情無しでなら心に優しいと思う。

 しかし一旦顔を見ると眉をひそめてしまう。

 極めて無表情で、極めて無感情だから。

 着任して暫くは騒いだ子も多かったが、あまりの冷たい感じに一気に人が離れていった。

 一週間もするうちに、彼の周りには誰もいなくなったかのように見えたが、同時期に着任したミス鈴とミスモイシャンはよく彼の周りで見られた。

 彼女らほどの美貌を持つのだから、冷血漢に付きまとう事は無いだろうにと噂が飛ぶが、私としては別の興味があった。

 あれほどの美女をひきつけるミスターイズミとは、どんな人間なのか、と。



 どうも周囲が不穏だ。

 クラウディアさんは目を三角にして「お若い助手がついてよろしかったですね」とかいっているし、イブもレンファも「若いこにでれでれして・・・」とかいっている。

 おかしな話だが、年齢的には僕も助手殿も同い年。

 若い子もくそも無いだろうに。

 とはいえ、無表情に、周囲を見渡しながら授業を続けるなかで、ある種安堵感をおぼえている。

 学園の中とは違い、愛想もなければ親愛も示さない僕に、関係維持に多大なるコミュニケーションを必要とする女子高生は寄り付かず、極めてクリーンな気分を味わっている。

 勉学に勤しむとはこういう事なのだろうと、思わず頬が緩みそうになってしまった。

 いかんいかん、と黒板に向き合い、そして深呼吸。

『諸君、人でありつづけるならば守るべき規範がある。 それは己が決めたものでもあり神々定めしモノでもある。しかし、それを守らぬからといって火を見るかごときの罰はない。 ゆっくりと心が腐り落ちて行くかのような自分こそが罰となるのだ。 己の心のうちも結構、神が定めし自分も結構。しかし、己に恥じぬ自分でありつづけることを希望する。 』

 気恥ずかしかったので、無表情に小難しい事をいってみると、いささかいつもと視線が違っていた。おかしい、何かと小難しい説教する男というのは嫌われるはずなのに。

 なんだかいやな感じがするので、ちゃっと片手で挨拶をして準備室に去った。

 準備室のテーブルにあるゼファーマのポットを手にした。

 手早くポットに入れてあるコーヒーをついで一呼吸したところで、隣の外国語指導教室が割れるような歓声に包まれた。

 きゃーとかわーとかいう声が何かに恐怖しての奇声じゃないのはわかったが、何のこえだかわからなかった。

 ためしにハックした防火用のカメラで覗いて見ると、少女達が集まってきゃいきゃいいっている。

 中心には神奈川嬢。

「ね、ねね! ミスターイズミって凄く格好いいことおっしゃいますわぁ!」

「そうそう、本当に格好良かったですわ!」

「あーん、うらやましいですわぁ秀美様。あんな格好の良い素敵な方と二人っきりで・・・。」

 む、と自らの顔を鏡で見る。

 ちゃんと大きめの丸メガネはしている。

 おかしい、受けるはずも無いのに。

「いつも無表情になさっているときは、とても冷たそうな方ですのに、授業のときにお話になると、とても心に響く声でいらっしゃいますわぁ。」

 な、なに? おかしいぞ、アマンダ研究室ご推薦の好感度の低い話法を試しているのに!

「とても熱い心を押し隠しているような雰囲気がたまりませんわ・・・。」

 ぬ、つまり話法が失敗しているという事?

 まいった、まいりました。

 思わず僕は頭を書いて天井を見上げると、なぜかそこには見知った顔が。

『ミスズ曹長、ナニをなさっていらっしゃるのですか?』

『勿論元帥閣下の護衛でございます。』

『ここは、全寮制の女の園、危険なぞありませんよ』

『はい、いいえ。先ほどの授業は、とっても危険な授業でした。』

 難しい顔の曹長はちょいちょいと外を指差す。

 そこにはなぜか花壇に隠れてこちらを覗き込む女生徒が数名。

 視線が合うと『きゃー』とかいって走っていった。

『・・・少なくとも、人気が出る要素を排斥して生活しているんですが、どうなっていると思います?』

 つん、とすまし顔になった軍曹は、瞬時に視界から消え、気配も消えた。

「不可解だ。」

 つぶやいた一言は誰も聞いていなかった。


『つまるところ、身についた癖だな。』

 教員寮の一室の、端末の画面でアマンダ教授が面白そうに微笑んでいた。

『癖、ですか?』

『そうだ、癖だ』

 そういうアマンダ教授の横に新たなウインドウが開く。

 そこには僕の正面写真が現れた。

『まず、姿勢だが、数ヶ月ほど行ったあやの日と学園祭のウエイトレス訓練の成果によって、きわめて線の柔らかな姿勢となっている。』

 ぴぴっと音がしたかと思うと、正面写真の姿勢が微妙に変わる。

『さらに、ヒサナガスーツの鋳型効果によって、四肢のバランスが完全に女性型になってしまっている。』

 僕は思わず咽た。

『最後に声だ。 催眠誘導に極めて適した声帯は以前からだが、四肢の補完により耳によくつく声になっているのだ。』

『つまるところ?』

『何をしゃべっていても好感度は時間と共に上昇するというわけだ。 きわめて興味深いので、このまま回線をつないでおけよ。研究するからな。』

 にんまりと笑う教授。

『た、対策は? 対処は?』

『無いな・・・、うん、無い。』

 さくっと軽く否定した後、さらに駄目押しで否定。

 完全無欠の否定に僕はがっくりうなだれる。

『・・・とはいえ私と君の仲だ、ちょっとぐらいは手を貸してもいいが?』

『! いいアイデアですか?』

『無論、全面解決には程遠いが、かなり効果的だぞ。』

 笑顔のアマンダ教授に感謝満載であったが、その笑顔が悪魔の笑みであることに気づかなかった僕だった。


 目新しい数々の発音課題と会話課題を打ち出すミスターイズミの授業だったけど、今週に入って更に異彩を放つ内容になった。

『よい発音はよい姿勢から、よい声はよい面持ちから、よい声はよい交流を生む。』

 流れるような発音で言ったミスターイズミは、教室の前に三人ほどの生徒を立たせた。

 自然にたつ女生徒たちを軽く抑えるように姿勢を正せる。

 ・・・セクハラ、と思ったかれど、触られているほうは神妙なおももちであった。

 思うに任せる罪というものは、思われなければ罪ではないのだろう。

『見据えなさい、行く末を。 貫きなさい、つよき意思を。』

 すっと胸を張った三人の女子は、瞬時にイメージが変わった。

 あたかも神が降りた聖女のごとくに。

『・・・説きなさい、神の愛を。』

 彼女たちは黒板に書かれた聖書の一節を原文で歌い上げた。

 それはどんな聖歌にも負けない感動となって私たちの涙をぬらした。

 発音が素晴らしかったわけではない。

 彼女たちが美しかったわけではない。

 ただ、目で見、耳に届くそれは、信仰を忘れて久しい心に再びアガペイの風を吹き込む。



 アマンダ教授の提案は効果的な結果を生んだ。

 僕が担当した授業毎に数人の指導を行い、簡単な意識誘導の手ほどきを行い、魅力の分散化を行ったのだ。

 散漫で無意識な僕の意識誘導より、賛美歌などの宗教要素のみとはいえ全力で打ち出された意識誘導のほうが力強く、生徒たちの意識を奪った。

 うなぎのぼりかに思えた僕への視線は、一気に歌う少女たちへ向かった。

 そんな報告を回線越しに教授に行うと、豊かな胸を揺らせて教授は大喜び。

「さすが、我が研究室の逸材だ!」

「教授、あたしゃー、どこの研究室にも所属してませんが?」

「少なくとも、お前のチームと一番親交が深いのはうちだと思ってるが?」

 それを盾にして所有権を主張されるのも面白くない。

「うちの催眠誘導を無意識下まで身につけていて、さらにわずか数日で素人に催眠誘導を指導できるような人間を部外者とは思いたくは無いな。」

 ぐっと言葉に詰まったが、ひとまずそれはさておき、だ。

「しかし、すごい威力ですよ、賛美歌。」

 姿勢や発声は指導したが、賛美歌を歌わせてみろというのはアマンダ教授の提案であった。

「まぁ、ミッション系の学校は、基礎生活の中に神が居るからな。最も移ろいやすくて力強いのが神だ。疎ましく思うのも、心のよりどころになるもの神なのだよ。」

 ちょっと自慢げな教授。彼女もまたキリスト系宗教文化圏の人間だったのだと意識させられる瞬間だった。

「まぁ、価値観の薄いジェンダーよりも、絶対的な価値のある神を押さえたのだ。そっちの安全は確実だろ?」

 にこやかな教授に僕も親指を立てて答える。

 それが無茶苦茶楽観的な発想であった事を知るのは数日待つことが必要であった。


 日曜日。

 心の平安日である今日は、実際の宗教的にはどうなんだろうと思う。

 礼拝に行ったり、教会のお掃除をしたりと生徒は大変であるから。

 教師はどうかというと、これも実は大変。

 予習復習に忙しい生徒たちの相手をするために、教師の大半が職員室や準備室に勤務しており、いつ来るとも知れない生徒を待ち続ける義務を負っている。

 まぁ、現実的には午前中全ての時間で礼拝なので、それに参加しない僕は準備室でマッタリしていられるのだけれども。

 準備室備え付けのキッチンで、ざっとご飯を炒めながら口笛ひとつ。

 火力が足りないキッチンだが、ちょっとした工夫でいろいろと料理は出来る。

 こういうときは黄から借りた鉄なべをつかって、ちゃっちゃと焼き物炒め物。

 一気に作ったカニもどきチャーハンとソーミンチャンプルー。

 中華スープの元と香料で作った似非中華スープ。

 同じなべで作るから、結構味が混ざっていて面白い。

 さて、ではでは朝ごはん、といったところで準備室がノックされる。

 料理中はずしていた眼鏡をはめて、僕は『どうぞお入りください』と声をかけた。

 静々と入ってくる女性が学院長であることを見て首をひねる。

 今は礼拝中だよな、と。

「いかがなさいましたか、学院長」

 一応生徒相手ではないので日本語で話しかける。

 礼拝参加中のはずの学院長は、目をウルウルさせている。

 む、と、自分の手元を見て考える。

 生徒が居ないとはいえ、ここで朝食はまずかったかな?

「えー・・・・と。」

「よくぞ、よくぞ・・・・!」

 ボロボロと涙を流して机越しに僕の手を握る学院長。

「知っているつもりでした、わかっているつもりでした、理解して実践しているつもりでした!」

 握った手をぶんぶんとふる学院長。

「ええ、心なんです、心のありようじゃありませんか、はじめから美声じゃなくてもいいのです、心のありようが神を感じさせるのですよね!」

 何かに感極まった学院長。

 本気で何が起こっているかわからない僕は、思わず素で質問をしてしまった。

「あ、あの、何のことでしょうか?」

 さっと自分の涙をぬぐった学院長は、恥ずかしげに自分の両頬にてをあてる。

「あ、あ、そ、そうですね、何も特別なことをしているわけではないのですね、ミスターイズミにとってはそれが当たり前のことでしたのですね・・・。」

 恥じ入るように顔を伏せた学院長は、きっと口元を引き締め、頷いた。

「わかりました、あなたが男性でありながら国選で紹介された理由がやっとわかりました。旧弊的な我が学園が忘れていたことを、教えていただくことができた事を、心から感謝いたします。」

 ぺこりと頭を下げ部屋から去った学園長を見送り、僕は呟くように言う。

「・・・どうなってるんだ?」

「・・・自業自得という状態です」

 音も無く現れたミスズ曹長。

 振り向けばそこにいる。

 とはいえ、いまさら驚きもしないけど。

「自業自得?」

「ええ。」

 彼女はさきほどまで礼拝堂を偵察していたそうだ。

 そこで最後のプログラムとして聖歌隊を前方に配した形で参加者全員による合唱が行われたそうなのだが、合唱が半ばを過ぎるころになって異変は起こったという。

 まず最初に正面に整列した聖歌隊が口をつぐんだという。

 次に前列の人間が、そしてそれが伝わるかのように沈黙が広がった。

 最後にはほとんどの人間が口をつぐむ中、数名の人間が歌を口ずさんでいた。

 背を伸ばし、りりしくたおやかに、優しく軽やかに、いとおしく切なく。

 英文版で歌う数名を、全員が聞いていた。

 広い礼拝堂で歌う少女たちは、歌うことを心から愛していることが知れた。

 いや、以前から知られていた。

 熱心に歌っていたし誰もがそれを感じていたが、元来の声質に恵まれなかったために、聖歌隊の選から漏れていた。

 しかし、いま、その心が花開いたことを感じている。

 声質ではない何かが、心の扉の鍵穴にマスターキーを差し込んで開いたかのようであった。

 技術ではない何かが胸の向こうを熱くしていた。

 思わず涙を流す学院長は、歌いきった数名を集めて心から感じていた疑問を口にしたところ、彼女たちの答えを聞いて赤面したそうだ。

『行く末を見据え、つよき意思を貫き、神の愛を説きなさい。』とある教師に指導されたと答えられたからだ。

 それを教えることをもっとも大事にしていた学院の教師ではなく、礼拝にも参加させてもらえない一教師にそのことが説かれたから。

 もっとも大事なことを実践させることが出来たのを、彼女がその目で見れたから。

「・・・そんなこんなで、現在、元帥の評判は鰻上りです。」

 がっくりと肩を落とす僕。

「おっかしいなぁ・・・、彼女たちが人気者になっておしまいじゃなかったのかよぉ・・・」

 不満げに顔をゆがめる僕にミスズ曹長は肩をすくめた。

「閣下は、そういう星の下に生まれたのかもしれませんね。」

 すっと近づいて、おいてあったスプーンでチャーハンをひとすくい。

 さっとつまんだ軍曹は、思わず頬を緩める。

「あら、おいしいじゃありませんか・・。」

 もう一すくいで華やかさを口にする。

「元帥は、本当に人に嫌われる行為に嫌われておられますね。」

 笑顔のまま視界から消えたミスズ軍曹。

 僕はがっくりと肩を落とした。



 あけの月曜。

 僕は睡眠不足である。

 理由はいろいろとある。

 まず、先日午後はずうぅと生徒が詰め掛けてきた。

 聖歌隊の生徒たちが指導を求めてきたり、英会話の発音指導を受けに来たり、英文法の参考意見が聞きたいと英語教員が詰め寄って来たり。

 やっとこさ相手し終わったかと思いきや、僕の部屋にはイブとレンファが待っていて散々説教があって。

 おりしも端末に接続してきたアマンダ教授はその状況から結果を察し、大成功であると満面の笑み。

 最初っから教授の策略であったらしく、戦闘レベルを僕に信じさせ戦略レベルで事を進めていたらしい。

 思わず声を荒立てて怒ろうかというところで、ノック三回。

 ささっと身支度を整えた僕たち三人。

 どうぞのこえも聞かずに扉を開けたのは学院長。

 なんでも明朝より礼拝に参加してほしいとの事であった。

 快く了解して出てってもらおうと思ったのだが、イブとレンファが居ることに眉をひそめる学院長。

 そんな時、要領のよい二人はすかさず今日の賛美歌の感動を分かち合いにきたことを言うと、学院長は再び目をウルウルし始めて・・・。

 朗々と感動を述べる学院長、それにお追従をするイブとレンファ。

 それは深夜まで及んで。

 そのあとで元帥職務と相成ったわけで。

 寝たのがAM4時。

 起きたのは5時。

 シャワーで身を濯ぎ部屋を出たのは6時。

 そして朝の礼拝に参加となったわけだ。

 礼拝ははじめ、教師たちが列を成して礼拝堂に入る。

 礼拝堂の壁の両脇を教師たちが固めたところで、三々五々に生徒たちが入場する。

 遅刻するような娘はいないが、ゆっくりと歩くその姿は優雅で、さすがはお嬢様学校だと感じさせる。

 とはいえ眠い。

 あくびをかみ殺して鉄仮面をかぶったかのような無表情を決めているのだが、両脇に立つイブとレンファが生徒たちに愛想を振りまいているせいか視線がちらちらとこちらへ向く。

 イブとレンファの専従助手生徒が挨拶にやってきて、今日の指示を受けていた。

 ふむ、私の専従助手は・・・と視線を動かすと、視線の先に神奈川君が小さく手を振っている。

 こちらに顔を出す風は無いので視線をはずし正面を見た。

 するとその視線を追いかけるように彼女は現れ、すくりと直立。

「本日の授業予定と方針をお願いいたします。」

 まるで秘書が付いたみたいだと思ったが、僕は懐からメモを出して渡す。

「かくのごとき行いたまえ」

 極めて無表情無感情の僕の台詞に、彼女は頬を染めて生徒たちの群れに戻る。

 それをみた両脇のチームメイトが小さくささやく。

「・・・女たらし」

「・・・泣くわよ、この場で。」

 あー、何でそういうこというのかなぁ。

 思わず見上げたくなる素振りを必死に抑えてささやき返す。

『昨日のカニチャーハンはおいしかったなー・・・また作ろうかな・・・三人分。』

 瞬間、両脇からなんとなく暖かな波動が。

 一応安心はしたが、まったく、心休まらない日々だ。


 午後の授業が早めに終わった僕たち三人は、外国語研究室準備室に集合していた。

 各々食材を持ち寄っていたのだが、キッチン自体が小さいために僕が調理を担当することになった。

 昨日、うっすらと油を引いた鉄なべを再び使おうとコンロに火を入れる。

 全体に熱がたまるのを待ちながら、食材に刃を入れる。

 いつもより小さめに、だけど姿が崩れたりしないように。

 彼女たちの口に入りやすいように。

「リョウ、テーブル準備しておくわね。」

「じゃ、私はホットプレートで中華スープもどきでも・・・」

 レンファは相変わらず料理の類が一切駄目だが、イブはそれなりに「洗う・切る・煮る」という段階をクリアーしている。

 ゆえに、彼女たちの自炊は必ず「煮」中心となるのだが、鍋ばかりではなくスープなども守備範囲となり、よく中華スープもどきや味噌汁もどきを作っている。

 栄養素が全て液化しているのだから、その効率たるや・・・とか言ったイブの目を見て、僕も黄も背筋が寒い思いをしたもので。

 まぁ味への栄達も約束されているので、問題はないんだけれどもね。

「ほいほいっと、ほい。」

 ちゃちゃっと炒めたカニモドキチャーハンは、なんと六人前。

「え・・・、こんなに食べられないわよ?」

 レンファの台詞に、僕はにこやかな笑みで全てを盛る。

 お皿は六つ。

 イブの作ったスープも小分けにして六人分にすると、するりと現れるクラウディアさん。

「失礼します、ミスターイズミ。少々ご相談が・・・・」

 そう言って現れた彼女は、テーブルの上の料理を見て眉を緩める。

「まぁ、元帥のお手料理ですの?」

「はっはっは~、こういうときは予想される人数全員が現れるという元帥府お約束が働きますからねー」

「じゃ、おすそ分けいただけますの?」

 といいつつ、彼女はひとつの席に腰を納める。

 その姿を見た後、僕は表情を硬化させ、感情を無感情にギアチェンジして直立する。

 その途端、ドアがノックされた。

『どうぞお入りください。』

「ミスターイズミ、失礼しますわ。」

 一礼と共に現れたのは学院長。

「新しい事務員の方がいらっしゃったのですが、なんでもミスターイズミと御同郷だとかいうお話ですので、よろしければ学院のご案内を・・・」

 一礼をする学院長の横に居るのは、僕の良く知るインビジブルエッジさん。

『はじめまして、ミスターイズミ。わたくし、ミスズ=フミと申します。』

 流れるような英語を聞いて、学院長も関心。

『今から私たち、ミスターイズミのお誘いで、昼食をご馳走になりますの。皆さんも一緒にいかがですか?』

 レンファの言葉に、学院長は小首をかしげるようなしぐさで僕を見る。

 半ば無表情に肩をすくめると、彼女も苦笑でそれに応じた。

「なんだか、初めからこの人数がわかっていたかのようなテーブルですわねぇ?」

「はい、学院長。じつは私とミスターイズミの教区は同じだったのですが、彼が珍しく誰かのために料理をすると、いつの間にか予期せぬ大人数になっているというジンクスがありまして、彼がフライパンを振るときは大めに作っておくということになってますのよ。」

 にこやかにクラウディアさんは言う。

 まぁ、そういう設定だが、教区の話ではなく元帥府の話なんだよねぇ。

「まぁまぁ、それは素敵なことです。」

 心からの微笑を浮かべた学院長は、僕らと昼食を共にしたのであった。


 最近、ミスターイズミと私の関係は良好の一途をたどっていたものと思っていた。

 学業資料整理や授業準備で戸惑うことや間違えることも無くなった。

 これはひとえにミスターイズミの思うところを察しようとしている私の努力結果といっていい。

 しかし、なんだかへんなのだ。

 彼の言いたいことはわかるし、彼が望んでいる事はわかるのに、彼が何を考えているのかがわからない。

 このまえの英会話に関する課題『自分が言いたい言葉』に関する発表は、成功に思われたにもかかわらず彼は無表情であった。

『・・・』

 そう、いつもの無表情の中にも感情というものがあるように思えていたのに、今日はまったくそれが見えなかった。

 そんな素っ気無い素振りもたまらないという娘たちもいたが、私はどうも理解できない。

 いや、理解したくないというのが本当だ。

 彼の鉄仮面の向こうを知りたいのに、その向こうの顔を知りたいのに。

 そんな思いをぶつけようと昼休みに準備室へ行ってみると、楽しそうな老女の声がした。

(あれ、学院長?)

 耳を澄ませばもっと別の女性の声も。

(え、っと・・・ミスイブとミスレンファとシスタークラウディア?)

 思わず彼女たちの顔を思い出して胸が高まる。

 素敵な女性たちで、思わずお近づきにありたいタイプだが、どうやって近づいてよいか想像も付かないタイプだ。

(ど、どうしよう・・・・。)

 思わずどきどきしつつも、とてもこおばしいかおりが鼻をつく。

 おいしそうな匂いに誘われて、ふらふらと扉に手をかけようとして学園長の言葉に気が付いた。

「・・・そこで、皆さんに当学園への就職をお勧めしたく・・・・」

 シュ、就職?

「臨時でいらっしゃったにも拘らず、みなさまはとても学園のために尽力していただきました。国選である事実や実績を鑑みれば、必ずやOG連も納得してくれるでしょう。」



 突然の学院長の提案は、思わず目が点になる僕。

 イブもレンファも同様であった。

 クラウディアさんなど聞いていなかったようで、ニコニコとチャーハンを頬張っている。

「ええ、何としてでも皆さんには学園に残っていただきたいのです。」

 自信満々の学院長。

 あのー僕たちって、本当は教員免許もないし・・・。

 そう思って、何かを言おうとしたところで、準備室の扉が開く。

「賛成です、同意です、激しく協力させてください!」

 仁王立ちの神奈川秀美嬢。

「まぁ、神奈川さん。立ち聞きはいけませんわよ。」

「その件につきましては、のちほど十二分に謝罪させていただきます。」

 ぴっと綺麗な礼をした後、流れるように歩み寄り、学院長の手をとった。

「私たち生徒も、いえ、少なくとも私は大いに賛成です。」

 熱烈な勢いに学院長も圧倒されていたようであるが、すぐに持ち直したようだ。

「このとうり、必ず理解されるものと信じております、ええ!」

 どう答えたものかと思っているのは僕ばかりではないと思ったが、他の人間はあまり関知している様子ではなかった。

「素敵なお話なので申し訳ありませんが、我々も国選で巡回している身ですので。」

 困ったような顔でいうレンファだったが、すかさずクラウディアさんが学園長に耳打ち。

「じつは、私とミスイブ・ミスレンファは別々の教区から派遣されており、ミスター泉がどこにも勧誘されないように監視しあっているんです。」

 まぁ、と大きく目を見開く学院長。

「彼の所属に関しては、出身地である我が教区の重きがあるのですが、活動や布教に関しては各教区から引っ張りだこ、引き抜き合戦が応酬されまして・・・」

 まぁまぁ、と目を見開いて僕を見る学院長。

「最終的に司教クラスの会合で、一時冷却期間を保つということで布教巡回を行うことになりまして・・・」

 なるほどと頷く学院長。

 あわせて頷くイブとレンファ。

 どこでそういう話ができたのやら、と思ったが、後ほど聞いてみれば全て学園の内情を言い換えただけとか。・・・教区は研究室、司教は教授ですか。まぁ、確かにどこの研究室にいるかといえば「元帥府」、に所属というわけですがね。

「はぁ、残念ですわ。ミスターイズミが所属していただければ、本学園も更なる飛躍が望めますのに」

 ほぉ、とため息をつく学院長であったが、いきまく神奈川嬢。

「ならば、今の所属は何処でもないという事ではないでしょうか?」

 え、と視線を交し合う僕たち。

「本来ならばシスタークラウディアと同じ教区がご活躍の場なのでしょうが、話の流れでは今後の活躍の場でお困りのようで。それならば、当学院こそ皆さんの柵が無いという意味で最もミスターイズミの活動にふさわしいのではないでしょうか!!」

「まぁ、素敵なご意見ですことね、神奈川秀美さん!」

 ぽむ、と手を合わせた学園長は、らんらんとした瞳でこちらを覗き込んだ。

「どうでしょう、お話にあった冷却期間を、当学院でお過ごしになっては?」

 どうしてもNOといえない雰囲気にあるのを感じていた。



「さてさて、どうしたものかね?」

 通信ウインドウの向こうで、首をかしげる国連学園長がこちらをみた。

「どうしましょう・・・」

 熱心な学院長のプッシュは斡旋先を通して国連学園まで伝わっており、教授会どころか学園長すら困惑させているとか。

 まぁ、背後に面白がったアマンダ教授の存在があるのだけれども、その辺は了解済みらしい。学園長の向こうでアマンダ教授がシュンとしているのがみえる。

 直接呼び出されて、説教を食らったということだろう。まぁ、自業自得というものだよね。

「さすがに身分を明かして国連情報機密を盾にして逃げ出すわけにはいきませんよねぇ。」

「いかんなぁ・・・。」

 うむと腕を組む僕と学園長。

 向こうの話では既に何人も正体がばれて学園に戻ってきているそうだから、正体をばらして戻るという方向は間違っていないのだが・・・。

「既に学院外に君の評判がもれ伝わっておるのだ。」

 そう、そうなのだ、妙な噂が学院外に漏れ伝わり、県の教育委員会からの視察が行われることとなってしまったのだ。

 事と次第によっては県側からの要請により、指導巡回してほしいということにもなるという。すでに学院長のほうでは名誉なことだということで容認しており、GOすら出ればどうなるやら。

「どうだね、半年ほどでそのへんの収拾をしてくるかね?」

「無茶苦茶いいますねぇ。」

 がっくり肩を落とした僕へ、学園長は言う。

「まぁ、少なくとも二月いっぱいまでは学園に戻ってもらえないというのが、教授会の見解でね。」

 なんでも、冬期休暇までに完了するはずであった学園全体の精神洗浄は遅々として進まず、終わりに見えない作業に教授会は燃え上がり、洗浄方法の内容で大いに紛糾しているそうだ。

 そのため、最速でも2月いっぱいまで帰還まかりならぬということらしい。

「なんなら、僕がずばずばっとやっちゃいますか?」

「ずばずば、かね?」

「ええ、ずばずば」

「・・・自重してくれたまえ。」

 というわけで、今年一杯であった任期が、学園からの通達により二月末まで延びた。

 とまれ、神奈川秀美嬢が言うように、冷却期間をこの学院で過ごすこととなりそうだ。

 なんだかなぁ。



 学院を一種の躁状態にするイベントがクリスマスだ。

 一夜限りのイベントと、一日限りの学園祭。

 そして翌日の片づけをはさんでの終業式。

 寮に残る人も残らない人も、ずいぶんと浮かれている。

 今、僕の授業中でも、ごそごそと内職している人や、手紙をやり取りして打ち合わせをしている人などが殆どだと言う状態が、それを表している。

 兎角うるさい教諭陣も、このときばかりは見てみぬ振りをするのがルールなのだそうで、僕も気づいてはいるが無視している。

 いちおう、発表されている課題は十分なものだし、手抜きであることは無かったから。

『ミスターイズミ、ちょっといいですか?』

 小声でささやく神奈川秀美嬢をみると、少々顔が赤い。

 風邪かな?

 小首を傾げると、彼女はささやきを続ける。

『本日の課題の「同性の友達を情熱的にデートに誘うとき」という内容なんですが・・・』

『何か不満でも?』

『これって異性にも使いまわせるんですか?』

 ふと、今までの誘い方を思い返してみて。

『応用が必要ですが、言い回しには問題ないでしょう。』

 それを聞いた秀美嬢は、ちいさく『Yes!』とつぶやいてこぶしを固める。

 どうやら誰かを誘いたいらしい。

 それも、異性。

 この学院でどんな異性と接点があるかはわからないけれど、果敢なチャレンジャーであることが知れた。

 たいしたものだと思いつつ、授業を続ける僕だった。


 自室状態の宿直室で授業計画とイロモノ課題のネタ探しにネットをアクセスしていたところ、ノック三回がドアに入る。

 暗号なしのこのポーズは、学園の連中ではない。

「はい、お入りください。」

 その声に誘われて現れたのは学院長であった。

「ごきげんよう、ミスターイズミ」

 ちょこっと会釈して現れた学院長に、僕は座布団をお勧めして座ることを促した。

 対し、学院長はそっと微笑み、座した。

 目の前に出された湯飲みに口をつけると、顔を軽く苦くした。

「少し、癖のあるお味ですのね?」

 正直に不味いと言わないのが上品なところに思えた。

「申し訳ありません学院長。手元に薬用茶しかなかったもので。」

「あら、漢方ですの?」

「いいえ、どちらかと言うとドルドイの魔女系統です。」

 暗にハーブであることを示すと、感心したようにお茶を見つめた。

「それで、このお茶の効能は?」

「新陳代謝の向上と体臭の減退です。」

「まぁ」と目を丸くする彼女に僕は苦笑する。

「そういう年齢ではありませんが、男性の出す匂いの中には無条件で女性や少女を不快にするものがありますから。」

 なんという御心使い、感極まったかのような様子で学院長は何秒か静止していた。

 しばらくして何かを思い出したかのような学院長は、ぽむと手を合わせた。



 現在、日本国籍停止中の僕に正式な運転免許なんてものは本来ない。

 ましてや高校二年程度の年齢で日本の自動車運転免許は交付されない。

 ではどうするかと言うと、学園内の運転許可証を国際免許扱いにしているのだ。

 一応、電動軽自動車や電動バイクなどはいつも乗っているので問題あるまいが、今から乗ろうとしているものは毛色の違うものだった。

 外観で言うのならば、車名をこうあらわす。

 ~ケンターハム・スーパーセブン~

 低い重心のスポーツオープンカーなのだが、幌をつけると視界最悪というしろもの。

 低い天井と高いボンネットの隙間から覗き込むかのような運転感覚は、あたかもシュミレーターに乗っているかのようだった。

 いや、いちおう、この車に乗ることは考えられたので、学園でもシュミレーターに入れて練習はしてたけど。

 しかし、ほんとうにこれに乗ることになるとは・・・

 ちょっと小さなハンドルを子気味よく左右にきり続け、最寄の駅へとついた。

 学院から自転車であれば二十分ほどで到着するが、全て下りだからこそそんな時間で到着するのだ。帰りは上り。

 歩きでは本日中の到着も覚束無いだろう。

 そんなわけで、本日、クリスマスイブの特別公演に来てくれるというお客様をお迎えにきたわけだ。

 学院長の話では、今日来るお客様は大変優秀な学院のOGだそうで、世界的に著名なえらい人なのだそうだ。

 世界的に認められている日本人で、学院のOG・・・。

 そういう御偉い女性とは肌が合わないんだよなぁ。

 鼻持ちならないというか、そりが合わないというか。

 真っ黒なスーツと真っ赤なネクタイを締めた僕は、情報補助用のデータサングラスをかけた。

 着色硬化フィルムを何層か重ねた中に液晶フィルムを入れたそれは、胸元のPDAと同期して任意のデータを表示してくれる。

 データグラスの表示では電車はあと二分ほどで到着すると言うタイミングで、急に車が駅駐車場に集まりだした。

 見渡してみると、次々とデータがヒットし、データグラスを通して車の所属が発覚。

 県教育委員会、県庁職員、市役所、市教育委員会・・・。

 物々しい人物の登場、と言うわけか。

 思わずため息をついた僕であったが、県教育委員会の一人が僕のことを知っているらしく、偉い人っぽいおっさんをつついて、僕を指差した。

 僕が会釈をすると、相手は不快そうに鼻を鳴らした。

 どうも僕が県内巡回を断ったことを根に持っているらしい。

 無表情に肩をすくめてしまった。

 肩をすくめたのは反射だが、これ幸いと周囲を見回してみれば、どうも所属不明の車が多いことに気づいた。

 無論、僕自身のUN三軍護衛がいるのだけれども、それ以外の所属不明車両が多い。

 推測出来る範囲で見れば、データグラスでアクセスできるサーバーで検索できないぐらい機密性が高い関係者の護衛に機密性の高い部隊が出てきていると言うことだろう。

 学園サーバー経由でアクセスできないということは、UN情報局か他国の情報局ということになる。

 各セクターの情報局がけん制している人物が、地方の単線に乗ってやってくる。

 なんともきな臭い。

 どうしたものかと首をかしげているところで、一両だけの鈍行列車が駅に入ってきた。

 ゆっくりと減速し、駅で停車した車両から、ピンポーンという電子音。

 それと共にドアが開くと、そこから一人の女性が降り立った。

 真っ黒なスーツに真っ赤なネクタイをしたその女性は、顔の半分を覆うかのような真っ黒なオーバーグラスをかけていた。

 やわらかく、流れるように歩むその人は、周りに集まった役所の人間を見回していった。

「私の出迎えは、あなた達ではないはずですが?」

 引きつった笑みの中年男性は、ひとめご挨拶だけでもとか、県庁関係者との会食をお願いできないかとかなんとか擦り寄っていた。

 互いに引かない押し問答をにこやかに行う人々を見ていて、僕は思わず帰ろうかとか思ってしまった。

 なんで、そうなんであの人がここにいるんだ、という思いと共に。

 とはいえこの場ら逃亡したとなれば、今後どういう目にあうかわかったものではないので、致し方なく押し問答の現場に押し入った。

『ミス、お迎えに参りました』

 目の前で一礼する僕を見て、彼女は、クノイチポニーテールさんは酷く驚いていた。

 しかし、何かを飲み込むように笑顔を浮かべ、僕の腕を取り歩き出した。

「ちょ、ちょっとお待ちください、清音先生!!」

 縋ろうとする役所職員たちを、どこからか現れた緑の制服の一段が取り押さえる。

「・・・彼女の身は、三軍元帥の命により保護されております。」

 僕の腕を抱きこんだ彼女、清音センセは、僕の耳元でささやいた。

「どこにも付いてくるから、ナンパも出来ないぞ。」「あー、うー」

 冗談よ、とささやいた彼女は、華麗な身体裁きでスーパーセブンの助手席に滑り込んだ。

 いやはや、凄い人です。


 イグニッション一発でエンジンをかけた僕は、まずのところ車をスタートさせる。

 ちょっと遠回りして走り始めると、横の清音センセはサングラスをはずして僕に向き合った。

「ね、なんでリョウくんが出迎えなのよ?」

「はぁ、まぁ、色々とありまして、現在身分を偽って学院の先生をしてます。」

 ざっと事情を説明すると、げたげたと笑い始めるセンセ。

「・・・だから最近、ミスアマンダからの電話が無いんだ。」

 なるほどねぇ、というセンセに今度は僕から質問をした。

「で、なんでセンセが講演なんかするんですか?」

「あら、知らなかったの? 私は学院のOGなのよ?」

 うわー納得いかない。

 AE学院といえば、良家の子女で、箱入り娘で、お上品ですよ?

 思わず顔をしかめる僕であったが、センセは気分を害した様子もなく、微笑んでいた。

「しっかし、いま学院で大評判の美形教師がりょうくんとはねぇ。」

 だいひょうばんって、いったい・・・。

「あら、凄い勢いでOG連合会に知れ渡っていて、私に偵察任務が下ったぐらいなのよ?『女の園にふさわしき、夢を与える美形かどうか?』ってね。」

 あのー、それって積極的に手を出せってことですか?

 僕の問いにセンセが苦笑い。

「違う違う。女の子の欲望の一歩手前で踏みとどまって、甘美な憧れだけを残せる聖職者かどうかってあたり・・・かな?」

 ・・・怖いこと言われている気がするんですが。

 思わず顔をしかめる僕に、清音センセはけたけたと笑う。

「不合格ならば学院祭で追い出すって息巻いてるわよ、お姉さま方は。」

 追い出す・・・。

 様々な手法でいじめられる自分を思い、ちょっとだけ僕は震えた。

「ああ、大丈夫よ。そっちはね。」

 え、と思わずセンセを見ると、彼女は苦笑していた。



 一応、センセの協力もあって、僕とセンセは顔なじみであるということにした。

 幼少のみぎり、日本国内にいたときのご近所さんで、仲良しこよしであるとセンセは説明した。

 しかし、それって同年代ってことだよねぇ、と思わず苦笑。

「まぁ、それで本日はペアルックで?」

 ペアルック、と言うくだりで、思わず再び苦笑。

「本当に何の打ち合わせもしていないんです。」

 とはいうものの、僕が学校駐車場へ現れ、助手席のセンセを引き上げたとき、校舎のほうから凄い歓声があがった。

 学院長曰く、「生徒が鈴なりでした」とのこと。

 何に歓声を上げていたのかと思ったが、そういうことですか、とがっくり。

 ふと、背後の気配に気づいて足を忍ばせてドアに近づく。

 何事かとこちらを見たセンセと院長へ人差し指を立てて「しっ」と小さく一声。

 両手で自分の口を押さえた院長の動作に可愛さを覚えたが、それはさておき、一気にドアを開けた。

 すると雪崩くる生徒たち。

「きゃぁぁぁぁぁ!」

 それを見て思わず眉をしかめる院長であったが、センセは嬉しそうに微笑んでいた。

「で、少女たち。君たちはこの場をどうするのかな?」

 そう言った僕に対して、にっこり微笑んでこういった。

『我々は、我々が思う罰を受けま~す』

 唖然としていた僕に対し、学院長はケタケタと笑い始めた。



 僕の準備室でその話の意味を聞いたセンセは、こちらもケタケタと笑う。

「なによ、じゃぁ、彼女たちはリョウくんの助手になりたいのかしら?」

「どうでしょう。」

「だって、君の助手の神奈川秀美ちゃんは、それが罰だって言ってるんでしょ?」

 と、視線のさきにはカチンコチンに緊張して座っている神奈川秀美嬢。

 センセの視線を受けて、真っ赤になっていた。

「ね?」と同意を求められたところで、彼女は真っ赤になりつつコクコクと頷いた。

 よほどの質問じゃなければ、なんでもうなづく状態だな。

「あー、専任助手殿。」

「な・名なななななな、なんでしょうか?」

 むちゃくちゃなドモリ方でこちらを向いた彼女に僕は首をかしげた。

「君はなぜここにいるんだい?」

「・・・えっと・・・・」

 思わず彼女は身じろぎをした。

 つ、と視線の先に意識を向けると、なにやら人影が。

 ふむ、そういうことか、と僕は軽く何度か机を叩く。

 すると、それを待っていたかのように準備室へ現れた人影。

『・・・ミスターイズミ。事務所にお電話ですわ』

『ミスズサン、ありがとうございます。』

 軽く会釈する僕に、曹長は微笑んだ。

「お話の途中ですが、ちょっと中座します。」

「・・・ああ、なら私も付いていくわ。多分私に関係ある電話だから」

 にこやかな笑みと共に準備室を出る僕たち。

 取り残された神奈川秀美嬢へ、僕は一声かけた。

「ああ、準備室は施錠しておいてくれたまえ。」

 は、はい・・・と小さく返事をした彼女を僕は放置状態でその場を去った。


 宿直室に集まったのはいつものメンバー。

 イブとレンファはセンセとの再会を喜んでいたし、クラウディアさんはミスズ曹長と共にその光景を喜んでいるようだった。

『まぁ、それじゃぁリョウとペアルックで現れた超美人って、ミス清音でしたのね』

『もう、だれなのかって、やきもきしましたぁ!!』

『いやぁ、あたしも全く同じ格好になるとは思わなかったのよ』

 ケタケタと笑う姿は、本当に昔からの知り合いであるかのようであった。

『で、OG会のお姉さま方から何を言いつかってきたんですか?』

 その僕の一言で、センセは押し黙った。

『ミス清音?』

 レンファの言葉に引きつった笑みのセンセ。

『・・・実はさぁ・・・』

 何十秒もの逡巡の後に話し始めたセンセの話は驚くべきものであった。

 なんと。

『・・・良さそうな教員だったら、この学院祭の時間を使って落とす?』

 こっくりと頷くセンセ。

『心身ともに?』

 ちょっと赤くなって頷くセンセ。

『・・・落ちませんよ?』

 僕がそういうと、不本意そうにほほを膨らませるセンセであったが、イブとレンファがさも当然とばかりに頷いていた。

『でも、私だけでは力量を問うということで、OG連合のお姉さま方が身内の綺麗ドコロを大挙でつれてくるらしいのよ。』

 苦々しく言うセンセであったが、僕は心底うんざりとしていた。

『じゃぁ、在校生にもその辺の情報は・・・。』

『行ってると思うわよ? 母親や祖母がOGっていうのはよくある話だし、娘や孫娘の話を聞いて腰を上げたというOGも多いもの。』

 うっわ~、と思わず小さく声を上げてしまった。

『逃げるしかないなぁ・・・・。』

 片手で顔を半分隠しつつ、上を向くと、未だかけていたデータグラスが不穏な情報を映し出していた。

(・・・やばっ、盗聴だ!)

 手話でイブとレンファに合図すると、彼女たちも顔色を変えた。

 アマンダ研究室やデニモ研究室に出入りしている僕たちは、独自の手話が必須となっている。

(会話は続けて。でも核心部分はぼやかして)

(了解)(わかったわ)

 ちゃかちゃか手話をしながらセンセと会話を続けるイブとレンファは、空いた手でゆっくりと空中に文字を書き始める。

 それを読み取ったセンセは、げげっという表情。

 クラウディアさんと曹長は懐を探り始めた。

 お互い、PDAで探りあった後、周囲の人間と壁を探り始めた。

 しばらくしてドアを探り始めた曹長であったが、何かを見つけたらしく僕に擦り寄ってきた。

(ドアにピッキングの後がありました)

 眉を寄せる僕であったが、その視線の先でテレビを指差すクラウディアさん。

(そこ?)(ええ。)

 がっくりうな垂れた僕は、14インチのテレビをそのままかついで、ユニットバスの湯船に放り込んだ。

 ガシャンとかガツンとかいう音を立てたそれに向かって、僕はたっぷりとお湯をかけ始めた。

 ぶしゅっとかぐしゃっとか言う音と共に、何かがこげる匂いがしたが全て無視。

 浴室を覗き込んだ女性陣は、顔をしかめていた。

『りょ、りょう? ちょっとやりすぎじゃないかしら?』

 いえいえ、やりすぎなんてことはないのですよ。

『学校施設に対し、ピッキングなどと言う不埒な行為を働いた挙句に盗聴などと言う卑劣な行為をしている人間への配慮など必要ないのですよ』

『とか何とか言ってるけど、その盗聴器を元から証拠隠滅してくれるんだから、いいセンセよねぇ。』

 苦笑のセンセに、僕は顔をしかめた。

 そんなんじゃない、と言いたかったが、僕は黙っていることにした。

 そんな最中、浴室で湯船に沈むテレビからは、タンタルコンデンサが燃える匂いがいつまでもしていた。



 苛烈、その一言に尽きた。

 ミスターイズミがエスコートしてきた美女の招待は何者か!という疑問と情報が入り乱れた最中、その探査任務を三年のお姉さま方から仰せつかった。

 実のところ、仰せつかると言うか、これは命令であった。

 致し方なく学院長室へと向かったのだが、いち早く立ち聞きしていた人間が退散していった。

 進退窮まり準備室で本人を待っていると、そこに現れた美女を見て驚いた。

 我が学院において伝説的なOGは多いのだけれども、最も新しく、最も凄いOGが現れたのだ。

 その名も『天野川 清音』。

 在野の一般中学校から二人もの生徒を国連学園に押し込んだ、世界的有名人だ。

 各国の国連学園入学準備校からの勧誘も激しく、彼女の周りでは世界大戦クラスの情報戦が行われているそうだ。

『この少女は、だれ?』

 気軽にミスターイズミへと話しかけた彼女は、何の感情をも込めないミスターイズミの返事を聞いてにんまりと微笑んだ。

『そっかぁ。専任助手ね。』

 さすがOG、この学院の事情を十分理解しているようであった。

 それなりに事務作業をしている振りをして、その場の話に聞き耳をたてちたのだが、ミスターイズミに感付かれてしまい、早々に退去されてしまった。

 そんなこんなをお姉さま方に報告したところ、かなりほめられてしまった。

 どういうことかと聞いてみれば、なんと私がミスターイズミとミス清音にかまっている間に、ミスターイズミのお部屋に盗聴器を仕掛けたと言うのだ。

 なんとも信じられない事をする。

 冷や汗をかきながら彼女たちに『そんなことをしてもいいんでしょうか?』と柔らかく聞いたところ、彼女たちは声をそろえて言った。

『愛ゆえに』と。

 かなり性能の良い盗聴器を使っていたらしく、ミスターイズミの部屋の様子が手に取るようにわかったのだが、急に音声が途絶えた。

 何事かと思っているところで、凄い音が中庭から聞こえた。

 重いものを高いところから落としたかのような音で、見てみるとそこには四散したテレビが落ちていた。

 ずぶぬれになって、そして木っ端微塵になったそれをみて、お姉さま方は真っ青になっていた。

「ど、どうしましたの?」

「・・・ミスターは、機敏にお気づきになった上で、」

「うえで?」

「・・・かなりお怒りのようですわ。」

 そりゃ、当たり前だ、と思ったが、彼女たちは縋りつくように此方を見る。

「何をご期待かは知りませんが、淑女としての嗜みを忘れた行為の罰は受けるべきではないでしょうか?」

「あ、あなたとて同罪でしょう!!」

「少なくとも、私は、お姉さま方がなさった行為を存じませんでしたし、容認も出来ません」

 ぐっと言葉に詰まった彼女たちは、しばらくするとオイオイ泣き始めた。

 この世の終わりとばかりに泣き始めた彼女たちに対して背を向けるのは簡単だ。

 それが出来ない、損な役回りだと思う。



 かなりささくれ立った気分だったので、センセのお相手をイブとレンファに任せ、僕は一人で準備室で事務処理をしていた。

 いや、何かいいたげなクラウディアさんや曹長の視線は感じるが、まるっきり無視していた。

『あのぉ・・・ミスターイズミ?』

『なんですか? シスタークラウディア』

『あのぉ・・・・』

 言葉でかけられた思いは答えなければならない。

 そういうルールが僕にあるので彼女に向き合うと、彼女はちょっとだけひくついた。

『何ですか、シスター』

 もじもじした後彼女は、何かを言おうとしたが何もいえなかった。

 ふと、僕がかなり理不尽な怒りを彼女にぶつけていることに気づき、頭をかきむしった。

『・・・すみません。子供みたいにシスターへ当たってしまいました。』

 ぺこりと頭を下げる僕へ、やっとクラウディアさんが口を開いた。

『ミスターイズミ。どうか、寛容の心を彼女たちにも・・・』

 わかる、わかるんですよ、その意味も必要性も。

 今日はイブ、明日に向かって楽しい雰囲気を盛り上げるのが大人の仕事でしょう。

 しかし、しかし、ピッキングと盗聴? どこの盗賊団ですか?

『私としては、いかな理由があろうとも、矛先を緩めるわけには行かないのです。』

『しかし、ミスターイズミ・・・。』

 ため息の僕は、背を伸ばした。

 顎を引き、そして言い放つ。

『アテイション!』

 あわせ、曹長およびクラウディアさんが直立で敬礼した。

『何を寝ぼけたことを言っているのですか。 僕の言葉と情報が流出しようとしていたんですよ? その現実に彼女たちはいかな罪に問われるかを思い出してください』

 すっと軍人たる顔になった二人は、徐々に青い顔になった。

『今のところ情報の流出はありませんし、懸案にする必要はないでしょう。しかし再発した場合、大きな力による浄化が行われるのです。』

 そこまで聞いてクラウディアさんと曹長は顔を赤くした。

『申し訳ありませんでした!』

 ふと気づけば、ドアの向こうに誰かが来たようだ。

 そのことを僕が促すと、二人の軍人は二人の職員へと戻った。

『だれだい?』

 僕の一言に、ドアの向こうで少女が答えた。

『・・・神奈川秀美です。』


 重苦しい雰囲気の向こうで、何か大きな叫びとそれに返事する声が聞こえた。

 ぼそぼそと会話しているようであったが、ソレニ聞き耳を立てるほど恥知らずではないつもりであった。

 その会話が一区切りしたところで、私はドアの前に立った。

 人の気配に聡いミスターイズミから声がかかったのにあわせ名乗った。


 初めて感じるようなぴりぴりした空気は、私が入室するのと同時に和らいだ。

 多分、ミスターイズミが意図的に自分を抑えたのだろう。

 今、私に不機嫌をぶつけても八つ当たりにしかならないから。

 個人的にはそういう弱いところを見せてもらっても構わないのだけれども、あの苛烈な行動を見るとちょっと腰が引ける。

 が、ここまできたのだから、引かない。

『ミスターイズミ、お時間をいただけないでしょうか?』

『何だね? 神奈川秀美君』

 にこやかな口調であるが、いささか不協和音が聞こえるようであった。

 やっぱり先ほどのことでお怒りのようであった。

 当たり前だけど。

『先ほど、自室から何かを放り投げていらっしゃっていましたが・・・。』

 すると彼はちょっとうつむいてから、視線を上げた。

『少し、衝動的に虫のことが厭わしくなってしまってね。反射的に投げてしまったのだよ』

 どうにか言い分けた、そんなしぐさに一歩踏み込まなければならない事を、私は恥じた。

『では、あの散乱した危険物を、早急に始末していただけませんか?』

 ちょっと意表をつかれた風のミスターイズミが、くるりと背を向けた。

 しまった、さらに怒らせたかと思ったが、震える肩を押さえ込み、そして此方を向いた。

『・・・わ、わかりま、した・・・。』

 そういって、ミスターイズミが颯爽と準備室を出たとたん、背後に控えていた女性たちが近寄ってきて色々とほめてくれた。



 おのが怒りにとらわれて、色々と見落としていたような気がする。

 盗聴だってピッキングだって学園ではされたけど、それを乗り越えてきた自分を忘れていた気がする。

 正面きって対処してしまったけど、それだってもっと面白おかしく出来たはずなのに。

(教師って、思考を狭くするなぁ。)

 ため息と共に向かった先は、自分の部屋の外。

 散乱するテレビの残骸を片付ける少女たちを見つけた。

 ふと、その少女たちが盗聴を仕掛けた当本人たちであることが知れたので、僕は何のことはない調子で声をかけた。

『ああ、すまない。私の癇癪で放置された残骸の掃除などさせてしまった。』

 真っ青になった少女たちへ僕は手を一振りした。

「あ、あの・・・わたしたち・・・。」

「いやいや、お手伝いいただくのは申し訳ないのだが、これは私の責任なのでね。」

 そういって少女たちをその場から追い立てる。

 何かいいたげにズルズルと押しやられる彼女たちに僕はいった。

「何も無かった。僕が癇癪を起こしただけだ。・・・いいね」

 潤んだ瞳で少女たちは頷いた。

 一礼と共にその場を去ろうとした少女たちへ、僕は一声だけかけた。

『次からは、もっと上手くやりたまえ』

 失笑の僕を彼女たちは呆然とした顔で見送った。



 イブの式典は荘厳の一語に尽きるものであった。

 鳴り響く鐘の音と合わさった聖歌は、生涯心の奥底に残るような感動を生んでいた。

 両親の意向のみで進学した学院であったが、このイブに出会うたびに感謝の念が頭をもたげる。

 ましてや今年はミスターイズミという特異な教師の専属助手となれたことで波乱の日々を送ることが出来た。これは何よりもの収穫だろう。

 この感動を誰を分かち合えるのだろうか?

 いや、もったいなさ過ぎる。

 この思いと感動は、ひとりかみ締めるに限る。

 思わず忍び笑いの私、神奈川秀美を、周囲の旧友たちは奇妙なものを見るかのような目で見ているのであった。



 教会の端っこで紐を定期的に引く役目をおおせつかったのは、先ほどの罰との事。

 まぁ、宿直室からテレビを投げ捨てるなどと言う暴挙は処罰の対象だよなぁ、とため息。

 正面の楽譜にあわせて紐を引くわけだが、これが結構難しい。

 紐を引いてから鐘が鳴るまでタイムラグがあるので、楽譜道理に鳴らない感じがするのだ。 厳密に正確にする必要はないと苦笑の学院長が言っていたが、僕的には正確をきしたかった。

 思わずタイミング調整に余念のない僕であった。



 前夜祭と称して開催されたセンセの公演会は万雷の拍手によって幕を閉じた。

 僕は調子の乗ってがんばりすぎた鐘鳴らしのせいで疲労困憊になっていたので見れなかったのだけれども。

 さすがに寝込むほどではなかったけど、だらしなく座り込んでしまいそうだったので、舞台裏に回してもらった。

 熱心な拍手を背に舞台袖に降りてきたセンセを何人もの生徒たちが取り囲み、惜しみない賞賛を口にし、敬意の視線で彼女を射抜く。

 この雰囲気を好まないセンセは、照れ笑いをした後で、「ちょっと休ませてね」と言って特設の休憩室にもぐりこんだ。

 既に僕とイブ・レンファは休憩室で待っていた。

『参ったわよ、ほんとにもう。』

 苦笑の清音センセは、僕の手元の髪にメモを走らせる。

(盗聴は大丈夫?)(盗聴器はありませんが、壁の向こうでみんな聞き耳を立ててます)

 その筆談でお互いため息をついた。

『お疲れ様です、ミス清音』

『感動的な公演でしたわ』

 にこやかな笑みと共に紅茶を入れるイブ。

 レンファはお茶菓子を用意していた。

『感動、ねぇ?』

 苦笑いで僕を見るセンセは、カンペを胸元から引っ張り出した。

『演説や講演なんていうものは、短いにこしたことはないというのが、ミスターイズミのご意見らしいけど?』

 どうやら学園の入学式典で僕がした挨拶の話らしい。

『対話が求められる空間ならば、時間をかける意味があるでしょう。しかしおのが意見を人に押し付ける場であるのならば時間は短いに越したことはありません』

 演台から挨拶するのと授業とは違うと言うことを言ってみると、センセは満足そうに微笑んだ。

『さすがはミスターイズミ。優秀ねぇ。』

 肩をすくめるセンセ。

 この人に優秀とか言われるのはこそばゆいのだが、なんだか身内にほめられている気がするのが嬉しい。

 思わず、ちょっと顔をゆがめて微笑むと、周囲から凄く低いざわめきが響く。

 あ、やば・・・。

 思わず反射的に無表情になったのだが、時既に遅し。

 地響きのようなざわめきが周囲から近づいてきている。

『な、なに? これ?』

『盗聴だけじゃなくて、盗撮があったみたいです。』

 無論、データに残せるような施設は虱潰しにミスズ曹長がつぶしているが、単に見ているだけの機械についてはノーマークなのだそうだ。

 まいったなぁ、と内心苦笑していると、地響きのような雰囲気が休憩室前でとまった。

 行儀よくノックされるドアに向かって僕は観念することにした。



 昨晩は凄いことが発生した。

 サイボーグかと思わせる無表情魔人のミスターイズミが微笑んだのだ。

 事の始めは古くからの友人であるというミス清音と休憩室で歓談していたところから始まる。

 防犯上の理由によりお姉さま方が監視カメラをつけて、さらにその映像を録画しない条件で学院内放映することが内密に許可されたため、プロジェクタを借り出して講堂で放映し始めたのだ。

 音声までは引っ張ってこれなかったが、上映された映像の中で、確かにミスターイズミが微笑んだのだ。

 あたかも少年のような笑顔に、周囲は叫び声を上げようとして自らの口をふさいだ。

 これがばれてしまったら元も子もない。

 さて、このお宝映像を胸に秘め、ベッドの中で反芻しようと腰をあげたところで、周囲の視線が集中していることに気づいた。

 見ている人、ほぼ全員。見られている人、私、神奈川秀美。

 無言で集まったお姉さま方は、私を盾にするように押し出して、ずいずいと休憩室に向かった。

 何をさせるつもりかと振り向くと、そこではお姉さま方が血走った目をしている。

 彼女たちの目が言う「あけろ」と。

 この人たちには逆らえない私は、仕方なくドアをノックする。

「・・・神奈川秀美です。よろしいでしょうか?」

 その声を聞いて、中では苦笑は広がっていた。

 どうやら此方の動向は筒抜けらしい。

 暫く苦笑が気配で感じられたが、それが収まったころ声がした。

「入りたまえ」

 その声は、男性の声であり聞きなれた声であったが、聞きなれない調子であった。

 笑いを含んだ、そんな声。

 失礼に当たらないよう、ゆっくりと扉を開けると、そこには黒のスーツと赤いネクタイをして、顔半分を覆うようなオーバーグラスをした男性がいた。

 ほかにも人はいた、しかし目に入ったのは彼だけだった。

 彼は口元を緩めつつ、いや、微笑んでいた。

「・・・・」

 背後のお姉さま方同様、呆然と彼に見入っていると、彼の隣から軽い笑い声が響いてきた。

 みれば、そこには彼と同じような格好をした長身の女性、ミス清音。

「やっぱり、表情殺しておいたほうが良かったでしょ?」

 答えるのは彼。

「ええ、この調子では授業になりませんからね。」

 え、と混乱した頭で考える。

 そして即座に反応した。

「ば、馬鹿にしないでください! 色男の一人や二人で授業に穴などあけません!」

 この笑顔がみらえなくなるぐらいなら、夜中十勉強してでも成績は落とさない。

 そんな確信をこめた反応に、お姉さま方も頷いている。

「・・・やっぱ、だめよ。君の笑顔って、そこいら中のフラグを無用に立てているだけだもの。」

 ぐっと言葉に詰まる私たち。

 そして助けを求めるように彼を見ると、苦笑を浮かべて肩をすくめていた。

「まぁ、教育方針は自らの手で示しますよ。」

 それを聞いてミス清音は苦笑い。

 しかし、私たちは見た。

 本当の彼の笑顔を。

 それは何よりものクリスマスプレゼントであった。

 そしてその笑顔は全校生徒の胸に直撃し、こう確信した。

「よそ者にはやれない」

 そう、それがたとえOGでも。

 確証とその連帯感は学院生徒を一丸とし、翌日の学院祭に向かわせた。

 一晩中続いた会議は、あたかもベンチャー企業の企画会議課のような活気にあふれ、そして当日に開花するだろう。

 眠い目をこすりつつ、私たちは持ち場に向かって走った。



 AE女子学院の学園祭は、一日だけ、クリスマスの日に行われる。

 完全全寮制ミッションスクールという敷居の高さの上に良家の子女が集っているレアさから、その招待券にはプラチナチケットと呼ばれている尊称を受けている。

 近隣学校の男子生徒たちにはどのような手を使ってでも手に入れたいチケットという評価を受けているとか。

 実は僕にも事前に招待券が受け渡されていたのだが、その使い道があろうはずもなかった

 なにせ、身内は呼べないし、その他の呼べそうな人員も全員学園関係者だし、センセは既に講演からこっち一泊しているので関係ないし、というわけだ。

 ・・・のだが。

 昨夜、その話を聞きだした美貌の若年教授様がズビ!と画面の向こうから指をさす。

「予約!」

「は?」

「そのチケット、予約!!」

「・・・えぇ~・・・。」

 散々な交渉の上、学院でのバーター棒引きを条件にチケットを渡すことにした。

 いささか策略めいた陰謀を仕掛けられた支援であったが、全く役立たなかったわけではないし、学園長からの介入があってからは非常に助かっていたし。

 どうやって受け渡すか、と首をひねっていたところ、ノックと共に合言葉。

 振り返ればそこにはミスズ曹長が立っていた。

「御用を承るべく参上いたしました」

 うっわぁ~、どこぞの忍びですか、あなたは。

「そのような御用でも承ります。」

 にこりと微笑むミスズ曹長にチケット袋を渡したところ、彼女は首をかしげた。

「あの、お一人ですので、一枚でよろしいのでは?」

「いいよぉ、適当で。何枚あっても使えないんだし。」

「は、はい。適当、了解いたしました」

 ぴっと敬礼した彼女は、瞬間的に姿を消す。

 あわせ、ウインドウの向こうのアマンダ教授はにっこりとわたっら。

「ふむ、何枚くるか判らんが、こっちで適当に処分しておこう」

「あぁ~、そうですね、一応、常識的に」

「ふむ、常識的に。」

 聊か間の抜けた話だが、僕はそのとき彼女の常識を疑いすらしていなかった。

 学園で何度も味合わされた彼女の常識を。



 昨夜の出来事を思い返しつつ、僕は小さくあくび。

 片手で押さえられるあくびをかみ殺し、せいぜいまじめな顔をしておいた。

 今まで目の前に流れた内容はというと、講堂での礼拝、学院長の長話、今後の予定の発表、なんていうものが終わってから初めて学園祭の開会となるわけだ。

 そんなものを、お客様がいらっしゃり始める八時前に配置できるように早朝からはじめるというのだから眠くないはずがない。

 全寮制でなければ実現不可能なことだと思う。

「ね、リョウ。あなた、チケットはどうしたの?」

 隣からささやくレンファに「僕はアマンダ教授に預けた」と答えたところ、彼女の顔は引きついた。

 ふと気付いたので反対側を見るとイブも引く付いている。

 どうしたの? という僕の問いに、彼女たちは小さく答えた。

『私たちもチケットを預けている』と。

 さぁ考えてみよう。

 教員用に配給されているチケットは約三枚。

 僕たち三人が全て預けたチケットの総数は9枚。

 自ら出向く数を引けば八枚ものチケットが彼女の手元に渡ったことになる。

「・・・僕は、教授と愉快な仲間たちが来たら逃げるよ。」

「な、なにいってるのよ。教授はあなたの誘導結果を見に来るに違いないわ。」「そうよ、本人がいなくなって良い訳がないじゃない」

「・・・君たちだって、同性に受けが良い誘導をバリバリ使ってるくせに。」

「私たちのは教授の元で培った学習成果ですもの。」「そうそう、何も目新しいことはないわ」

 つまり、教授の興味は引くまいということらしい。

「君たち、閉鎖空間で対抗措置のされていない子羊たちの精神がどのように変質してるかってな話を、あの教授が興味を持たないわけがないと思いませんか?」

 僕の意見を聞いて、彼女たちはブルブルッと背筋を震わせた。

「少なくとも、ラボのお姉さまたちは興味深々だと思うよ。」

 無言でその言葉を無視する二人。

 核心を突いた話に違いない。



 聖書の解釈とその情景を描いた絵画の模写を主題にした『聖書の時代のあれこれ』は、展示がメインの企画ではない。実際に聖書が描いている時代の食事を再現して試食会をするというのが主眼だ。

 ずいぶんと突飛な企画なので許可が下りるか不安だったけれど、衛生許可を取り実行できた。

 食べ物企画の許可は降りにくく、手を変え品を変えて企画されているが、今年の我がクラスの企画は秀逸であるとの評価を周囲から得ている。

 このくどいまでの絡めてはミスターイズミから得た薫陶によるものだと私、神奈川秀美は思っている。

 クラス自体も彼を副担任であると思っている節があるので、その考え方には賛成なのだそうだ。

 実行可能な内容の組み合わせで自分の希望と要望を通すと言う手法は、きわめて社会的なもので宗教方面に進む予定のない生徒たちには好評だと言う。

 もちろん、実行可能と許可される内容には隔たりがあるので、そこらへんは自らの経験をもって知らなければ鳴らないだろうけど。

 ともあれ、朝早めから来校しているOGのお姉さま方からきわめて高い評価を感想ノートにいただいていた。

「うっわぁ・・・OG連合会最高顧問って、あの?」

 感想ノートに記帳されている名前を見て、私は、神奈川秀美は眉を寄せた。

「・・・緊張で死ぬかと思ったわよ。」

 ルームメイト殿は未だ青い顔だ。

 学院のOG会にはいくつもの派閥があるが、その派閥を超えた連合組織の会長こそ現文部教育省長官婦人である鬼怒川ももえ様である。

 そのももえ様ご記帳のノートを見て、私は首をかしげた。

「達筆すぎて読めないわよ。」「学無さすぎ」

 思わずにらむと、ルームメイト殿はメモ帳に楷書で書き直してくれた。

 曰く「小癪な小手先の業なれど、小娘にしては天晴れ」だそうだ。

「・・・けんか売ってるのかしら?」「認めたんでしょ? あなたのこと、結構詳しく聞いてたし。」

 は? と聞きなおすと、どうやらこの企画を進めた人間の名前や人物像を詳しく聞いていたそうだ。

「それで、教えたの?」「当たり前じゃない。」

 やぁ~~~~。

 思わず叫んでしまった私を、発酵パンをかじった見学者が見つめていた。

 最近、生徒会のお姉さま方にもミスターイズミの専属助手としての注目が高まっているし、今日に至ってはももえ様の視線が掠めていたりする。

 平凡平穏こそが望みの生き方のはずなのに、ここ数ヶ月は波乱に富んだ毎日のような気がする。

「ん? 我が専属助手殿。何か悩んでいるのかな?」

 軽やかな声を聞けば姿を見ればわかる人物、我が師ミスターイズミが立っていたが、見慣れぬ人たちが彼に続いていた。

 はじめに視界に飛び込んだのは、真っ白な司教服に身を包んだ銀髪の美丈夫。

 その隣に真っ赤な髪の毛を腰までたらし、真っ黒なスーツに身を包んだ美女。

 さらに、真っ白で長い髪の毛と真っ白で長い御髭を蓄えた、丸レンズのサングラスをした老人。

 続いて司教服に身を包んでいるのだが、絶対に宗教関係者には見えない「アインシュタイン」風の風貌の老人。

 そして最後は若々しい風貌であるものの、深みの在る無表情は、赴任当初のミスターイズミを思わせる司教服のアジア人。

「ミスターイズミ。この方々は?」

「あぁ・・・・、私の活動教区の方々、です。」

 なるほど、と見回した。

 そして精一杯の礼儀と笑顔で挨拶をすることにした。



「ようこそおいでくださいました、皆様。わたくし、本校においてミスターイズミの専属助手をさせていただいております神奈川秀美と申します。」

 一礼の少女を見て「おお」と声を上げるのはアマンダ教授。

 多分、僕が指導して覚えさせた「受動的対精神誘導」の状態に気付いてのことだろう。

 今まで研究していた「対精神誘導」は、アクティブに精神状態を変化させるために、発動条件によって精神がLowな状態で暫く固定されてしまうという弊害があった。

 しかし今研究している手法では、Low固定の心配が殆どない。

 無論問題はある。

 強力に、専制的に誘導された意識誘導にある程度影響されてしまうのだ。

 ただし、精神汚染を目的としているわけではないのだから通常の誘導など「受動」で受け流すことが出来ること請け合いだ。

『なるほど、素晴らしい成果ではないかね? ミスターイズミ』

 きらきらした瞳で見ているアマンダ教授は、この成果についての開示を求めているに違いない。

 とはいえ今は身分を隠している身なので、それとなく神奈川秀美嬢と挨拶してる。

『君の周りには綺羅星ばかりが集まるね。』

 苦笑の風御門生徒総代は僕にささやいた後、神奈川秀美嬢と握手。

『・・・久しぶりに離れてみて判るけど、やっぱり騒動の中心はそっちだな』

 わがルームメイトは苦笑いで僕と握手。

『てやんでぇ、学園でも騒動ばかりだってきいてっぞ?』

 小声で返すとルームメイト殿も負けてない。

『ははぁ~ん? どっかの馬鹿やろうが仕掛けた精神トラップが発動しまくって、フラッシュバックの連続でい。』

 ぎりぎりと握手に力を入れる僕と黄を周囲はニヤニヤと見ていたが、珍しいものと見るかのように神奈川秀美嬢が覗き込んでいるところを感じてわれに返った。

「あ、あああ、すまんね。彼は親友なものだから、旧交を温めていたのだよ」



 少年のような表情と、それを取り繕うかのような大人びた笑顔。

 ダブルパンチに彼を視界に納めていた在校生はグラグラと揺れていた。

 私は何とか踏みとどまって、その笑顔を迎え撃ったが、その姿を見取った色気満載の女性が興味深そうに私を覗き込んでいる。

「神奈川秀美さん、あなたはとても意志が固いようですね?」

 何を指していっているのかと思ったが、彼女の言わんとしている所は理解できた。

 なにせ周囲の生徒・OG・教員全てがメロメロであることが知れるから。

 私はどちらかというとその状態を超越しているのであって、メロメロでないわけではない。むろんそんなことを教えるつもりはないので、苦笑しか出ない。

「俗世間に疎い私たちにとって、隔絶された世界で彼を見れば想像以上の効果があるのでしょうけど、興味があることは別ですから。」

 そう、彼をものにしたいとかそういう理由ではないのだ。

 彼氏にしたいとか夫にしたいとか言うことではなくて、彼に興味があるのだ。

 それは恰も彼から吹き出す不思議な風の色を知りたいとか、彼からあふれ出す泉の色が知りたいとかそういう感情なのだ。

 欲情と肉欲はがないわけではないけど、其れよりも溢れる好奇心が留められない気がするのだ。

 だからそんな思いを彼女に伝えると、面白そうに私を覗き込む。

「なるほど、パーソナリティーの上書きね」

 そんなことを呟いて彼女はミスターイズミを見ると、彼は苦笑で両手を上げた。

「面白いわ。」

 そんなことを呟いて、ミスターイズミのご親友の首根っこをつかむ。

「ミ、ミスアマンダ・・・なにを?」

「こんな面白いところを小出しで見てはツマラン。集中的に見るから手伝うのだ。」

「や、でも、ほら・・・。」

「ん? 嫌だ嫌だといっても、心根はそういっておらんぞ?」

 抱きこむようにご親友の頭を小脇に抱えると、ズイズイと廊下を突き進む彼女。

『む、胸が、し、しげきが・・・・』

『はっはっはっはっは、うれしかろぅ』

 聊か聖職者にあるまじき言動と行動に思えないこともないけれど、そういう敷居の低い集団であることはミスレンファやミスイブなどの言動から知れる。

 

 

 学園の連中を学院で案内するというのは奇妙なもので、なんともくすぐったい気持ちがした。

「して、ミスターイズミ。そこもとが指導したという成果は如何なる発表の場を得ておるのかな?」

 まん丸サングラスの学院長は珍妙な日本語で話しかけてきた。

「ああ、彼女たちは正式な聖歌隊ではありませんので、今回発表の場はありませんよ?」

「何ともったいない。」

 とはいえ、彼女たち自身各々の発表の場や時間が存在しているのだし、練習だってしているわけではないのだから、無理強いは出来ません。

 そんなことを言う僕を専属助手殿が覗き込んだ。

「なんだね、神奈川君?」

「ミスターイズミ、あなたのご指導なさった生徒の合唱を御所望でしょうか?」

 おもわず頷くと、彼女はおもむろに懐からトランシーバーを出す。

 トークスイッチを押し込むと浪々と歌いあえた。

「使徒より全子羊に伝令、使徒より全子羊に伝令。勅命は下った、勅命は下った、直ちに総員は位置につけ」

 音楽的な響きを感じさせる彼女の声が終わったと同時に、周囲の教室から何人もの少女たちが走る。

『本日、学院祭に御出での皆様にご連絡します。ただいまより緊急企画、「子羊達の午後」を開始いたします。準備も含め20分後に開始しますので、どうかお誘いあわせの上、校庭側に面した展示教室窓側にお集まりくださいませ』

 え、とおもわず神奈川秀美嬢を見ると、彼女はよく見知った笑顔で微笑んでいた。

 それは学園でみんながよく笑っていた、してやったりの笑顔。



 衣装もまちまち、並び方もまちまちであった彼女たちが、伴奏もなく会場もなく校庭の一角に並んだ瞬間、嬌声と歓声が校舎から溢れた。

 淑女としての成り立ちについて聊かの文句の在るOGたちは眉を寄せたものであったが、無限に拡散する校庭の音響環境を無視した指向性で詠われた成果を聞いて口を、言葉を無くす。

 声が響く、詩が響き渡る、想いが伝わり伝播してゆく。

 雪の消音効果を越えて、広がる空間の障害を越えて、神の愛がその場で音律となって現れる。

 「あ」の音律が校庭から響くと、同じく「あ」の音律が校舎中から響く。

 「あ」が世界を肯定してゆく様が視覚に訴えるが如くの密度で聴覚を占めてゆく。

 「あ」の音律の海の中で「ら」の漣が南国の海のように青く澄み心地よい何かを感じさせる。

 その彼方から歌われる神の愛の歌。

 ひと時でも神の家に暮らし学んだことのある少女であった女性たちは、はらはらと涙を流した。

 遠く過ぎ去った時間と時代を思い返し、それ以上に古式ゆかしい今を楽しんでいる少女たちを思い、胸を熱くした。

 したたかに、それでいて純粋に思いを歌い上げるその少女たちを視界に納めて涙を流した。



 不意に現れ、隣にたったアマンダ教授は一人だった。

「黄はどうしました?」

「そんなことはどうでもいい。」

 つぶやくが如くに言う彼女は、至極真剣な視線をしていた。

「恐ろしいまでの集団誘導だぞ、これは。」

 眉間をしごく彼女はささやく。

「少なくとも、かなり危険なレベルだ。」

 再び眉間をマッサージする。

 言葉なく見つめ、そしてマッサージ。

 繰り返しの動作は対抗処置のようだが、どうも効果が薄いようなので、受動的対抗措置を害具から施すことにした。

 アマンダ教授の腕の一部に手を添えて、もにゅもにゅとマッサージすると、表情が晴れやかになっていった。

「・・・対抗措置まで研究済みか・・・。」

 苦笑のアマンダ教授は魅惑の歌を聞ききって、ため息をついた。

「リョウ=イズミ、この学校をウチの分室にするつもりか?」

「いいえ、そんなつもりはありませんが、其れを企む人はいるらしいですね」

「馬鹿いうな。ここまで恐ろしい展開など意図しておらん。」

「意図せずとも、圧力を加えると弾ける馬鹿の存在を忘れていませんか?」

「・・・忘れていたよ、本当に」

「それに、ここは極めて閉鎖的で宗教色の濃い異空間です。聊か問題はありますが、この後の冬期休暇でリセットされるでしょう。」

「なるほど、そこまで見据えたものか。」

 ふぅと汗を拭うアマンダ教授であったが、終了した歌を見て首をひねる。

「・・・冬期休暇如きで忘れられるような一体感かな?」

「そりゃぁ、地元に帰って羽を広げれば、窮屈な学校生活なんて・・・ねぇ?」

 より深く首をひねるアマンダ教授であった。



 計画しただけで、何の練習もしてなかった企画「子羊たちの午後」は大盛況のうちに終わった。

 ミスターイズミの指導によって歌唱力を挙げたメンバー中心の聖歌企画だったが、極めて好評の意見が集まった。

 少なくとも、教区間でミスターイズミの取り合いをしているという司教クラスの方々にはよい印象を与えたものと思う。

 学院祭終了と共に三々五々二お帰りになった皆さんの中で、ひときわ美貌に輝く人々であるミスターイズミに関係者に直接ほめてもらったのは嬉しかったのだけれども、赤いスーツの女史に「ぜひともいずれの面会を」といわれたのは怖かった。

 が、すべて終了の校内放送があった時点で忘れることにした。

 今までの人生の中で最大の一体感を胸に秘め、冬休みに突入するために。




 学院祭が終わり、寮生たちが明日の帰郷にあわせて荷作りをはじめたころ、僕らは学院長に呼び出された。

 かしこまって並んだ僕、イブ、レンファに加えて、クラウディアさんが部屋に居たが、思わぬ人と対面させられた。

 その人は、現役文化教育大臣夫人であった。

 一礼の老女に僕らも合わせたが、にっこりと微笑む相手に合わせかねていた。

 なにせ、かなり腹黒い邪悪な笑顔だったから。

「お初にお会いします、モモエと申します。」

「はじめまして、リョウ=イズミと申します。」

 礼儀に適った挨拶の応酬はここまでで、続いて出てきた言葉にひくついた。

「で、滝浪の衆が、なぜここに?」

 滝波というのは、過去、井川周辺山間部に多かった苗字で、政府などで学園を指す隠語となっている。

 まぁ、以前対面したことの在る老女だし、隠語を使って「はじめまして」といっているぐらいだからばらすつもりはないのだろう。

 そう判断した僕は、にこやかに微笑んだ。

「実は、地元での布教活動の際、色々と問題が発生しまして、一応事態収拾と私の所属権に関する問題収集のために外部研修中なのです。」

 暫く考えた風の老女は、なるほど、と呟いた。

「で、ミスターイズミは、何時までいてくれるのかい?」

「三月中ごろまでお邪魔していようかと思いますが、ご迷惑ですか?」

「いいや、二年でも三年でも居て欲しいし、こっちとしては何時居てもらったほうが都合がいいかねぇ?」

 にやりと微笑む老女は、どうも僕の周辺にいる凄い人たちに合い通じるものがあるものと感じる。

「・・・さすがに長逗留は教区が黙っていません」

 二三言葉を交わした後で、老女は背後で押し黙っていた学院長に言う。

「そんなわけで、OG連合はこの人たちの確保を断念するよ」

「・・・そ、そんな・・・」

 縋りつくような学院長を、老女は笑顔で抑える。

「だめだよ、学院長。この人たちを押さえるにはあたし達じゃ目方が足りないんだ。」

 首を鳴らしてコリをほぐした老女は、つかつかと近づいて僕の手を取る。

「しかし、当学院は、そっちと縁が出来たもんだと考えていいだよね?」

 苦笑で頷く僕を、老女は微笑んで頷き返したのであった。




 真っ白な校舎、真っ白な寮。

 しばしの別れに涙が出てきている生徒も多いが、教員たちにとっても貴重な休みだ。

 大手を振って学院を去る集団に手を振りつつ、僕は小首をかしげる。

 この冬、何処に行こうかしら、と。





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