第十二話 幻美人
凱旋休暇が終わって暫くして、僕は三軍合同査問会に呼ばれた。
神風元帥とか特攻元帥だとか何とか陰口を言われている事は知っていたが、今回の特攻はずいぶんと批判を浴びる事となったのだろう。
何せ、何の通達も無く事件を元帥府直轄にして、彼らの部下を無断で動かしたのだから。
そんな頭越しの独断が、小僧によって行われたのだから、三軍の各々の長たる将軍達としては面白いはずもない。
首をすくめてその場に現れると、三面ホログラフィーの向こうで、将軍達がつばを飛ばして激論を交わしていた。
僕が入室した事に気付いた三人は、居住いを正して口調を和らげて話を始めた。
内容は、ずいぶんとやんわりとした吊るし上げであった、・・・と思う。
やれ考えが足りないとか、もっと自分の部下達を信用して欲しいとか・・・。
細々とした文句は、脳みそを日本語モードに切り替えれば聞き流せるが、語りかけるように話される英語は、どうも無視しにくい。
おもわず、アートかうーとか言いながら全部聞いてしまった。
彼らの言い分はわかる。
三軍全ての長たる元帥が、現場で直接指揮をとるだけでも異例なのに、その事件現場に自ら乗り込むなどと言う行為は言語道断、彼らの思考の範囲外の行動であろう。
それをやっちゃうんだから、将軍職としても立場が無いし、僕自身も問題行為と言えるだろう。
公平を求められる公職の元帥が、国連学生の事件に直接関与したという前例が出来れば、他の人間の事件にも直接関与が求められるのだから。
そんなに何回も起きる事件ではないが、全てに僕が関わるなどと言うのは無茶と言える。
「それでも、元帥は現場に出てしまわれるんでしょうなぁ。」
既に諦めたと言うふうに、空軍将軍がため息をつく。
(なになに、おこられるんじゃないの?)
僕がすくめていた首を伸ばすと、彼らはつかれたような笑みを浮かべていた。
「ご存知ですか、元帥。 貴方は今、三軍で一番上司にしたい人ナンバーワンだそうですよ。」
「はっはっは、では、我々は最も望まれる部署にいると言う事ですな。」
「うちの秘書達にも言われていますよ、クラウディア大尉の任期切れはいつかってね。」
和やかに話し合う将軍達を見ると、先ほどつばを飛ばして激論をしていた姿が嘘のようであった。
「あのぉ、僕は『査問会』に呼ばれたと思うんですが・・・。」
そう僕がいうと、彼らは苦笑を浮かべる。
「いま、貴方と罷免できる人間はいませんし、神風でも特攻でもこれほど評判のよいトップはおりません。 その貴方に対して誰が査問できるというのです。」
それはそれで恐ろしい事だと思う。
問題を指摘すべき諮問組織が存在しないと言う事なのだから。
「しかしながら、軍全体を考えない行動は些かこちらとしても困ります。そこで、形ばかりの査問会を開かせていただいたのです。」
「じゃぁ、最初のお小言でお終いですか?」
「まぁ、そう言うことですね。」
彼らの一言で、僕は気が抜けるのと共に当てが外れた。
少なくともこの一件で罷免までは行かないまでも、役職停止ぐらいまで行くと思っていたからだ。
クラウディアさんには悪いけれど、元帥の仕事って無茶苦茶忙しいので、できれば御免蒙りたいのだ。
そんな僕が「罷免されたいなぁー」と呟いた所、三人の将軍達は目を見開いた。
「馬鹿な事を言わないでください、元帥。今貴方を罷免すれば、世界が転覆しますよ!」
思わず僕の顔が歪む。
「て、てんぷくですかぁ?」
大げさなと呟きつつ、猜疑心溢れる思いで三人を見ると、三人共に大きく頷いていた。
いたって真面目な表情である。
「今まで、国連軍は悪鬼の如くに言われておりました。地元警察機構・地元軍事機構・各国政治団体などから槍玉に挙げられており、いつ紛争がおきてもおかしくない状態でもありました。」
思わず目をむいたのは、陸軍将軍と同時に表示された透過原稿を読んだからだ。
中東やアフリカ・南米は火種として十分であったが、表示される世界地図の大部分で紛争寸前であると言う報告書で埋まっていたのだ。
その時期は今年の初め頃。
年度末に進むに従い、急激な速度で半ヨーロッパ圏から南アフリカにかけて戦火が下火になってゆき、一気に戦場自体が消え去っていった。
現在の時点で紛争寸前と言われる部分は南米とフィリピンのみで、それも国連軍がらみではないものばかりであった。
「元帥が就任なさってからの数ヶ月で、三軍軍内平均損害率は12.25%から0.05%に下落、士気は数字に出来ぬほど上がっています。あえて数字にするならば、12.22%から160%への推移です。これは間違いなく元帥の効果であり、この程の戦火消滅には元帥のお力が作用している事は間違いありません。」
「僕は何もしていませんって。」
反射的に僕が答えると、三人の表情は暗く落ち着いた。
「・・・我々の調査によりますと、ヨーロッパから南アフリカにかけての戦火が収まったのは三つの資金ルートが閉ざされた為に、戦闘が不能になったとされています。ひとつはカナダルート、一つはアメリカルート、一つは・・・ドイツルートとなっています。」
アメリカ・カナダルートは鈴氏とモイシャン氏、これはわかる。
彼らは何らかの形で協力しようと言ってくれていたし、僕が元帥になった事も知っているだろうから。
が、ドイツルートって・・・誰だ?
「さらに、中東アジア方面での戦闘行為の減少も資金不足が主であり、同じく資金の流れの停滞は二つ。一つは華僑、一つはドイツ。」
この華僑って言うのは黄の関係だろうと推察、間違っていないだろう。
さてさて又ドイツだ。
「全ては元帥の関係者であると、調査部からの報告です。」
関係者だと言う事は、僕が直接知っている人間の事だろう。
婉曲な質問を思い浮かべながらも、直球で聞いてみることにした。
「・・・ドイツって誰ですか?」
ぐっと押し黙る陸軍将軍であったが、苦しそうに海軍将軍が言葉を繋ぐ。
「・・・『グランマ』と呼ばれる、西側経済界の巨人です。真の姿は誰も知らないと言われていますが、彼女が資金を引き上げると言えば、どの国も戦争などをしている場合ではない事に気付かされるでしょう。」
さーっと、血の気が引いた。
(ぐ、グッテンねーさんですか!)
確かに以前、グッテンねーさんが大金持ちだって話は聞いたことがある。
聞いたことがあるけどね!
「これほどの人脈と人望をお持ちの方を、我々国連三軍が手放すとお思いですか?」
ぞっとするほど冷たい視線で海軍将軍は言ったが、他の2人はほぼ懇願の表情であった。
「あと、三年・・・いえ二年で現在の世論と戦況を我々のものにして見せます! ですからなにとぞご協力ください、お願いいたします!!」
「なるべく短期間のうちに協力体制を元帥抜きでも実現できる環境を整えます。・・・そう、二年ほどで実現しますので・・・!!」
初めは嫌味と吊るし上げかと思いきや、泣きが入った留意要請に僕は大いにため息をついた。
「・・・十分、考えさせてください。」
査問会ではなく懇願会であった会場を、僕はふらふらと後にした。
(二年・・・か)
デッキチェアで寝転ぶ僕は、夜の男子寮屋上に居た。
二年も待てるのだろうか、独白してみるが、夜の闇が全てをかき消す。
夕闇どころではない夜の闇に身を沈めていると、何となく心が落ち着いた。
見上げる空は真っ黒な雲に覆われているが、その向こうの名月を薄ぼんやりと浮かばせている。
ぐっと手を伸ばせば届きそうに思えたので、僕は寝そべりながら手を伸ばした。
するとみるみる雲が晴れてゆき、この時期の名物的な名月の姿を浮かび上がらせた。
既に名月の夜を、皆で騒ごうと言う企画が立ち上がっており、男子寮ばかりか女子寮の有志まで集まって大騒ぎとなっている。
雲から顔を出した月に照らされた中庭で、楽器を持ち出した連中が大騒ぎをしているのが聞こえた。
チームでも月見をしようといっていたが、さすがにこの場に居てもらうと不味いので、遠慮してもらった。
さらに、どんなときでも傍らにいるクラウディアさんにも遠慮してもらい、僕はゆっくりとデッキチェアに寝そべって月光浴をしていた。
何故不味いかというと、今の僕は学園内隠れ課題の施行中だったからだ。
学園内には定期的な講義と年二回の試験のほかに、公にされていない課題が存在する。
日常生活の隙間に存在する学園の謎、視界の中に捉えられた違和感を追ってゆく中、いかにそれを解決するかという行為自体が審査の対象だ。
僕たちチームも実は、非公式非公認課題を去年何個か扱っており、その評価の高さが教授会への覚えの良さとなっている。
が、その覚えのよさが今回はあだとなった。
事の発端は『アマンダ映像情報研究室付人類情報伝達研究分室』へ集まりだした情報だった。
「面白い話がある」
とアマンダ教授に呼び出された僕たちチームが見たものは、大量のプリントアウトだった。
ざっと目を通して気になったのは、全部の打ち出しに「アヤ=イズミ」なる人物の名前があったことであった。
「なんですか、これ?」
棒読みの台詞で聞く僕に、アマンダ教授はニヤニヤとした顔で近づいてくる。
「謎の美女、幻美女に関する情報だ。学籍簿や授業情報も載っているにもかかわらず、一切確認できない謎の人物に関するレポートが山のように集まってきてな。学園側でも対応に苦慮しておる。」
真っ白になった僕だったが、聞き捨てならない台詞が入っていたので思わず反応する。
「ちょっちょっちょ、一寸待ってください! なんでイズミ=アヤの学籍と授業記録があるんですか!」
「ん? ああ、入学式展の後な、教授会と学園長が面白いって事で、偽造した。」
「ぎ、偽造ですか?」
「ああ、ついでに隠れキャラとして学園内に潜ませ、その事に気付いた人間が現れた時点で課題にする事に決まっている。」
無言の僕。
チームは全員でくすくすと笑っている。
「もちろん、協力してもらうぞ、リョウ=イズミ。」
「きょ、きょ、拒否権は無いんですか?」
上目使いの僕に、アマンダ教授はにこやかに答えた。
「ある訳が無かろう。たしかに人事権は我々には無いが、『学園と在校生はあなた達を飽きさせることは無いでしょう。果敢に挑んできてください。』と言い切ったその口から出てくる言葉とは思えん。」
「しかし、この課題には、在校生の最大限の協力が必要で・・・。」
そう、アヤ=イズミの正体は学園内の誰もが(ルーキー以外の)知っている事柄で、どんなに秘密にしても洩れそうなネタだろう。
「リョウ=イズミ。君は学園生徒を不当に過小評価しておるな? ウチの生徒は自分の快楽のために美味しい秘密を触れ回るようなばか者はおらんぞ。 中間試験の内容が君達に全く洩れなかったのを考えれば、わかるであろう。」
そう言ったアマンダ教授を援護するような意見が続出する。
「そうそう、ルーキーによく聞かれるけど、皆忍び笑いで答えていないわ。」
「メールとかでも正体について聞かれるし、幻美人探索メーリングリストとかもあるらしいわ。」
「一応、在校生サイドではデフォルトで秘密って事になってるなぁ。」
「ああ、あれって喋っちゃいけないんだろ?」
「もちろん、喋らない方が面白いよな。」
好き勝手な事をいっている。
「なんで喋らないのさ。」
僕のその台詞に、誰もがにこやかに答えた。
「だって、ミスコン二連覇の為にはそっちの方が面白いじゃない。」
「二度と出るかぁ!」
荒れた『アマンダ映像情報研究室付人類情報伝達研究分室』であったが、後日に正式な召集がチーム全体に学園長からかかった。
曰く、学園内の非公式課題運営に協力せよというものだった。
これは依頼ではなく正式な決定であるという話しつき。
沈む僕達であったが、話しを聞いたクラウディアさん一人喜んでいた。
彼女としては、あのボディースーツを着て生活し、執務のときに普通の格好に戻ってもらうのが一番であるという。
「あのですね、ずっとあの格好をする訳じゃなくて、たまにピンポイントであの格好をするだけなんですよ」と聞かせると、あからさまに彼女は落胆した。
あの格好を普段からしてくれれば、移動のときに必ずついてくるガード役を減らせるのに・・・と彼女の呟きを聞いたときには、真面目に心がぐらついた。
が、四六時中女装をしている訳にも行かないので、僕はぐっと心を引き締める。
そんな僕を見ていたクラウディアさん。
「元帥、ちょっと心が動きませんでしたか?」
「そんな事はありません。」
最近ちょっとイイ性格になってきたクラウディアさんであった。
そんなこんなで、たまに『イズミ=アヤ』の格好でうろついている訳だ。
が、結構人目につかないように行動している割に『アマンダ映像情報研究室付人類情報伝達研究分室』へ情報が集まってくる。
たとえば、女子寮前の自動販売機でオレンジジュースを飲んでいるところを見たとか、室内競技場のバスケットコートで三ポイントを一人で決めている所を見たとか、男子寮の階段を上っている所を見かけたとか。
「ずいぶん発見されてるな。希少動物としての自覚はあるのか?」
嫌な事をアマンダ教授が言い出すぐらいに集まる情報であったが、いつのまにか希少動物から怪奇現象への変化が始まっていた。
友達と撮ったスナップに彼女の霊が映っているとか、ガラスに映りこむように彼女の影が映っているとか、突如池の中から現れたのを見たとか。
「あ、この池の中から現れたのは本当です。」
僕がめくるページを覗き込んでアマンダ教授は顔をしかめた。
「何をしていたんだ。」
「ルーキーの女の子に追い回されていたんですけど、逃げ道がなくなったんで中央池に飛び込んでバタフライで対岸まで逃げました。」
「・・・無茶をする。」
そう言って、アマンダ教授は一枚の書類を出した。
「この、中央池でUMA発見というのは、時刻的にも時期的にもそのときの話しか?」
僕が確認して頷くと、アマンダ教授は大きなため息で椅子にもたれかかった。
「・・・リョウ=イズミ。貴様が大雑把な行動するたびに、こちらが意図していない隠れ課題が山のように出来てきておるぞ。」
ざっぱに積み上げられたファイルを指差して、顔をしかめるアマンダ教授。
「でも、全部一つの事に集約される訳ですから、そのうち一気に無くなるでしょ?」
「・・・そうでもないのだ。」
そう呟いた彼女は、ホワイトボードを引き寄せてなにやら書き出した。
「今まで集まってきた情報を整理できる立場に居られれば、多分見る事が出来るだろう。」
そう言って彼女は、数々の隠れ課題に関連しているチームを列挙し始めた。
その中で有機的に情報が運用されれば、嫌でも真相が見えてくるはずだが、チャートにしてみるとその問題点が明らかになった。
どのチームも他のチームと連携しておらず、非常に強い反発力を持って競争しているのだ。
「唯一、どのチームとも反発していない人間はいるが・・・。」
そう言って書き出された名前を見て、僕は頭を掻いてしまった。
「ちーちゃんとロリータ、ですか。」
「そうだ。 早い時期から彼女達は在校生に知人が居るという事でイニシアチブを握っており、さらにイブとレンファという後ろ盾を持っているためにルーキーの中では一番の位置にいる。無論、リョウ=イズミとの面識もある点は彼女達に有利にも不利にも働いている。」
そう言って、色々とホワイトボードに書き足しが加わった。
「まず、数段の優位点が各チームとの連携を強固にし、彼女達自身がルーキーの中心になりつつあるという点。その反面、不利な点として、彼女達が入学当初から君たちと大きく関わっている為に、隠し課題に加わる事が出来ないという点だ。」
確かに、チャートに有るような関わりをルーキー内で持っているのならば、彼女達に集まる情報で全てが見えてくるだろう。
が、実際は彼女達自身の目で全てを知っている訳だからどんなものか。
「既にその2人には情報規制がひかれており、立場的には在校生と全く変わらんものとなっている。」
つまり、ルーキー内で起きている反発が情報の有機性を失わせており、その結果として簡単な本質を見失わせているのだという事だ。
「最も反発しているのは、男子『ハンス=レット』のチームと、女子『テルマ=フレイッシュ』のチームで、対立構造の助長をしている。」
「はぁ、なんか今年は大変ですねぇ。」
去年は色々と仲の良いやつらでチーム以外ともつるんでいたので、事の運びが速かった。
それに比べて今年のルーキーは、どうもアクの強いやつらが多いらしい。
「どうも誤解があるようだが、これは毎年の事で、隠し課題のクリアーによって各代の代表チームが決まるのだよ。学期の初めからぶちかまし、一気にトップに立つチームなど本来存在せんのだ。」
「・・・?」
「リョウ=イズミ、お前のチームの事だ。あの風御門を撃退したという時点で、既にルーキーの代表チームだったといっていい。」
「は?」
唖然とした僕であったが、アマンダ教授は資料をまとめながら呟いていた。
「・・・相変わらず自己認識が弱い男だ。」
元帥業務の傍ら、学園から提供された某所の部屋で僕たちチームは会議をしていた。
見つからないよう現れて、ちょっと目撃されたあとに消えるというのが今までの行動であったのだが、いまいち効果をあげている気がしない。
それどころか、アマンダ教授から提供された情報を整理すると、どうも噂や学園怪談の様な状況になりつつあるのが見て取れるのであった。
「どうするよ。」
「どうするもこうするもなぁ・・・。」
最近は慣れてきた承認書類を弄りながら、僕はペンの腹をなでた。
「やっぱり、噂の助長かなぁ。」といった僕に、皆は嫌な顔をした。
「あのなぁ、実際に目撃されたときに、UMA扱いされるぞ。」
「間違いなく狩られるわね。」
そんなものかと思っているところで、チームの知恵袋のリーガフが口を開いた。
「一応、プランは三つあるけれども、聞いてみる?」
そう言ったリーガフのプランは次のようなものだった。
1.完全に姿をくらませて、都市伝説化する。
2.散発的に現れる現状を続けて、噂の方を操作する。
3.千鶴・ロリータ両名を遠隔操作して、操作の方向性を一本化する。
現実的なのは「3」なのだけれども、さすがに隠れ課題の意味が無くなってしまう。
「1・2」は論外といった所だろう。
「でも、彼女達を操作するのも、論外よ。」
眉をひそめたレンファの意見に誰もが同調した。
「んじゃ、どうするのさ。」
苦笑のリーガフに、黄が答える。
「ま、隠さない方向しかないかな?」
あぁ? と声をあげて疑問を呈する僕に、黄はにやりと微笑む。
「目撃例が少ないから、妙な事になるんだよ。始めからよく見る人にしちゃえば良いんだ。」
リョウ=イズミは三軍職務に追われていることにして、実際僕は『イズミ=アヤ』として活動すればいいというもの。
「たしかに、現実的なプランね。」
そう言ったイブであったが、口はへの字になっている。
「何か問題でも?」
「だって、元帥職は変装したあとでもついて回るでしょ? クラウディアさんを見れば一発じゃない。」
なるほどと頷く僕は、脇に控える国連軍人を見上げる。
「ねぇ、クラウディアさん。ちょっと協力してもらえますかねぇ?」
ぎこちない笑みで彼女は軽く頷いて見せてくれた。
そんなこんなで、おおぴらに活動し始めた訳であるが、事の始めは人のいないところと場所を選んでいても、いつのまにか人がよってきたりするのが面白い。
今も、月光浴をする前など、学生寮屋上近くに人影ひとつあったわけではない。
が、既に何者かが嗅ぎ付けたらしく、屋上の入口で誰かがうろうろしている気配が感じられる。
「・・・どうぞぉ。」
いつもとは違う『イズミ=アヤ』の声でそう言うと、ごそごそと数人の男子生徒がこちらにやってきた。
見た目で一期生のルーキーと知れる初々しさが滲み出ている。
いずれ劣らぬ美少年であったが、今年はミスターの魔手は無い。
実に幸せな事だ。
どちらかと言えば感謝して欲しいぐらいだが、その辺を触れ回るとやぶへびなので黙っていた方がいい。
ぐるりと僕を取り巻いた少年達はこちらを覗き込んでいる。
「なに、月光浴じゃないの?」
僕がそう言うと、彼らは何となくお互いを見た後、何かを言いたそうだった。
もじもじとしている姿は、何となく子供に思えるものだった。
学年のして一年しか違わないはずの少年達だけれども、ずいぶんと幼く見えるものだ。
そんな少年達の一人が、勇気を持って口を開いた。
「あ、あの、アヤ=イズミさんでしょうか!」
辺りに響くような声に僕は眉毛を潜めた。
「・・・あ、あのぉ・・・。」
心細げに声を出す少年達に、にっかりと微笑んで僕も答える事にした。
「そ、私はアヤ=イズミだけれども、何か?」
瞬間、少年達はすると彼らは夜目でもわかるほどに真っ赤になって、凄い勢いで後ろに引いた。
懐から出したハンカチで顔中を拭いていた彼らであったが、意を決して一人が口を開いてみせた。
「あ、あの、アヤ=イズミさんに質問があってきました!」
「うん。」
反射的に僕が答えると、イキナリ彼らは言葉に詰まってしまっていた。
じっと僕が見つめていると、一人がかくりとその場で倒れてしまう。
更にじっと見つめていると、全員がうめき声と共に倒れてしまった。
「・・・そのまま寝てると風邪引くよ。」
今だ肌寒い夜であったが、死にはすまいと思い僕はその場を離れた。
屋上の出口で振り返ると、少年達は身を起こしていたので安心して降りようとしたところ、少年達は追いすがるように近づいてきた。
「あ、あの、アヤ=イズミ先輩、おくつろぎの所、すみませんでしたぁ!」
にこやかに手を振って、僕は降りようとしたが、一寸思いなおして一言残した。
「月の綺麗な夜は気をつけなさい。心踊るような事があっても、それは月の所為なのだから。」
彼らが何を思ったかは知らない。
しかし、彼らの瞳は月を写し取ったかのようにまん丸になっていた。
ふらふらと月見の喧騒を離れるように中央池のほとりに出てみると、周囲を囲まれている事に気付いた。
婉曲な、殺気に近い思いを放つ集団は、じりじりと距離を詰めてきている。
多分この前と同じ少女達だろう。
また中央池を泳がないといけないのかと思っているところで、背後から声をかけられた。
「・・・夜の水泳は危険だぞ。」
ぞんざいな言い口は、間違いなくアマンダ教授。
「あ、教授。」
「目の色を変えた少女達が、この辺を包囲しておったが、お前を捕まえる為だったのか?」
「さぁ、どうでしょう? じりじり追ってくるだけですから解りません。」
僕が肩をすくめた所で包囲は一気に縮まって、まるでカゴメカゴメをするような距離で少女達の輪が出来上がった。
この状態からはもう逃げられないだろう。
ボディースーツの機能を最大限に使えば囲いの抜けることも出来るが、それなりに後が辛くなるので考えない事にしよう。
ギラギラと光をたたえる少女達の瞳を覗き込み、僕はにこやかに微笑んだ。
「お嬢さん方、教授に用だったら明日にした方が良いよ。」
うんうんと頷くアマンダ教授を他所に、少女達は大げさなまでに首を横に振った。
「じゃ、どうしたの?」
そう聞いた僕の耳に、アマンダ教授が耳打ちをした。
(いま話し掛けている少女が、テルマ=フレイッシュだ。)
覗き込むように彼女を見つめて思わず思い至る。
こういうタイプは、間違いなく『男なんかには負けない』とか言っているタイプだな。
暫くその姿勢のままで居たら、彼女は真っ赤になってへたり込んでしまった。
「貧血? 女の子なんだから、鉄分はちゃんと採らないとね。」
そう言いながらそのまま歩み去ろうとする僕を、テルマは抱きつくように止める。
「なになに? 何か用だったの?」
そう言う僕に向かい、彼女は声を張り上げた。
「わ、わたしたちの、おねーさまになってください!!」
ずざっと、僕とアマンダ教授は飛び退った。
「あ、あの、へんないみじゃなくて! お話ししたり、お食事したり!!」
そう言っている彼女達の目は異常に潤んでいる。
この表情とこの言葉、正直に信じる気はしない。
「・・・悪いけど、私、一匹狼が趣味なの。」
「じゃ、じゃぁ、せめてお部屋を教えてください!!」
ぼりぼりと頭を掻いた僕は、予てから打ち合わせどおりの受け答えをする事にした。
「あたし、女子寮に部屋無いから。」
「えええ!」
実際、男子寮にも女子寮にも住んでいない人間が結構居る。
たとえば研究室に寝起きしているとか、講義準備室にいつ居ているとか、実際学園内の何処で寝起きしているかもわからないが、ちゃんと学籍に乗っている人間とか。
アヤ=イズミもその一人で、一応、学園地下施設の一部を改装して住んでいる事になっていて、学園長の許可もとっているはなしになっている。
先日からアマンダ教授やチームとの会合はそこで行っており、元帥職務にも向いているという事でクラウディアさんにも好評の場所だ。
今のところアヤの部屋だが、公称は元帥執務室。
「で、では、何処に・・・。」
にっこり微笑んで僕は言う。
「ひ・み・つ、よ。」
あっけにとられた少女達を背に、僕と教授はその場を後にした。
「そろそろ本気で動き出そうと思います。」
「そうか。」
「そんなわけで、教授会の取りまとめの方をお願いします。」
アマンダ教授はにこやかに微笑んだ。
わざわざ空輸で取り寄せたウィグを被ると、僕はやけくそでメイクを始めた。
気が乗らないと言うか、無茶苦茶気分が悪いと言うか。
もちろん、僕が初めに撒いた種だと言う話もある。
しかし、しかしだ。
「アヤ、早くしないと、アマンダ教授の授業が始まっちゃう!!」
座りなれない小さな椅子と三面鏡から立った僕は、平均的学園内制服を身につけた女性の格好をしていた。
せかすようにイブは僕の手を取る。
「はい、ちゃんとこれを飲みましょね。」
人工声帯を飲み込んだ僕は、お義理に微笑んだ。
「・・・じゃ、そろそろいきましょうか。」
イブと背後のレンファとイブと共に僕は、夜のうちに忍び込んだ女子寮を後にした。
僕以外には好評となった「アヤの日」は、非常に悪辣なジョークとしか思えなかった。
広大な敷地の学園に、ランダムな日数で変装した僕を配置する事で、あたかもアヤ=イズミが存在するかのようにして遊ぼう・・・いや、ルーキー相手の隠れた課題にしようという話しは、すでにルーキー以外の全員が知ることとなっていた。
正式に学園長からのgoがあった今日から、致し方なく『アヤ=イズミ』に変装して、授業を受けなくてはならなくなってしまっている。
本日の教務は「アマンダ」研。
学内案内のときに唯一受講している事が判明している授業だから、だ。
授業開始直前だと言うのに、教室の真正面のテーブルが空いていた。
そこへイブ・レンファ。アヤの順で三人並ぶように滑り込むと、背後から押しつぶすような嬌声があがってきた
なんだろうと思って振り向くと、ルーキーの女子が千切れんばかりに手を振っている。
点々と真実を知る在校生が、苦笑でこっちを見ていた。
「ん~、みなの衆、おはよう。」
裸体を薄皮一枚で包み込んだ、凶悪なボディコンで現れた若年教授アマンダ教授は、教壇に立った途端に、まっすぐこちらの僕をのぞき込む。
「おぉ、アヤ。研究室は暇だったのか?」
一応、アヤ=イズミはアマンダ教授のお気に入りとして、早いうちから研究室入りしていると言う設定になっている。
生活の大半も研究室なので、普段は周囲の目にとまらないという設定だ。
「はい、ひさしぶりに教授の授業を、はいけんさせていただこうかとおもいましてぇ。」
ぐっと身を乗り出した教授は、大根でも引っこ抜くように僕を引っ張り出して、教壇に脇まで連れてきた。
「助教授格の人間が、生徒席に座るもんじゃない。わたしの後ろで教授の視点を覚えるのだ。」
思わず僕が半歩引くと、教授は悪戯小僧のような目で微笑む。
「研究ばかりではなく、授業も手伝ってくれるよなぁ、助手君?」
へらへらと微笑むしかない僕だった。
正直な話、授業の内容はちんぷんかんぷんであった僕であったが、教授が欲しがっている資料は予習のお陰でわかった。
というわけで、ほいほいと用意。
「・・・というわけで、続きは次週だ。 今日のイメージを忘れるでないぞ。」
そんな捨て台詞と共に授業が終わった途端、アマンダ教授にテイクアウトされてしまった僕は、そのまま研究室に連れて行かれてしまった。
甘い香りの女の園であるアマンダ研究室は、昼食の時間を迎えて大いに盛り上がっていた。
何でも、アマンダ研究室では通常予算軽減のために昼食は研究室の台所で皆の分を当番制で作っているとか。
僕もそれのご相伴に預かれることとなった。
「どうだ、その気ならば、毎日こんな食事が可能だぞ?」
僕の横に座った教授はそんな事を言う。
「毎日出動がかかったら、本当の僕の課題が遅れます。」
むすっと答える僕に皆の笑いが集まるのであった。
「でも、えっと・・・アヤ。貴方もごくろうねぇ。」
研究員の女性はおかわりをよそってくれた。
「ありがとうございます。・・・学園サイドの義務じゃないですか? そういうのって。」
あちち、とスープをすすりながら、去年の事を思い出す。
去年の幽霊騒動のときは確かに大騒ぎになったけれど、各研究室の協力も馬鹿に出来ないほどに大きいものであった。
それはチームの交渉力もあっただろうけれども、学園に挑む姿勢がチームとして学園に認められた結果だと言っていいだろう。
それゆえに、ルーキーでありながら、早々のうちにバーターと言う形で研究室への出入りが許されたのだ。
意欲とか熱意とか言うものではなく、全ては挑む心が支えた活動であった。
そんな思いが顔に出ているのか、周りは苦笑を浮かべていた。
「あ、へんなかおしてますか?」
「・・・いや、凛々しい顔をしていると、うちのムスメッコ達が感心しておるのだよ。」
唸りを上げて教授の腕が僕に絡みついた。
「きょ、教授・・・。刺激が強すぎるけらいがありますが・・・。」
「なに、おんなのこどうしの可愛いジャレあいと思え。」
とても情けない顔をしているのだろう、研究室の人たちに失笑を買う事となってしまった。
日も暮れる頃、僕はアマンダ研の電気スクーターで教務塔に急いでいた。
本日受けるはずだった授業の内容を受け取るのと、教務塔内のシューターで学園地下施設に行く為だ。
基本的には、生徒は教務塔内に無断で進入する事は許されていない。
が、簡単な条件さえクリアーされれば入塔パスは手に入るのだ。
去年の間に数人のルーキーが得ていた出入り許可パスも今年は一枚も発行されていないという。
(団結力が足りないのだな)というのが僕の感想だった。
つまらない疑問やどうでもいい質問でも、教授にぶつけているうちに仲間が出来、同じクラスで協力していればパスはすぐに発給されるものだと思っていたから。
航空物理の共用パスで教務塔に入ろうかと思っているところで、入口にルーキーがもめているのを見とれた。
誰ともめているのかと覗いてみると、見知った顔であったので声をかけた。
「あ、エメット教授。どうしました?」
ぽててててっと音を立てて教務塔の前に止まると、彼はにこやかな表情で駆け寄ってきた。
「やぁやぁ、・・・アヤ君。イヤー助かったよぉ。」
パンパンと肩を叩く教授の言い分を聞くと、どうもセクハラ行為で責め立てられていたらしい。
このエメット教授、懲りないというかチャレンジャーだというか、全くやめる気配も無く、毎年セクハラ騒ぎを行っていた。
イブとレンファもやられたが、この時はチームでささやかな報復をしたので、そのときは収まったが、彼女達の怒りは未だ続いている。
「ちょっと、ほんのちょっとお尻を触っただけなのに、もう性犯罪者のように責め立てられちゃって・・・。」
「教授、また『ピンク・ヒップ』教授って呼ばれたいんですか?」
そう、チームのささやかな報復というのは、ルーキー全員でエメット教授のことを『ピンク・ヒップ』教授と呼び続けるというもの。
教授会でのネームプレートまでその名前になったところでさすがに詫びを入れてきた。
全学園ネットでの謝罪をうけての手打ちになった訳だけれども、未だ報告書やレポートに「P/H」の書名があるとか無いとか。
それを思い出してか、ぶるぶると首を振った教授は逃げるように身を引いたが、僕はぐっと右手で彼の右手を掴んだ。
「じゃ、手打ちという事で良いですね?」
「あ、ああ。」
力無く頷いた教授を抱き込むようにして肩を組み、ルーキー達に声をかけた。
「そんな訳で、エメット教授はもう生きがいであるセクハラをしないと誓ってくれましたので、安心なさい。」
ぱぁっと明るい顔になるルーキーだったが、エメット教授の顔は限りなく暗いものだった。
「なでられちゃった娘には悪いけど、これから美味しいお尻を見てもなでられないジレンマを考えれば、十分復讐できるから我慢してね。」
はーいと綺麗に返事するルーキー達だったが、その中で2人のルーキー達の目は微笑んでいなかった。
シューター周辺に人が多いために、ココから地下へ移動するのは挫折した。
思わずため息で教務塔から出てくると、二人のルーキーが待っていた。
先ほど怖い目でこちらを見ていた男女である。
「あの、アヤ先輩にお話しがあって待っておりました。」
居住いを正した少年は、先日満月の夜に屋上にやって来た少年達の一人だった。
「出来ましたらお時間をいただけないでしょうか?」
その少女は、先日中央池で『おねーさま』発言をしたときの少女。
共に恐ろしいまでの視線で僕を睨んでいる。
が、何となく予感がしたもので、ちょいっと声をかけてみる事にした。
「何か用かしら?『ハンス=レット』君と『テルマ=フレイッシュ』さん。」
少女の方はアマンダ教授から聞いていたが、少年の方は勘だ。
が、瞬間的に二人の顔色が変わり、驚嘆の表情になる。
「な、なぜ?」
ハモる二人の言葉を聞いて、思わず僕は微笑んでしまった。
「聞いた話ほど仲が悪い訳じゃないのね。」
「だ、だえが、こんなのと!」「だ、だれが、こんなサルと!」
反射的に答えあった2人は、お互いの言葉を聞いて再び剣のある表情となり、にらみ合い始めた。
「はいはい、喧嘩ならほかでやってね。」
そう言いながら止めておいた電気スクーターにまたがると、少年少女が左右から止めに入った。
「お願いです、お話しを聞いてください!」「お願いします、お時間をください!!」
食いつかんばかりに引っ付いてくる二人の根性に負けた僕は、致し方なくいつもの喫茶店に入る事にした。
けらんからんと音を立ててドアをくぐると、いつもの席にいつものメンバーが居た。
軽く手を振ってカウンターに座り、自分の左右に少年少女を座らせる。
「奥さん、サンドイッチとコーヒーを三つ。」
僕のオーダーを聞いた途端、2人とも自分の懐をごそごそ始めた。
僕はその手をぴしゃっとはたいて、にこやかに言う。
「こういう時は、先輩にたかるものよ。」
「で、でも・・・。」
そういいかけたテルマに向かって、ピッと人差し指を立てた。
「あのね、今の勘定は、あっちにいるお兄さん達が可愛い私達の拝観料にと奢ってくれるものなのよ。」
と言いながら、僕はチームに微笑むと、皆なぜか頬を赤らめて頷いて見せた。
「ええ、じゃ、先輩はリョウチームと交流が有るんですか?」
少年の台詞を聞いて、思わず吹き出してしまった。
「交流って、皆同級生でしょ? 仲は良いわよ。」
その台詞を聞いて、二人とも押し黙ってしまった。
そして苦しそうに言葉を少女が紡ぐ。
「その、・・・リョウ=イズミさんともですか?」
不意に考えてみる。
僕は一番嫌いなところを自分に見つけている。
アヤ=イズミはそんな僕を好きか嫌いか?
「・・・本人との面識は無いわね。 でも、イブやレンファと付き合っていれば、大体の人柄が知れるわよ。」
その一言で、2人は思いっきり安堵の息を吐いた。
「どうしたの?」
そう聞く僕に、2人は何でもないと首を振る。
「じゃ、本題。私に話しって何?」
その一言で2人の表情はきりりとなった。
「折り入ってお話しというのは、先ほどのエメット教授の件です。」
「エメット教授のセクハラの被害は全校規模で行われているはずなのに、なぜあの程度の追求でやめてしまうんですか?」
「あのような品性に欠ける人間は、学園にふさわしくないとおもうんですが!」
それを聞いた瞬間、思わず僕は天を振り仰いだ。
なんだが性質の悪い意見を聞いている気がする。
「少なくとも、セクシャルハラスメントに興じる事を罪とも思わない人物などに、我々の授業を受け持って欲しくありません!!」
「研究室でも女性研究員が迷惑しているという話しも聞き及んでいます!!」
激しく自分の激情に煽られている2人を、僕は肩を引き寄せるようにぐっと抱きしめた。
丁度、胸のあたりに頬をうずめる事となった2人は、わやわやと暴れ出す。
暫くそのままでいるとふたりしてぐったりとし始めて、そのまま抱きついてきた。
さてそろそろかな? と思ったところで両手を外すと、二人は両脇からしなだれかかったままだった。
「さてさて、これはセクハラかしら?」
そう聞いた所で、二人は我に帰って首を横に振る。
「でも、これって、自分の性別によって人に嫌がらせをしている事にならないかな?」
それでも首を振る。
「確かに私のこれはスキンシップだけど、エメット教授のはセクハラだっていうのは、あからさまに差別だと思わない?」
「いいえ、私のとってのアヤ先輩は憧れの人ですので、素直に受け入れられますが、エメット教授は単なるおっさんなので・・・。」
そこまで言った少女の目の前に、一つの論文を見せた。
それはエメット教授が学生に頃に書いた論文で、今でもその難解な内容を理解しているものは少数だ。そして、その難解な理論なくして現在の学園科学基盤はないといえる内容なのだ。
元帥職務での資料用にと教務塔で手に入れてきたもの。
それを彼女達は食い入るように見る。
少年も背後からそれを見つめ、そして驚愕の表情をしている。
「天才って言うのはね、どこか外れているものなの。 エメット教授もセクハラ以外は、人並みはずれた能力者でね、学園法規を遵守しているうちはお咎め無しって事になっているの。だから、苦情を言っても訴える人はいないでしょ?」
がくがくと首を縦に振る。
「でもね、絶対に譲れない一線というのもあるわ。去年、エメット教授がある女性とのケツをなでたために、彼は口ではいえないような報復を受けて、学園内の全校ネットで謝罪しなくちゃいけなくなっちゃったの。」
ごくりとつばを飲み込む二人に、僕はにっこり微笑んで指を立てた。
「もちろん内容は秘密。」
手元のサンドイッチをコーヒーを口に放り込んで、僕は二人の少年少女に手を振りながらその場を去った。
なにか呼び止めようとする少年少女から逃げ出すように僕は走った。
うー、早く着替えたーい。
幻美人プロジェクトのために開放されたはずのその部屋は、最近、教授会の吹き溜まりになりつつある。
僕が元帥職務をこの部屋でやっている関係上、教授会への提出物も提供データもいち早くこの部屋にやってくるものだから、なにかと教授たちが屯する様になっている。
僕がその部屋のドアをくぐると、むっとするほどの熱気がその部屋を占めており、そこいらから持ち込んだ机を囲んでの会議をしていた。
「あー、今、教授会の会議中だから・・・」
そう言いながら僕を押し出そうとするボスコック教授を一睨み。
「・・・あっ、み、イズミ君か・・・。」
ばつの悪そうに頬を掻く教授を押しやって中に入ると、大半の教授が腕組みしつつも議論を交わしているのであった。
「いつもどおり、ネットでやれば良いでしょう。」
すり抜けるように室内に入りながらそう言う僕に、ボスコック教授は苦笑い。
「いや、ネットよりも、リアルで会議する方が効率的なこともあってね。」
確かに、ネットとは違って口喧嘩や罵りあいに全てを奪われる心配は無い。
誰もが同一の発言能力と映像占有率を誇るネット会議では、野次すら無視の出来る内容にならない。しかしリアルならば、ある程度無視できるというわけだろう。
まるで議長席のように上座にある自分のデスクに座った僕を、皆が済まなそうに見ている。
「あのー、僕が聞いて問題ない話しでしたら、そのままどうぞ。 聞いて不味い話だったら、着替えてそのままシューターで寮に戻りますが・・・。」
「どちらかと言うと、聞いてもらった方が良いかな。いや、是非とも聞いて欲しい。」
そう言いだしたのはデニモ教授。
「実は今、各々のルーキーの授業に関する問題点が一致しているという事を話していてね。どうも悪い影響が出そうなのだよ。」
ぽりぽりとあごを掻くデニモ教授。
「あのぉ、それと僕が何の関係が?」
「君の関わっている『隠れ課題』時間のせいで、多くの生徒が基準学習達成時間に達していないのだよ。」
「は?」
「つまり、君のばら撒いた『隠れ課題』が難解すぎて、皆そっちに夢中なんだ。」
そうなんですか? と周囲を見回すと、全員が思いっきり頷いた。
「だって、久永教授ってば、ヒサナガスーツの仕様、ネット上で公開しましたよね?」
教授は頷く。
「アンドロイドと新素材関連の情報も、ちゃんと公開してますよね?」
全員が頷く。
「・・・なんで見破れないんです?」
全員が首をかしげた。
が、その彼らの出した結論は、僕達が関わる隠れ課題に関わるせいで、前年比の60%ほどしか授業が進んでいないという。
60%。半分ちょっとという事だ。
正直な話、国連学園始まって以来の珍事だという。
僕は軽く頬をかきながら聞いてみた。
「で、去年のルーキーは、僕達は、前年比で何パーセント前後していたんですか?」
僕達も十分無駄な事をやっていたので、かなりのものかと思っていたが答えは意外なものだった。
「33%ほど前年比でプラスだったよ。」
「へ?」
「各教科の平均で33%、最高で56%、最低でも10%のプラスだ。」
ざっとデータを並べるファン教授。
「実際、君達のルーキー時代を基準に考えなければ、今年の遅れは平年の20%ほどの遅れ程度だが、それでも20%遅れるというのは大問題なのだよ。」
ざざっと広げられた資料を誰も覗き込まない所を見ると、教授会では常識なのかもしれない。
「で、どうするんです?」
僕の問いに、誰もが押し黙った。
「・・・何の対策もない、と?」
深いため息が周囲から洩れる。
「仕方あるまい、隠し課題のクリアーが最も効果的に効率アップが出来る。逆にいえば、とっとと隠し課題など無くしてしまえば早いのだがな。」
アマンダ教授の台詞は、多くの教授の思いと同じだろう。
しかし、面白がって学籍なんかを作ったのも教授会なのだ。
その辺は苦労してもらうのが一番だろう。
「イズミ君、君のほうでは何かプランがないかね?」
あるもんか、と肩をすくめる僕だった。
はぐはぐとトーストを頬張る。
周囲にはルーキーの男女が集まっていた。
昨夜のチーム内作戦会議どおりに、今日から食堂で無防備に食事を始めた。
いつも座っている席とは違う、奥まった席に座ると、ぞろぞろとルーキー達が集まり、何か言いたそうにうろうろし始める。
暫くコーヒーなんかを啜っていたのだけれども、思いっきりの良いやつらが近づいてきた。
「先日はありがとうございました。」「昨日は申し訳ありませんでした。」
見れば、昨日の少年少女とそのチームと思しき集団。
「ん。」
トーストをくわえたままで片手を挙げる。
一般人として行儀の悪い所や、イメージの悪い所をわざわざ見せて幻滅させるというのが今回の作戦要項だ。
そこで、色々と格好の悪い所を演じる予定で居る。
まず最初が何かをくわえたままでの挨拶。
が、彼らはそれに怯んだ様子はなかった。
にこやかな笑みで僕を囲み、口々にご一緒させてくださいとか何とか言い出している。
「昨日のお話し、納得は行きませんが理解できました。」
俯き加減で言う少女テルマ。
「チーム内で、チーム同士で話しました。それでも納得できませんでした。」
少年ハンスは笑顔であった。
「じゃ、どうするの? ハンス。」
名前で呼ばれたことに驚いた少年であったが、それでも言葉は出るようだった。
「納得できなくても、心から反発していない限り・・・容認する事は出来ます。 それが国連学園なのだと理解する事ができます。」
周囲を見回せば、十分に納得のいく表情をしている。
「皆も同じ意見?」
その言葉に、少年達も少女達も同様に頷いていた。
僕は非常に嬉しくなった。
何も周りでごちゃごちゃしなくても、彼らは彼らで進歩しているのだ。
いとおしい後輩達を僕はにこやかな笑みで見つめていた。
作戦されていた予定を変更した僕は、トーストを平らげても席を立たなかった。
少年少女と語らう時間を作る事にしたのだ。
「じゃぁ、イズミさんが女子寮に居ないって本当なんですか?」
こっくりと僕が頷くと、テルマが自慢げに周囲に視線を走らせている。
「でも、鈴・モイシャン両先輩のお部屋に出入りしているという噂が・・・。」
「噂は噂よ。事実お友達なんだから部屋ぐらい遊びに行くわ。」
肩をすくめる僕に、少年達はちょっと興奮していった。
「じゃ、じゃぁ男子寮に住んでいるという噂は・・・。」
「君たち、さすがに飢えた狼の巣に部屋をもっちゃ居ないわよ。屋上とかはちょくちょく借りるけどね。」
女子寮には屋上がない。防犯上の理由だそうだ。
「でも、デッキチェアの月光浴を邪魔する子犬ちゃんたちも居るから、ちょっと最近は行ってないかしら?」
そういって少年達を覗き込むと、彼らは顔を真っ赤にしていた。
「私はね、普段はアマンダ研の研究室か、映像解析室のサーバールームに寝泊りしてるの。だから君達に会わないのは当たり前かもね。」
誰かがメモを始めた。
レコーダーを回している人間も居る。
さすがにカメラを構える人間は居ないけれども、なんだか芸能人のような気がしてきた。
「あ、あの、イズミさん。お願いがあるんですが・・・。」
テルマの横に居る少女が目を潤ませながら近づいてきた。
「『お姉さま』は無しよ?」
ぼっと顔を赤くするテルマ。
「・・・いえ、あの、私達は入学してから右も左もわからない生活をしています。そんな私達を助けていただけないでしょうか?」
うるうるとする瞳を見ると、何となく頷いてしまいそうになるが、こればかりは頷けない。意地悪でも何でもなく、学園の先輩として。
「本来なら、あなた達のような可愛い後輩に頼られて嬉しく思うの。でもね、この学園の不文律というものがあってね、これだけは絶対に破ってはいけない事、そしてどんなに酷い先輩でも守っている事があるわ。」
ごくりと周囲のルーキー達がつばを飲み込んだ。
「戦うルーキーは助ける、逃げ出すルーキーには手を出さない。」
ごく真面目にいった僕の台詞を、彼らはなんと取っただろうか?
じんわりと進む時間のなかで、瞳をうるませていた少女の横でテルマは頷いた。
「解ります。・・・私達は、まだ何者とも戦っていないのですね?」
「そうね、戦いという表現よりも何にも挑んでいないといった方が正確かしら?」
黙りこくる少年少女。
しかし、実の所、最も僕らが、教授会が苦慮していた問題は解決しているように思える。
「でも、あなた達は、自分達ではわかっていなかった視点とわかっていなかった関係に気付いたみたいだから、何にも挑んでいないって言うのは言い過ぎかも知れないかもしれないわね。」
僕のその一言で、少年達が少女達が一斉に顔を赤くした。
何があったかなんて野暮な事は聞かない。
でも、今までなんか比較にならない関係で、隠し課題がクリアーされていく事は間違いないだろう。
それから暫く、イズミ=アヤは休業する。
如何せん、自分の課題がたまりすぎたから。
そして次期を同じくしてルーキーたちはアマンダ研究室の周りをうろちょろし始めたそうだ。