第十一話 調整休暇
「もう、センセもじーちゃんも寂しがってるのに。」
不満いっぱいのちーちゃんであったが、先のファン騒動ではちーちゃん自身もずいぶん迷惑を受けていたので、アマンダ教授のバーターも致し方なしと思っているようだった。
「・・・イズミ元帥、大変ですね。」
ドロレス=ファイランド=アースは僕の事を元帥と呼ぶ。
ちょっと前に少佐と呼んでクラウディアさんに怒られたからだ。
その時に僕は名前で呼んでいいんだよと言ったのだけれども、なぜか元帥とよびたがる。
・・・いいんだけれども。
「ロリータは、ちーちゃんと帰ってくれるんだって? ルームメイトと帰郷できる幸せをちーちゃんに味あわせてくれて、本当にありがとうね。」
ロリータとはドロレスの愛称。そう呼んで欲しいといったのは彼女だったので、そう呼ぶことにした。
しかし、その名で呼ぶたびに彼女はかちんかちんに身を固くしている。
「い、いえ! とても、すごく、ちゃんと、当たり前の、事ですし、あの演劇部の方達にも会いたいですし!!」
カチカチになったロリータを抱きしめてちーちゃんは微笑んだ。
「へへへ、なんかね、去年のお兄ちゃんの事思い出すよ。」
「・・・?」
「なんていうか、とっても普段道理だったのに、ちょっと嬉しそうで、それでもちょっと勇ましくて。 何でそんな風に見えるようになったか、私わかったんだ。」
そういってローパンの少女を抱きしめる腕に力を入れた。
「お友達って、すんごくいい。学園で始めて出来たお友達、皆に自慢するの!」
「・・・チヅル。」
きゅっとお互いを抱きしめあう二人。
なにか涙を誘う光景に思える。
「うんうん、私たちも凄くわかるわぁ。」
「女同士の友情って最高ね。」
その友情の延長線上でミスコンでは火花を散らしたっていうことですか?
「ま、センセやじっちゃんには信じられない迷惑をかけてるけど、よろしく言っておいてね。」
「うん。」
にこやかな二人の少女を見送って、僕らはちょっと肩を落とす。
「去年さ、例の件のバーターでプールサイドギャルソンやったって?」
「うん、熱射病にかかるかと思った。」
「今度は何なんだろう。」
「・・・チーム全員だからなぁ。」
ふぅと深いため息が全員から漏れるのであった。
山間の日差しは速攻で隠れてしまう。
JJと僕は作業を急いだ。
山ほどある間伐材が乾燥させられている小屋から、朝から数えて十二本目の材木を担ぎ出す。
担いで行った先では洋行さんたちがチェーンソウで丁度良い大きさにして積み上げている。
マイクとゲオルグとスティーブは釣りをしたり、山間で草花を採取したり、調理をしたりと汗を流している。
男連中だけで力仕事をしているのだが、女性陣はさらに過酷だ。
わざわざ山奥にあるバンガローまで着て、今期に使われるテキストやプランニングを組み立てたり検討したりと大忙しであったから。
イブとレンファは去年一年間受講しているので、その際の疑問や理解でき難い所などを指摘するよう協力を求められている。
彼女達自身は優秀であるので、極めて役に立ちにくいのではないだろうかと思っていたが、同じく受講していた友人達から質問のあったことなどを取りまとめていたので、そのへんを基準にディスカッションしているらしい。
これが本当の調整休暇の世界なのだとやっとわかった。
新入生の多くはこの休みの時期に入学凱旋を果たすわけであるが、在校生の多くは学園内に残っている。
その理由について多くは考えなかった(第三礼服が嫌に違いないとは思っていたが)が、つまるところこういう事なのだ。
新入生に合わせてテキストを作ったり調整したり、実験予定を変更して研修を入れたりとおおわらわ。
僕達男衆は、そんな彼女達を慰労するのが今回の役目だ。
さて、何をやろうかといった所で、丁度バンガローの外にはいい感じの河原があったので、切り出し材木や機材でキャンプファイヤーをしようと言う事になった。
キャンプファイヤーと聞いて、山岳踏破試験を思い出したのか、みんな目をきらきらさせていた。(うちのチームは全員山岳踏破試験を好成績で通過しているので、キャンプファイヤーには早いうちから参加していたのだ。)
食事やつまみは大量に仕入れてきたし、中華は黄の手によって色々と細工され始めている。
残った僕らはキャンプファイヤーやテーブル・椅子の準備などをしていた。
リーガフ達が器用にも椅子まで作り上げた所で夕闇が迫ってきていた。
「釜に火を入れてくれぇ」
黄の言葉と共に、圧縮木材で高出力化された竈に火がともる。
積み上げられた石が赤くなり、今にも溶け出すのではないかと思えるような思いにとらわれる。
「っじゃ、始めようか。」
JJが取り出したアコースティックギター、次々に取り出される楽器の数々。
ハーモニカ、タンバリン、カスタネット。まるで小学生の演奏会のような取り合わせであったが、熱をこめて演奏するとそれはイタリアンな香りをかもし出す。
『Ah-----』
何のあわせも無くみんなの声が一つに合わさる。
「ああ、おじょうさん、お嬢様方、どうか、どうかきいてください~」
良く通る声が周囲に響く。
リーガフの声はまるで有名歌手のように響き渡った。
「夕餉の支度が出来ました~、どうぞおかおをみせてください~」
弦をかき鳴らすJJ、それにあわせてタンバリンを片手に踊りだす僕と洋行さん。
黒のスーツの上下は、泣けてくるほど水商売の雰囲気がする。
タキシード姿のマックとスティンがカスタネットで心地よいリズムを刻む。
しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃん、かっかかかかかかかか!
声を合わせリズムを刻む。
声を合わせてメロディーを奏でる。
夕闇に沈む山間の河原に、火が大きくともされた。
僕らはそれを背に一点を見つめる。
視線はバンガロー。
そこでは女性達が鈴なりになっていた。
「ちと早いが、食事にするか。」
苦笑のアマンダ教授であった。
走り回る給仕役のスティーブに僕は耳打ち。
「・・・優雅に走るように。」
「どうやるってんだよ!」
「こうやんの。」
僕は、ラフなジャケット姿で滑らかに足を進めて、欠食状態の女性陣のいるテーブルで止まった。
一呼吸静止した後に、つっと流れるような動作で手持ちの食器を配置して、背後から手渡される水差しでコップに水を満たす。
終わった所でにこやかに一礼し、そのまま次のものを持ちに走る。
即席厨房に戻った僕は微笑んだ。
「こうやるんだよ。」
「・・・・・・・・。」
まぁ、僕だってこんな事になれるのに時間がかかった。
人様にいえないアルバイトの真価が出ているという事なのである。
見よう見まねで皆が給仕し終わる頃、上座のアマンダ教授がおもむろに立ち上がった。
「あー、少女達、ご苦労。 君達のお陰で、今年度のテキスト及び研究要領書がまとまった。 実に要点を掴んだ資料である事は明白、この成果を皆も喜んで欲しい。」
周囲から大きな拍手が波打つ。
「・・・良くがんばってくれた皆のために、この慰労会を開いているわけであるが、今年は一般生徒に我侭を聞いてもらった。今まで給仕をしてくれていたのは、皆も良く知っているチームだ。彼らに感謝をこめて拍手を。」
再び拍手が波打つ。
「では、今日の喜びと未来を祝って・・・かんぱい!」
乾杯が唱和される。
轟々と炎をあげるキャンプファイヤーをのぞみ、大いに盛り上がった。
最初はソフトドリンクであった飲み物は、いつのまにかカクテル等のアルコール飲料に変わっていった。
酒に弱い人からバンガローに運ばれてゆき、各々の部屋に連れて行かれていっている。
炎を囲む人数が半分ぐらいになったところで事件がおきた。
服を半分以上ちぎり取られたJJが走って逃げてきたのだ。
素肌には各所にキスマークが点在しているのを見て、思わずにやついてしまった。
「なんだ、お安くないな、おねーさまがたのお手つきか?」
「ば、ばかいうな! ありゃぁ強姦と表現していい!!」
たらりと冷や汗を流す僕らは、振り返ってみて恐ろしいものを見た。
闇夜で明かりに照らされたアマンダ教授の顔が、にやりと暗く微笑んでいるのだ。
「ちょ・・・ちょっといいですか? アマンダ教授」
僕の声を聞いた教授は、その暗い笑顔のままこちらを向いた。
「・・・どうした、少年達。酔いつぶれた少女達が続出しておるぞ。優しく部屋まで連れて行ってはくれんか・・・ねぇ?」
短くてタイトなスカートで包まれた足が組替えられる。
瞬時に出来た空間に黄を始め、多くの人間が吸い込まれそうになった。
が、踏みとどまる。
というか、踏みとどまれた。
なぜならば、アマンダ教授の影像処理について多く知識を仕入れていたからだ。
付け焼刃ながら、その知識が最大限の警告を発する。
『これは罠だ!』と。
その様子に気付いた教授は、苦笑と共に深々とため息をついた。
「この様子では、ウチのムスメッコたちの特別単位は今回無しだな。」
ぼりぼりと頭を掻く姿には、既に何の引き込まれるような動作は無い。
凶悪なセックスアピールは染み出しているが、通常の雰囲気だ。
「ど、どういうことです?」
どもりながらの黄に、アマンダ教授はさもかったるそうに言った。
「今回の休暇で、リョウ=イズミの一党の一人でも色香で篭絡できたら合格。おぬし達とのパイプは太くなるし、優秀な研究員が入ってくるともなれば私も有益だからな。」
な、なんという破廉恥な・・。
「少年達、うちのムスメッコに何の不満がある? 色香も催眠誘導も完璧な、いい女ぞろいだぞ。」
「酔っ払った女の子に付込んで『くっちゃう』なんて男の恥だ!」
JJの一言が周囲のチームにも共感できる台詞であった。
が、周囲からは失笑が漏れる。
なにせ喰われかけたのはJJのほうだから。
「ま、企みがばれた以上、私の方もこれ以上挑発はせんよ。・・・ただ、その気になっているウチのムスメッコ達はとまらんだろうがなぁ。」
真っ青になった僕たちは、互いを視線で確認しあった。
「教授、では今回のバーターはこの片付けを持って終わりとさせていただいていいですね?」
「かまわんよ、ウチのムスメッコたちの完全敗北だからな。」
僕らはよっぴきで道具を片付けて、とっとと朝方には逃げ出したのであった。
健全な少年としての欲望はあるけれども、それを試験対象にされては堪らない。
僕らの胸には、人生経験不足という文字が刻まれたのであった。
調整休暇半ばにして多分に心の傷を負った僕たちは、女の子っ気無しで出かけようと言う話で盛り上がった。
いまだイブとレンファはアマンダ教授のもとで骨子の仕上がったテキストの製作をしているので、このプランから外されても文句は無かろうと言うのが表向きの目算だ。
さすがに海外の誰かのうちにこれから行くとなると問題が多いので、身分を偽り、出来るだけ極秘で行動しようと言う事になった。
で、一番に話を通さなければならないのは『学園長』。
こちらのほうは面白そうだと言う事で、速攻でOKをくれたが、二つだけ条件とつけさせられた。
一つは、リバティー=クラウディア女史を同行すること。
僕が国連三軍元帥である立場は、どんなに極秘にしようと変わらないし、この時期にテロ行為は十分考えられるので、即時対応が必要になるからというものだった。
もう一つは日本国内に滞在している事。
あらゆる有事の際、日本国内にいれば大概の対応が出来るからと言うものであった。
その二つを呑んだ後、さらにもう一人話を通さねばらない人がいる。
留守番役として校内に残っている生徒総代、エメット=風御門その人だ。
直接生徒総代執務室に乗り込むと、生徒総代はなにやら書類を整理中だった。
「やぁ、みんな。何か私に用かね?」
にこやかに微笑む顔は、僕達の相談を聞いて急に歪んだ。
呆れたと言う表情で肩をすくめ、そしてため息をついた。
「リョウ君、君は冬のカナダ旅行で何も学ばなかったらしいねぇ。」
「その点では学園長にも釘を刺されました。」
国内に限る旅行である事や、国連武官を同行させることなどを呑む事となったのを正直に言うと、ミスターも苦笑していた。
「なんで、そんなにどこかに行きたいんだね?」
いまだどこに行くとさえ決めていない僕達に、ミスターは苦笑していた。
が、僕達は全員で、疲れた表情をして遠くを見ていた。
結局、ミスターの協力も得られた僕達は、この調整休暇も休みなく働いているクラウディアさんを連れ、慰労と心の休息に出かける事にした。
さてどこに行くかと言う時点になって、洋行さんが手を上げる。
「うちの実家がさ、温泉宿なんだよ。二泊ぐらいなら丁度良いんじゃない?」
しかし、今、日本の世間はゴールデンウイークの真っ只中。
温泉宿なんて満員なのでは? と聞いてみると、冬のスキー以外になんの娯楽も無い所だから、この季節は閑古鳥が鳴いているそうな。
ネットで調べてみると、温泉湯治が中心であった宿らしく、鄙びた日本らしさを満喫できそうだと言う話になった。
「元帥、私はお留守番しましょうか?」
「駄目駄目、クラウディアさん。僕達が外に行く為には、クラウディアさんの協力がいるんですから。お願いしますよ。」
「はぁ。」
押し切られる形の彼女は、何処と無く納得しているふうは無かった。
もちろん、心底嫌と言う訳でもないだろう。
「じゃ、一番怪しまれない立場ってなんだろう?」
何に変装するかって辺りが、一番盛り上がったに違いない。
色々なプランがあげられる中、マイケルの意見でいきなり決まってしまった。
「俺達生徒、クラウディアさんは部活の顧問の先生。」
おお、とみんなは感心する。
「やっぱ剣道部?」
「ま、スォード部ってので良いんじゃない? アメリカンスクールの在校生ってことで。」
みんなは腰に帯びた剣を叩く。
その瞬間からお出かけが始まった。
夜遅く、というか、朝早くにリニアトレインの駅に集まった僕達は、人目をしのんで列車に乗った。
完全自動運行のそれは、僕達の市内への足であり、資材搬入の要である。
ゆえに、天候に左右されないよう地下に建設されている。
窓の風景は一切無い代わりに、快適な旅行が約束されていた。
わいわいと談笑している僕達を横目に、クラウディアさんはため息一つ。
「もう、諦めてくださいよ。『先生』」
後でわかったことだが、クラウディアさん自身、教員免許を持っているそうで、実際に先生でもおかしくないのだそうだ。
「やめてください、元帥。・・・もう、諦めてはいるんです。」
はぁ、とため息をつく彼女の横に座ると、ちょこっと覗き込んだ。
「あきらめてる、ですか。」
「ええ、諦めてる、です。私は、軍人です。上官の命令には絶対です。どんな意図が上司にあろうと従うのが軍人です。・・・上司が諦めろと言えば、諦めるのがスジなんです。」
それでも重苦しいため息の彼女を見て、どうも罪悪感が胸を突いていた。
「もしかして、何かご予定があったんですか?」
すると、悲しそうに首を振る彼女。
「元帥にお誘いいただいて、とても嬉しくはあるんですが・・・。」
真っ暗なトンネルに向けて視線を泳がせる彼女。
「・・・置いてきた方々を思いますと、心が痛みます。」
ヒキッと表情が凍る僕。
いや、その一言が届く範囲の人間は、間違いなく固まっていた。
「だ、大丈夫だと思うよ、うん。彼女達はこの調整休暇中、ずうっと山奥でカリキュラム作りだし。」
「そうそう、大丈夫だよ。うん。」
口々に言う僕らの台詞は、一切の説得力をもっていなかった。
なぜならば、彼女達ですら今一番逃げたい相手の対象なのだから。
朝一番のこだまに乗り込んだ僕達は、何となく視線に付きまとわれていた。
致し方ないだろう、JJやスティーブはアメリカンな色男だし、ゲオルグやマック等はたおやかな美形だし。 そんな男達がワイワイとしているのだから目立たない訳が無い。
「みんな、朝早いんだから静かにしましょうね。」
きわめて先生らしい意見を聞いて、僕達はにこやかに「Yes」と返事した
どうやらクラウディアさんも開き直ったらしい。
完全な私服で出歩くのも久しいなと思いながら、隣の黄を見る。
黄も嬉しそうなニコニコ顔だが、その理由は明らかに隣に座るクラウディアさんであろう。黄は年上好みなのだ。
カートで車内販売に来た女性に、僕は色々と注文するが、困惑の表情をされてしまった。
「コークとサンドイッチと・・・。」
何度か繰り返した所で、背後のJJが流暢な日本語で言いなおした。
「コーラとサンドイッチと新聞をください。」
そう言われて初めて自分が英語で話している事に気付いて顔を赤くした。
「やだぁ、日本語お上手なんですね。」
「ええ、彼は日系なんですけど、日本語は全く喋れないんです。」
僕の頭をぐりぐりしながらJJは微笑んだ。
なんというか、恥ずかしい。
昔の番組かなんかで、長期に出張で海外に言っていた日本人が、帰ってきても日本語に切り替わらなかったという内容をやっていたのを思い出し、そのときに「気どっているだけ」だと断言した自分を更に思い出した。
その時ちーちゃんはそれを聞いていたが、今の僕を見てどう思うだろう?
そんな疑問の僕だったが、実は実家でちーちゃんが「それ」をやっているとは夢にも思わなかった。
東京駅で山手線に乗り換え、秋葉原で再び乗り換えようとしたときに、洋行さんが携帯片手に驚いていた。
「ええ! だめって・・・どういうこと?」
ぼそぼそと電話相手に話していた
喧喧囂囂とやっているうちに、絶望的な表情で洋行さんは電話を切った。
「どうしたの?」
「突然、贔屓スジからの予約で一杯になっちゃったんだって・・・宿。」
なにぃ! と柳眉を立てて、洋行さんに詰め寄る仲間達。
洋行さんはただただ困っているようだった。
「どうするよ、このまま学園に帰るのか?」
意気消沈した様子のスティーブに僕は笑いかけた。
「なに、洋行さん以外行き先を知らなかったのが、皆判らなくなっただけだろ?」
「ああ?」
「行き先なんか、これから調べりゃ良いさ。旅行雑誌かなんかを調べて、直接交渉しちまえばいいんだよ。」
急に、周囲の意気が上がる。
取り出したモバイルコンピュータで地図や温泉などを調べだし、何処に行こうか等と相談を始めるのであった。
「リョウ、助かったよ。」
「なになに、旅行が面白くなったんだから良いでしょ?」
実はこういう旅をしてみたかったのだ。
友達の叔父に変わり者がいて、連休があると急に温泉に行ったり近所の銭湯に通ったりで家を空ける人なのだが、その人曰く、「良いぞ、目的を探しながらする旅ってのは」と言う。
それを聞いて以来、一度いきたいって一度やってみたいと思っていたのだ。
「名前が面白いのと、場所がいいのと、わけわからないの、どれにする?」
何処から買ってきたのか、旅行雑誌を差し出すJJ。
多数決が取られる事になった。
「nekonaki_onnsen?」
「そうそう、猫啼温泉って言ってね、まさに猫が鳴くって意味があるんだ。」
「にゃー?」
「ニャー。」
ケタケタと笑う皆は、東北新幹線に乗っていた。
一度東京駅まで戻ろうかと思ったのだけれども、目的地まで一直線という方針のために上野駅で新幹線に乗ったのだが、一般ホームと新幹線ホームの遠い事と遠い事。
感覚的に地下五階と言ってもおかしくないほどの地下にホームコンコースがある。
学園のリニアトレインもずいぶんと地下にあるが、それにも勝てるかもしれない。
まぁ、学園は直通エレベーターで行けるので、こんなににも下に降りたという気がしないから、負けていると言う感じもある。
しかしながら、誰も行った事が無い場所に行くと言うのは、結構、いや、かなり面白いものだった。
どの駅で降りるとか何線に行くとか不安と期待とが一杯になり、もう本当に遠足気分で、引率約のクラウディアさんも喜んでいるようだった。
涼やかな笑顔を見て今回の目的の一つは達成した気分になった。
椅子をボックスにしてカードゲームに興じる姿からは軍人の香りなどは感じなかった。
旅行雑誌には「鄙びた湯治温泉場」とかいてあった。
辺鄙な場所で、温泉以外の観光はなくとかかいてあった。
そんな訳で、僕は勝手に民宿のような場所で、木製温泉だとばっかり思っていたが、ぜんぜん違っていた。
どちらかと言うと、大きな温泉の観光ホテルと言う風情であった。
ジーパンやタンガリーシャツなどで身を固めた姿ではいるのが、ちょっと気後れした。
「あのぉ、突然ご予約させていただいた、イズミと申しますがぁ。」
フロントに顔を出すと、四十がらみの女性が和服で微笑んでいた。
「はぁい、おまちしておりましたぁ。」
宿帳に記帳して通された先は、六畳あまりの部屋三つであった。
「男さんは二部屋に別れていただいて、女子さんは一部屋お使いください。」
と言う事で部屋に分かれたが、押し殺すような悲鳴が隣から聞こえた。
クラウディアさんの部屋だ。
思わず駆け込もうとする前に、声をかける。
「クラウディアさん、どうかしましたか!」
一拍おいて彼女は無事の声を聞かせた。
「と、突然、鏡を見て、びっくりしただけです。・・・ご心配おかけしました。」
見慣れぬ部屋で戸惑ったのだろうと思って、僕達は風呂に行く事にした。
ここで気にしていれば、早速に宿を変えたであろうに。悔やまれる。
風呂から帰ってきてもクラウディアさんは姿を見せなかった。
「クラウディアさん、お加減が悪いのですか?」
「すみません、ちょっと今日は疲れたようなので、お休みさせていただきます。」
済まなそうな彼女の声に、僕らは心配になったが、男のみではどうする事も出来ない事もあるので、彼女の部屋と一間空けた部屋で食事にする事にした。
些か盛り上がりに欠けたが、開放感は嘘ではなかった。
風呂は24時間だと聞いていたので、僕はそろそろと部屋を抜け出して風呂に行った。
露天混浴などと言う事は無いので、安心半分寂しさ半分と言った所。
脱衣所をみて誰もいない事を確認して、やっと一息ついた気分であった。
皆で風呂に入るときは、どうしても眼鏡を外せないので頭などが洗えない。
しかし、こうして誰もいない事がわかっていれば、安心して眼鏡も外せる。
据え付けのシャンプーで泡だらけ、据え付けのボディーソープで更に泡だらけになった僕は、一気にシャワーを浴びた。
痛いぐらいの水圧をあびると、眠気も何も吹っ飛ぶ。
夜闇が見たいなと思って、僕は露店風呂に身を沈めつつ空を仰ぐ。
遠くに無粋なジェットヘリの機体音が聞こえたが、強制的に無視する事にした。
眼鏡の無い視界で見る空は、満点一歩手前の星空で、煌々と月が明かりをともしている。 こういう空を、ずっと見つけていたっけなぁ。
と感慨深げに思っていると、なにやら脱衣所に人の気配を感じた。
空いてる風呂で一息しようという風にたくらんだ人間は、自分だけではないんだなぁ等と思った。
じろじろと見ているのも良くないと感じた僕は、脱衣所に背を向けるように座りなおし、再び空を見上げる。
眼鏡が曇ってしまうので、一度湯船に浸してからかけなおすと、背後で息を呑む気配があった。
なんだろうと思って振り向くと、両手を口に当てたクラウディアさんが、今湯船に入ろうと言う姿勢で固まっていた。
「え・・・と、なんで男湯にクラウディアさんが?」
「なんで、元帥が女湯に・・・!」
同時に交わされた言葉で、彼女は幾分平静を取り戻したようだった。
「げ、元帥。 先ほどの仲居さんの説明では、右が男湯左が女湯と仰って・・・。」
真っ赤な顔でこちらを見ているクラウディアさん。
参ったなぁと思って、僕は視線をそっぽに向けていた。
「それは、12時までの話。夜中の12時を過ぎたら入れ替わるって説明あったでしょ?」
「・・・聞いておりませんでした。」
消え入りそうな声が聞こえた。
僕は手元のタオルをぎゅっと絞って、眼鏡の上から目隠しをした。
「そんなままじゃ風邪引いちゃうよ。目隠ししたから一緒にはいろ。」
「え、でも・・・。」
「ね?」
ゆっくりと、湯船に人が入ってくる気配がした。
もう、目隠しをとっていいといわれるが、僕は礼儀ですよといって付けたままでいた。
嘆息の後、クラウディアさんは勢いを付けるように僕に聞いた。
「お邪魔じゃなかったのですか?」
チームだけの旅行に、自分がついてきて邪魔じゃなかったのかと。
「何でそう思ったんです?」
「・・・私は、軍務で元帥に付き従う立場です。ですが、現在元帥はバカンスにいらしていると理解しています。そんな時間に私が割り込んで良いものかと、そう考えています。」
なんと真面目の女性だろうと思うのと同時に、結構胸が熱くなってきてしまった。
なにせ、先日、バンガローであった事が思い出されたからだ。
虎視眈々と男を食い物にしてやろうと思っている女性もいれば、ひそやかに思いを咲かせる女性もいる。やっぱり同行してもらってよかったと心から思った僕だった。
「あのですね、クラウディアさん。 今回同行してもらったのは、なにも学園からの指示ばかりじゃないんですよ。」
「え?」
「配属されてからこっち、クラウディアさんってば、休みを一日も取ってないでしょ?」
「え、はい。ですが、毎日職務を果たしていらっしゃる元帥の武官が、有給消化のために休みを取るなどと、どの口でいえますか?」
「その件で、僕はJJ将軍から怒られてるんですよ。『私の部下を使い潰す気か』ってね。」
「・・・すみません。」
「いや、怒ってる訳じゃないし、文句をいっているわけでもないんだ。ただ、皆クラウディアさんが心配だったんだよ。」
「はぁ。」
「出来れば一度、クラウディアさんの慰労をかねてどこかに行こうって言ってた所でこの話になってね。渡りに船って事で、同行してもらったんだ。」
急に相手が静かになった。
なんか啜り上げる様な音がしている。
タオルをずらすようにそちらを見てみると、ぐしゅぐしゅに涙を流す彼女がいた。
「あ、あの、クラウディアさん?」
ウルウルの目でこちらを見たかと思うと、一気に彼女は距離を詰めた。
広げた両手で僕を抱きしめ肩を震わせている。
僕は、彼女を抱きしめる訳には行かず、ただただ彼女の胸の谷間で窒息しないようにもがくだけだった。
朝食、食堂に集まった僕らが見たのは、つやつやの笑顔のクラウディアさんだった。
「みなさん、ご心配おかけしました。」
きらびやかな笑顔の彼女は、みんなにご飯と味噌汁をよそおうとしている。
「あ、ほら、こういうのは僕達でやるものですよ。」
「でも、昨日は皆さんにご迷惑をおかけしましたし。」
そう言いながら、彼女は僕のほうを見て顔を赤らめた。
「なぁ、リョウ。貴様昨日の夜は何をしていた?」
真横の黄が冷ややかな目をしている。
「・・・風呂に入ってた。」
「くらうであさんとはなにもなかったんだおるなぁ?」
「な、何をいっておる・・・。ここの風呂は混浴ではないぞ。」
動揺のあまりアマンダ教授のようなしゃべり方で答える僕
「リョウ、貴様は彼女の上司だからな。それを理由に、不埒なまねをしていないとは限らん。」
殆ど物質化した冷たい視線をやめさせたのはクラウディアさんであった。
「誤解をなさらないださい。黄さんもよくご存知の通り、元帥はそのような命令をなさいません。」
きっぱりと言い切った彼女に笑顔を向けながら、黄の手は僕を掴んで離さなかった。
きっちり釈明せよと言う意思のこもった手であった。
僕は半ば睡眠不足の頭を振って、朝食にありついていた。
卵をかき混ぜつつ、しょうゆを加える。
そんな動作の中で昨日のことを反芻していた。
黄に言われるまでも無く、確かに昨日はやばかった。
前のはだけた妙齢の女性に、全力で抱きつかれていたのだから。
体中が「よし、いけ!」という信号を出していて、そのうえで、彼女の肌もほんのりと赤かった。
まともに無い性知識を総動員して考えてみても、ここは男になる場面だろうとも思った。
が、意識は急に空に戻った。そして先ほど聞いたヘリコプターの音が、再び近づいてきた為、急に音が気になった。
灼熱の思考になっていた僕の頭は、なぜか瞬間的に正気に戻っていた。
状況としてこのまま流されても良かったのだけれども、僕自身がその先の責任が持てない事を十分わかっていたから。
だからこのまま自分から抱きしめる事は出来なかった。
ゆっくりと彼女の頭に手を置いて優しくなでていると、どうにかこうにか彼女も正気に戻ったらしく、抱きしめていた両手の力が抜けてきていた。
あのままだったら間違いなく「間違い」を起こしていただろうと思う。
今はあんなににもにこやかな彼女の表情があるのだから、あの時、少々不満げな彼女の表情を思い出しても、その間違いは起こさなくて良かったと思う。
「元帥、おかわりはいかがですか?」
浴衣の向こうで不自然にまでゆれる彼女の胸を見て、思わず赤くなった。
(ブラしてねーじゃん!)
思わず固まった僕の耳に彼女は囁いた。
「セクハラですよ、元帥。」
声の調子は怒っているようであったが、顔は微笑んでいた。
「んじゃ、セクハラついでに日本人として忠告。 浴衣は着物じゃないから下着を着たほうが良いよ。」
真っ赤になった彼女は、飛び去るようにその場を後にした。
さて、散歩にでも出ようと言う話になったとき、仲居さんが現れて妙な事を口走る。
「客様、お連れ様がご到着です。」
くすくすと笑いながら消える仲居さんを見ながら、何の事だろうと思っていた僕達の表情は、次の瞬間に凍りついた。
そこには、第三礼服を綺麗に着こなした麗しき美少女二人が立っていたからだ。
仮面のようににこやかに固まった表情で、僕をつるし上げる。
「さて、言い訳を聞かせてもらえるかしら? リョウ。」
「何をするのもチームで一緒、二度と私達を外さないって言ったわよね?」
そんな事は一度も言った覚えは無いが(いや、去年言ったかもしれない)、ここは一先ずやる事があったので実行した。
「やぁ、おはよう。今日もきれいだねぇ」
容赦の無いビンタが、二人の手から放たれる。
僕の両頬は、真っ赤に燃え上がっていた。
「みなさん、ちょっと個人的なお話が彼とありますの。席をはずして頂いてけっこうかしら?」
全く凄みも入っていない口調であったが、誰もが首が外れるほどに頷いていた。
脱兎のごとくにチームがいなくなった部屋の中で、じんわりと殺気を放つ二人の少女と僕が取り残されたのだった。
明るい和室のはずであったが、何となく暗くなっている気がする。
それは多分、僕の正面にいる二人の少女に威圧感を感じている為だろう。
「で、どういうことなのかしら?」
大して大きい声ではないのに、冷え冷えとした声が、部屋中に響く。
正座をして僕は、ビクリと姿勢を正した。
「・・・私達は、チームじゃなかったのかしら?」
さらに僕はビクリと体をふるわせる。
すくりと立ち上がった二人は、音もなく僕の両脇に座った。
「もう演技は止めて。 あなたは全く怯えている訳じゃないし、私たちを怖がっている訳でもないのはわかっているんだから。」
冷静な視線のイブを見て、全て見透かされているのを感じた。
だがしかし、彼女たちも見落としがあることを僕は理解した。
そこを突かれない為に僕は思考をフル回転にした。
「でも、判らないの。あなた達が私達を置いて出かけた事が。」
深くため息をついて、僕は二人の肩に手をまわした。
「・・・出かけた理由は判っているんだね?」
こくりと頷く姿は、年相応かそれ以下に見える。
「ミス・クラウディアの休暇でしょ?」
「それは私達もいる席で話していたんだから、そのぐらいは解ってるわ。」
些か気分を害したふうの声で言う二人の少女。
が、二人の少女は、いまだ全ての理由に思い至っていない。
言うべきか、言わないべきか。
「置いていった事に理由があるのね?」
さすがに聡明な少女達だ、自分達が置いてゆかれたこと自体に何らかの理由があることをかぎ付けた。
が、理由は判るだろうか?
本当の理由について。
「・・・私達、何か嫌われるような事、した?」
バンガローの一件を引っ張り出そうかと思ったが、それは賢明ではない。
その辺は皆で話してあるから。
それが故に置いていったのだが。
「嫌っていないし、嫌われるような事もしていない。」
「じゃ、なんで?」
小さくため息をついて、一つの理由を口にした。
「君達は、クラウディアさんにストレスを与えるんだ。」
「え?」「私達は別に・・・。」
「君たちがどう思っていようと問題ではないんだ。けれども、彼女は君達が一緒ではリラックスできない、これは間違いの無い事実だ。だから、君達を今回の旅行から除外した。」
真っ白な顔色で僕を彼女達は見つめる。
「・・・君達は悪くない。でも、彼女も悪くないんだ。君達は普通の女性から見て眩しすぎるし、ひどくコンプレックスを刺激する存在なんだ。わかってるだろ?自分達でも。」
ぎこちなく、二人は頷いた。
この辺の話で納得してくれるんなら問題は無い。
「そんな彼女のストレスを解消してあげたい、休ませてあげたいって思った時点で、チーム方針は決まってくると思うんだ。 知らせる事無く出た事は悪いと思ってる。でも、選択肢は殆ど無かったんだ。」
一度二人から離れて、そして深々と頭を下げた。
「ごめん」
その一言で済めばよかったのだが、二人の少女は僕の思惑を超えて優秀だった。
「ね、なんで私達の目を見てくれないの?」
どきっ、と今までの平静が吹っ飛んだ。
何の演技もなく、心臓は爆発するほど高まっていた。
(まずい)と思った顔が、そのまま出てしまい、更にあせった。
無理して顔を上げた先の少女達は、今にも泣き出しそうな顔をしていたから。
もう、ごまかしは効かない。
真実のみが最後の言葉だろう。
諦めた全身を覆い、真実への言葉を吐き出さざる得なかった。
「・・・ごめん、ほんとの事を言うよ。」
すっと正面から彼女達を見つめ、そして腹に力を入れて言葉を紡ぐ。
「怖かったんだ、君達が。」
「え?」
「正確に言えば、あのバンガローの一件で、僕達は君達を含めた「女の子」という存在全てに恐怖を感じてしまったんだ。」
二人の少女真っ青な顔をしている。
「君達は多分、悪戯半分で、レクリエーション気分でした事なのだと思うし、多分僕達もそう受け流すべきなんだろうと思う。でも、僕達は感じてしまったんだ、君達から恐怖ってやつを。」
2人の少女は自らの身を抱きしめるように震えている。しかし、言葉は区切れない。今ここで区切ってしまってはいけない。
「凄くショックだったよ、自分達が如何に軟弱だったかを知って。」
いやいやを繰り返すように2人は首を振る。泣き出しそうなその顔から悲鳴が聞こえそうだった。
「・・・だから、君達がアマンダ教授のところで調整をしている間だけでも距離をとって、それで、君達と向き合いたいって思ったんだ。」
ボロボロと涙を流す2人を、僕はぎゅっと両手で抱きしめた。
言葉にならない唸りを上げながら、二人の少女は滂沱の涙を流している。
「ご、ごめん、なさい。・・・あなた達がそんなに傷ついているだなんて、ぜんぜん気付かないなんて・・・・ごめんなさい・・・。」
「・・・最低ね、私達。・・・初めにあなた達を裏切ったのは、あなた達を陥れたのは私達だったのに。」
ぎゅっと更に力を入れる僕。
彼女達はぐっ、と声を出してしまう。
「駄目だ、君達は裏切っていないし、陥れてもいない。駄目だよ絶対にそんな風に謝っちゃ駄目だ。僕達は確かに『怖い』と思ったけれども、それは傷ついている訳じゃない。」
抱きしめた2人の少女の頭を寄せて言う。
「君達と僕らは、いや僕は正面から向き合いたいんだ。だから、ちょっとだけ時間をもらえないかな?」
ゆっくりと離れてみる少女達は、真っ赤な顔で頷いて見せるのだった。
赤い顔の少女達が、乱れた制服を調えているところで座敷の戸が軽く叩かれる。
「元帥、お話中申し訳ありませんが、緊急信号を受信しました。」
「入ってください。」
その一言と共に、真っ赤な携帯電話を持ったクラウディアさんが、国連空軍の士官服で現れた。彼女の居住まいを見れば全てが知れる。
僕とクラウディアさんの休日が終わったのだ。
無言で彼女が渡す電話を僕は受け取った。
「おはようございます、イズミです。」
『おはよう、リョウくん』
電話の先は学園で留守番をしている風御門先輩であった。
「ミスター、現状は?」
『我々も詳しい状況はまだ掴んでいないが、国連学生の自宅に押し入られ篭城された。』
「地元警察の範囲ですね。」
『たしかにそうとも言えるが、篭城している場所と人質が問題だ。』
手元にクラウディアさんがメモとペンを渡してくれる。
「何処です?」
『場所は日本、東京都板橋区だ。』
ぱたりとペンが落ちる。
不意に背筋が寒くなった。
東京都板橋区出身の国連学生は、現在2人いる、というか2人しかいない。
それもよく知っている人物だ。
「そのぉ、もしかすると、無人の僕の家に篭城してるんでしょうか?」
なかば期待を込めたその言葉を、ミスターは否定した。
『残念ながらそうではない。もしそうならば、君の許可を得て、家ごと殲滅戦を仕掛けている。』
だろうなぁ、と思いつつ、言葉は繋がる。
「では、やはり・・・。」
『そうだ、篭城先は株式会社隅田組、人質になっているのは社長及び専務、そして血族である墨田千鶴、その友人ドロレス=ファイランド=アース、そして最も厄介なのは最後の一人だと言っていい。』
イヤーな予感が背筋を這う。
「あのぉー、もしかして厄介なヒトというのは・・。」
『御察しの通り、君の恩師「天野川 清音」その人だよ。』
だぁー、と思わず突っ伏した。
色々といいたいところもあるが、一応一般見解というものを話してみる。
「何のかんのといっても、あの人は一般人ですよ?」
そう、一般人だ。
車の趣味が悪くて、いつも金欠病で、生徒の人気抜群だと言っても、ただの公立学校の教師なのだ。
『リョウ=イズミ。いつも言っているが、自分と自分の身内を不当に低く評価するのは君の悪い癖だ。 言っておくが、彼女は国連学園でも教師勧誘している人材だぞ? 独自努力で2人も、それも僅か2年の間に連続で2人もの生徒を国連学園に送り込んだ才媛だぞ? それでも無価値と言うのか?』
「無価値とは言っていません。 ただ、彼女は人様が大騒ぎするような大物政治家とかじゃないんだって言っているだけです。」
『政治家なぞ、誰でもなれるものだ。代わりなど世間にはいて捨てるほどいる。 しかし、国連学園に独力で二年連続人材を送り出すなど普通では出来ん。それだけでも各国、それどころか国連学園が欲しがる価値がある。』
深いため息が漏れた。
一人は確かに評価どうりなのだけれども、もう一人は、どうもイカサマっぽいしなぁ。
ぼりぼりと頭を掻いているところで、ミスターサイドに新たな情報が入ったらしい。
『・・・最新情報だ。 犯人の名は滝本 啓二。去年度の国連学園受験者で、学業成績がトップだった事が判明した。 要求は、去年度行われた国連学園入学試験結果を正常なものにするように、だそうだ。』
「正常に、ですか。」
『正常に、だそうだ。』
がっくりと肩を落とし、再びため息をつく。
まいったなぁ、と言う感じだ。
国連学園の入学試験は、8次に渡る予備試験と二次の本試験が存在する。
予備試験はどちらかというと成績判断材料と言うよりも模擬試験的な要素が高く、入学試験に大きく関係はしない。
が、その予備試験の結果で、だれしも入学確実だとか一般学校に受けなおすだとかを判断する訳であるが、本試験は違う。
一次の学業試験に加えて、二次の運動試験が大きく影響する。
国連学園に受験し、一次試験を通れる人間の学業資質はほぼ一律だ。
授業についてゆけるだろうし、研究も十分出来るだろう。
しかし、波乱にとんだ学園生活には、勉強しか出来ないモヤシッ子では堪えられない。
野を駆け、湖面のドラム缶橋を走り渡り、手漕ぎボートで川を遡り、そして地に伏せ息を潜めて夜を明かすようなタフさが必要なのだ。
ちなみにこのタフさを計る試験は、千鶴が入学したときのもので、毎年その内容が微妙に変わっている。
僕のときは山ひとつを踏破するというものがあり、かなりきつかった。
で、その総合成績で入学順位が決まるのだが、総合し方が問題だ。
学業2で体力8という比率で加味されるものだから、いかに学業がトップでも入学が果たせない人間が多数存在する訳だ。
無論、一次試験でアシきりされる訳だから、一定学力以下の体力馬鹿も入学できない。
受験のオリンピックとはよく言ったものだと思う。
「ま、無理ですね。学業トップで入学できなかったとしたら、間違いなく体力テストをやっていませんよ。途中で倒れたならまだしも、手を抜いたか途中で棄権したかどちらかですね。」
『資料では、体力テストを野蛮な行為として棄権したそうだ。』
その時点で入学の資格は無い。
国連学園で生活する為に必要なのは、たゆまぬ努力と抜け目の無い目と、ルールに従う従順さとルール網目に指をかけてひっくり返す知能と技巧なのだから。
『まぁ、対応は決まっているが交渉は必要だろう。・・・そこでだ、君に現場へ飛んでもらいたい。』
「・・・僕、これでも元帥なんですが。」
『その権力を使ってもいいが、恩師が救出されているときに温泉で部下と遊んでいましたと言うのは格好がつかないだろう?』
あらためてため息を出した僕は、すっくりとたちあがる。
「・・・現時刻をもって、板橋区篭城事件を『イズミ元帥府』の管理下におきます。UN関係部署および国家所轄に早急な連絡を。」
『了解、イズミ元帥殿』
切られた電話をクラウディアさんに渡し、僕は苦笑した。
「さすがにこの格好では行けませんねぇ。」
「はい。元帥閣下の制服は私が持ってまいりました。」
さすがは敏腕武官。
振り返った僕は、2人の少女に微笑んだ。
「ちょっと早いけど、僕のバカンスは終了しちゃったんだ。・・・学園でまっててね。」
真っ赤な目をした彼女達は、小さく頷いた。
UNのマークの入った垂直離発着機がヘリポートに降り立った。
小型だが十分なジェットエンジンを積んでおり、音速に届く稼動が可能な機体だ。
乗員はパイロット・サブパイロットに加えて三人までだ。
僕とクラウディアさんが乗り込んだ後、押し込むように一人乗ってくる。
よく見れば第三礼服のイブ。
「・・・学園でまっててくれるんじゃないの?」
先ほどの表情など何処へやら、引き攣った笑顔。
「・・・黄から聞いたわよ。昨日の夜、何処に行ってたのかしら?」
たらりと汗が流れると同時に、更に加圧された。
「マッハで飛んでも道中長い事よ、ゆっくり聞かせてもらえるかしら?」
レンファもなかなか負けていない笑顔だ。
「げ、元帥! 定員オーバーです!!」
すくりと立ち上がった二人の少女は、ナビシートのパイロットを放り出す。
「クラウディアさん、あなた空軍士官ならナビぐらい出来ますわよね?」
「は、はい!」
はじかれたようにナビシートに飛び込んだクラウディアさんは、手際よくチェックリストを埋めてゆく。
思わず僕らはその姿に見ほれていたが、彼女が口を開くと同時に我に帰った。
邪悪な笑みを浮かべてパイロットにこう宣言したのだ。
「今より、パイロットシートの優先権を宣言します。宜しくて? 軍曹。」
「は、はい・・・。」
一気に出力が高まったジェットタービンは、機体を瞬間的に空に放った。
「ひゃーーーーーーーはっはっはっはっは!!」
以前、UN空軍で『クレイジークラウディア』と呼ばれていたパイロットがいた事を僕達が知ったのは、現地についた後であった
某マンションのヘリポート施設に無理矢理着陸した機体から、どうにかこうにか這い出してきた僕達は、お互いの無事を心より祝った。
「あの、元帥。乗り物にお弱いのですか?」
さらっとした顔でそんな事を聞くものだから、思わず僕らは突っ込んだ。
「誰だって驚くわ!」
「はぁ、なぜでしょう? パイロットの頃から皆さんにそういわれます。」
まぁいい、その辺を細かく突っ込むと怖い事になりそうだったので、僕らは詮索を後にした。
クラウディアさんが差し出す赤い電話を受け取って、僕は応対した。
「あー、ども。こちら元帥府です」
『やぁ、どうやら予定より早く着いたみたいだねぇ。』
「まぁ、パイロットがある意味優秀でしたので。」
多くの返事はなく、ただ「なるほど」と返した後、ミスターはややトーンを落とした声で話した。
『時間推移が少ない分、現場の流れも無い、いわばこう着状態だったのだが、先ほど住宅街の上で亜音速を出す馬鹿やろうがいたもので、現場は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。』
つーとクラウディアさんを見たが、彼女はにこやかに微笑んでいるだけであった。
・・・まぁいい。
「で、変化は?」
『「馬鹿やろう」の機体を狙って乱射したお陰で、犯人が持つライフルの弾薬が減少した。』
「つまり、誰かが殺されれば、その瞬間に人質ごしに射殺決定ですか。」
『地元警察はその気満々だな。』
「相手は未成年ですよ?」
『国連学園を相手にした時点で、その辺の法律はあいまいになっているな。』
ぼりぼりと頭を掻いて、クラウディアさんの差し出した双眼鏡をのぞく。
トチ狂った子供でも見れるのかと思いきや、縁側でスイカを食べる三人の女性が見えるだけであった。
一人はどうしようもないぐらいに怯えている、ローパンドリルヘアの少女。
もう一人は、妙に楽しそうにスイカにかぶりついている、黒髪つややかな少女。
最後の一人は、真っ青な顔で今にも倒れそうな顔をしているが、じつは二日酔いのせいだとあからさまに解る成人女性。
「あのー、いま、ぼくのいる位置から、知ってる顔の女性が仲良く並んで縁側でスイカ食べてるんですが。」
『ああ、一応人質の安全を確認したいと言ったら、そんな感じになったそうだ。 ちなみに屋内の最深部からライフルは構えられている。』
「ミスター、篭城しているのって一人じゃありませんね?」
『ん? ああ、よく判ったものだね。犯人は一応三人と言う事になっている。』
まず、国連学園を受験した本人、あとはその両親だそうだ。
「世も末だ」
思わずため息をついたが、再び覗き込んだ双眼鏡の中で不意に気付いた事があった。
2人とも第三礼服を着ていないのはいいとして、帯剣をしていない。
武器として取り上げられたか?
「ね、リョウ。射殺しちゃうの?」
イブの問いは、一番安易で救いようの無い方法への逃げ道を封じるものだった。
「大丈夫よ、イブ。彼は誰も殺さないわ、殺させるものですか!」
レンファのこの励ましは、僕への完全なストッパーになった。
正直な話、自分が現場に居るのならば、色々と手を尽くせるのだろうけれども、さすがにこんな風に外から見ている状態では、地元警察と同じ立場といってもいい。
きらきら光る瞳で見つめる2人の少女を見て、力なく僕は呟いた。
「何とかしましょう」
くすくすと笑ったミスターは、妙な事を言い出した。
『まぁ、暴食の人質にを殺さぬよう、頑張ってくれたまえ。』
「へ?」
下水道の本管は、ひどく広いトンネルのようであった。
カメラ映像から覗く世界からは何の臭気も感じないが、ひどい匂いなのだろうことは疑うべくも無い。
しかし、UN特殊部隊の面々は黙々と指示場所まで進んでいった。
「元帥、そろそろ到着します。」
クラウディアさんの言葉と共に、映像の移動も止まった。
『こちら出前一号、指定位置まで到着しました。』
しゅこーしゅこーというバルブ音は、彼らが使っているレギュレータの音。
さすがに現地での酸素は期待できない。
「えっとですね、進行方向右側の壁、天井から二十センチの所を破壊してください。」
『了解』
短時間で壁に穴が空けられ、そしてボルトのようなものが差し込まれる。
ハンマーで二回ほど叩いた所で、下水の壁は音もなく一気に崩れた。
そこは階段になっており、真っ暗な光も無い空間に繋がっている。
『発見しました、元帥。』
「あ、こっちからも見えます。エコーで照らしてみてください。」
『了解』
光学映像であった画面は、一昔前のCGみたいなワイヤーフレーム映像に切り替わる。
二秒に一回切り替わるその絵は、細部にわたる形状で、その階段を表していた。
崩れた壁からはいって階段三段上の所に、描ききれない何かが存在している。
『元帥、罠を発見しました。これより処理に入ります。』
「いや、それはいいよ。罠じゃなくて鍵だから、先頭に行く人が持っていってね。」
『・・・了解』
いささか納得していない様子であったけれど、それとは別に「鍵」と隊員は手にした。
手のひらサイズのティディーベアという名の鍵を。
「しかし、よくそこに抜け穴があると判りましたね。」
「感心するほどの事じゃないんですよ、クラウディアさん。僕も最初はわからなかったんですから。」
ミスターから暴食と言われ、一寸おかしいと思った。
センセは二日酔いで真っ青だし、ロリータは緊張で真っ青だっただけに食欲は無かろう。
じっちゃんと若い衆は多分地下に軟禁されているだろうから、暴食と呼べるほど食べる人間はいないはずなのだ。
しかし、一時間と空けずに頼まれる食事は丼モノばかりで、一気に四つ、多くは八つは頼むと言う。
頼む店も指定しており、犯人達が頼むものとは一風変わっているものばかりだったと言う。
なぜだ、そう考えているうちに、毎回、時間をおかずに何品も頼んでいる事、全て丼だと言う事で急にひらめいた。
最大八品は、最大8ビット。丼ばかりなのは共通する何かを伝えたがっているのだ。
どんぶり、井桁の中の点・・・。
八ビットだと思ってそれを解読した瞬間、誰が何を伝えたがっているか、すぐにわかった。
暗号は「てで」と繰り返しているだけだったから。
その昔、墨田組が悪者だったとき、警察の手入れから逃げる用の道があった。
そこは代々の組長しか知らない場所にあるのだが、幼い頃にちーちゃんはそれを発見したのだ。
発見した証拠に、幼いちーちゃんが大事にしていた熊のぬいぐるみをその場所に置いたという。
それを聞いた僕も組の中をくまなく探したが見つからなかった。
最後にちーちゃんから聞いたヒントは、今になれば判るもの。
「かえるの代わりに熊をおいてきたの。」
井の中の蛙、のことを言ったのだろう。
今は無いその井戸は、屋敷の中に繋がっている事などそのときの僕にはわからなかったのだから。
『元帥、ただ今通路の上側終端部に到着しました。 屋敷間取りから推測いたしますと、既に地上についているはずなのですが、いまだ階段が存在しています。』
「ああ、大丈夫。その階段の最後まで行けば、二階の天井部屋にいけるから。」
昔ちーちゃんは家の中でかくれんぼをすると、よく押入れから現れた。
小さいから見つかりにくい所を選んでいるのだと思っていたけれども、実は天井まで行き、各部屋に行き来していたと思われる。
そう考えれば腑に落ちる事が多すぎるのだ。
勢いよくスイカの種を噴出す途中で、千鶴は壁に飾られている絵が傾くのを見た。
まっすぐであった絵が傾いた。
周囲に風はなく、地震があったわけでもない。
二階には誰も居ないし、一階で誰かが暴れている訳でもない。
それを見て彼女はにっこりと微笑んだ。
「センセ、そろそろ店屋物を取らなくて良いみたいですよ。」
その言葉を聞いた清音教諭は、がっくりとうなだれてため息をつく。
「そう、よかったわぁー。昨日は張り切って呑みすぎたから、ちょっと丼ものってきつかったのよねー。」
殆ど食べていないスイカを横において、彼女は横になったが、背後から叱責が飛ぶ。
「おい、勝手に寝転がるな! お前達は俺の盾なんだからな!! 国連学生の栄誉に浴する俺の盾になれるんだ、栄誉に思え!!」
汚い英語で叫ぶ男に、ロリータは軽蔑の視線を送ったが、男は理解できていないようだった。
「滝本啓二の名前を覚えておけ、国連学園を掴む男の名前を!!」
何度も繰り返されたそんな台詞に、げんなりとした視線で男を見た千鶴は、それでもスイカを食べ切った。
「ごめんねロリータ。あたしがうちに招待したばかりに、とんでもない事になっちゃって。」
「いいのよチヅル。こういうのって国連学生の宿命みたいなものですから。」
青い顔のまま肩をすくめる少女のてをチヅルは優しく握った。
「大丈夫、絶対お兄ちゃんが何とかしてくれるから。」
ほのかにロリータの頬が朱に染まる。
「ふーん、お兄ちゃんってロリータの増血剤代わりみたいね。」
「もう、・・・ばか。」
子猫のじゃれあい、それを清音教諭は面白そうに見つめていたのだった。
「でも、チズル。ホントに店屋物、食べなくていいの?」
「うん、そろそろ違うものが食べたくなってきてない?」
暫くうつむいたロリータであったが、小さく呟きをもらす。
「・・・やっと、天丼のおいしさがわかってきた所なのに。」
爆笑の千鶴と清音教諭。
真っ赤なロリータを肴に大いに盛り上がっている2人は、今、ライフルを向けられている人質のはずであった。
もちろん、勘違いでなければ。
天井裏の部屋は、飛んだりはねたりしても軋まない、本当の意味での部屋であった。
更にあがってきたものとは別の階段が存在しており、間取りが正しければ、そのまま地下室に下がれる階段であると思われた。
縦横無尽に走っている通路を補強したのはじいちゃんだろう。
あの人はその辺の遊び心はわかっているから。
『元帥、地下施設内で軟禁されていた人質を発見しました。裂傷と打撲で衰弱している模様です。』
「では、地下進入路から搬出してください。」
『りょうか・・・ぼん!』
復唱の横から聞きなれた声が響く。
「じっちゃん、いま隠密行動中だから、黙って従ってね。」
『ボン、お客人を、お客人を・・・・千鶴をおねげーしやす。』
「任せてよ。 だからじっちゃんは早くそこから脱出してね。」
『せめて一太刀あびせてーんでやんすが・・・。』
「・・・じっちゃん、相手は馬鹿でもキチガイでも一般人だよ。」
渡世に厳しい現代の任侠、隅田組の男達は、身内を人質に取られただけではやられたりしない。相手がキチガイの様であっても一般人であったから手出しが出来なかったのだ。
『・・・わかりやした。』
音だけでも肩を落としているのがわかるが、さすがに怪我をしている状態で妙な事をさせられない。
『リョウサン、お客人とチズルさんをよろしくお願いいたしまう。』
秋野さんの声はくぐもっていた。
多分殴られて顔がはれているのだろう。
「さってと、いっちょ行きますか。」
背伸びをした僕は、マイクの前から離れた。
「げ、元帥。・・・何処にいらっしゃるのですか?」
「もちろん、危険極まりない現場だよ。」
「げ、元帥!!」
反射的に動こうとしたクラウディアさんを制止する。
「リバティークラウディア大尉、いまより前線連絡官を命じる。この場で待機し、連絡を待て。」
その場を去ろうとした僕を、彼女は抱きしめて止めた。
「いやです、駄目です! 元帥ばかりは死なせません、元帥を死なせません!!」
「あのね、僕は死にに行く訳じゃないんだよ、囮になりに行くだけだってば。」
「判ってます、その身を犯人にさらして、残りのライフル弾を受けようとしている事ぐらい判っています!!」
「だったら判るでしょ? この元帥服は防弾仕様で・・・。」
「ライフル銃は防げません! 頭部を狙われれば一撃です!!」
くるりと振り返る僕。
そのまま彼女に唇を奪う。
呆然とした彼女を突き放すと、そこでは不満一杯の少女が2人、大尉を受け止めた。
「じゃ、大尉を頼んだよ。」
無茶苦茶にもがくクラウディアさんを頼んで、僕は隅田組に走った。
「あ、あなた達は、元帥が心配じゃないんですか!!」
2人の少女にそう叫ぶ大尉の頬をレンファは叩いた。
「心配しない訳無いでしょ! でも、あの人を信頼できるのは私達だけ、私達だけなのよ!」血を吐くような叫びに大尉は体を固くする。
「私達は、あの人を信じてる。へらへらと気軽に簡単に物事を進めているようで、誰も信じられないぐらい頭を使っているあの人を信じてる・・・。」
ぐっと2人の少女はクライディア大尉を引き寄せた。
「だから貴方も信じて。私達と同じく、あの人のそばに居るのなら、信じて。」
それは盲目な信仰なのかも知れない。
全く論理的ではない発想なのかもしれない。
しかし彼女には理解できた。
リバティークラウディア大尉には、その瞬間に理解できた。
そしてその瞬間こそ、大尉が真にチームの仲間と認められたときであった。
ひとしきりふざけ合ったチズルとロリータは、周囲に視線を走らせた。
鈴なりであった取材陣は音もなく姿を消しており、空を覆っていたヘリコプターは姿を消した。
実際取材陣もカメラを回せたわけではない。
事、国連学園に関わる事件であり、元帥府が直接統括を発動した事例だけに、カメラどころかレコーダーだって回せない。
それゆえに、取材陣は己自身をセンサーにして、事件への立会いをもって取材としていたのだ。
が、そのセンサーたちが姿を消した。
うるさかったヘリコプターも消えた。
先ほどまで奇声情報でうるさかったテレビもラジオも通常の放送に戻った。
あたかもこんな事件なんか起きていないかのような静寂になった。
千鶴はそれを見て『なにか始まるわ』とロリータの耳元で囁く。
彼女も小さく頷いた。
「おい、チャンネルを変えろ!!」
言われるままに千鶴はチャンネルを変える。
一つのチャンネルにとどまらずに、ガチャガチャと番組を変えてみても、もう今の状況を伝えるニュースやテロップは流れていなかった。
「ちくしょう! どうなってるんだぁ!」
だんだん!と、男は手元のライフルを天井に向けて撃つ。
しかし、先ほどまで銃撃のたびに奇声や悲鳴が聞こえていた外は、今は静かになっていた。 男は、顔を真っ赤にした。
「くそっ、てめーらは見捨てられたぞ!!」
男は縁側で座る三人に照準を合わせた。
ゆっくりと引き金を引き絞り、撃鉄があがる。
「死ねよ!」
全力の引き金が引かれた。
爆音と共に走る銃弾は、一人の少女に吸い込まれるかと思いきや、突然現れた人影がそれを遮る。
「・・・ぐぅ。」
低い唸りを上げた人影は、間違いなく国連学園第三礼服を着用していた。
深く被っていた帽子がゆっくりと落ちると、流れるような黒髪が地に付き、音を立てずに眼鏡が落ちる。
苦悶の唸りと共に身を起こしたその人物を見て、男は嘲笑を浮かべた。
「馬鹿が! たかが女の分際で、この俺のする事に逆らうとは!! 女は黙って俺に股を広げて・・・」
そこまで言った男は、まるで何かに気をとられた様な表情で固まった。
あうあうと何かを喋ったようだったが、自分が持っているライフルを見て、急に驚いた表情になる。
ライフルを握って離さない手を、ちぎるように離し、そして慈悲を請うような表情でにじり寄ってくる。
第三礼服の主は、静かに近づいてゆき、そして全力で男の顔にけりを入れた。
鼻血と前歯を撒き散らしながら、男は幸せそうに床に伏した。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
大丈夫な訳は無いと、ロリータは錯乱していた。自分を庇ってライフル弾をその身に受けたのだから、無事なはずはないと。
背を向けたまま肩をすくめたその人物は、先ほど落ちた眼鏡を拾って、豊満な胸を揺らしつつ、振り返り、そして微笑んだ。
「なに、ぜんぜん大丈夫だよ、ロリータ。」
その笑顔、身体的特徴を超えた所で彼女達には認識できた。
「おにーちゃん!」
「元帥!!」
飛ぶように抱きつく二人の少女を抱きとめつつ、いまだ縁側でだらけているセンセに手を振った。
「なーにも、自分で出てこなくても、部下がやってくれるんじゃないのぉ?」
「センセ、ここ一番で前に出てこなかったら、それこそ怒ってるくせに。」
するとセンセは肩をすくめて言う。
「ま、階級が偉くなったからって、中身がそう簡単に変わってたまるものですか。」
そう、彼女自身もここ二年で急激にその立場を変えているものの、変わらぬ人望と評価を続けている。
伝え聞いた話では、地獄極楽固めは健在だとか。
『元帥、ほか二名の確保を終了いたしました。』
イヤホンから流れてくるクラウディアさんの声に手を振って答える。
彼女は多分、僕が見える位置に移動しているだろうと思ったから。
『了解。では、首謀者の確保に人員を向かわせます。』
再び手を振ると、腕の中の2人の少女は怪訝そうな顔をしている。
知らん顔で指を鳴らすと、それにあわせて十数名の黒ずくめの兵士達が殺到、一瞬にして犯人の男を連れ去った。
一人残っていた兵が敬礼をしたので、それに合わせて敬礼すると、何処に隠れていたのか再び十数名の兵が現れ、何かを期待したような目でこちらを見ている。
一寸考えた僕。
「諸君、ご苦労。」
ぴちっと敬礼すると、満面の笑みで総員が敬礼し、足取りも軽く縦列で去っていった。
「大人気ね、おにいちゃん。」
「なんか変な誤解されてる気がするなぁ。」
大きなサイレンと共に、UN緊急車両が狭い路地に殺到してきている。この場にいても邪魔になるだけだろうと判断した僕は、飛び出す兵達に軽く手を振りながら、その場を後にする事にした。
「では、皆さん。あとをよろしくお願いいたします。」
「元帥、後はお任せください。」
ぴちっと敬礼する隊員達の列は、そのまま徒歩で僕の自宅に到着するまで続いていたもので、こっちは隅田組からずうっと敬礼の姿勢のままで、練り歩く羽目となってしまった。
近所のヘリポートまでも同じく隊員の列が続いていた為に、垂直離着陸機に搭乗するまで敬礼をしていた僕を、同乗者の少女達は失笑していた。
「あ、そうだ、クラウディアさん。」
「はい、なんでしょうか? 元帥。」
すっと耳元にお願いをする。
「・・・清音センセの身辺の警護へ人員をお願いします・・・、公私混同で申し訳ないんですが。」
にっこり微笑んだ彼女は、何処から取り出したのか手元の端末に入力を始めるのであった。
後日、UNコマンド部隊より無茶苦茶な報告が入る。
曰く、「当方、清音教諭に警護に必要なしと判断す。 当方損害多数につき、中止もしくは配置変更を進言する」
地獄極楽博愛固めは、真実に健在のようだった。




