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あの日グラウンドに置いてきた夢の続きは、音楽室で響きはじめた  作者:
第2部 新しいグラウンド

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7/22

第7話 基礎地獄と文化祭

吹奏楽部に入部して二週間が経った。

悠真の部活生活は、野球部時代とはまったく違うものだった。朝練はない。放課後の練習も、日が暮れると同時に終わる。練習試合もないし、泥だらけになることもない。


だが、楽なわけではなかった。


悠真は、今、メトロノームと格闘していた。

小さな電子音が、規則正しく「カッ、カッ、カッ」と鳴り続ける。その音に合わせて、悠真はスティックを上下させる。


「真田、もう少し力を抜いて」


北原の声が飛んだ。


「はい!」


悠真は、力強く返事をするが、体が言うことを聞かない。

力を抜くと、スティックがふらつき、リズムがずれる。力を込めると、音が硬くなり、手首が痛む。


「野球のバットを振るように、スティックを振るんじゃない。手首のスナップで、軽く、叩くんだ」


北原がそう言って、手本を見せてくれた。

スティックの先が、まるで生き物のように、しなやかに動く。その動きに合わせて、スネアドラムから、軽やかで、柔らかい音が響いた。


「すごい……」


悠真は、思わず声を漏らした。北原のスティックさばきは、まるで、魔法のようだった。


「地味な練習だけど、これが一番大事なんだ。基礎ができていないと、どんなに速いリズムでも、正確な音が出せないからな」


北原の言葉に、悠真は、再びメトロノームに向き合った。

野球では、力の限り、ボールを投げることが正義だった。だが、吹奏楽では、力ではなく、正確さが求められる。


「カッ、カッ、カッ」


悠真は、メトロノームの音に、集中した。

手首の力を抜き、指先でスティックを操る。何度も何度も、失敗を繰り返す。

だが、そのたびに、北原が、根気強く、悠真を指導してくれた。


「よし、もう一度だ」


悠真は、額に汗を浮かべながら、再びスティックを構えた。



---



その日の夜、悠真は、自室のベッドで、右手に力を込めた。手首がじんじんと痛み、指先には、大きな豆ができていた。


「うう……痛てぇ」


悠真は、呻き声を上げた。

野球部時代も、練習で筋肉痛になることはあった。だが、こんな風に、指先に豆ができることはなかった。


「これも、野球とは違う、新しい証拠だな」


悠真は、そう呟くと、痛む手を、じっと見つめた。その手は、もう、グローブを握ることはない。

だが、その手には、新しい夢を掴むための、新しい努力の跡が刻まれていた。


「よし、明日も、頑張ろう」


悠真は、そう決意し、眠りについた。


翌日。

悠真は、痛む手首と、潰れた豆をかばいながら、練習に励んだ。北原は、悠真の努力を、黙って見ていた。

そして、練習が終わると、悠真に、そっと、テーピングを差し出した。


「これ、貼っておけよ。無理は禁物だ」


北原の言葉に、悠真は、胸が熱くなった。


「ありがとうございます!」


悠真は、そう言って、深々と頭を下げた。

北原は、悠真の肩を、ポンと叩くと、何も言わずに、音楽室を出て行った。


悠真は、テーピングを手に、北原の後ろ姿を見つめた。北原は、悠真の努力を、ちゃんと見てくれている。

そのことが、悠真の心に、大きな勇気をくれた。



---



打楽器パートの練習は、基礎練習だけではなかった。文化祭で発表する曲の練習も始まった。


「文化祭では、新入生も、短いけど、出番があるからな。頑張ってくれよ」


北原がそう言うと、悠真は、少し緊張しながらも、ワクワクした。

野球部時代、試合でしか、人前でプレーすることはなかった。だが、文化祭では、たくさんの人の前で、演奏することができる。


「俺、大丈夫かな……」


悠真は、隣に座っていた明日香に、そう尋ねた。


「大丈夫だよ。悠真くん、すごく上手になってるよ」


明日香は、にこっと笑って、そう言ってくれた。


「明日香は、チューバ、どう?」


悠真がそう尋ねると、明日香は、少し顔を曇らせた。


「私、緊張しちゃって。人前で演奏するの、苦手なんだ」


明日香は、中学時代、合唱部だった。

合唱部では、大勢で歌うから、あまり緊張しなかったらしい。

だが、吹奏楽では、一人一人の音が、はっきりと聞こえる。それが、明日香には、大きなプレッシャーになっていた。


「俺も、野球の試合は、緊張するよ。

でも、いざ、マウンドに立つと、不思議と、緊張が、高揚感に変わるんだ」


悠真の言葉に、明日香は、少し目を丸くした。


「そっか。悠真くん、すごいね」


明日香の言葉に、悠真は、少し照れた。

だが、同時に、明日香の気持ちが、痛いほど分かった。自分も、野球部を辞めてから、ずっと、緊張と、孤独と、戦ってきた。だが、今は、新しい仲間がいる。


「一緒に、頑張ろうな」


悠真は、そう言って、明日香の肩を、ポンと叩いた。



---



文化祭当日。

悠真は、舞台袖で、心臓が早鐘を打っているのを感じていた。


「悠真、緊張してる?」


美咲が、悠真に声をかけてきた。


「はい……」


悠真が正直に答えると、美咲は、にこっと笑った。


「大丈夫だよ。楽しんで、演奏すればいいんだから」


美咲の言葉に、悠真は、少しだけ、緊張がほぐれた。


そして、いよいよ、吹奏楽部の出番になった。

舞台の幕が開き、まぶしいほどのライトが、悠真たちを照らす。観客席には、たくさんの人が座っている。


「うわ……」


悠真は、思わず、声を漏らした。

野球の試合で、スタンドの観客に、慣れているつもりだった。だが、舞台の上から見る景色は、野球のグラウンドから見る景色とは、全く違っていた。


「さあ、始めようか」


葛城顧問の声が、舞台に響く。

そして、指揮棒が振り下ろされた。


悠真は、メトロノームの音を思い出し、スティックを構えた。

そして、メトロノームの音に合わせて、正確に、そして力強く、スネアドラムを叩いた。


「カッ、カッ、カッ」


悠真の叩く音が、他の楽器の音と、一つになっていく。

トランペットの鋭い音色、クラリネットの軽やかな音色、チューバの重厚な音色。それらが一つになって、一つのハーモニーを奏でていた。

悠真は、演奏に、集中した。周りの音を聴き、自分の音を出す。

その感覚は、野球で、キャッチャーミットに、正確に、そして力強く、ボールを投げる感覚と、似ていた。


そして、曲が終わった。

観客席からは、大きな拍手が、波のように押し寄せてきた。


「うわぁ……」


悠真は、その拍手に、胸が熱くなった。野球の試合で、勝利の拍手を聞いたことはあった。だが、演奏で、拍手をもらうのは、初めてだった。


「すごい……」


悠真は、思わず呟いた。

そ の言葉は、悠真の心から、自然と溢れ出た、正直な気持ちだった。



---



演奏が終わり、舞台袖に戻ると、葛城顧問が、悠真の肩を叩いた。


「よくやった。真田。初めての舞台とは思えない、堂々とした演奏だった」


葛城顧問の言葉に、悠真は、胸が熱くなった。


「ありがとうございます!」


悠真は、そう言って、深々と頭を下げた。


「お前は、野球で培った集中力と根性がある。それは、音楽でも、必ず、力になる。

だから、自信を持って、続けてくれ」


葛城顧問の言葉は、悠真の心に、深く突き刺さった。野球を辞めてから、ずっと、自分の努力が無駄だったような気がしていた。

だが、葛城顧問の言葉は、そうではないことを教えてくれた。


「はい!」


悠真は、力強く返事をした。


その日の夜。

悠真は、自室のベッドで、グローブを手に取った。革の匂い、土の匂い、汗の匂い。そのすべてが、悠真の過去を語っているようだった。

だが、悠真は、もう、その過去に、囚われていなかった。


「ありがとう、グローブ。そして、さようなら」


悠真は、そう呟くと、グローブを、机の引き出しにしまった。


そして、悠真は、新しく買った、スティックを手に取った。そのスティックは、もう、悠真の手に、馴染んでいた。

悠真は、スティックを、机の上で、軽く叩いた。


「カッ、カッ、カッ」


その音は、まるで、新しい夢を、奏でているようだった。

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