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あの日グラウンドに置いてきた夢の続きは、音楽室で響きはじめた  作者:
第4部 大舞台に立つ

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19/21

第19話 重圧のその先にあるもの

朝の光が街の建物に柔らかく反射し、道路のアスファルトをほんのりと照らしていた。空気は少し湿り気を帯び、通りを渡る風はひんやりと肌に触れる。バスの中、吹奏楽部の部員たちはほとんど無言で座り、窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。車内の空気は、甲子園での熱気とは打って変わって静かで、どこか張り詰めている。部員たちの心の中に渦巻く不安や緊張が、まるで窓ガラスを通して漏れ出す光のように、微かに車内に漂っていた。


「俺たち、やるしかないな……」悠真は低くつぶやいた。甲子園での敗戦はまだ胸に重くのしかかる。しかし、同時にそれが彼を支える糧にもなっていた。「野球部の夢はもう終わった。次は、自分たちの夢だ」――心の中でそう言い聞かせ、悠真は背筋を伸ばした。周囲の部員たちは疲労と不安で顔色が冴えないが、悠真の安定した存在感が、静かに彼らを支えていた。


葛城顧問が前方の座席から口を開いた。「甲子園の熱気は、もう忘れていい。ここは、お前たちの音を、ただただ純粋にぶつける場所だ。」部員たちはその言葉に少しずつ肩の力を抜き、深く息を吸った。緊張が少しずつほぐれ、心の奥底で小さな希望の火が灯るのを、悠真は感じていた。



---


会場に到着すると、大きなホールの入り口が部員たちを迎えた。吹き抜けの天井に柔らかな光が差し込み、舞台袖には整然と並んだ無数の楽器ケースが並ぶ。周囲では他校の部員たちがチューニングを行い、金管や木管、打楽器が奏でる微かな音が交錯し、空気を微妙に震わせていた。悠真たちの学校の順番が迫るにつれ、部員たちの顔には緊張と期待が混じり合った表情が浮かぶ。


西園寺明日香は手が震え、顔色が青ざめていた。「やっぱり私、ダメかもしれない……」小さな声でつぶやき、視線を床に落とす。悠真は気づき、そっと彼女の隣に寄り添う。「明日香、落ち着け。俺も最初は、怖くて手が震えた。でも、仲間が隣にいるから大丈夫だ」――野球部時代の重圧に押し潰されそうになった自分の経験を思い出し、優しく語りかける。明日香の肩が微かに揺れ、呼吸が整い始める。少しずつ、彼女の瞳に焦点が戻り、心の奥で安心の光が芽生えた。


「悠真くん……ありがとう」明日香の声はかすかに震えていたが、どこか決意の色も混じっていた。隣でその様子を見た高瀬美咲は、胸の中に覚悟を固める。「私も、先輩としてしっかりしなきゃ」彼女は深呼吸をひとつして、部員たちに向かい明るく声をかけた。「みんな、最高の演奏をしよう!」


周囲の部員たちもそれぞれに気持ちを整える。トロンボーン担当の佐久間は、目を閉じて自分の息遣いを感じ、指先の感覚を確かめる。フルートの田島は、掌の汗を拭い、楽器の角度を微調整しながら、深く息を吸った。チューバの吉岡は、心の中で「失敗は許されない。でも、仲間と一緒ならきっと乗り越えられる」と唱え、肩の力を抜く。皆の心が、少しずつひとつの波のようにまとまり始める瞬間だった。



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舞台に上がると、照明が柔らかく部員たちの顔を照らす。観客席から送られる無数の視線が、一斉に彼らを見つめる。指揮者のタクトが静かに振り下ろされ、空気が張り詰める。第一音がホールに響くと、部員たちは瞬時に心を合わせ、音楽の渦に没入する。悠真のティンパニは、重く、力強く、仲間たちの演奏を支えながら、甲子園での悔しさ、吹奏楽への情熱、仲間への感謝をすべて乗せて叩かれる。音は舞台を震わせ、客席へと共鳴して広がっていった。


美咲のトランペットのソロは、力強くも繊細で、胸の奥に響き渡る。彼女は演奏中、甲子園で感じた悔しさや不安を思い返しながら、そのすべてを音に変え、観客に届けていた。フルートの田島は柔らかな息遣いで旋律を繋ぎ、佐久間のトロンボーンは低音で全体を支える。チューバの吉岡は重厚な低音で空間を満たし、各パートが絶妙に絡み合うことで、音楽はひとつの巨大な生き物のようにうねりながら進む。


舞台袖では、他校の部員たちが互いに励まし合う声がかすかに聞こえる。その音が、自分たちの緊張感をさらに高めると同時に、仲間と一緒に戦っている実感を強める。悠真は自分の手元のティンパニを見つめながら、「今、この瞬間を全力で生きるんだ」と心の中で唱え、鼓動を音楽と同期させた。



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演奏が終わると、静かに舞台袖へ戻る。息を整えながら、部員たちは互いの顔を見合わせ、達成感とほのかな寂しさを感じる。もう二度とこのメンバーで同じ演奏ができないかもしれない――その思いが胸を締め付ける。高瀬美咲はプレッシャーから解放され、悠真の胸に顔を埋めて泣き崩れる。「最高の演奏ができたよ…!」と、声を震わせながらも感謝を伝える。明日香も涙を流し、「悠真くん、ありがとう…」と静かに言葉を絞り出す。仲間たちが互いに支え合い、笑顔と涙が入り混じる瞬間だった。


葛城顧問は部員たちを見つめ、声を震わせながら言った。「最高の演奏だった。結果はどうあれ、お前たちは俺の誇りだ。」部員たちはその言葉に胸を熱くし、抱き合いながら互いの存在を確かめる。空気は静かだが、心の奥で炎が燃えているような熱を帯びていた。



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演奏後、楽器を片付け、会場のロビーに移動する。通路で他校の部員たちとすれ違うたび、互いに軽く頭を下げ、健闘を称え合う。ロビーの窓から差し込む光が、部員たちの顔を柔らかく照らす。疲労が色濃く残るが、笑顔がこぼれる瞬間もある。悠真は美咲や明日香の成長を静かに喜び、仲間たちと出会えたことに感謝を胸に刻む。


夏の太陽はまだ高く、彼らの夏はまだ終わっていない。結果がどうあれ、部員たちがこの夏に掴んだもの――友情、努力、音楽の喜び、そして仲間との絆――それは決して失われない宝物だ。静かなロビーの空気の中、部員たちの胸に残る余韻は、未来に向けて静かに力を注ぐ光となって広がっていった。

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