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あの日グラウンドに置いてきた夢の続きは、音楽室で響きはじめた  作者:
第3部 夏のスタンド

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14/21

第14話 甲子園への道標

夏の太陽が、容赦なく球場の土とアスファルトを焼き付けていた。

午前11時を回ったばかりだというのに、肌に張り付くような熱気が全身から体力を奪っていく。


悠真は、ユニフォームの襟元を少し緩め、スコアボードを見上げた。

まだ「0対0」。

一回表、相手チームの攻撃。マウンドには、三枝達也が立っている。自分とバッテリーを組んでいた、寡黙で、それでいて誰よりも努力家だった親友。彼のユニフォームが、まぶしいほどに白く輝いていた。

球場全体を包む喧騒が、熱波とともに悠真の耳に届く。それは、何千人もの観客の期待と、両校の応援が混ざり合った、まるで生き物のようなうねりだった。野球部のベンチ、その向かいにある応援席。あそこが、今の自分の戦場だ。


「行くぞ!」


葛城先生から力強い号令が飛ぶ。

悠真は、手に馴染んだスネアドラムのスティックを握り直した。グリップの感触、汗で滑りそうな感覚。野球のグローブを握っていた時とは違う、でも確かな重みがそこにはあった。

一打、一打、魂を込めて。


最初の応援曲は、彼らがこの夏、幾度となく演奏してきたテーマソングだった。

軽快なメロディの中に、力強さと高揚感が満ちている。悠真は、そのリズムを、正確に、そして力強く刻み始めた。


 タタン、タタン、タタタン


ドラムの乾いた音が、甲子園の空に吸い込まれていく。

隣では、北原先輩が、シンバルを静かに構えている。その表情は穏やかだが、目には鋭い光が宿っていた。

そして、目の前では、美咲がトランペットを構え、その唇から高らかな音が放たれる。その音は、まるで一本の光の矢のように、悠真の心臓を貫いた。


(美咲先輩の音だ…。)


幼い頃、父に連れられて行った甲子園のアルプス席で聞いた、あのトランペットの音。

その時感じた胸の高鳴りが、今、再び蘇る。あの音に、もう一度、自分も関わりたい。その思いが、悠真をこの場所に導いた。


「悠真、いい音だ!」


北原先輩が、静かに微笑んだ。

その一言が、悠真の心を奮い立たせる。野球部の仲間が、今、戦っている。その姿に、自分たちの音を届けたい。その一心で、悠真はスティックを振り続けた。

マウンド上の三枝は、悠真たちの演奏が聞こえているのだろうか。


視線はマウンドに釘付けだった。

三枝は、一球、一球、丁寧に投げ込んでいく。その表情は、中学時代よりもずっと精悍になっていた。

悠真が肩を壊して野球部を去ってから、どれほどの努力を重ねてきたのだろう。そのことを思うと、胸が熱くなった。

そして、ついに、一回の攻撃を、無失点で切り抜けた。三枝が投げた渾身の一球。バットは空を切り、空振り三振。


ベンチに戻る三枝と目が合った。

彼は、わずかに口角を上げていた。その表情は、「任せろ」と語っているようだった。


「よし、行けー!」


応援席から、地鳴りのような歓声が上がる。悠真は、その音に耳を傾け、心の中で叫んだ。


(三枝、俺たちの音で、お前を甲子園に連れていく!)


二回裏、こちらの攻撃。

チャンスが訪れた。ツーアウト満塁。バッターボックスには、頼れるキャプテン。静まり返った球場に、悠真たちの演奏が響き渡る。


「カッセー!カッセー!」


吹奏楽部の演奏と、生徒たちの力強い声援が一体となる。打者は、ボールを慎重に見極める。

カウントは、ツーボールツーストライク。

5球目、インコース高めのストレート。

打者は、迷わずバットを振り抜く。鈍い音を立てて、打球はライト方向へ飛んでいく。


「やった!」


ライトが打球を捕球しようと飛び込むが、届かない。ボールは、グラウンドを転がり、ランナーが次々とホームベースを踏んでいく。


「逆転だ!」


球場全体が歓声に包まれる。

吹奏楽部のメンバーは、楽器を掲げて喜びを爆発させた。悠真は、スティックを握りしめ、目を閉じた。歓喜の音が、全身を震わせる。野球を諦めてから、こんなにも胸が熱くなったことはなかった。

この音、この熱気、この一体感。これが、自分たちの力だ。



---



試合は、そのまま膠着状態が続いた。

一回裏に奪った1点を、三枝が守り抜いていた。

九回表、相手チームの攻撃。ツーアウト満塁。スコアは1対0。この回を抑えれば、甲子園だ。


「よし、吹け!吹けぇ!」


葛城先生の叫び声に、吹奏楽部のメンバーは、最後の力を振り絞る。体力の限界はとうに超えていた。唇は痺れ、指は動かない。それでも、音を出す。

悠真は、バチを振る腕に力を込める。もう、音が硬いとか、リズムがずれるとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、三枝に、野球部の仲間に、自分たちの思いを届けたい。その一心だった。


相手のバッターは、ボールをじっくりと見極める。

一球、一球、緊迫した空気が流れる。そして、ついに、最後のボールが投げられた。

三枝の渾身のストレート。バットは、空を切る。三振。


「ゲームセット!」


審判の力強い声が、スタジアムに響き渡った。

その瞬間、野球部のメンバーは、マウンドに集まり、歓喜の輪を作った。そして、吹奏楽部のメンバーも、互いに抱き合い、涙を流した。

悠真の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。野球部を去ってから、ずっと悔しさと虚しさを抱えていた。もう、甲子園の土を踏むことはできないと思っていた。でも、今、こうして、吹奏楽部の仲間として、甲子園行きの切符を手にした。


「やったね、悠真!」


隣にいた美咲が、トランペットを抱え、涙を流しながら微笑んだ。


「うん…」


悠真は、言葉にならない思いを、涙とともに噛み締めた。野球で叶わなかった夢が、吹奏楽という新しい形で、叶えられた。


「俺も行くんだ。」


悠真は、心の中で静かに、そして力強く誓った。

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