第10話 野球部との再会
合宿から帰ってきて、数日が経った。
吹奏楽部の練習は、野球部の県大会に向けて、いよいよ本格化しつつあった。
悠真は、放課後、いつものように練習を終え、打楽器のスティックを鞄にしまい、部室を出た。
夕暮れの校舎は、まだ練習の熱気に満ちている。グラウンドからは、野球部員の声が響き、体育館からは、バスケ部のボールが床を叩く音が聞こえてくる。
悠真は、昇降口に向かって歩いていた。その道は、どうしても野球部のグラウンドの横を通らなければならない。
いつものように、目を逸らそうとした、その時だった。
「おーい! 悠真!」
聞き慣れた、低い声が、悠真の背中を呼んだ。
悠真は、思わず振り返る。そこに立っていたのは、三枝達也だった。彼は、汗で濡れたユニフォーム姿で、手にグローブを持っていた。その横には、藤本もいる。
「三枝……」
悠真は、少し驚き、そして、気まずさを感じた。
「久しぶりだな。元気か?」
三枝が、そう言って、悠真に歩み寄る。
「うん。元気だよ」
悠真は、曖昧に答えた。
「最近、全然、顔出さないから、心配してたんだぞ」
藤本が、そう言って、笑った。
「ごめん。部活が、忙しくて」
「そっか。いま時間あるなら、ちょっと顔出していけよ。」
三枝は、そう言って、悠真の肩を軽く叩いた。その手の感触は、もう、野球部の仲間としてのものではなかった。
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グラウンドの隅にある、ベンチに腰を下ろす。三枝と藤本は、グローブとボールを置き、悠真を挟んで座った。
「なあ、覚えてるか? お前が、俺のリード無視して、内角攻めたこと」
三枝が、そう言って、笑った。
「ああ、覚えてる。あの時、お前、めっちゃ、怒ってたよな」
悠真も、笑いながら、そう言った。
「そりゃ、怒るだろ! 俺のリードが、完璧だったのに、お前が、勝手に投げたんだから」
三枝は、そう言って、少しだけ、悔しそうな顔をした。
「でも、あの時、三振取ったんだよな。やっぱ、お前、すげーよ」
藤本が、そう言って、悠真を褒めた。
悠真は、少し照れたように、顔を赤らめた。
「そんなことないよ。たまたま、だよ」
「いや、たまたまじゃねーよ。お前は、いつも、すげー球投げてた」
三枝は、真剣な顔で、そう言った。
悠真は、何も言えなかった。彼らの言葉が、胸に突き刺さる。自分は、もう、彼らのように、マウンドに立つことはできない。
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三枝が、ふと、真剣な表情になった。
「なあ、悠真。夏の大会、見に来てくれよ」
三枝の言葉に、悠真は、少し戸惑った。
「俺、吹奏楽部だから、応援に行くよ」
悠真がそう言うと、三枝は、少し寂しそうな顔をした。
「そっか。吹奏楽部か……」
三枝は、何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「夏の大会、俺が、エースとして、投げる。お前の分も、頑張るから」
三枝は、そう言って、悠真の目を、まっすぐに見つめた。
悠真は、何も言えなかった。三枝の言葉が、胸に熱く、そして、重く響いた。
「俺は、お前と一緒に、甲子園に行きたかった」
三枝が、そう言って、俯いた。
悠真は、三枝の肩に、手を置いた。
「大丈夫だよ。お前なら、行ける。俺が、応援するから」
悠真がそう言うと、三枝は、顔を上げ、悠真を見た。
「ありがとう。悠真」
三枝は、そう言って、少しだけ、笑った。
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三枝たちと別れた後、悠真は、複雑な感情に襲われた。
三枝たちが、自分を、まだ、野球部の仲間だと思ってくれていることが、嬉しかった。だが、同時に、彼らに、本当のことを言えないことが、辛かった。
(俺は、もう、野球部じゃないんだ)
悠真は、心の中で、そう呟いた。
「夏の大会、頼むな」
三枝の言葉が、耳の中で、何度も繰り返される。
「お前の分も、頑張るから」
三枝の言葉が、胸に突き刺さる。
悠真は、空を見上げた。空は、もう、真っ暗だった。星が、一つ、また一つと、輝き始める。
(俺は、どうすればいいんだろう)
悠真は、心の中で、そう呟いた。
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翌日、悠真は、吹奏楽部の練習に向かうため、校舎を歩いていた。
「おはよー、悠真くん!」
後ろから、明るい声がした。明日香だった。
「おはよう、明日香」
悠真がそう言うと、明日香は、にこっと笑った。
「今日の練習、頑張ろうね!」
明日香の言葉に、悠真は、頷いた。
「うん。頑張ろう」
悠真は、吹奏楽部の部室の扉を開けた。中には、たくさんの仲間たちが、楽器を準備していた。
「おう、悠真! 今日は、気合、入ってるな!」
新堂が、そう言って、悠真をからかう。
「うるせいです。」
悠真は、そう言って、笑った。
悠真は、打楽器室に入った。北原が、スネアドラムを叩いている。
「おはようございます、北原先輩」
悠真がそう言うと、北原は、悠真を見て、微笑んだ。
「おはよう。今日は、夏の大会の応援曲を、合わせるぞ」
北原の言葉に、悠真は、頷いた。
悠真は、スティックを握りしめた。右肩に、少しだけ、鈍い痛みを感じた。だが、その痛みは、もう、彼を、苦しめるものではなかった。
「俺は、俺の夢を、追いかける」
悠真は、心の中で、そう呟いた。
「野球は、もうできない。でも、この仲間と、甲子園に行くことはできる」
悠真は、前向きな決意を胸に、スティックを振り上げた。




