3.フォリアンナの旅立ち
子爵令嬢フォリアンナ・ディーフブランシェは、聖女として崇められたくなんてなかった。この王国において、聖女として選ばれるのはメアナストラム公爵家の血筋の者だけだ。いかに領民たちがほめたたえようと聖女の称号は得られないことはわかっていた。
有名になればなるほど上位貴族たちの目が厳しくなる。かといって、子爵家の令嬢として領民の期待を裏切れない。領民たちは熱狂していた。扱いを誤れば暴走しかねない。なだめるためにも聖女のようにふるまうしかなかった。
いずれは破綻することが目に見えていながら、フォリアンナは『偽りの聖女』であることをやめられなかった。
領民からは崇められ、貴族社会では『偽りの聖女』と蔑まれる。自由のない息苦しいだけの日々だった。
そんな時、伯爵子息クラッファートとの縁談の話がやってきた。彼の家、シアルディーク伯爵家が謀略に長けているのは知っていた。フォリアンナを『偽りの聖女』としての立場から引きずり降ろそうという意図は明白だった。
事実、婚約後の関係は実に冷めたものだった。クラッファートはフォリアンナに冷たく接し、子爵令嬢スティエイラと懇意にした。二人が何かを進めていることはわかっていた。あまり隠している様子もなかった。
おそらくこちらの瑕疵をでっちあげ、この婚約を破棄するのだろう。それで『偽りの聖女』の立場から引きずり下ろすつもりに違いない。それはフォリアンナにとってはむしろ望ましいことだった。だから彼女は二人のことを静観した。
だがまさか、夜会で婚約破棄を宣言するとは思わなかった。しかも用意された文書は実に丹念に作られていた。『偽りの聖女』の立場から引きずり下ろすだけではない。もっと致命的な何かを仕掛けてくるつもりだと確信した。
ここまでの理不尽を突きつけられるとは思わなかった。さすがにフォリアンナも内心穏やかではいられなかった。普段から聖女のふりを強いられていたおかげで表面上は平静を保てた。しかし腹の底では怒りが煮えたぎっていた。
だから『偽りなき白の祝福』を使った。おとぎ話に語られるだけの実在も怪しい祝福。だが神聖魔法に通じているフォリアンナはどういう術式を組めばいいのかなんとなく想像がついた。何かに使えるかもしれないと思って術式の構築だけはしておいた。
その効果が伝説通りなら面白いことになる。もしフォリアンナが何らかの事情で学園に戻って来れないようなことが確定すれば、クラッファートとスティエイラは嫌がらせを無理やり実現することになる。きっとおかしな行動をとることになるだろう。醜態をさらした二人は大恥をかくにちがいない。
ついでに『真実の愛』について誓わせることにした。二人の関係はどう見ても、策略のためだけの関係だ。『偽りなき白の祝福』が効果を発揮すれば、本人の意思に関係なく愛し合うようになるかもれしれない。『真実の愛』を偽った二人が永遠に結ばれるというのは実に滑稽な話だ。
会話を誘導するとクラッファートは愛する者を失ったら生きていけないとまで言った。何かの事故でスティエイラが倒れればクラッファートはどうなるか。愉快なことになるに違いないと思った。
そんなことをあれこれ考えていたが、実際に使ったことのない祝福だ。術式の構築に問題はなく、発動したという手ごたえはあった。だが本当におとぎ話通りの効果を発揮するかわからない。それでも別に良かった。得体のしれない祝福をかけられてこの二人も少しは不気味に思うことだろう。この場でできるお返しはその程度が精いっぱいだ。それでも少しは溜飲が下がった。
夜会の翌日。今後の方針を両親と相談するために領地へ帰った。雰囲気が変わっているのはすぐに分かった。これまでフォリアンナに尊敬のまなざしを向けていた領民たちの視線がとげとげしい。早くも婚約破棄されたことが広まっているらしい。
こうした噂はすぐに広がるものだが、それにしても領民の豹変ぶりは普通ではない。おそらくシアルディーク伯爵家の手の者がなんらかの情報操作を行い、領民を煽っているのだろう。そのうち暴動でも起きそうな雰囲気だった。
フォリアンナはもうこんなことに付き合わされるのはうんざりだった。だからすべてを捨てることにした。自分の死を偽装して、子爵令嬢としての立場も捨てて逃げ出すことにした。
聖女として崇められていたフォリアンナは教会とも通じていた。だから自分と年恰好の似た死体を入手するのはそれほど難しいことではなかった。
その死体は銀の瞳ではなかったし顔つきも違っていた。だからやむなく、人相がわからなくなる程度に損壊させた。
そして自分の銀髪を切ってその死体に魔法で移植した。女の髪には魔力がこもる。通常の魔力鑑定なら、この死体はフォリアンナ本人のものと認識されるはずだ。大切にしていた銀髪だったが惜しいとは思わなかった。彼女にとって銀髪は、自分を縛る枷のようなものだったからだ。
ひとまず死体には魔法で防腐処置をして、いつでも入れ替われるようにしておいた。
髪を切った後はカツラでごまかした。領民が殺気立った状況だから、家族以外と会う機会も少なくなっていた。おかげで周囲に悟られることはなかった。
この件については両親の了解も得た。子爵家としてもフォリアンナに対する領民の支持が上がりすぎ、高位貴族の反感を買っていることを憂慮していた。フォリアンナがいなくなればその懸念もなくなる。
両親のことを薄情だとは思わない。娘より家の存続をとるのは貴族としては当然の判断だ。フォリアンナには年の離れた弟がいる。家は弟が継ぐことになるだろう。
そしてある日。領内の街を視察に行ったところで大規模な暴動が起きた。領内で聖女と崇められていた子爵令嬢が視察に訪れた街で暴動が起きる。統治能力の欠如を理由にフォリアンナの立場を貶めるという策略だったらしい。
だが暴動自体は予測していた。フォリアンナは予め身代わりの死体を運び込んでおいた家に逃げ込み、カツラをとって服を着替えて逃げ出した。死体には自害したように見えるよう偽装しておいた。だが暴徒たちはひどく殺気立っていた。それは不要な工作だったかもしれない。
ひとまず町から逃げ出したあと、短く切った髪は魔法で黒く染め上げた。
瞳の色も変えてしまいたいところだったが、髪の色を変えるのとは段違いに高度な魔法が必要となる。専門の魔導士に大金を積めば可能だが、そこから偽装が発覚する可能性が高くなりそうなのであきらめた。
こうしてフォリアンナは自分の死を偽装し、『偽りの聖女』の立場から逃げ出すことに成功したのだった。
令嬢がその身一つで世に出て生き残るのは難しい。しかしフォリアンナは神聖魔法に長けている。教会に行けば働き口にはありつける。贅沢な暮らしはできなくても、なんとか生きていくことはできるはずだった。
髪型や髪の色を変えた程度では気づかれる可能性がある。すぐにでも王国から出たいところだったが、事態の進行が早すぎていろいろと間に合わなかった。よく知らない他国に、下調べもせずいきなり行くのは自殺行為に等しい。ひとまず王国内のとある国境近くの町で情報収集に務めた。
そんな中、伯爵子息クラッファートと子爵令嬢スティエイラが亡くなったという噂を耳にした。
フォリアンナに関する計略がいまだ続いているのなら、状況を知っておく必要がある。この件に関する情報を集めた。そして最終確認として、葬式を見物しに来たのだ。
「それにしても、スティエイラ嬢は階段から落ちて命を失い、クラッファート様はその後を追ってしまうだなんて、なんとも間抜けな最期でしたね……」
墓地から離れた小高い丘にある木の下。葬式の様子を眺めながら、フォリアンナは一人つぶやいた。
伝え聞いた話からおおよそのことは分かった。どうやらフォリアンナの死亡報告が届いたことをきっかけに、『偽りなき白の祝福』が効果を発揮したらしい。
嫌がらせを再現するためにスティエイラは階段から落ち、不幸にも命を失った。
『真実の愛』の相手を失ったら死んでしまう……そんなことを芝居気たっぷりで口にしたクラッファートは、『偽りなき白の祝福』の効果で死んでしまったようだ。あるいは本当に『真実の愛』に目覚め、愛する者の後を追ったのかもしれない。
集めたうわさだけでは細かなことはわからない。当人たちにとっては大変なことだったかもしれない。だが、フォリアンナからすれば滑稽極まりないことだった。不謹慎と思いながらも、こらえきれずクスクスと笑いを漏らした。葬儀の場だったらさぞや顰蹙を買ったことだろう。離れて観察していてよかったと改めて思った。
「クラッファート様。あなたのことは絶対に好きになれないと思っていましたが、最後は……ふふっ。ちょっとおもしろかったです。おかげでいい気分で旅立ちできそうです。ありがとうございます! さようなら!」
遠く離れたクラッファートの墓に向けてぺこりと頭を下げた。そしてフォリアンナはフードを被り直し顔を隠して旅行カバンを手にすると、他国へ旅立つべくその場を後にした。
フォリアンナは自分の異常性を自覚していない。
祝福によって人を死に追いやるなんて、王国の長い歴史の中でも類を見ない冒涜的な行いだ。
おとぎ話で知っただけの祝福を、実際に術式を構築して再現してしまったのは偉才と評する他ない。
自分の祝福で二人もの命が失われたのに、罪悪感を覚えるどころか楽し気に笑うその心は、人として大切な何かが欠如している。
どれをとってもまともではない。
千年前の聖女に外見的特徴が一致していて、神聖魔法が少し得意なだけの『偽りの聖女』。そう言われ続けたことで、フォリアンナは自分のことを大したことのない人間だと思い込んでいる。その先入観が強すぎて、自分の異常性に気づかない。
この日、恐るべきバケモノが世に解き放たれた。そのことに気づく者は、この王国に誰一人としていなかった。
終わり
ここ数作は婚約破棄で被害を受ける話を書いていました。
今度は逆に婚約破棄を利用して積極的に被害を与える話を書いてみようと思いました。
ヒロインがやられっぱなしなのも面白くないので反撃をさせようと思いました。
呪いでやり返すお話は以前に書いたので、ちょっとひねって祝福でお返しすることにしました。
そうしたら思ったよりおどろおどろしい内容になってしまったのでジャンルは「ホラー〔文芸〕」にしました。
いつも以上に行き当たりばったりなお話づくりとなりましたが、なんとかまとまってよかったです。
2025/7/14
誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。
2025/8/24、8/26
誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!