マリアライトの思い
ほぼマリアライト視点。
「お嬢様、今月の企画案と業務報告書、鉱山から採掘されたルベライトの産出量に関する集計が届いています。こちらは本日中に精査されますか?」
「そうでしたわ!」
ハッとしたプラチナはソファから立ち上がると、セラフィから書類を受け取った。
このロッジにいる間も仕事をするつもりだったのだ。所有しているアクセサリーショップ全店舗から企画や収支、宝石の加工についての書案が送られてくる。契約した鉱山からは宝石の原石に関する書類も届く。これを明日に回してしてもいいが、明日はまた別の書類が届くため仕事量が二倍になってしまう。
「ごめんなさい、マリアライト。仕事をしなければならないので、わたくしは席を外しますわね。ロッジの中では自由にお過ごしになって。セラフィに仰れば案内をしてくださいます」
「分かりました。お仕事、頑張ってくださいね」
「ええ!」
マリアライトの微笑みを受けながら、プラチナは二階にある私室に向かおうとした。彼女は不意に振り返る。何の気もない、無意識からの動作だった。
暗い顔をしたマリアライト。顔を下に向けていることで、美しい瞳に黒く長い睫毛がかかってる。影が差すことで濃い紫色に見えたそれに、唇が動いた。
「マリアライト、わたくしのアクセサリーショップである程度収支が取れましたら国を渡りますわ。どこか遠い、この国とは様式すら違う国でのんびり暮らしましょうね」
「・・・それも、素晴らしい案ですね」
マリアライトは笑ってくれる。しかし、陰りのある笑みだった。
これ以上は何も言わないと、プラチナは向き直って階段を上がっていく。騙しているという罪悪感。それでも、自分とマリアライトは自由になるべきだと先を見つめる・・・───。
───・・・プラチナの背を見送ったマリアライトは、ローテーブルにある自身のティーカップに視線を落とした。中の紅茶はすっかり冷めてしまっている。頭を冷やすにはいいだろうと、持ち手を摘んでティーカップを口元に運んだ。
「マリアライト様、新しいお茶をご用意します」
こくりと飲み干せば、側で控えていたセラフィから言葉を送られる。
彼女はゆっくりと首を横に振ると、顔を向けた。
「お茶は大丈夫です。私もプラチナも好きな銘柄ですから、冷めても美味しいですね」
「左様でございますか。では、何かご要望がありましたらお申し付けください」
セラフィの真顔を見つめる。感情の見えない深緑の瞳は吸い込まれそうだった。
ヴァイスシュタイン家内だけではなく、行楽のときもプラチナの側に控えている侍女。今回もついてきたことから、プラチナに信頼されている優秀な人物だと分かる。
「お願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、なんなりと」
躊躇なく答えたセラフィに思わず微笑んでしまう。
「お庭を見ても構いませんか?一瞬でしたが、素敵な花壇をお見かけしました。お花が好きなので、ゆっくりと眺めたいのです」
「分かりました、こちらへ」
セラフィに案内をされたマリアライトは、廊下の大きなガラス戸からウッドデッキへと降りた。ガーデンテーブルと二脚のチェアが置かれているそこは、花壇の目の前にある。
「案内をありがとうございます」
「お役に立てたのなら幸いです。都合も良いので説明をさせていただきますが、このロッジは周辺を囲う蔦の塀が境界線です。あれから内側にいれば、人や獣にすら認識されません。外からは低木の密集地としか見えないのです。逆を言えば、あの塀を越えた時点でマリアライト様のお姿は認識されてしまいます。お気を付けください」
「分かりました」
「では、私は昼食と湯殿の準備をします。何かございました声をかけてください。すぐに参ります」
「重ね重ね、ありがとうございます」
礼をすれば、セラフィは背筋を真っ直ぐにしたまま腰を折って一礼をした。すぐに正した彼女は、何も言わずに早足で室内に戻っていく。
その姿を見送ったマリアライトは、ウッドデッキから庭に降りた。様々な花が咲き乱れる花壇の前に立つ。季節も地域も関係なく咲き誇る様に、生育の魔石の力が使われていると分かった。花壇を囲う煉瓦に填め込まれた六角形の結晶へと、手を伸ばすために身を屈める。
その目に一輪のバルーンフラワーが目に入った。青紫色の星型の花は、彼女の視線を釘付けにする。
魔石に触れようとした右手の指で、バルーンフラワーにそっと触れた。込み上げてくるもので瞳は潤み、耐えようと左手で胸元を抑える。首元の隠れたワンピースを着ていることで見えないが、マリアライトはこの花をモチーフにしたペンダントを身に着けていた。毎日、プレゼントされた日からずっと肌見離さず付けていた。
ヘリオドールから初めてプレゼントされたペンダント。マリアライトの瞳の色と同じ石が、バルーンフラワーの形をしたペンダントトップに付いている。
『君を想って細工師に作らせた』
まだ少年だった彼からの精一杯の愛情だと感じて、嬉しかった思い出が蘇る。
「私、貴方の妻になりたかった・・・国を守る貴方を支えて、ずっと、側に・・・」
溢れたことで涙が流れる。それを隠そうと左手で目元を覆った。
マリアライトは、自身の気の弱さが王族の妻には相応しくないと分かっている。王妃など以ての外だとも気付いていた。それでも、ヘリオドールは彼女を離さなかった。何度訴えて無理だと言っても、優しく慰めてくれた。
『マリアライト、君には私がいる。妻が辛い時は夫が支えるのだ。逆も然りで、夫婦というのは支え合うことで成り立つ。私に君を支えさせてほしい。そして君も私を支えてくれ。君の笑顔さえあれば、私は何事にも屈することはない』
彼なりの愛の言葉はマリアライトの心を打った。いずれ国王となる愛する人を、王妃として支えようと奮い立つことができた。
だが、それは人間だからこそ。魔物ではヘリオドールの妻にはなれない。側にもいられない。彼に愛される資格すらない
。
思い出すのは、「オトメゲームノアクヤクレイジョウ」について調べるために王城の書庫に足を運んだときのこと。
二人っきりとなったことで彼に「欲しい」と乞われた。愛する人に強く求められ、危うく純潔を奪われそうになったが、何とか押し留めた。縋り付く逞しい腕から逃げるのは大変だったが、体を許すことなどできない。
「私は魔物なのです」
左手を下ろせば、涙は一筋流れているだけ。それを指先で拭った彼女は、花壇から身を離すと空を見上げる。
二階の大きな窓からプラチナの顔が見えた。仕事中の彼女の横顔は真剣で、マリアライトの視線には気付いていない。
彼女も同じ魔物だそうだが、誰も傷つけていない。立派な人柄から魔物であるはずがない。普通の人として、スフェンの妃として華々しく在っただろう。そんなプラチナを巻き込んでしまった罪悪感がある。
だが、その心を照らすのも彼女だった。明るいままいてくれて、マリアライトと共にいることを選んでくれた。親愛の気持ちを強く感じてしまう。
「私達は、こうして人里離れた場所でひっそりと生きていくのでしょうね」
最愛の友に対する罪悪感と喜びを胸の奥に感じながら、決して人々に迷惑はかけまいとマリアライトは強く願った・・・───。