婚約解消に向けて
婚約の辞退することを決めて数日。ただ辞退届を提出しても、受理をされる可能性は無きに等しかった。
プラチナの婚約もマリアライトの婚約も家同士、つまりは王家が、有力貴族であるヴァイスシュタイン家とリオン家との結び付きを強めるために成されたことだった。マリアライトに関しては第一王子のヘリオドール自身が選んだそうだが、そもそも有力貴族の娘でなければ、婚約者選びの茶会などに呼ばれるはずがない。
そんな二人が辞退を表しても王家が逃がすわけがない。よく言えば保護、悪く言えば捕縛という形で王城に軟禁されてしまうだろう。名君ばかり排出したリンドブルム王家は、それほどの力と意思がある。温情はあれど決まりには厳しい。そうでなければ、大陸の中央にあって広大な国土を保つことなどできないからだ。
敵は強大だった・・・拝してる王家だから敵ではなく、二人の庇護者でもあるのだが、婚約者を辞退することに関しては敵であった。
「大丈夫でしょうか・・・」
国王に送る辞退届を書き終えたマリアライトがヘリオドールに別れの手紙を綴る最中、小さく呟いた。辞退届もスフェンへの手紙も書き終えたプラチナは、用意されていたティーカップを口元に運び、香りを堪能しつつ紅茶を一口飲む。
彼女にはマリアライトが困っている理由は分かっている。辞退届や手紙などで王家が納得するはずがないと思っていると。プラチナも同感だった。
ティーカップを音を立てずにソーサーに載せた彼女はにっこりと笑顔を浮かべる。
「ご安心なさって、わたくしがついていますわ。王家からの追跡など、わたくしが跳ね除けて差し上げます」
スフェンとの婚約が破談となる喜びでプラチナは舞い上がっている。自分の考えに間違いはなく、思うように事が進むと思い込んでいた。
はっきり言えば、彼女は暴走している。感情の高ぶりは淑女教育の賜物で一切感じさせないが、内心は踊り狂ってしまいそうなほど歓喜していた。
「・・・貴方は本当に頼りになりますね」
うっすらと浮かんだマリアライトの微笑。
信頼を置かれてることに、プラチナの薄桃色の唇が弧を描く。それを悟られないように、優雅に口元を扇子で隠した・・・───。
───・・・決行はアカデミーの卒業式の日。
重要な式典であり、王家も貴族も国を担う若者達の門出を祝うこととなっている。
今年は第一王子のヘリオドールが卒業生であるため、注目度は例年に比べて桁が違う。時期国王を約束された若き王子を貴族だけでなく平民すら祝っていた。王国の更なる発展と平和が続くことを願い、躍進するだろうヘリオドールに期待をしている。
卒業式の花は彼以外なく、同じ卒業生のプラチナもマリアライトも添え物のようなもの。本人達はそう思っている。誰もが華々しいヘリオドールのみをその目に映すはずだと。他の者など気にはされないと。
当日まで、マリアライトはいつ「オトメゲームノアクヤクレイジョウ」として他者を攻撃してしまうことに怯えていた。心労を理由にたびたび休学をしたが、何とか持ち超えて卒業の日を迎える。
プラチナに至ってはいつも通りだった。彼女は自分が魔物だと思っていないし、勿論マリアライトも魔物ではないと思っている。普段通りの生活で問題ないと堂々と過ごし、今日を迎えた。
別段、アカデミーの卒業まで待たずにでも良かったが、卒業証書は欲しかった。貴族の未婚女性にとって何よりの宝になる。学業を修め、何かしらの技量があれば仕事を得られる。独り者だとしても生活に困ることはない。他国でも通用する。フリーデン王国のアカデミー卒業証書には、それほどの力がある。これからの二人には必須の書類だった。
「───・・・以上、卒業生代表としての答辞とする」
卒業式の会場では低音でどこか艶のある男性の声が、音響の魔道具を介して響き渡った。卒業生代表で第一王子のヘリオドールの声。
プラチナは彼の立つ壇上の下の辺りに視線を向けて、卒業式が終わるのを待っていた。キラキラしい色合いをした王子など見たくない・・・否、あまりの輝かしさに目が疲れると耐えて数十分。式を取り仕切り、アカデミーの会長でもある公爵の言葉で卒業式は終了した。静粛だった会場は卒業生の喜びの声、見送る在校生との別れの挨拶と再会への約束、職員や親である貴族達が会話をする様子など窺えた。
プラチナは腰を下ろしていた椅子から立ち上がり、大事な卒業証書の入った賞状筒を手にしながらマリアライトのいる方角を見る。彼女と同様に賞状筒を手にして近付いてくる。その様子にホッとして足を進めた。
「あの、プラチナ様」
「ごめんなさい、友人をお待たせしていますの」
呼び止めようとした男子生徒に謝罪をして微笑むと、マリアライトへと向き直る。在校生である女子生徒に声をかけられたらしい彼女は、軽く言葉を交わすと一礼をして、プラチナへと歩み寄った。
二人は手を握り合い、学び舎の壁際に身を寄せる。
「無事、卒業となりましたね。おめでとうございます、プラチナ」
「マリアライトもおめでとうございます・・・お話したいことがありますわ。お迎えの時刻についてですけど、お間違えないように」
ひっそりと時間の照らし合わせをしようとした。だが、無自覚にも麗しい二人が身を寄せれば人目を引くのは必然。卒業生や在校生だけでなく、大人である職員や貴族達が熱を帯びた視線を向けて遠巻きにしていれば、隠れ潜むことなどできなかった。
「何を話している?」
「!!」
声をかけられたプラチナは、驚きのあまり肩を跳ね上げた。ほんの僅かだが、それでも落ち着いた所作を心がけている彼女が驚きの様子を覗かせた。
それは声をかけられた、という物事に対しての驚きではない。声の人物に対して反応をしてしまったのだ。
向かい合うマリアライトの薄紫の瞳が「彼」に向かう。プラチナも、本来ならば見たくもない相手だが、敬拝すべき存在ゆえに体ごと向き直るしかなかった。マリンブルーの制服のスカートを摘み、恭しく礼を取る。
「ヘリオドール殿下、ご卒業おめでとうございます。先程の答辞も素晴らしく、同じ卒業生として身が引き締まりましたわ」
「プラチナ嬢は相変わらず礼儀正しいフリが得意だな。君もおめでとう。それで、私のマリアライトと何を話していた?」
(礼儀正しいフリって何ですの!?わたくしはきちんと礼儀を重んじていますのに!!)
嫌味に思わず表情が崩れかけた。グッと堪えたプラチナは頭を上げて姿勢を正すと、真っ直ぐにヘリオドールを見つめる。そんな彼の金色の瞳は、彼女に並び立つマリアライトに向かっていた。
第一王子ヘリオドール。アカデミー卒業後は王太子となり、いずれは国王となる人。一つ下のスフェンとは違い、雄々しいまでに鍛えられた筋肉質な体と男性すら見上げるほどの高身長で体格が恵まれている。それでいて精悍な顔は非常に整っていて、後ろに撫で付けた輝く金髪と黄金よりも煌めく金色の瞳が、彼の美しさを引き立てていた。
見目の良さで人を惹き付けるが、堂々とした物怖じをしない性格と、物事を見極める知力や胆力が王者になるべく生まれたと言わしめている。つまりは、理想の王となる素質を遺憾なく発揮している王子なのだが、プラチナはそんなヘリオドールを好ましく思ってなかった。
偉そう。王子だから偉いのは当たり前だが、ヘリオドールは当たり前のようにそう振る舞っていた。上に立つ者としての素質がなければ、誰かが咎めて諌めるほどの傲慢さが彼にはある。
他の者は許容しているようだが、プラチナからすれば大変目に余る。自分の姉弟だったならば、鉄拳も辞さないくらいには許せないものがあった。殴った瞬間、彼女の手の方が粉砕しそうではあるが。
(本当に、わたくしの婚約者でなくて良かったですわ・・・いえ、そのせいでマリアライトに負担をかけてしまったのですけど)
「マリアライト」
口ではプラチナに追求しつつ、マリアライトを見ていたヘリオドールは、形の良い唇に笑みを浮かべて側に寄った。瞬間、彼女の腰に手を回して引き寄せると、しっかり抱き締める。
(なんて破廉恥な!こういった配慮の無さも許せませんわ!)
公共の場で貞淑なマリアライトにみだりに触れる行為など、いくら婚約者と言えども許しがたい。無理矢理とはいえ触れ合ったことを恥じ、顔を染め上げる彼女が見えていないのだろうか。
所詮は利益を考えての政略結婚。ヘリオドールの過剰な触れ合いも意図があるとプラチナは分かっているが、どうせ大した理由ではないとも思っている。
感情豊かな彼は勢いで動く節がある。マリアライトに触れるのも、本能から触りたくなっただけという浅はかなものか、もしくは花がある彼女を寄せることで自分の引き立て役にでもしているのだろう。
実際、寄り添う二人は麗しい美男美女で、美に対して目が肥えてしまいそうだった。
「プラチナ嬢と何を話していたのか、私に教えてくれないか?」
「え、その、ヘリオドール様のお耳に入れるようなことでは・・・」
「聞くに堪えないということかな?・・・また、彼女に無理難題でも言われたのか。プラチナ嬢はよく君を振り回すからな」
マリアライトの美しい黒髪に鼻を埋めて、目を細めるヘリオドール。「匂いでも嗅いでいらっしゃるのか、破廉恥な」という感想が口から漏れそうではあったが、プラチナ自身が言われたことに気が付いた。
「無理難題とはなんですの?そして、わたくしがいつマリアライトを振り回したというのですか?」
怒りが滲んで言葉の抑揚がおかしくなった。それをヘリオドールは鼻を鳴らして応戦してくる。
「常日頃のことだ。純粋なマリアライトに様々なことを風潮して君の趣味に巻き込んでいるだろう?この前だって・・・王室入りが約束された令嬢二人が、護衛も付けずに夜の屋台に繰り出したのはいつのことだったかな?」
「一昨日のことですし、わたくしの侍女が護衛として側にいましたし、そもそもマリアライトに美味しいものをと行楽に誘っただけですわ。無謀なことはしておりません」
「それが振り回しているという。君にもマリアライトにも立場があるのだから弁えろ」
なんて不遜な言い方。否、王子であるから言い方自体は間違いではない。ただ、好ましく思えないヘリオドールの言葉だから、プラチナの感情が逆撫でされてしまう。
(この方は本当に・・・いえ、もうすぐ関わりがなくなるのです。耐えて、わたくし!)
「ヘリオドール様、プラチナを責めないでください。あの夜のお誘いは私のことを慮ったプラチナの優しさなのです。貴方だってご存知のはず。彼女はいつも私に親身になってくださっていると。私は振り回さているとは思っていません。そして、令嬢として相応しくない行いだと咎めるのなら私も同罪なのです。どうか叱責なさってください。甘んじてお受けいたします」
「・・・相変わらず、私のマリアライトはプラチナ嬢に甘いな」
ヘリオドールはマリアライトを咎めずに、艷やかな髪に頬擦りするだけに留めた。不満そうに顰めた顔で。
頬擦りされている本人は困ったかのように眉を下げていた。ヘリオドールはいつもと変わらずにマリアライトを困らせている。プラチナの目にはそう映った。
(『私の』とはなんですの、全く!マリアライトはあなたの所有物ではないのですよ、それを・・・まあ、いいでしょう!もうすぐヘリオドール殿下もマリアライトとお別れするのですから!)
笑みが浮かびそうなのをグッと堪えたプラチナ。そんな彼女へとヘリオドールは金色の瞳を向け、ニヤリと笑った。
「ああ、そうだ。一週間後には私と君の結婚式だ。その後は暫くプラチナ嬢との交友は控えてもらうことになる・・・だが、心配する必要はないぞ。そう時を待たずしてプラチナ嬢はスフェンの妃になる。気軽な行楽こそはできなくなるが、王城内では好きに過ごして構わない。変わらずに、いつまでも二人仲良くな・・・」
「そ、そうですね・・・」
意地悪な言い方に聞こえた。ヘリオドールは二人を王城に閉じ込めて跡継ぎを生むだけの存在にするのかもしれない。そう勘繰ったことでプラチナから笑みが失せた。真顔となった彼女の視界には、いやらしい笑みのヘリオドールと、引き攣った笑みを浮かべたマリアライトの姿が映る。
(マリアライトも嫌がっていますわ。やはり婚約の辞退は間違っていないのです)
冷静になったことで怒りも冷めていくが、ニヤつくヘリオドールが余計なことを言ったせいで再燃した。
「一年後には君は私の義妹となる。それまでに落ち着いてくれればいいが、そこはスフェンに任せるしかないか・・・」
「ぎ、義妹!?」
「何を驚く。スフェンの兄である私からすれば、義理の妹になるだろう。なあ、義妹殿?」
「義妹には!!・・・いえ、そうではなくて、その・・・わ、わたくしに落ち着きがないというのは聞き捨てなりませんが?」
「その荒ぶった声ところころ変わる表情のどこが落ち着いていると?騒々しいことこの上ない」
「なん・・・っ」
怒鳴りそうになったことをプラチナはグッと堪えた。自分は淑女であるべきと内心で言い聞かせて、ゆっくり息を吐く。
その様子にマリアライトがヘリオドールの胸を手で押し、離れるように合図を送る。笑みの失せた彼はつまらなそうに顔を顰めたが、腰に回していた手をゆっくりと離した。
「お戯れが過ぎます、祝いの日にプラチナを虐めないでください」
「虐めているつもりはない、これは今後に関する注意だ」
「私にはからかって遊んでいるように見えました」
「そうです、兄上。僕のプラチナをあまり虐めないでください」
マリアライトの諫める声色に怒りが治まっていくが、次いで聞こえた声に冷水を浴びせられた気持ちになる。
ギョッとしたプラチナだったが、顔を伏せることで耐えた。そして、声の聞こえた方角にゆっくりと顔を向けて再び驚く。
「ス、スフェン殿下」
いつの間にか真横に移動していた婚約者のスフェン。彼はプラチナへと視線を落として微笑むと、その肩に腕を回した。引き寄せられる感覚に思わず、足が耐えてしまった。
「・・・兄上が君をからかっていたようだね。昔から、この人は言い包めたい相手を煽って遊ぶ癖があるんだ。ごめんね、不快な思いをさせて」
「い、いえ、大丈夫ですわ。存じておりましたし、こういったやり取りも初めてではありませんので」
「君が辛抱強い人で良かった。でも、これからはそんなことはさせないよ。兄上が嫌だから僕との婚約を解消されても困るからね」
(いえ、あの、するつもりなのですが)
口に出せるわけがなかった。プラチナは苦手なスフェンに対して頑張って笑みを作るに留まる。彼も微笑みを返してくれたが、ヘリオドールへと顔を向けると真顔に変わった。
「というわけで、兄上。プラチナで遊ばないでください。彼女は僕の大切な女性なんですから、あまり出過ぎた真似をしますと『話し合い』をすることになります」
「遊んだわけでもないが・・・もういい。義妹殿のことはお前に任せるからな。しっかり教育をしろ」
(絶対に義妹にはなりませんわ!)
思わず、意思表示のつもりでもないが鋭い視線をヘリオドールに向けた。
彼は真下からマリアライトの抗議の眼差しを受け、実弟のスフェンからも真顔で見られている。三つの眼差しに根負けしたのか、顔を背けて知らない振りをした。
(困った方ですこと)
小さく溜め息を漏らせば、スフェンの視線はプラチナに向かい、柔らかな笑みを浮かべた顔が僅かに近付いてきた。
「プラチナ、お願いがあるんだ。今夜はアカデミーの卒業パーティーがあるだろう?君のエスコートを僕がしたいんだけど、いいかな?」
「・・・まあ」
卒業式の夜は卒業パーティーが催される。格式高いものではなく、アカデミーの卒業生が楽しむ夜会のようなもの。その場で貴族間の契約や新たに婚約を決める者達もいるが、殆どは無事の卒業を祝うだけのパーティーだった。
まだ在校生のスフェンはプラチナのパートナーとして参加するつもりらしい。夜会では常に彼が側にいたことから、そこでも変わらずにパートナーだと示すつもりなのかもしれない。
(参加しませんのに)
そんな時間はない。婚約辞退をつつがなく進めるために、プラチナは次の行動に移さなければならないのだ。
どうやって躱そうかと思案した時、口を開いたのはヘリオドールだった。