謝罪
小さく深呼吸をすると、プラチナは姿勢を正し、それでも離れないスフェンをそのままに唇を開く。
「わたくしは、自分の気持ちに従って婚約解消に踏み切ったことをお詫びいたしますわ。マリアライトの婚約も、わたくしが唆したと仰られても違いはありません。本来ならば、つつがなく婚姻されたと今では思っています。大変申し訳ございませんでした・・・」
ヘリオドールは鼻を鳴らした。スフェンの制止を振り切り、頭を垂れたプラチナには見えないが、踏ん反り返っていると分かる。
「過ちを認めてすぐに謝罪ができるのは君の美徳だとは思っている。しかし、君が思っているよりも被害は甚大だ。多方面に迷惑がかかっている。何より、予定通りに事が進んでいれば、既にマリアライトは私の妃になっていた。それを妨害したことが一番の罪だ。罰は必ず受けてもらうぞ」
「はい、謹んでお受けいたします」
当然の罰だと頭の位置を戻す。ずっと触れ合っているスフェンに、彼女はあえて微笑みを見せた。処罰に対する異論はないと示したいからだ。
「こうして無事に見つかったんだから、処罰なんて止めてください。それがきっかけで、またプラチナが逃げたらどうするんですか?」
もはや逃げるつもりなどプラチナにはない。肩に触れるスフェンの手に、同じものを重ねた。意思を汲み取ったのかは分からないが、不安そうに眉を寄せた顔を向けられる。
(柔和以外にも感情がありますのね。今日のスフェン殿下は感情が豊かでいらっしゃいますわ・・・この方は、得体の知れなさなんてない普通の男性なのでしょう)
冷酷とは感じるが、それがスフェンの感情の芯にあるのだろう。つまりは本質。プラチナに見せていた優しさは偽りではないものの、彼の持つ感情の一部。
そう思えるほど、今のスフェンには人間味を感じる。装っていないありのままの彼がいた。
「お待ちください、ヘリオドール様。プラチナばかりを罰するのはおかしいです。私も・・・私は、自分の意志に従って貴方の婚約者を辞退しようとしました。プラチナはあくまで背中を押してくれただけ。契約違反を犯し、皆様に多大なご迷惑をかけたのも私です。どうか私を罰してくださいませ。お願いします」
「ああ、そうだ。マリアライト嬢に問題がある。この人が精神的に弱くなければ、プラチナは婚約解消に乗り出さなかった。きっかけがシエルかもしれない。だけど、そもそもマリアライト嬢がしっかり跳ね除けられていたら、プラチナは僕から逃げようなど考えすらしなかったんだ」
マリアライトの発言をきっかけにスフェンは怒り露わにして、彼女を責め始めた。喉を引き攣らせた声を漏らし、身構えるマリアライト。その体をヘリオドールが優しく支えている。
「たかが一王子の発言に恐々としないでもらえないかな。それでも次期王太子妃ですか?情けなくて泣けてくる。いや、君のような人間に重きを置きたくないのて泣かないが、いい加減にしてほしいとは思っているよ」
「スフェン殿下」
肩にあったスフェンの手を引いて、プラチナは自分の膝の上に乗せた。感触からか、彼は言葉を詰まらせる。その大きな手に自分の両手を重ねて撫でれば、肩が跳ねた。驚きで丸くなった黄緑色の瞳が、彼女に向けられる。
「スフェン殿下は、些か言葉が強いと思いますわ。人の心や気持ちなど、その人でなければ分かりませんの。あなたの強すぎる言葉は他者を怯ませるしかありませんので、もう少し優しく・・・わたくしを思って下さってるときのような言葉を選んでくださいませ」
柔らかい笑みを見せれば、スフェンの表情が緩む。
「・・・ああ、そうだね。怒りで我を忘れかけていた。うん、気を付けるよ・・・プラチナ、こうして君が側で注意してくれるのなら僕は配慮を考えられる」
上体をプラチナに向け、顔すら向き直ったスフェン。笑みで目を細めているが、熱が籠もった眼差しだとプラチナは感じた。彼の手を包む両手に、彼のもう一方の手が重なり、言い表すならばミルフィーユ状態になっている。
「何が我を忘れていた、だ。それが素だろう」
何事かヘリオドールが呟いたが、プラチナには聞こえなかった。だが、小首を傾げるに留まった彼女と違い、スフェンは兄へと素早く顔を向けた。
微動だに注視していることから、睨んでいるのだろう。
「・・・分かった、分かっている。今の発言は忘れてくれ・・・うん、そうだな、マリアライトの処罰は勿論考えてある。罪状はプラチナ嬢と同じく契約違反だ。しっかり受けてもらうぞ」
「勿論です、謹んで処罰をお受けします」
ヘリオドールの胸板に縋り付いていたマリアライトだが、小さく息を吐くと彼の胸を押した。
離れようとする彼女に対して名残惜しいと思ったのか、大きな手がか細い腕をなぞる。しかし、マリアライトは首を横に振って答えた。密着していた体を離すと、姿勢正しく座り直し、ゆっくりと頭を下げる。
「全ては心の弱い私が原因です。優しい友を巻き込み、ヘリオドール様を含めた様々な人々にご迷惑をおかけしました。身勝手な行いをいたしましたことを謹んでお詫びいたします。申し訳ございませんでした」
一切の揺らぎなく姿勢を戻すと、彼女は真剣な眼差しをしていた。
「お待ちになって!原因はわたくしです。わたくしがマリアライトを騙して」
マリアライトの言葉に異議を申し立てれば、ヘリオドールに手を上げられて制される。
口を閉ざしたプラチナ。身を乗り出さんばかりの体勢は、スフェンに肩を抱かれたことで、彼に寄り添うものとなる。
強制的だが、寄り添ったことで彼女は思考が飛びそうになった。
今は訴えるべきではない。しかし、真剣な場で恋人のように密着するのは如何なものか。はっきり言えば、温もりが気恥ずかしくて平静を保てない。止めてほしい。そんなことを考えながら、プラチナは必死に耐えた。
「そうだ、君は妙な女の戯言に耳を傾けるべきではなかった。最初にプラチナ嬢を頼ったのも間違いだったな。私に相談してくれたのなら、こんな騒動にはならなかっただろう」
再び、ヘリオドールはマリアライトを抱き寄せる。彼女の顔が、筋肉でむっちりした胸に押し付けられた。
(苦しそうですわ)
その光景は、スフェンの熱に居心地悪くしていたプラチナすら同情できる余裕すら生み出す。顔を真っ赤にして身を捩る友を彼女は心配した。
「あの、ヘリオドール様。今は真剣な場ですので、抱き締められてしまうと」
「愛しいと抱いて何がいけない?所詮は戯言だろうが、たとえ魔物だとしても私は君を愛している。魔物だと身を引くのなら、それでも妻としていられるように手を尽くそう。それが夫たる者の役目だ」
「へ、ヘリオドールさまぁ」
離れようとしたマリアライトの動きは止まり、逆にしがみついた。ヘリオドールの言葉に感極まったようで、薄紫色の瞳は涙に濡れている。綺麗な宝石のマリアライトから澄んだクリスタルが流れ落ちているような光景だった。
泣き顔すら美しいマリアライトと、離さないと抱き締め続けるヘリオドール。彼女の流れる涙を唇で拭う様は、愛情と色気の滲む絵画のように完璧な美があった。プラチナさえ、うっとりと眺めてしまう。
「頭に花でも咲いているのか?」
こうして自分を抱き寄せるスフェンが、冷水を浴びせるような発言をしなければ、夢心地と眺め続けていただろう。
「ヘリオドール殿下、わたくし達の処罰の内容は決定されていますの?」
唇にすらキスを落とそうとしたヘリオドールが止まる。恨めしそうに睨み付けられた。
「兄上、単純極まりない恋愛脳の貴方に、プラチナは話を進めようと進言したんですよ?怒るなどお門違いです」
スフェンが言葉で制してくれたことで、ヘリオドールはプラチナを責めなかった。
石化させられるような睨み付けが解除されて、実は強張っていた体から力が抜けていく。
(ヘリオドール殿下はスフェン殿下の言葉に敵いませんのね。助かりましたわ)
ほっと息をついて、お礼を込めてスフェンへと微笑んだ。笑い返してくれた彼は、顔を近付けるとプラチナの肩にその頭を乗せる。
「ひぇっ??」
慣れない重さと温もりに出してはいけない声を上げてしまう。
「お前達だって・・・いや、話がそれるから止めよう。そうだ、処罰だな・・・内容についてはまだ考えていない。ここで君達が見つかると確定はしていなかったし、人身売買を行う組織の頭目がいたそうだな。襲撃を受けていたとヴォルフスアンゲル村の人間から聞いている。まずはそちらの処罰だ。人身売買は重犯罪ゆえに手は抜けない」
「そうですわ!」
スフェンの温もりに意識を持っていかれそうだったが、数時間前に与えられた不快感を思い出して、プラチナは声を上げた。
食い入るように身を乗り出そうとはいかないが、ヘリオドールを真っ直ぐに見る。
「三日ほど前から襲撃されていましたわ。最初こそ妖精だからと思っていましたが、組織のトップの方・・・驚かれるでしょうが、言いますわね。トップであるクロイツ伯爵から直接、わたくし達だから狙ったと伺いましたの」
「クロイツ?まさか、オブシディアン・クロイツか?」
マリアライトの体が跳ねる。より強い力でヘリオドールにしがみついたようで、彼は優しく背中を叩いていた。
「はい、オブシディアン・クロイツ伯爵です。お姿を拝見したのは初めてでしたが、空間魔法を扱っていたので間違いありません。彼は、クロイツ家が祖父の代から人身売買に手を染めていたとも仰っていましたわ。筋金入りの犯罪者ですの」
「実際、村で襲われたのも君達だな?」
「はい、食料の買い出しで足を運んだのですが、変装をしたわたくしとマリアライトを見抜かれました。拘束すらされましたわ」
「兄上、今すぐにオブシディアン・クロイツを処刑しましょう」
「お待ちになって!気が早いですわよ!」
躊躇なく言い放ったスフェンを言葉で制す。プラチナは包んでいる彼の手を握り締めた。返事をするように、更に上にある彼の手が彼女の両手を撫で始める。
「でも、君も被害にあったんだろう?清らかな君に邪な感情を持つなんて許されない・・・二度とそんなことができないように・・・色々しよう」
「色々って何ですの!?ああ、いえ!聞きたいわけではなく!あと、頭を乗せたまま話さないでくださいませ!擽ったいですわ!」
スフェンが声を発するたびに漏れる吐息が首筋を擽った。ぞくぞくとした感覚がそこから全身に駆け巡ってしまい、それでも淑女として慌てるような真似はできなかった。
大声で抗議をする時点で淑女らしからぬ所作だが、心を乱されているプラチナ自身には分からない。
「止めてやれ、スフェン・・・確か以前より、我が国で行方不明事件が度々起こっていた。全く見つからず、犯罪の証拠もなかったことで失踪や事故として処理されていたはずだ。ただ、著名人が行方不明になったこともあってな。五十年ほど前だが、美貌の歌姫として歌劇で活躍していた女優が姿を消した。当時の国王もファンだったことで大規模な捜索がされたが、行方は分からずじまい。死体すら出てこなかった。結局、失踪として処理されたが、今でも我が国で一番有名な行方不明者として記録されている。その他、美姫と名高かった侯爵令嬢や当時の王弟の子息なども行方不明になっている」
ヘリオドールは一息つくと、マリアライトを腕に抱いたままソファに深く座った。
「もし、クロイツ家が行ったものなら看過はできない。あの家が稀少な空間魔法を一子相伝することで王家は保護をしていた。伯爵位であるのも空間魔法があるからだ。決して野放しにはできない管理すべき魔法だから一族ごと・・・まあ、見守っていたわけだが、それを悪用していたのなら許してはいけない・・・オブシディアン・クロイツはすぐに捕縛しよう。空間魔法は詠唱の複雑さに比例して空間移動の距離が伸びる。遠く離れた国に移動されたら厄介だ」
ヘリオドールは、ソファの前にあるローテーブルを指で二回叩いた。その音に反応したのか、一人の騎士が玄関から入ってくる。
「失礼します」
扉の前で一礼し、リビングまで歩いてきた騎士は、家主であるプラチナにも丁寧に礼をした。彼女も会釈をして返せば、騎士は両手を後ろに回して直立をする。
「急いで伝令書を送れ。オブシディアン・クロイツ伯爵に人身売買、誘拐罪、脅迫罪と傷害罪の嫌疑がある。早急にクロイツ伯爵を捕らえて尋問をするように伝えろ」
「了解しました・・・ヘリオドール殿下、こちらからも報告がございます」
「話せ」
マリアライトを侍らせながら足を組み、踏ん反り返る様は魔王といったところだった。
動向を窺うプラチナは、思ってしまっても口に出さない。言うべき場面ではないし、何より兄の言うことを聞かないスフェンに密着されたままだった。今は、彼の温もりを意識しないように頑張って努めている。
(ああ、でも不快感などありませんわ。クロイツ伯爵と違って、スフェン殿下に触れられるのは・・・いえ!恥ずかしくはありますわね!汗をかいていませんか、わたくし!)
ドキドキと鼓動は常に早い。やはり意識はしてはいけないと、小さく、ゆっくりと呼吸をする。新鮮な酸素を取り込むことで頭を冷やそうとした。
「魔物狩りに派遣をした騎士達が戻って参りました。魔物の大狼を仕留めたそうです。猟師や憲兵達、随行の騎士達の中にも被害はありません」
「それはよかった。この地にあった不安分子は取り除けたようだな・・・プラチナ嬢」
「はい」
名前を呼ばれたことで背筋を伸ばす・・・スフェンの重みを感じるが、プラチナは頑張って姿勢を正しくした。
「魔物は討伐され、人身売買も片が付く。あとは君達の処罰だけだが、王都に帰る準備をしなければならないだろう。二日はこの館に滞在するつもりだ。構わないな?」
「はい、ご随意に」
「私の近衛騎士達を警護に回す。残りの滞在期間は安全に過ごせるはずだ」
ヘリオドールは、マリアライトの腰に手を回すとソファから立ち上がった。寄り添っていた彼女が突然の動きによろけると、肩すら抱いて支える。
「マリアライトは非常に弱っている。休ませてあげたいのだが、部屋はあるかな?」
「二階に上がってすぐですわ」
「いえ、ヘリオドール様。私は大丈夫です」
「駄目だ、横になった方がいい。プラチナ嬢もそう思うだろう?」
金色の視線が向けられる。何故か鋭いそれに身が竦んだが、プラチナはしっかり頷いて答えた。
一瞬、にやりと歪んだ笑みが浮かぶ。見間違いかと目を瞬かせれば、ヘリオドールは真顔となっていた。
「では、失礼する。ああ、それと、私のマリアライトが眠っている間は部屋に来ないように。何か要件があれば室外から私を呼べ。いいな?突然、扉を開くなど以ての外だぞ?」
念を押されて不審に思う。寄り添うスフェンも溜息を漏らして「どっちが犯罪・・・」などと呟いていたが、プラチナは最後まで聞き取れなかった。
今はヘリオドールに逆らうべきではない。何より、マリアライトを休ませてあげたいという気持ちは彼女にもある。
「勿論ですわ。マリアライトのことをよろしくお願いします」
「誰に物を言っている。私は夫だぞ」
まだ夫ではありません、という言葉は飲み込んだ。ソファに座ったままのプラチナは、二階に向かっていく二人を視界からいなくなるまで眺めた。
(それで・・・う〜〜〜〜〜ん)
緊張感を与えられる話し合いは終わり、スフェンと二人きり・・・ずっと壁際に控えていたセラフィと途中入室してきた騎士がいた。
どうしようかと視線を向けるが、再び入室の許しを請う声がかけられると、新たな騎士が踏み込んでくる。珍しい深緑色の頭髪をした彼は、プラチナとスフェンに一礼をして、何故かセラフィの腕を掴んだ。
無表情を徹していたセラフィの眉間に皺が寄る。不快、というよりはうんざりといった様子だった。彼女は、同じ深緑色の髪色をした騎士に引かれて玄関から出ていく。もう一人の騎士も追従したことで室内から出ていった。
(・・・二人っきりにされましたが!?)
助け欲しさに視線を送る相手はいなくなった。リビングにいるのはプラチナとスフェンだけ。まるで恋人のように身を寄せ合う二人しかいない。
(ど、どうすれば・・・いいえ!いえ!動揺してはいけませんわ!しっかりしなければ!家長としてスフェン殿下をもてなし・・・もてなすべきですの?わたくし、罪人ですが??)
表には出さないが、内心は混乱を極めていた。逃さないと追ってきた婚約者と二人っきり。彼の様子から、何かしらの思いを彼女に抱いているとは分かるが、そのせいで以前のような対応はできないと思う。
(と、とにかく、体勢を変えていただきましょう。お話はそれから)
「プラチナ」
「ひゃい!?」
思考中に呼ばれたことで、変な声を上げてしまう。スフェンからすれば品がないと思うだろう。
プラチナは、恐る恐る彼の顔を覗き込んだ。肩に頭を乗せたままの婚約者は、翳りある黄緑色の瞳で彼女を見上げていた。
「君は嫌なんだろうけど、僕と結婚してもらうよ」
それだけ言うと、スフェンは頭を動かした。プラチナの肩口に唇を当てる。
「嫌われていても、僕には君しかいないんだ。これからはずっと側にいてもらう」
掠れた声。それでも言葉は一言一句聞こえた。だから、プラチナは引っかかった言葉に首を傾げる。
「わたくし、スフェン殿下を嫌っていませんわ」
「・・・え?」
肌を擽る唇が離れた。頭を起こしたスフェンは、プラチナと向かい合う。重ね合う手に力が込められた。
「僕が嫌いだから結婚したくないんだろう?魔物と言われたのを幸いに逃げ出すほど、僕を嫌っているんじゃないの?」
「違いますわ」
きっぱり答えた。スフェンの手が引き抜かれて、彼女の二の腕に触れる。しっかりと、逃げないように力が込められる。それは縋っているように思えた。




