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来訪

扉の隙間から覗き見をする魔王、もといヘリオドールにプラチナは身動きすらできなかった。あまりにも恐怖を煽る形相。少しでも動けば首が吹き飛ぶのでは?と思わせられる。

視線もそらせない彼女は凝視と見つめ続けた。その間もゆっくりと、なぜか時間をかけて扉が開かれていく。


(ど、どう、どうしましょう!?)


やっと考えが及ぶくらいには思考できた。ただ、やはり邪悪な笑みを浮かべたヘリオドールのせいで体は動かず、彼が室内に足を踏み入れることを許してしまう。


「さて、義妹殿は息災かな?このような山奥に居を構えて何を考えているのかなど私には及びもつかないが、君の独特な思考を理解するつもりはない」


人差し指でプラチナを指し示したヘリオドールは、一歩と詰め寄ってきた。近くに控えていたセラフィが、彼女を守ろうと踏み出す。


「ヘリオドール様・・・」


緊迫とした場に可憐な囁きが落ちる。力はなくとも耳に届くその声は、魔王の視線を奪い、プラチナの体の緊張を解した。彼女は魔王・・・否、表情を緩めたヘリオドールに倣って視線を向ける。

弱々しく縮こまり、胸元を押さえることで小さく見えるマリアライトが、彼を見つめていた。その薄紫色の瞳が煌めいているのは、涙が浮かんでいるからだろう。


「マリアライト!」


「あっ!?」


プラチナに向けていた指は、彼女が邪魔だと退けるように動いて扉の方へと押した。硬い木製のそれに当たりそうになるが、何かが抱き留める。しっかりと、すっぽりと身を包む温もりに抱かれた。プラチナは手を伸ばしているセラフィ、その奥で抱き合うヘリオドールとマリアライトを丸くなった瞳に映す。


「ああ、やっと見つけた。私のマリアライト・・・無事か?君に何かあったと思うと私は気が気でない」


「へ、ヘリオ、ドールさまぁ・・・」


大柄のヘリオドールにしっかりと抱き締められたマリアライト。女性の中では長身ではあるが、彼に抱かれて涙を流す姿は小さな少女にも見えた。

逞しくも美しい青年と可憐な少女ごとき美女の抱擁は、芸術品に匹敵する。目が離せぬ光景をプラチナはセラフィ越しに眺めていたが、自分を抱き締める者が不明と遂に気付いた。名残惜しくも芸術から目を離し、ゆっくりと見上げれば、綺麗な黄緑色の瞳とかち合う。

金の髪がかかる形の良い眉を下げ、眼鏡のレンズ奥にある長い金の睫毛に縁取られたその目は、視線が合うと少しだけ見開く。肩を抱く温もり、つまり彼の腕が力を加えることで、しっかりとプラチナの体を抱き締めた。


「スフェン殿下?」


自分を抱き締める男の正体を理解して、なぜ抱き締めているのかは理解できず、困惑しながらも名前を呼ぶ。

呼ばれた本人は小さく息を吐くと、顔を寄せてきた。近付く美しい顔に驚いた彼女は、肩を跳ね上げる。思わず、彼の胸を押して離れようとした。

しかし、武道の一切をしたことがない淑女の力では、義務として戦闘科目を取っている王子の力に勝てるわけがない。

離れることなど許されず、お互いの頬が触れ合い、擦り合わされる。


「プラチナ、やっと見つけた・・・」


安堵したかのような声。吐息混じりのそれに肌を擽られる。


「ひゃっ」


今まで、スフェンには抱き締められたことも、愛しそうに囁かれたこともない。初めての触れ合いが許容を越えたことで、妙な声を上げてしまう。


「スフェン殿下、お嬢様が混乱されています。今すぐに抱擁を止めてください」


プラチナの様子からセラフィが声をかけてくれた。鶴の一声に彼女は安心をしたかったが。


「黙れ、僕に指図をするな」


「ひぇっ」


スフェンからは聞いたことがない低く冷たい声色。それも威圧するような文言に、また出してはいけない声が漏れる。


(い、今の声は、スフェン殿下ですの?いえ、そんな・・・心臓が凍り付くような冷たい声でしたが??)


確認と顔を見たいが、がっしりと抱き締められたことで身動きができず、角度から見えるのはスフェンの頬だけ。

どうすることもできないプラチナは、声をかけることも逡巡してしまう。


「恐ろしい顔だな。ドルヒリッターの侍女すら恐怖で固まっているではないか。そんな顔をプラチナ嬢に見せてもいいのか?」


「いえ、怖いとは思っていません。お嬢様が怖がっているので、どうやって助けようかと考えています。我が国の第二王子の腕を切り落とすなど、流石に躊躇いますので」


「ほう、主のためなら躊躇いが無いと聞いていた通りだな。怒れるスフェンの顔に恐怖を覚えないことも肝が座っていると言える。私の弟は本当に恐ろしい男だからな。立場がなければ、魔に落ちていたと言っても過言ではない」


二人の会話が、更にプラチナを混乱させる。彼らは誰のことを話しているのか分からない。スフェンのことを言っているらしいが、そうではないと拒絶してしまう。

彼女の知る彼は、不審に思ってしまうほど優しく穏やかだった。他者を威圧しない、怒りなど顕にしない。恐ろしい声で厳しい言葉など言われたこともない。どこまでも一緒だったからスフェンという王子のことは理解している・・・はずなのに、


「本人を目の前にして堂々と罵れるなんて命知らずですね?兄上もそこの侍女も対人対応に問題がある。人生を赤子からやり直したほうがいいのでは?特に兄上。プラチナを押し退けるなど品位の欠片すらありません。もはや王子ではなく蛮族です」


「お前に渡しただけだぞ?そう怒るな」


「・・・・・・」


明らかに自分を抱き締める男から、スフェンから暴言とも取れる発言がされている。

本当に彼は優しかったスフェンなのかと、プラチナは頭を動かして顔を覗き見ようとした。


「駄目だよ、プラチナ。絶対に逃がさない。君は嫌だと思っているだろうけど、僕は手放すつもりはないんだ。もう二度と離さないからね」


「んっ」


腰にある腕の力が増し、きつく締め上げてきた。苦しさを感じて声を漏らせば、ヘリオドールを見ていた顔がプラチナに向かう。

やはりスフェンだった。暗い顔をして、綺麗な黄緑色の瞳すら曇っているが、スフェンに間違いなかった。

プラチナは手を伸ばす。締付けを緩めてほしいと、彼の頬に触れてその顔を固定した。見つめる顔はハッとして、ひたすらにプラチナを見つめてくる。


「プラチナ・・・」


「あ、あの、スフェン殿下。お願いがありますの。苦しいので力を弱めてくださいません?」


「・・・逃げない?」


「これほどしっかり抱き締められたら、逃げることなどできませんし・・・」


暗い顔を見続ける。見たことのない悲壮な表情に、プラチナは彼が苦しんでいるように見えた。

苦しいのは自分なのに、相手は不審感のあった人なのに、心を寄せてしまう。


「・・・逃げませんわ。わたくしは、スフェン殿下から逃げません」


欲しいであろう言葉を送れば、彼の顔は緩んだ。安心したかのように息を漏らす。プラチナの肩に頭を乗せはするが、抱き締める力を緩めてくれた。

彼女は様子を窺うためにスフェンの表情を見ようとした。眠るように目を閉ざしている。そして、その後頭部の後方。背景になれない麗しの第一王子が、その胸に顔を押し付けているマリアライトの美しい髪を梳かしながら、いやらしい笑みを浮かべているのが見えた。


「お互い落ち着いたようだな。では、話し合いをしようか。内容は君達が行った契約違反についてと、今後の処遇に対してだ」


再び邪悪な表情になったヘリオドール。有無を言わせない物言いも相まって、正しく魔王だった。

逃げたいと足が動きそうになった。しかし、魔王に寄り添うマリアライトの姿と、自分を抱くスフェンのことを思って踏み止まる。

プラチナは身を寄せる彼の背中を撫でて合図をすると、ソファに足を進めた。彼女が腰を下ろせば、スフェンは密着して座わり、肩を抱いてきた。向かい合うソファには、同じようにヘリオドールとマリアライトが座る。



「まずは、そうだな・・・君達が我々との婚約解消に乗り出し、逃げ隠れた理由を君から聞きたい」


わざわざ顎を上げての物言いは非常に偉そうだった。王子だから偉いのは当たり前だが、苛立ちを与えられたプラチナは、感情のまま言葉を吐き出してしまいそうになる。

しかし、わざと怒らせようとしていると気付き、深呼吸をして必死に耐えた。


「ヘリオドール殿下、そのお言葉から察しますと、わたくしとマリアライトは殿下達の婚約者のままですの?すでに解消されたかと思いましたが?」


「あのような辞退届が承認されると思ったのか?マリアライトの体調不良も、君の人間性に問題がある等という世迷い言も解消に至る理由にはならない・・・私達にはそれぞれ手紙をしたためてくれたな?確か、オトメゲー・・・なんだ?」


あの長々しい正式名称が出ないことでヘリオドールは頭を捻る。見かねたマリアライトが、彼の逞しい胸にもたれて見上げれば、その顔は緩く微笑んだ。


「オトメゲームノアクヤクレイジョウです」


「流石は私のマリアライトだ。物事を正確に記憶できる。その下らない魔物の名称すらしっかり覚えているのだな・・・そんなもの存在しないのに」


マリアライトの額に唇を寄せたヘリオドールだが、その目はプラチナを鋭く睨んだ。険しい目に怯んだ彼女だったが、寄り添うスフェンが肩を撫でてくれる。

労りを感じたことで、向けられる鋭い視線から顔をそらし、スフェンの顔を見た。彼の優しい眼差しを受ける。

不審とは思わずに安心感を得た。卑劣なオブシディアンの眼差しに晒されてすぐだからか、スフェンの優しい顔に安らぎを与えられてしまった。


「オトメゲアクヤクとわたくしは省略していますが」


そう口火を切ると、自分を支えてくれる人から視線を外す。鋭くなった眼差しをヘリオドールに向けた。


「存在しないと断言はできませんわ。わたくしもマリアライトも、そのような魔物だと訴えられましたの。話し合いからそれますので発言者は伏せますが、あの物言いは確かに存在するといった様子でした。偽りだとは感じませんわ」


もはや遠い日の人物になってしまったが、シエルの「オトメゲームノアクヤクレイジョウ」に関する発言には真実味があった。彼女すら存在すると確信して言っていたのだ。自分もマリアライトも魔物ではないと思っているが、あの言動だけは嘘とは言えない。

それにも関わらず、ヘリオドールは疑うように目を細めて鼻を鳴らした。再三思うが、王子とは言えない態度を取る。


「伏せなくとも分かる、コルミナ男爵家のシエルだろう。あの女は我が国の燃料事情を支えていることで信頼に値する男爵の娘だが、その素行に問題がある。私のマリアライトを貶めようとしたらしいな?親友である君が、そんな女の発言を信じるのか?」


「それは・・・シエル嬢がマリアライトを貶めようとしたことについては怒りを覚えますわ。生涯許しません。ただ、オトメゲアクヤクに関してはわたくしにも仰られて」


「その女は処刑しましょう」


「ええ!?」


突如、隣から聞こえた物騒な言葉にプラチナは驚く。ヘリオドールに向けていた顔で見上げれば、スフェンは無表情に近い冷たい顔をしていた。自分の発言を発端に、シエルが死を迎えても気に病まないと思えるほど、冷酷な雰囲気を醸し出している。


(スフェン殿下、ですわよね?間違いなく、あの優しいスフェン殿下ですのに・・・今はとても冷たく感じますわ。如何されたのでしょう?)


先程から自分の知らない彼を見せられている。柔和さなど欠片もない冷酷な様子。その違和感から、プラチナの胸は握られたように痛んだ。あまりのことに、彼女は自身の胸に手を当てる。

スフェンの鋭い目はプラチナに向けられて、すぐに柔らかな眼差しに変わった。彼女の顔に自身の顔を近付けると、その頬を額に寄せてきた。


「大丈夫だよ、プラチナ。君を悪だと宣う馬鹿は僕が罰する。君が望むならすぐに処刑するからね」


「ええっ!?いけませんわ!突然に物騒なことを仰らないでくださいませ!?あと馬鹿なんて、そんなスフェン殿下が馬鹿などと発言されるなんて!?」


感触と発言に驚いたことで無意識に身を引こうとするが、スフェンの腕が許さなかった。力で勝てないプラチナは完全に拘束されてしまう。

それをヘリオドールはおかしそうに笑った。


「プラチナ嬢と言えどもスフェンの強引さには敵うまい。君が大人しくなって良かった。やはり、君とスフェンはお似合いだな」


フッと息を吐いて、ヘリオドールは腕の中のマリアライトに慈しみのある視線を落とし、すぐに狼狽するプラチナを睨み付けた。


「馬鹿は馬鹿なのだ、プラチナ嬢。大馬鹿者のシエル・コルミナは、王太子妃となるマリアライト・リオンの有りもしない流言を流そうとした。魔物など嘯いて貶めようともした。処刑とまではいかないが、あの女には厳しい処罰を下すつもりだ。我が国は法治国家だからな。きちんと法に則った処罰を与える・・・話の本質からそれるから、あの女についてはこれで終わりにしよう」


ヘリオドールはマリアライトの夜色の髪に指を絡めて撫でる。静かに受けていた彼女だったが、プラチナと目が合ったことで恥じらい、そして青ざめた。すぐに顔を伏せてヘリオドールの胸に押し付ける。


「スフェン、睨むな。マリアライトが怖がっている」


「え?睨む?スフェン殿下が?」


「その弱々しい有り様には何度が諫言したが、今日ほど腹立たしく思った日はない。君の繊細さは度を超えてる。単純な兄上は庇護欲を掻き立てられるようだが、僕は怒りしか感じない。少しは堂々とできないのか?」


「ええっ、マリアライトを虐めてますの??」


スフェンとマリアライトが会話をするところは見たことがない。プラチナの知る範囲では、挨拶の言葉を交わすだけだった。その程度だった。

それなのに、彼は遠慮なくマリアライトを責める。そこに配慮はない。彼女の心をへし折るような発言をしている。

混乱極まるプラチナは止めに入る。スフェンの目は視線が合ったことで、厳しさなど一切ない優しいものに変わる。


「虐めているわけじゃないんだ。彼女は僕の義姉になるだろ?つまり王族に加わるんだ。それなのに、へろへろに弱った姿を見せたら他の者に示しがつかないし、それが腹立たしくて堪らないんだよ」


「へろへろ!?腹立たしい!?」


今までの彼なら決して言わないことを、その形の良い口から紡がれたことで動揺してしまう。有り得ない言葉を鸚鵡返しすることしかできないプラチナに、ヘリオドールが手のひらを掲げて制する。


「スフェンの悪態については今は考えないでくれ。君が混乱すると話が進まないからな・・・では、続きだが」


マリアライトの背中を慰めるように優しく叩くヘリオドールと、もはや怒りの熱すらない冷めた目をしたスフェンを、プラチナは交互に見た。先に進めようとする強引な王子。黙ってはいるが身を寄せる力を緩めない婚約者の王子。

二人の姿を見比べた彼女は、冷静になろうと一息ついた。身を包む温もりをそのままに、ヘリオドールへと向き直る。


「存在すら不確かな魔物だと言われ、これ幸いにマリアライトを巻き込んで逃げ出すとは何事か・・・私が君に言いたいことはそれだけだ。君の一時の感情のせいで、どれほどの人間に迷惑をかけたか分かっているのか?」


「ヘリオドール殿下。その発言からですと、わたくしが自分のためにマリアライトを騙して婚約解消に乗り出したと聞こえますが?」


「ああ、そのつもりで言っている」


「わたくしは・・・魔物であれば、スフェン殿下との婚約を終えられるなど考えていません!」


核心を突かれたことで心臓が跳ね上がり、動揺で喉が震えそうになるが、しっかりと気を引き締めて答えた。自分の行いに後ろめたさはないと示す。


「嘘をつけ。魔物ならば王子と婚約、いや、結婚せずに済むと考えに至ったのだろう?君はスフェンが苦手だからな。顔に出るからよく分かる」


「・・・え?」


だが、告げられた言葉にプラチナは硬直する。理解したくないと脳が訴えてくる。

上手く隠し通していた気持ちは、あけすけに伝わっていたらしい。彼女は、にやにやと笑うヘリオドールから視線を動かし、隣り合うスフェンへと向けた。

少し苦しそうに眉を寄せ、それでも微笑もうと口を引き攣らせた顔があった。


「嘘、ですわよね?」


「私が嘘つきだと言いたいのか?国を担う王太子となる私は品行方正だ。嘘など言わない。君のスフェンに対する苦手意識は誰の目にもはっきりと分かる。分からなかったのはマリアライトくらいか・・・君も虐めてくるスフェンが苦手で避けていたからな」


「い、虐められたとは思ってはおりません。スフェン殿下のお言葉は真っ当なもので・・・あうぅ」


「睨むなと言っている」


どうやら、またスフェンが睨み付けたようでマリアライトは口籠ってしまった。ヘリオドールの背中・・・胴が筋肉逞しいことで回せずに脇を掴む羽目になっているが、しっかりと抱き付いた。表情を緩めたヘリオドールも抱き締め返している。

頭が真っ白になりかけたプラチナすら「仲がよろしいですわ」という感想を抱くほどの有り様。


(え、マリアライトとヘリオドール殿下は仲がよろしいの?あれほど体を許しているなんて・・・想い合ってますの?)


新たな疑問に思考を取られそうになったが、話がそれるので発言は控えた。

ただ、言葉を交わすことで、あまりに自分が身勝手だったと自覚できた。何より、二人は想い合っていると目に見えて分かる。自分がしたことは混乱を招いただけ。気持ちが他者露見していたことの動揺もあるが、今すべきは起こしてしまったことへの謝罪をしなければと、冷静に考えられた。

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