か弱くも美しいマリアライト
ある意味ヒーローのプラチナと、ヒロインのマリアライト。
慌てふためくことなく落ち着いた足取りで進むプラチナは、セラフィにお茶の用意を言付ける。マリアライトの好みの茶葉と食器も知っている彼女は、適切に指示をすると屋敷の執事に声を掛けた。中庭に至るガラス戸の前で庭師と話していた彼は、丁寧に礼をする。
「サロンを使いますわ。然程の時を待たずしてマリアライトがいらっしゃるはずですから、出迎えと案内をお願いします」
「はい、畏まりました」
「夕食は一時間後と聞いていますが、マリアライトとのお話がすぐに終わるとは思えませんの。わたくしの食事は自室に運んでくださる?」
「お一人でよろしいのですか?」
頭を上げた執事は真っ直ぐに背を伸ばして言葉を返すが、少し眉間に皺が寄っていた。長年、王都のタウンハウスに務める彼は、ヴァイスシュタイン家の家族関係は良好だと知っている。手が離せない重要な要件がない限り、一家団欒で過ごすことが多い。そんな家庭の長子が、友人とは言え一人の来客のために、食事の席を外すのはいただけないと感じているのかもしれない。
プラチナはそう理解した。そして、マリアライトとの交友は重要な要件に他ならないために引くわけにもいかなかった。
母親同士が仲が良かったことで、マリアライトとは赤子の時から付き合いがある。記憶すらないときから一緒にいた幼馴染。いつも遊んだ親友で、学び舎を同じくする学友。そして、時期はずれるが共に王家へと嫁入りをする仲間だ。
もはや家族と言っても過言ではない。「違う」と父である公爵に言われたことはあったが、プラチナにとっては家族と同じくらいかけがえのない人だった。
スフェンの妃となる未来も、マリアライトが共にいれば耐えられると思うくらいには。
「ええ、わたくしの食事はマリアライトとのお話が終わってからです。お願いしますわね」
意志は曲げないと再び言葉を送れば、執事の表情から感情はなくなり、手本のような礼を返された。
執事に指示をしたプラチナは、サロンに到着すると談話用のソファに腰を下ろす。ややあってセラフィが音を立てずに扉を開け、銀のトレイに乗せた若草色のティーセットを運んできた。
目の前のテーブルに置かれたそれは、既にポットの中で茶葉が蒸らされているのだろう。芳しい匂いを感じながら、彼女はサロンの中にある柱時計を見る。マリアライトが来訪すると連絡を受けて十分ほど。そろそろだろうと、プラチナ自らが二客のカップに紅茶を注いだ。
それと同時に、サロンの扉が軽くノックされる。
「プラチナお嬢様、マリアライト様がいらっしゃいました」
「お通しして」
執事が扉を開いてドアノブを掴み抑えると、一人の麗しい令嬢が落ち着いた足取りで入室する。
「ありがとうございます」
彼女は一旦、執事へと振り返ってお礼の言葉を述べると、プラチナに向き直った。優美で穏やかな微笑み。それは淑女の浮かべるものと似ているが、彼女の人間性を表す笑みだった。
「お待ちしておりましたわ、マリアライト」
「突然の来訪になってしまってごめんなさい」
「よろしいのよ。さあ、おかけになって!」
素早くも音が立たないように品良く立ち上がったプラチナだが、喜びは隠せないと足早にマリアライトに近付き、その腕に自身の腕を絡めた。
「お嬢様、品がないかと思われます」
否、セラフィの言葉に身を離し、ドレスの裾を白い指先で摘んで頭を下げた礼を取る。
「これでよろしいかしら?」
「まあ、プラチナったら」
すぐさま姿勢を正してセラフィへと視線を送る様子に、マリアライトはか細い指先で口元を隠して笑った。楽しそうに微笑む親友に、彼女は満足と顔を向けるが、
「マリアライト、どうかなさいましたの?」
いつもより顔色が悪いと気付いて手を引く。自分と向かい合うようにソファへと誘導して座らせ、自身もソファに腰を下ろす。そして、正面にいるマリアライトを眺めるように見た。
アカデミーから直接来訪したようで、マリンブルーの制服のままだった。そんな彼女の腰まで伸びたストレートの艷やかな黒髪は、月のない夜空の色。名前と同じ宝石の色をした薄紫の瞳は、黒く長い睫毛がかかることで妖しくもあるが、マリアライト自身の顔立ちがそれを払拭させる。
清楚で優美な顔立ちは妖艶さから程遠い。清らかなる乙女そのもので、回復魔法の使い手であることから時代によっては聖女として崇められただろう。清廉なる美少女。それがマリアライトの容姿にぴったりと合う表現だが、そのくせ非常に女性的な肉体をしている。
男性の手でも包めないほどの豊満な胸、それでいてしっかり引き締まった腰、丸く肉付きのいい尻からスラリと伸びた美脚。国内のリゾートへと行楽した折に、一緒に水浴びをしたプラチナでしか知り得ないことだが、マリアライトは男性を虜にする肉体を持っている。それが目立たないように露出の少ないドレスや慎み深い制服で隠し通しているのだ。
何人かの愚かな男達が気付いたようで「第一王子が羨ましい」や「夜会のドレスくらいは胸元を」など下品な囁きを耳にしたことがある。聞くに堪えないとプラチナが苦言を呈したのも一度や二度のことではない。
(マリアライトほど男性の視線を集める方は我が国にいらっしゃいませんわ)
男性が女性の体に興味津々だとは彼女も知っている。だから、そんな不埒な輩から何度もマリアライトを守ってきた。
マリアライトは優しい。身分も性別も別け隔てなく優しく接してしまう。躊躇などなく、人々が困っているならばと自ら手を差し伸べてしまうことがある。慈愛の体現者。それがマリアライトという侯爵令嬢だった。第一王子のヘリオドールも、その優しさが自身を癒すと彼女を選んだらしい。
だが、あまりに優しすぎる心は貴族の中では弱点でもあった。いくら品行方正の国王が治めるフリーデン王国とはいえ、全ての臣民が善良とは言えない。悪心はどこにでも芽吹くし、上流階級の貴族であっても邪悪な者はいる。過去に貴族が起こした事件は少なくはない。悪心を芽吹かせる欲望というのは、人間である限り切り離せないからだ。
そんな悪意にマリアライトが晒されれば、優しすぎる心は脆く崩れ去るだろう。心根から両親に愛され、使用人達にも愛されている。身近にいる学友はプラチナを含めて全員が親愛の情を持っていた。誰もが彼女を悪から守ろうとしたのだ。
だから、マリアライト自身は悪意に耐えられない。皆が協力したわけでもないのに、そうさせてしまった。ただ清らなかな笑顔のままでいてほしいと願って。
そんな彼女が顔色を悪くしていれば、プラチナが気付かない筈がない。心配と顔を曇らせると、少し身を乗り出してマリアライトに近付いた。
「お嬢様」
セラフィに声をかけられる。はしたないと嗜めるつもりかもしれないが、彼女は射抜くような青い瞳を向け、扉の側で控えていた執事にも視線を投げた。
「マリアライトと非常に内密なお話をしますの。あなた達は下がるように」
有無を言わせないと冷静な声色で言えば、執事もセラフィも一礼をして退室した。サロンにいるのはプラチナとマリアライトのみ。
第三者がいないことで立ち上がり、その隣に腰を下ろした。彼女よりも少し背の高いマリアライトは、目を合わせようと視線を落とし、そして伏せてしまった。美しい瞳が長い睫毛に隠されてしまう。
「本当にごめんなさい。貴方に気を使わせてしまっていますね・・・」
「よろしいのです、わたくしとマリアライトの仲でしょう?」
フッと笑みを浮かべれば、伏せられていた目がプラチナに向かう。正にマリアライトの色。綺麗な宝石の瞳を彼女はしっかりと見つめた。
「・・・私、自分が弱いとは良く理解しているのです。何度も強くならなければと耐えてまいりましたが、でも、とても恐ろしいことを聞いてしまって・・・」
目が煌めいているのは涙のせいだろう。収まりきらない一滴が流れると、決壊してポロポロと流れ落ちていく。 まるでクリスタルのような美しい涙。
見惚れるほどの輝きだが、それを不用意に発言するべきことではないと、プラチナは絹のハンカチを取り出した。マリアライトの頬に当てて目元を優しく拭う。
「ご、ごめんなさい」
「構いませんわ、あなたは恐怖を与えられたということですもの。怖かったのでしょう?」
一体、どんな恐ろしいことを耳にしたのかと、発言者に怒りを覚えた。だが、マリアライトが震えた声で発した発言に、プラチナは驚きで思考が停止しかける。
「恐怖を与えられたと言いますか・・・わ、私、『オトメゲームノアクヤクレイジョウ』という魔物なのです」
「・・・・・・はい?」
良く分からない長文の名称。呆然とすることで、マリアライトの頬に当てていたハンカチを持つ手すらスルリと膝の上に落ちる。
呪文のように・・・この世界の魔法は高位魔法を使用する際に長い呪文が必要だが、その呪文よりも良く分からない言葉だった。彼女は思わず首を傾げる。
「ええっと、その・・・なんですの、オトゲアクなんとかとは?」
「オトメゲームノアクヤクレイジョウです」
(よくスラスラと言えますわね!流石ですわ、マリアライト!)
友人の高い知能に関心することに意識が行ってしまう。それほどよく分からない長過ぎる言葉だった。家督を継いだ貴族の当主のほうが法則があることで遥かに覚えやすい。
なので、プラチナは名称に関しては頭から抜いた。分からないもの気にしていては話の本質が見えてこない。重要なのは名称ではなく、それがマリアライトを恐れさせた「何か」というところ。
友の発言を思い出し、脳内で噛み砕いて気付いた言葉に眉を顰めた。
「あなたが魔物だと仰ったの!?」
より理解できなくて憤慨と声を荒げる。
慈愛の淑女と名高きマリアライトが、人々を害なす魔物だという。信じられない許しがたい発言に、プラチナの目尻がキリキリと上がっていく。
「誰がそんなことを仰ったんですの!!未来の王太子妃であるあなたを貶める不敬極まりない発言ですわ!!そんなこと許せません!!」
魔物という害をなす生命体はどんな国であろうと生息する。強い魔力を持って生まれた獣や人の念が宿った道具など、その在り方は様々。人間も欲望に飲まれた者が魔物に転じると言われ、過去にはフリーデン王国でも発生していた。時の国王が派遣した騎士達によって倒されたというが、町一つを滅ぼすほどの甚大な被害を出したと歴史の教科書にすら記載されている。
そのような邪悪な者にマリアライトが転じたという。
「ありえませんわ!!」
元より認めることができず、違うと断じたプラチナの怒りは、マリアライトが貶められたことに向かう。冗談でも言ってはいけない。これは彼女を邪悪だと嘲笑う行いだった。
「あ、貴方ならそう言ってくださいますよね・・・でも、私、実際に被害を出していますから」
「いつのことですの!」
怒れるプラチナの様子にマリアライトは肩を跳ね上げた。目を丸くしたことでポロリと涙を流すと、指先で拭う。
彼女は小さく息を漏らし、一度口を真一文字にして、ゆっくりと話し始めた。
「貴方も知っているはずです。アカデミーの校舎内で私とすれ違った女子生徒が怪我を負ったと。他にも同じ図書室にいたことで流血するほどに傷付いたとも、噂になってしまいましたから覚えているでしょう?」
「・・・『あれ』ですわね」
プラチナは声を張り上げはしなかったが、恨めしそうな低い声色で吐き捨てた。淑女とあるまじき態度だが、ここにはマリアライトしかいないことで感情のままの言動を取る。
彼女のいう「あれ」とは実に腑に落ちないアカデミー内で起こった事故ようなものだった。それは、マリアライトと接触した女子生徒が怪我を負うというもの。ただすれ違ったり、部屋を共にしていただけなのに怪我を負う。そこまではいかないが、転倒することもあったらしい。通りすがった教師や生徒に助けられて大事には至らないが、そんなことが何度も起きた。
そして、いつしかマリアライトの仕業などいう噂すら立ち始めたのだ。彼女に虐められたことで女子生徒が負傷をした。人目に付かない二人っきりを狙って、危害を加えているだと。
(本当に悪というものはどこにでもいらっしゃるのですわ!)
捏造だとプラチナは結論付けている。
想像の範疇ではあるが、王太子妃にほぼ内定しているマリアライトの悪評を広めて、その地位から引きずり降ろそうとしたのだろう。彼女の清らかな美しさに嫉妬しての行いとも考えられた。か弱いからと貶めれば、立場など放棄するだろうという浅はかな謀。
プラチナはそれを許さなかった。謂れのない悪評が根付く前に声を上げることで叩き潰したのだ。マリアライト自身の人間性も相まって信じる人々も少なかったし、負傷したという女子生徒も見つからなかったことから、彼女の名誉は守られた。訳の分からない言いがかりだと処理されたはずだ。
それなのに本人が「魔物」だから引き起こしたのだと思い込んでしまっている。誰かが言ったから信じかけている。
「私、きっといるだけで人を傷付ける魔物なのです。だから、あのような被害が出ていたのでしょう・・・私は、いつの間にか邪悪なものに転じていた・・・」
「マリアライト」
マリアライトが膝の上に乗せていた両手を、プラチナは両手で包む。美しい顔を曇らせた大切な人は、潤む薄紫の瞳で遠慮がちに視線を送ってくれた。
「あなたが魔物のはずがありませんわ。あの良く分からない事故のお話も、あなたを貶めようとした貴族の流した噂に過ぎないのです。被害者だと名乗り出た者がいなかったことが何よりの証拠ですわ」
「そう、思いました・・・あのときは、あなたも励ましてくれたから・・・でも、あの事故は私が引き起こしたとと噂にされて、改めて攻撃という言葉を受けたことで、私は魔物に転じたのだと・・・」
「誰です?あなたにそのようなことを仰った方は?あの事故のお話ともその方が結びつけましたの?」
「魔物と直接的に言われたわけではありませんが・・・『オトメゲームノアクヤクレイジョウ』のくせに、どうして攻撃してこないのかと仰られて」
「う〜〜〜ん・・・」
また長ったらしい名称を言われて頭が混乱するが、上手に脳内のゴミ箱へと投げ捨てたプラチナは、しっかりとマリアライトを見つめた。
「誰が仰ったのか教えてくださいます?」
「・・・コルミナ男爵令嬢のシエル様です」
「コルミナ?」
聞き覚えのない家名だった。男爵家とはいえ、古くからある名家はある。その全ては記憶しているはずだった。分からないと眉を寄せたプラチナに、マリアライトは語る。
「元は南方に位置する炭鉱山を所有している地主の一族です。我が国の燃料事情を支える大規模な鉱脈を見つけたことで三年前に爵位を得ました。年々利益を出していらっしゃるので、近日中に子爵位を賜るでしょう。シエル様はそちらのご長女。アカデミーでは私達より二学年下の生徒です」
「そうですの。それでご容姿は?」
「淡い桃色の髪色をした愛らしい顔立ちの方で、貴方も見かけたことはあると思います。社交的な性格のようですので、学年問わずに様々な方とお話をしているお姿をよく見かけますから」
(ああ、あのご令嬢ですわね)
誰か分かったプラチナは更に顔を顰めた。名前こそ知らなかったが、確かによく見かけている。