村の側には妖精が住むという
色んな視点から。視点の切り替えが頻発します。すみません。
───・・・ヴァイスシュタイン公爵領、緑地帯。
目印となるヴォルフスアンゲル村を目指して走る王家の馬車の中。次代を担う王子二人が乗り込む室内は重々しかった。
なぜなら、何かとからかってくる兄のヘリオドールをスフェンは何度も言葉で応戦し、しまいには「話しかけるな」と発言したことでヘリオドールが無言となったからだ。
王都を発って三日。二日目の午後から続く沈黙を苦痛に思うのは、護衛として乗り合わせた近衛隊長くらいしかいない。
当人たちは気にしないと窓の外を眺めたり、眠るように目を閉じて弟が気付かないときは開いてにやにやと笑ったりしている。
居心地悪いと感じた深緑色の髪の隊長は、御者台へ繋がる小窓を開く。
「そろそろか?」
「そうだな・・・領内の中心都市の奥にあるんだろう。あれが、あの山だから・・・あと十分ほどじゃないか?」
御者の隣に座っていた同じ顔の騎士が答える。隊長は「まだそんなに」と小さく声を零せば、スフェンは地図を取り出した。騎士達の会話と地図を照らし合わせる。
「そろそろヴォルフスアンゲルに着きますね。山の二合目付近、高台に拓かれた猟師の村だそうです。治安も財政も安定しているヴァイスシュタイン領ですから、寒村ではないでしょう」
「まずはそこか?」
「明確な目印です。もう少し縮尺した地図を兄上が出してくれたのなら、特定は楽なんですけどね」
「魔法を村の池で試すか」
先程の沈黙は嘘のように滑らかに会話をする王子二人。険悪ではなかったのか、と眉を顰めた隊長は御者台の騎士に話しかける。
「仲が良いのか、悪いのか分からん」
「そうか?俺達もこのくらいの距離感じゃない?」
「そうか・・・あー、そうだなぁ」
隊長の脳裏に年の離れた末の妹が浮かんだ・・・───。
───・・・ヴォルフスアンゲル村に到着したスフェンは、すぐに馬車を降りて正門に向かう。護衛の騎士など必要ないと突き進む彼に、ヘリオドールが僅かに距離を空けて続く。
兄と騎士達の足音を耳にしながら、村内にあるだろう水場を探した。
ふと彼の目線は憲兵達が多い建物を見る。無意識に、人が多さから視線を向けただけだった。そこには公爵領の紋章を装備に付けた憲兵達と、捕まったらしい複数の男達がいた。犯罪者と思しき彼らは、しっかりと拘束されているが屈強な体躯をしていた。猟師というより兵士に相応しい体格で、服装から傭兵にも思えた。
平和な様子の村に傭兵崩れの犯罪者が多数いる。村人達が遠巻きで観察していることから、異様な雰囲気を感じた。スフェンは場違いだと感じて足を止めると、弱り切って項垂れている彼らを睨み付ける。
「異様だな、先に話を聞いてみるか」
後ろから声がかかり、振り返ったときにはヘリオドールは憲兵達のもとに向かっていた。
(水場・・・いや、もう遅いか)
即断即決で物事を進める兄に進言は無駄だと追従する。
ヘリオドールは憲兵達の詰め所の前までやって来ると、手前にいた一人に話しかけていた。
「何があった?」
「はっ・・・え、あ!?」
突如、話しかけた彼に憲兵は返答をした。言い方から上官だと勘違いしたようだが、振り返った瞬間に目を丸くする。
ヘリオドールが何者か分かったらしい。その一歩後ろに控えたスフェンにも視線を向け、驚愕と見開く。どうやらスフェンのことも分かったようだ。
数秒は間が空いたが、敬礼と背筋を伸ばした憲兵。彼の様子を不思議に思った憲兵達も二人に気付き、敬礼をする。
ヘリオドールは口元を手で押さえて思案しているようだが、その含み笑いをスフェンは聞き逃さなかった。彼を後ろから鋭く見つめる。
「・・・忍んでいる、いつも通りに」
低くともよく通る声。それに憲兵は敬礼を解いた。
一人の憲兵が前に出る。鎧に付いた紋章から隊長格と分かった。
「私はこの村の守備隊長を任命された者です・・・両殿下におかれましては如何様なご用件で当村に?」
四十代半ばと思われる守備隊長は、見本のように真っ直ぐとした姿勢で聞いてきた。ヘリオドールは彼を眺めつつ、口を押さえていた手を顎に添える。
「捜し物だ」
「捜し物、でございますか?それは王家由来の?」
ちらりとヘリオドール視線が後ろに、スフェンの背後に控えている近衛騎士達に向かう。それを合図に隊長が前を出ると、守備隊長と話し始めた。
ヴァイスシュタイン領は宝石の産出量が多い。実際、ヴォルフスアンゲル村の周辺でも良質なクリスタルやアメジストが採掘される。
「ヘリオドール殿下は婚約者のマリアライト様に相応しい石を探しておいでだ。挙式の日も近いからな」
「ああ、なるほど」
だから、こんな分かりやすい嘘にも騙されるのだろう。守備隊長は雄々しく歴戦の戦士といった出で立ちだが、目が清らかだった。濁りも欲も見えないことから純粋だと分かる。
「内密に」
それだけ言うと隊長は離れる。再びスフェンの後ろに控えた彼に視線を投げれば、若干、苦笑いを浮かべていた。
(近衛騎士も苦労をするな)
労るつもりはないが、大変だろうなとだけ思う。
「所要でこちらまで足を運んだのだが、あまりにものものしい様子で気になった。彼らはどんな罪を犯した?朗らかな村の雰囲気にそぐわない」
「村の者ではありません、外部の人間です。この村に潜んで人身売買を行おうとしていました」
「それは驚いたな。この村を拠点にしていたのか?」
守備隊長は首を横に振ると、顔を顰めた。それは拘束されたまま地面に膝を付く男達に向かう。不快だと彼は思っているのだろう。
「拠点とまではいきません。村の娘達も話しかけられた程度で被害とは言えませんが、ここを集合地点にしてターゲットを襲撃していたそうです」
「見る限りヴォルフスアンゲルの娘達も十分魅力的で、男達は優れた猟師と聞く。目の前の宝よりも狙いの宝があったのか?」
「妖精です」
突然出てきた言葉にスフェンは不可解と眉を寄せた。その顔は鋭いようで、見えた憲兵数人がたじろぎ、小さく悲鳴を上げたのが聞こえる。
直接睨み付けて黙らせた彼は、守備隊長に注目した。ギョッとした彼だが、他より肝が座っていたようですぐに話し始める。
「この近くに妖精が住んでいるのです。私も見たわけではありませんが、村の子供達が救われたのをきっかけに他の村人達も救いを求めて訪問しています」
「本当に妖精だと分からない不審な者に縋ったと?」
「はい、子供達が魔物に襲われたところを助けてくださいました。一人の方は回復魔法が扱えるようで怪我の治療も、その他の怪我人も癒やしていただいています。もう一人の方は魔法を扱わないようですが、魔法の宝石を授けてくださいました。助けを求めた村人達に無償で・・・ああ、あちらをご覧になってください。村を囲う石壁にクリスタルが填め込まれているでしょう?宝石の妖精様が魔除けの力があると下さったのです。あの宝石のおかげで頻発していた獣害が皆無となりました」
聞き入っていたスフェンは目を見開く。引っかかる単語ばかりだった。閃きしか与えられないと兄を見れば、考え込んだ様子で、尚且つ、その金色の瞳が強く輝いて見える。核心を得たと思っているのだろう。
「その宝石の妖精と、もう一人の回復魔法が使える妖精はどんな見た目で?」
「そ、それは私が!」
若い憲兵が手を上げた。宝石の妖精を頼った彼は、癒やしの魔法が宿った宝石を直接与えられたらしい。
「とても美しい女性二人でした。癒やしの妖精様は薄紫色の瞳と夜空のような黒髪で、宝石の妖精様は青空のような瞳とプラチナブロンドの輝く髪色しています。あのような美しい方々は初めて見ます。一目で人間ではないと分かりました」
「なるほど、人ならざる美というわけか・・・思い起こせば確かにな」
ニヤリとヘリオドールの口元が歪む。また魔王のような顔をしていると思ったスフェンは、邪悪な兄から目をそらそうとした。
だが、魔王らしい彼はその顔を人身売買の組員達に向ける。意識のある者の何名かは縮み上がっていた。
「その妖精達を彼らは攫おうと?」
「はい、何度も襲撃をしたそうです。我々が彼らに気付いたのは、初日に襲撃者が村に投げ捨てられた時で」
「投げ捨てられた?」
妙な言い方にヘリオドールもスフェンも首を傾げる。後ろから吹き出す声が聞こえたので、あとで処罰をしようと何も言わずに決めた。
「はい、今から三日前のことです。黒服の、その一番右端にいる男が正門前に捨てられていました。気絶していたので調べたところ、こちらの手紙が」
そう言って若い憲兵は懐から紙を取り出す。離れたところからでも上質だと分かる手紙はヘリオドールが受け取り、文章を読んだことで手渡された。
その際の不敵な笑みにスフェンは「品がない」と苦言を呈すると決める。だが、見えた文章というか、美しい文字に彼は全ての感覚を向けざるを得なかった。
─── ・・・右腕に人身売買の組織に組するというタトゥーがあります。彼は犯罪者です・・・ ───。
見間違えるはずがない。この世で一番綺麗だと感じた美しい字。何より思い切りの良い文面。何十枚もこの字の手紙を受け取り、大事に保管している。
「プラチナ・・・」
吐息混じりに名前を漏らし、胸に熱を感じて手で押さえる。
愛する人は間違いなくヴォルフスアンゲル村周辺に移り住み、いつの間にか人身売買の組織に狙われていた。
「・・・兄上」
看破できない事実を理解したことで、スフェンは低くなった声で兄を呼ぶ。
兄たるヘリオドールも口元には笑みが浮かんでいるが、目が笑ってはいなかった。地を這う虫を見つめるように犯罪者達を睨み付ける。
「彼らは、妖精を狙っていたんだな?」
「は、はい。本日に限っては旅行者の女性達も狙ったようで、追いかけ回したと報告がありました。報告というか、女性達からこいつらを突き付けられたというか」
「ほう?」
「何でも『商品』として持ち去られそうだったところを魔法で回避したそうです。リーダー格は取り逃がすしかなかったようですが、彼ら末端は女性の侍女が倒し、拘束して詰め所に運んできました」
憲兵の言葉に守備隊長が補足すると、憲兵達は次々に声を上げた。
「そういえば、あの侍女は妖精様の侍女に似てました。髪型と色が違ったけど、瞳の色は同じだったんで妙に気になったんです」
「怖い思いをして休んでるっていう旅行者の女性達も凄い美人で見覚えがあったんですが、今思うと妖精様達に似ていたような・・・遠くにいたのではっきりとは分かりません」
憲兵達から次々と上がる証言に確信へと至る。
「その妖精とやらに是非お目にかかりたいものだ」
ヘリオドールの表情と言葉に、憲兵達は身を強張らせた。恐ろしいものと対面したかのように、明確に恐怖している。
後ろに控えているスフェンもそれを助長しているのだが、本人は気にしない。名乗り出ていた若い憲兵に視線を向けて怖がらせると、薄い唇を開いた。
「君達が騒いでいる妖精がいる場所は?」
「わ、分かります。ここから徒歩で二十分ほどの林の中で、ご住居は低木群で隠しています」
「案内を頼みたいんだけど?」
若い憲兵は目をそらし、守備隊長を見た。彼も彼で居心地が悪いと表情が物語っている。
「申し訳、ございません・・・ただ今、村の周辺に大狼の魔物が発生しています。先日、やっと住処の特定ができたのですぐにでも討伐したいのです。すでに村人が二名食い殺されました。一人は魔法使いでしたので、大狼の魔力が高まっているはずです」
「そうか・・・隊長、騎士を何名か貸してやれ」
守備隊長の話を聞いたヘリオドールは、後ろに控えていた近衛隊長に視線を向けて指示を出す。
一瞬、躊躇う様子が窺えたが、隊長は同じ顔をした騎士を含めた三名を魔物討伐へと派遣した。
「あ、あなたはドルヒリッターの騎士殿では?」
憲兵の一人が声を上げれば、他の者も騒ぎ出す。王国一と言われる騎士家と肩を並べて戦えることに、喜びの声を発している。
「我が騎士達は君の指示に従う。負傷などは心配しなくていい、ドルヒリッターがいるからな。魔物討伐などすぐに終わる」
「ご助力、ありがとうございます。本日中には魔物を仕留めることができるでしょう」
「それと、犯罪者の一団は町の方に送るつもりのようだな?詳しい話を聞きたいから、一名ほど私の騎士に尋問をさせたい。構わないな?」
「はい、問題ございません」
腰を折って垂直に礼を取る守備隊長。見えた彼の後頭部をスフェンは眺めながらプラチナだけを思う。
「では、我々は妖精に会ってみようと思う。人ならざる美など想像するだけで胸が焦がれてしまうからな・・・」
近衛隊長を含めた三名の騎士を先頭に、そのあとに続くヘリオドールの背中を見ながら、スフェンは林の中を進む。馬車が入れない小さな道は湖に続くと土肌を覗かせているが、利用者がいなくなって久しいらしく、所々に長い雑草が生えていた。
ただ、道に真新しい車輪と蹄の跡があり、通行している者がいるとも分かる。土の道を進めばいつかは着くとはいえ、悪路に彼の苛立ちは増し、騎士達がうんざりとした声を上げれば、魔法で作った小さな氷の礫を放つことで鼓舞をする。
「お前は鼓舞をしているつもりなのだろうが、それは八つ当たりだ。他より体力がないからついていくのが困難なのだろう?それでお前が苛立っていると私は分かっているぞ」
余計なことを言った兄に特大の氷塊を作って投げつけた。簡単に避けられたことで、更に苛立ちを募らせながら雑草まみれの道を進み続ける・・・───。
───・・・ロッジのリビング。
移住について頭を悩ませるプラチナは、しがみついてきたマリアライトの髪を梳かすように撫でながら、三杯目の紅茶に口を付けた。
(シューンブルーメ女伯爵でしたら、お話を聞いて即座に移住地を用意していただけそうですが、ご領地は距離が離れていますし、その前に・・・う〜〜〜〜ん)
考え過ぎて頭が痛み、用意されていた甘いチョコレート菓子を指で摘む。ふと視線を落とせば、肩に頭を乗せていたマリアライトがぼんやりとチョコレートを見ているのに気付いた。
プラチナは手にした甘味を彼女の口元には運び、食べさせる。もぐもぐと動く頬を眺めることで現実逃避を図った。
だが、キッチンにいたセラフィが調理を止めて足早に近付くと、玄関側にかけてある黒いマントを取り、迷いなく身に纏った。
「外出されますの?」
「はい、何者かの気配を感じました。複数人で武器を所持しています。感覚から判断したことですから確実なものではありませんが、対処しようと思います」
マリアライトがしがみつく力を強める。ぼんやりしていた顔も力み、恐怖を感じていると分かった。
労るために髪を撫でることは止めない。密着する温もりを守るためには弱っている場合ではなかった。
「来訪者の方の対処は頼みましたわ。確実に・・・黙らせてくださいませ」
早速、オブシディアン・クロイツが襲撃をしてきた。そう思うも、マリアライトのことを気遣って言葉にはしない。
プラチナにしては冷酷な言い回しに、セラフィは黙って一礼をすると玄関から出て行った。
「大丈夫ですわ、相手の手管は分かっていますもの。セラフィが負けるはずありません」
震える大切な人を安心させるため、極力優しい声色で囁いた・・・───。
───・・・スフェンが歩き続けて二十分近く。腰の高さまで生えた雑草も増えてきたところで、先行く騎士達が足を止めた。そのままヘリオドールも立ち止まり、全てを遮る兄の大きな背中から身を乗り出して顔を出す。
「待て、何がいる」
ヘリオドールの大きな手が、彼の頭に触れようと動いた。それを払い除けて後ろに下がる。大きな背中が離れたことで、周囲が見渡せた。
警戒と前を向く兄。そんな兄の前にいる三人の騎士は剣を構え、更に奥、対面するように黒いものが見えた。
(あれは・・・)
分かりやすく表現するならば、真っ黒なてるてる坊主だった。フード付きマントで顔と上半身を隠し、その下の衣服は女性の着るドレス、否、メイドが着るお仕着せに見えた。足首まであるスカート丈で、革製のブーツを穿いているが、全てが黒。
真っ黒なてるてる坊主に他ならないものは、無言で立ち塞がるようにいる。一歩も動かないことから、動くつもりはないのだろう。
「魔物、ではないな」
「魔力は凄まじいですが邪悪な気配は感じません」
スフェンはヘリオドールの声に答えた。
その僅かな会話を終えた瞬間、てるてる坊主は地面を蹴って駆け寄ってくる。衝突しても構わないという速度で詰め寄る姿に、騎士の一人が剣を構えて押し留めようとした・・・が、
「ぐっ」
てるてる坊主から生えた手、というかマントの下にあった手が動き、騎士の剣を弾き飛ばす。
見えた手から女だと分かったが、どうやら黒い女は短剣を持っているようだった。その小さな刃に騎士の大剣は容易く弾かれて、宙で回転しながら落ち、刃が下になったと同時に地面に突き刺さった。
気圧された騎士。女が踏み込み、胴に飛び込んで押し倒す。すぐに黒い女は立ち上がったが、騎士は腹部に打撃を受けたようだった。呻き声を上げて倒れ伏してたままでいる。
(暗殺者・・・いや、あの髪色は)
目元はフードで隠れ、口元は黒い布で覆われている。肌を一切見せない様子だが、突進したことで髪が乱れたのだろう。はらりと一房流れ落ちた。
その深緑の頭髪は王国でも珍しい色ではあるが、スフェンからすれば身近に感じるものだった。深緑の髪色の女など、子供の時からよく目にしている。
女は地に伏した騎士を一瞥することなくヘリオドールへと突進してきた。その際、手にしていた短剣が腰の鞘に収められたのをスフェンは見逃さない。兄も気付いているようで、動じずに女が近付いて来るのを待ち、腰に手を当てた。背後にいるスフェンからは隠しホルダーが見える。小さなナイフが収まっているとも分かる。
女には殺傷する意思はないようだが、ヘリオドールは躊躇なくナイフを突き立てるだろう。マリアライトを望む彼にとって、障害になるものは排除の対象だからだ。それが分かっているスフェンは止めようとも思わなかった。
「待てっ!!お前はこの方が誰か分かっているのか!?」
障害排除に切り替えたヘリオドールと静観を決め込んだスフェン。王子達の冷めた感情など分からない近衛隊長が、女の軌道を遮るように立った。
彼は彼女の肩を掴み、腕を取ろうとする。しかし、
「うっ!?・・・ぐぁっ!!」
素早く女に鎧の首周りを掴まれると、股座も掴まれて頭上に持ち上げられた。抗議する間も与えられずに隊長は投げられると、木の幹に叩き付けられる。
呻き声を上げた彼は地面に転がった。
「か、怪力・・・」
残った騎士は顔を引きつらせながら、それでも王子達の前に立った。護衛として職務を全うするつもりなのだろう。
(どうなるかな?)
緊迫する騎士を尻目に、スフェンは冷めた心と眼差しで見守る。
黒い女は既知の人間だと分かっている。女自身も、彼らの姿を見た瞬間分かってるはずだが、攻撃はしてきた。全員昏倒させることを考えているなら、手は緩めないだろう。
もし、騎士とヘリオドールが倒されれば、最後方にいるスフェンも標的にするはずだ。彼には兄が倒されるイメージすら湧かないが、もしもを想定して上級魔法の発動準備はしておく。
「・・・・・・」
隊長を投げつけたあと、微動だにせず、様子を窺うように立ち塞がっている黒い女。彼女の顔は相変わらず見えないが、視線は動いているはずだろう。
小さく溜息が漏れる。口元を隠す布が微動したことで気付いた。
「待て!!」
女は踵を返し、スカートを穿いているとは思えない速度で駆け出した。そして、数メートル先の低木にぶつかる瞬間、姿が消え失せる。
呆気に取られる騎士と女の消えた位置を睨むヘリオドール。スフェンも意識を低木群に向けながら、ホルダーから手を離した兄に言葉を送る。
「プラチナ達はあの辺りに隠れているようですね」
フッと、ヘリオドールが笑った。彼は僅かに垂れた前髪を、手で後ろに撫で付けるように流す。
「彼に怪我がないか診てやれ。私は近衛隊長を起こす」
騎士に対して命じると、木の前で蹲る隊長へと歩み寄った。大きな手を彼に差し出す。
「私はドルヒリッターの中でも最強だという騎士を近衛隊長に任命したはずだが?」
「面目御座いません。それと訂正をさせていただきます。ドルヒリッター最強と言われましても、俺は王家に配属された騎士の中のみです。俺より強い者はまだまだいます。後進教育に回った長兄や、他国に嫁入りしたニ番目の姉。そして、ヴァイスシュタイン家に侍女として奉公している末の妹です。俺も、一緒に来ていた双子の弟も、この三人には敵いません」
ヘリオドールの手を掴んだ隊長は、その手を支えに立ち上がった。痛むらしい背中を擦りながら、乾いた笑いを浮かべている。
「あの容赦ない動きと豪快な戦闘様式から間違いありません。先程の彼女は末妹のセラフィです」
「なるほどな・・・セラフィという女はプラチナ嬢の侍女だったか?」
上体を捻ることで顔を見せてきたヘリオドール。怒りの表情と見間違えそうだが、興奮して高まっているとスフェンは分かった。
高ぶる兄の相手をしたくない彼は、ただ頷くだけに留まり、セラフィが消えた場所に目を向ける。
「殿下に対する暴挙に関しては処罰を受けさせます。ただ、妹は職務に忠実な真面目一辺倒な性格でして、生涯の主と認めた方には命すら捧げるつもりなのだと思います」
「極刑すら恐れないほどの忠誠心か・・・我が義妹の命を優先させた場合においては頼もしい味方だな」
(また義妹なんて言ってる。プラチナが聞いたら怒るだろうな・・・いや、もはや決定事項だ。彼女が怒る必要はない)
立て直した騎士達が先を進む。隊長と並び歩くヘリオドールに続いて、スフェンも歩き出した。向かうのは、妖精と呼ばれた最愛の人の隠れ家。
「安心しろ、お前の妹は不問だ。王子妃の護衛として申し分のない実力だな。ドルヒリッター最強の一角を王家配属に迎えられて嬉しく思う」
声色から、魔王の笑みを浮かべているんだろうとスフェンは思う。思うだけで、静かに兄のあとに続いていく・・・───。
「お嬢様、王家の追手にロッジのことを知られました。追手はヘリオドール殿下とスフェン殿下です」
「ええ??」
戻ってきたセラフィが開口一番に告げてきたことに、プラチナは驚愕と声を上げて狼狽する。
意味が分からなかった。突然過ぎると思った。覚悟できていたのはオブシディアンの襲来で、予期せぬ王子達の来訪など覚悟すらできていない。
どうして、この場所に隠れていると知られたのか。父親が話したとは思えない。逃走時に追手だっていなかったし、ここに辿り着くための手がかりなど残していないはずなのに。
「ヘリオドール、さま・・・?」
寄りかかっていたマリアライトが元婚約者の来訪に反応を示す。プラチナから身を離した彼女は、セラフィの後ろにある玄関を見るために体の位置をずらした。その動きに肌見離さず付けているペンダントが揺れる。輝きに視線を取られたプラチナは、ペンダントトップにある宝石のマリアライトに失せぬ光があることに気付いた。
(このペンダントですわ・・・ああ、マリアライトの持ち物に注意を払っておけばよかった!)
後悔先に立たず。
弱っている最愛の友に言及するわけにもいかず、彼女はソファから腰を上げた。落ち着いた足取りでセラフィに向かい合う。
「逃走する時間はありませんわね?」
「はい、すぐにいらっしゃるかと」
扉が強い力で叩かれた。割れてしまいそうな衝撃に身が跳ねる。だが、プラチナは息を呑むと衝撃で揺れる扉に向かう。
一度だけ背後にいるセラフィと、いつの間にか立っていたマリアライトに視線を向けて、ドアノブに手をかけた。
「・・・今、開けますわ」
ゆっくりと扉を開く・・・わけだが、十cmほど空いた隙間に男の両手がかかり、男の力だけで扉は開かれていく。
「これはこれは、義妹殿ではないか」
開かれた隙間から覗き込んできたのは魔王だった。あまりの恐ろしさに、流石のプラチナの身も強張ってしまった・・・───。