話し合い
スフェン視点。最後に少しプラチナ視点。
わざと威圧すれば、公爵は言い淀んで顔をそらした。
「夕食だと追い出されても困るので単刀直入に言います。僕の要件はプラチナのことです。彼女の婚約者辞退の撤回と居場所を教えてください。そうすればすぐに帰りますよ」
眼鏡のブリッジを指で押した。スフェンの言動は公爵を萎縮させるのか、何も言わずに視線を彷徨わせる。その様子に苛立った彼は配慮を一瞬忘れた。
「口がきけないのか、頭に何も入っていないのか。どちらかは分からないが、何も言えないのなら余程のことなんでしょうね?」
「ぐ・・・」
公爵は呻き声を上げて体を跳ね上げる。眺めているだけの夫人は「あらあら」とおっとり言いながら、自身の腹を撫でていた。
顔を顰めた公爵だが、喉を上下させると躊躇いがちに口を開いた。
「プラチナの婚約辞退は既に国王陛下に承認を受けています。ですので、もはや無関係であるスフェン殿下に娘の居場所を教える必要はありません」
無関係。よりにもよってプラチナの実父に言われたことで、スフェンの怒りは沸点を越えた。
「当事者である僕を介さずに勝手に婚約者を辞退できるとでも?一方的な辞退届も手紙も無効だ。承認などするつもりはない」
「しかし、プラチナの辞退届には正当な理由がありました。そちらを国王陛下がお読みになり、承認されています」
食い下がる公爵に痺れを切らしたスフェンは、分かりやすく溜め息をついて腕を組む。その視界に入るのは、顔を青くさせた公爵とにこやかに静観する夫人の姿。
「正当な理由?人間性に問題があるとかいう具体性のないあれに正当性があるとでも?」
「・・・プラチナは、少々落ち着きに欠けます。目上の方に対する態度も悪く、アカデミーの卒業式では第一王子殿下に口頭で挑みかかったと報告を受けておりまして」
「あれは兄上がプラチナを怒らせたのが悪い。兄上は人を嘲笑うという度し難い性癖があり、プラチナはその被害にあっただけだ。つまり人間性に問題があるのは兄上の方です」
身内を引き合いに出せば、公爵は小さく呻き声を漏らして額を押さえた。臣下としてヘリオドールに文句が言えず、どう返すべきかと悩み、思考を繰り返しているのだろう。
伏せられていたアイスブルーの瞳がスフェンに向けられると、見えた顔が真剣な表情を頑張って作っていると分かった。
「しかし、親の目に見てもプラチナは王子殿下の配偶者には相応しくないと思います。婚約自体も国王陛下からの勅命でしたからお受けしましたが、元々当家はリンドブルム王家との婚姻による結び付きなど視野になく」
つらつらと言い訳を言ってくる様子に、スフェンは完全に配慮を止めた。
「幼馴染みだか何だか知らないが、父上も貴方も学生気分が抜けていないと見える。友人間の気安い雰囲気で、国の今後に関わる婚約を解消するとは考えなしにも程があるのでは?それでよく国を保てるものだ。王家と公爵家の婚約という契約の重要性が分かっていない。またアカデミーに入り直して法律や帝王学など学ばれたほうがいい」
淡々と熱のない声色ではっきり言えば、公爵は身を強張らせた。ただ、それは一時的なもので、すぐに身を乗り出して反論をするつもりらしい。
「しかし、国王陛下は」
「父上とは早々に『話し合い』をさせていただきました。寛容と短慮を履き違えるな、とね。じっくり話せば分かってくれるものですね。理解力では貴方より父上のほうが上だ」
「ぐ・・・どうして、こう・・・ああ、やはりスフェン殿下は恐ろしい」
公爵は小声で呟いたようだが、口の動きで何を言っているのかスフェンには分かった。彼は眼鏡を指で抑えながら、鋭く公爵を睨みつける。
「本人の前で余計な言葉を言うなど社交に関しても問題があるようだ。やはり、もう一度アカデミーに入ったほうがいいですよ」
「な、聞こえ・・・くっ」
短い呻き声を上げて公爵は項垂れた。隣に座る公爵夫人が心配そうに背中を撫でると、彼は外聞など考えずに腕を巻き付けて抱き締める。
「サフィ、このような男にプラチナを渡したくはない」
きっぱりと隠さずに本心を言う。やはり社交が、というか精神が幼いのかとスフェンは呆れた。
「何歳ですか、貴方は」
蔑みを込めた眼差しと遠慮のない言葉を投げかければ、公爵を慰めている夫人が申し訳無さそうに眉を寄せた顔を見せる。
「申し訳ございません、スフェン殿下。夫は子が宝なのです。彼に子に対する優劣はなく、どれほど難関な望みだろうとも叶えてしまいます。プラチナは貴方との婚約に消極的でした。溺愛する娘が辞退を願えば、夫は快諾してしまうのです」
夫人の発言に、スフェンはすぐさまと言葉を返すことができなかった。
プラチナに嫌われているのはよく分かっているからだ。そして、それでも欲してしまう気持ちを抑えられないとも。
「・・・プラチナに嫌われているとは分かっています。しかし、僕達は臣民の手本になるべき地位にいる人間です。簡単に婚約者を辞めるなど普通ならできない。もう十数年前から決められた契約で、本人すら簡単に辞めることはできないし、させない。ただ、そうなれば僕に嫌悪の気持ちがあるプラチナの負担となるのも分かっています」
一息に言うと、ゆっくりと空気を吸い込む。自分の思いを伝えるために。
「だから、せめて・・・貴方達のような仲睦まじい夫婦になりたい。プラチナが嫌うようなことはしないし、彼女だけを愛します。僕の愛は誠実だと知ってもらえれば、プラチナの嫌悪も和らぐとは思うんです」
「・・・まあ」
公爵夫人は柔和な微笑みを浮かべた。スフェンの気持ちを知って好意的に感じてくれたらしい。
ただ、敵と認定した男は歯を食い縛っていた。不快感といった様子だが、美貌の公爵が態度に出すべきものではかった。
「こんな男の手籠めにされるなんて」
神経を逆撫ですることしか芸がないのだろうか。頭では冷静に思えた。しかし、口は思うままに動いてしまう。
「どうやら僕がこのフリーデン王国の王子だと分かっていない様子ですね?ヴァイスシュタイン公爵は我が国にとって無くてはならない人材だが、その人材の異動も僕の一言で簡単に変えられるんですよ?」
短い悲鳴を上げた公爵が夫人をしっかりと抱き締めた。彼女は縋り付く夫の頭を優しく「よしよし」している。
(・・・夫婦というより母子だな)
流石に今は言うべきではないと内心で思うことにした。
「プラチナをお渡ししなければ、夫は地位を失うということですか?」
夫人も夫人で言い回しが率直だったが、そのことに関しては間違いはないので口を挟まない。
「単純に隠居してもらいます。後継者は勿論ユークレイスで、公爵には夫人と共に公爵領で幽閉となりますね。何かしら重要な案件がなければ領内から出ることを禁じます。かなり軽い処罰だと思いますし、丁度いいでしょう。もうすぐ子が生まれるのだから親子でのんびり暮せばいい」
自分に従わなければ、そのよう罰を与える。はっきりと言ってやったが、公爵は取り乱しもしなかった。今までのやり取りから、追い詰められたら弱るはずなのに静かに聞いているだけ。
違和感を覚えたスフェン。何かがおかしいと考えを巡らせて、ふと夫人の言っていた「子が宝」という言葉を思い出したことで気付く。
「・・・慌てない様子を見るに、領内への幽閉は問題ないと見える。望めばアクロアとセレスは連れて行かせるとしても、後継者のユークレイスと所在不明のプラチナは簡単に会うことすら出来なくなるのに・・・いや、ユークレイスは用事があると公爵領に呼べばいいのか。そして、プラチナも・・・公爵領内にいるならすぐに会えますよね?」
まるで問題を解いたかのように言っているが、気付いたときから分かっていた。プラチナの居場所はヴァイスシュタイン公爵領だと。ただ公爵が狼狽する様を見たいがためにわざと言ってやれば、本当に慌て出した。
分かりやす過ぎる反応に、スフェンは呆れの眼差しを向けて息を吐く。
「その反応は肯定と見て間違いないですね・・・では、詳細な居場所を教えてもらえませんか?」
「い、言うわけがない!絶対に口が裂けても言いません!」
公爵は早口に捲し立てると口を真一文字に閉ざした。黙秘を貫く様子にスフェンの視線は鋭くなっていくが、公爵夫人が小さく溜め息を漏らしたことで視線は彼女に向かう。
夫に呆れの眼差しを向けている夫人は、スフェンの視線に気付くと苦笑いを浮かべた。
「たびたび申し訳ございません。不敬極まりない態度だと感じていらっしゃると思います。よく言い聞かせておきますので、どうかご容赦を」
(本当に母親のようだ)
夫人に対して同情心を持ってしまった彼は、軽く頷くだけにした。意を酌み取った彼女はホッと息を漏らすと、抱き着いている公爵の肩を優しく撫でる。
「お聞きしたいのですが、スフェン殿下の意向に反した夫は本当に処罰をされるのでしょうか?」
「いえ、欲しかった情報も教えてくれたので無罪放免です・・・ただ」
ソファから腰を上げたスフェンは、上体を寄せることで公爵のことを覗き込んだ。座る彼からは、冷たい眼差しで見下されていると思っただろう。
「僕が居場所を掴んだとプラチナに知らせたり、逃がそうとするならば処罰します。こっそりと行動に移そうとも考えないように。『見て』いますから、ね?」
暗に内通者がいると示唆すれば、公爵の顔は引き攣った。身重の妻にしっかりしがみついたまま硬直している。
「お、恐ろしい・・・貴方ほど恐ろしい王子はいない!この方が私の義理の息子となるなど、か、考えられん!」
「まだそんなことを・・・認めてもらいますよ、義父殿?」
兄に倣った物言いをすれば、公爵はまた苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
そのまま何も言わなくなった彼と、にこやかに別れの挨拶を交わした公爵夫人を残してスフェンは執務室を後にした。ユークレイスが気を利かせてか、もしくは後々絡まれることを恐れてか、用意してくれた馬車に乗って王城へと戻る。
既に夕食の時刻で、両親である国王夫妻は王家の一族を率いて食堂室にいるらしい。家族との団欒よりもプラチナのことを選んだ彼は、従者に命じて自室に食事を運ばせることにした。
その歩みは王家の居住区である廊下を進み、自室ではない更に奥の部屋へ向かって歩く。
途中、人の声がすると気付けば前方の廊下に複数人いた。兄のヘリオドールとその従者・・・主に諜報員として仕えている者達だと分かって足を止める。そうすれば、ちらりとヘリオドールの金色の瞳がスフェンに向い、笑みを浮かべたことで諜報員達が散開して廊下の暗闇の中に消えた。
ヘリオドールが手招く。スフェンは歩みを再開すると兄の横で立ち止まり、壁に背を預けた。
「聞け。アカデミーの卒業パーティーの夜に王都から去る馬車があったそうだ。中央門の騎士達が停車させて中を改めたところ、目を見張るような美女二人と付き従う侍女と思しき女が乗っていた。美女二人はヴラウゼーの商人を名乗り、身分証明書も提示したそうだが、検分した騎士いわく二人があまりにも美しくて細部まで確認できなかったらしい。その肢体の方を調べ尽くしたいと口が緩むほど浮かされていたそうだぞ」
「その二人の髪と瞳の色を聞いてもしょうがないでしょうね。プラチナは魔力が乏しいため魔法に関する才能はありませんが、一つだけ完璧に使えます。変化の魔法です」
「つまり、商人だという美女二人はマリアライトとプラチナ嬢と言うわけか」
「間違いなく。職務に忠実であれと心身を鍛えられた我が国の騎士が、見ただけでのぼせ上がるほどの美女などプラチナ達以外はいません」
きっぱりと言えば、ヘリオドールは鼻で笑った。スフェンと同じく壁に背中を預けると、長身から覗き込むように彼へと視線を向けた。
「我が妃マリアライトに不埒な感情を抱いた馬鹿者は処罰しておくとして、お前の言う通り卒業パーティーの日に二人は王都を発ったか」
「出立して六日というところですね。既に潜伏地に着いているはずです」
「そうだな・・・」
スフェンは眼鏡のブリッジを指で押し上げると、横に並ぶ兄を見上げた。百八十もの長身である彼ですら見上げることになるヘリオドールに若干、かなり苛立ちを感じつつも口を開く。
「リオン侯爵との話は済みました?」
「ああ・・・私の意思に反する真似をするなら潰す、と伝えたところ折れた。婚約解消は取り消しだ」
「兄上、それは話し合いではなく脅しです」
「お前も似たようなものだろう?」
喉をくつくつと笑う様子は王子とは言い難い。やはり魔物の王たる魔王では?とスフェンは首を傾けるが、それは人が自分のことを客観視するのは難しいものだと体現していた。
邪悪な笑みを浮かべたヘリオドールは、壁から離れると歩き出した。スフェンも半歩離れてあとに続く。
「正確な位置は教えてはくれませんでしたが、ヴァイスシュタイン公爵がボロを出したので分かりました。プラチナとマリアライト嬢はヴァイスシュタイン公爵領にいます」
「介入するなと釘を差したか?」
「勿論です」
向かっている正面の扉はヘリオドールの自室に続いている。せめて散らかっていないことを願いながら、スフェンは兄の顔を覗き込んだ。
「リオン侯爵は居場所を知らないそうだ。そうなればヴァイスシュタイン公爵が噛んでいると思ったが、正しくだな。マリアライトの位置は分かるが、探すとなると広範囲に及ぶ。大体の場所が分かったのは上々だ」
「魔法ですか」
察したことで呟けば、兄はまた魔王のような顔をした。目的が成されることの喜びだろうが、あまりにも邪悪だった。
流石に相手をするマリアライトが可愛そうだと思うも、大切なプラチナのことを考えればどうでも良くなった。
(もうすぐ君に会える)
強く想う。必ず再会を果たそうと誓ったスフェンは、ヘリオドールの部屋へと入った・・・───。
───・・・ロッジで生活して七日目。
長きに渡って制作していたアクセサリーデザイン案を終えたプラチナは、転送装置を使って工房へと送ると、休憩のために庭に出た。
胸元を晒した薄桃色をした薄地のドレスにショールといった出で立ちの彼女は、伸びをして若々しい緑の香りがする新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。木々の枝葉の合間から注ぐ太陽の光も柔らかく、過ごしやすい気候だと感じた。
彼女が目線を落とせば、ラフな新緑色のドレスを着たマリアライトが花壇の花にジョウロで水をあげている。穏やかな光景に頬を緩ませると、マリアライトに近付いた。
「いつも花壇のお世話をありがとうございます」
「どういたしまして。種類も多くて華やかですから、ついお世話をしたくなりますね・・・プラチナはお仕事が終わったのですか?」
緩んでいる顔で頷けば、マリアライトは微笑みを返してくれた。そよ風に艷やかな黒髪を撫でられた彼女は、そっと手で押さえながら上に目を向ける。
「いい天気ですね」
「ええ、とっても・・・平和ですわぁ」
気が抜けたことで欠伸が出そうになった。慌てて口元を押さえれば、見ていたらしいマリアライトが笑みを零す。
「お茶にしましょう」
「ええ、そうですわね」
二人の会話はセラフィの耳に届いたようで、ウッドデッキに移動する最中に、ガーデンテーブルにティーセットと色とりどりの洋菓子が乗せられたケーキスタンドが用意された。プラチナは素早い動きに感心しつつ、テーブルの席についた。向かい合うようにマリアライトも座る。
セラフィが若草色のポットからティーカップに紅茶を注ぐ。温かな湯気を浮かべた褐色にホッとすると、ピーチタルトに手を伸ばしたマリアライトを眺めた。自分の皿にタルトを乗せてうっとりする顔は、美しさよりも可愛らしさが際立っている。眺めていて飽きない。
(本当に平和ですわ・・・このままマリアライトと穏やかに暮らせれば、わたくしは・・・)
脳裏に浮かぶ男性の顔。いつも優しい微笑みを浮かべている『彼』が悲しそうに表情を曇らせていた。
ハッとして頭を横に振ったプラチナは、対面しているマリアライトがピーチタルトを堪能しつつ目を丸くしていることに気付いた。
「な、何もありませんわ!!小さな虫が顔の周りにいましたので振り払っただけですの!」
(無作法でしたわね、どこにいようとも慎ましく優雅であるべきですわ)
脳内から掻き消したスフェンの顔を二度と思い出さないように、何故浮かんだかと考えないように、チョコレートケーキを取るとフォークで一口サイズに切り分けて食べる。
美味しい。そうやって今感じることだけを感じ取っていきたい。そう思う彼女の耳に複数の人の声と足音が聞こえた。蔦の塀の向こうから感じた気配に、プラチナの目はセラフィへと向かう。