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魔法の力で

マリアライト視点


木々の合間から注ぐ陽光は暖かく、若草の香りを運ぶそよ風は心地良かった。その風は庭先に出たマリアライトの肌を撫でる。

王都にいた頃は、気を張るために肌の露出の少ないドレスを着ていた。白い手袋と黒いタイツを身に付けることでアカデミーの制服でも一切露出はせずにいた。慎ましやかな淑女を目指していたことで、開放的な姿など選択肢にも上がらなかったのだ。

だが、今は令嬢でもなんでもない。自然の中にあるロッジに住むただのマリアライトに過ぎない。薄手の白いワンピースは襟ぐりが深いことで胸の谷間が見え、その胸の下をシルクのリボンで絞っていることで、大きさが強調されている。パフスリーブの袖は短く、二の腕すら晒していた。白のシミーズを着ていることから薄地の裾は足を晒してはいないものの、ちらりと覗く足首のきめ細やかな白い肌は想像を掻き立てる。

はっきりと言えば、妖艶さを隠せないラフなワンピース姿なのだが、人目がないことで彼女は恥じらいを持たなかった。動きやすくて快適な服を気兼ねなく着れる状況。

マリアライトは、柔らかい生地の裾が汚れないように摘み上げ、茶色のグラディエーターサンダルで庭を進む。花壇ではない東の端にある煉瓦枠に屈めると、丸々と実っていたトマトをもぎ取った。家庭菜園の畑で実ったものを十個ほど。肩にかけていたバスケットの中に入れるとロッジの入口、キッチンに繋がる勝手口に戻る。

木製の素朴なドアを開ければ、セラフィがカウンターの前にいた。


「セラフィさん、トマトを取ってまいりました」


「ありがとうございます、マリアライト様」


「次はじゃがいもと玉ねぎでしたね。スコップをお借りしてもよろしいでしょうか?」


「勿論です、しかし」


「では、収穫してまいりますね」


マリアライトは屈託なく答えると、セラフィの言葉を最後までは聞かずにキッチンをあとにした。壁に寄せておいてある木箱には手持ちスコップがあり、それごと持ち上げて家庭菜園へと足を運ぶ。

言われることは分かっている。「侯爵令嬢が労働をするべきではない」と。セラフィが由緒正しい貴族の令嬢である彼女を慮ってくれているとも分かっていた。土いじりなど無理をしていないか、汗をかくような労働はしたことがないのでは、と。

しかし、共同生活をするロッジでの家事はセラフィが行い、同じ令嬢で家格で言えば上位であるプラチナが家主として生活費を稼いでいる。公爵令嬢である彼女が、経営しているアクセサリーショップの仕事をしているのだ。その日の仕事が終わったらマリアライトと一緒にお茶や森林浴などで過ごしてくれるが、次の日になればまた仕事が発生する。結局は仕事と休憩の繰り返しを行っている。

働いていないのはマリアライトだけ。経営者として頑張る友と真面目な侍女の姿に、このままではいけないと思った。


リオン侯爵領は王国の南西に位置している。豊富な森林地帯と南部の平野部に広がる穀倉地帯があることで、王国の建築資材となる材木と食料供給を賄っているが、天候と地理のせいで自然災害が多い。雨季になると発生する土砂崩れや河川の氾濫に、何度も領民達は被害を受けた。負傷した者達、住居の浸水で追われた者達などの保護も領主であるリオン侯爵の使命。そして治水に奮闘する父の背を見ていたマリアライトも己の使命を感じ取った。

回復魔法が使える彼女が、領民達の治療をするために病院や被災地に足を向けたのは一度や二度のことではない。苦しむ彼らに付き添い、容態が悪化したときのために昼夜問わず見守ったのも、やるべきことだからやった。親を失った子供達のために孤児院の寄付は当たり前。それが領民達を守る貴族の娘の役目だと彼女は思ったからだ。

皆が腹が空いたとなれば炊き出しを用意して、自ら作り、よそって手渡した。感謝をして涙ぐむ人々の役に立てたのだと喜び、生活が安定するまで支援を惜しまない。

そうして当たり前のことをしていったら、いつしか彼女の献身は自領に留まらず、王族の婚約者になったことも相まって国中に渡った。

つまり、人のためにドレスすら汚して動くのは当たり前なのに、自分のために何もしないのはおかしい。自分は五体満足なのだから、何もかもを人任せにしてはいけない。

それがマリアライトの考えだった。労働など苦ではないし、やれることは何でもやりたい。


(ナイフだって扱えるのです。収穫が終わったらセラフィさんの手伝いもしなければ)


スコップで植物の茎の周辺の土を掘り起こし、根が見えたことで茎を掴んで持ち上げる。沢山のジャガイモが実っていると確認すると、一個ずつ根から取って木箱に入れた。玉ねぎも収穫して同じ木箱に入れた彼女は、重くなったそれを抱え込むように持ち上げる。

重みに一息付いて、ちらりと家庭菜園に目を向けた。それなりの広さがある畑は様々な野菜と根菜が育っている。すぐに収穫できるのは、生育に関する魔石のおかげだと思うが、あまりにも用意周到だと感じた。


「プラチナはいつからこの場所を用意していたのでしょう?」


快活で行動力のある友は、のんびりしている自分には推し量れない。

そう不思議に思いつつも羨望の気持ちを持ちながら、マリアライトはキッチンに戻ろうとした。


「だから、みずうみの上にいたんだって!」


勝手口の前まで来ると人の声が響いた。幼さのある少年の声。追って複数の軽快な足音。


「セラフィさん、ジャガイモと玉ねぎはこちらに置いておきますね」


勝手口の脇に置くと、返事を背に受けたマリアライトはワンピースの裾をはためかせて蔦の塀の側に寄った。足音と騒ぐ声が鮮明に聞こえる。


「火の鳥ってせいじゅーのことだよ、こんな山の中にいないもん」


「せーちってところにいるんだよね」


声から十より手前の年頃の少年二人と少女だと分かった。マリアライトがそっと塀から顔を出せば、林の中をズンズンと進む三人の後ろ姿が見える。服装から近隣の村の子供だろう。彼らの側に大人がいないことに不安を感じた。


(幼子だけで森の中に行くなんて心配です。この辺りは獣が多いとも聞いていますし・・・)


薄紫色の瞳は一度だけ後方のロッジに向かう。少し歩けばセラフィを呼べるだろうが、子供達の足音はどんどん遠ざかっていく。


(いえ、時間はありません)


マリアライトは塀の外に踏み出すと、小石のような小ささになるまで遠ざかっていた子供達を追う。ワンピースの裾を持ち上げて動きやすいように縛ると、短い雑草や土が剥き出しになっている地面を選び、駆け足になることで距離を縮めた。


(話しかけたら驚いてしまうでしょう。彼らからすれば私は不審者ですもの。無事、帰路に着くまで見守って)


「うわっ!!」


彼女の思案は森の中に響いた悲鳴で霧散する。足元を確認することで落ちていた視線を上げれば、子供達の前に何かがいた。彼らはそれを恐れて立ち止まっている。

それは、乱れた黒い毛に覆われた狼のようだった。成獣のようで、子供達より遥かに大きく、尚且つ黒い塵のようなものが全身から立ち上がっている。マリアライトが注視をすれば、鋭く睨み付けた目は真っ赤に光っていた。


(魔物になろうとしている!)


常時と違った狼の姿に判断した。離れていても感じる魔力からも理解できた。

元よりか、別の魔力源に当てられてか分からないが、子供達の前に立ち塞がった狼は魔物になりかけの個体なのだろう。

低く唸り声を上げて、上体を屈める様子から今にも飛びかかろうとしている。


「早く逃げてください!!」


張り上げた声。突然の声に子供達の体は跳ね上がったが、狼の視線もマリアライトに向かった。


「右に走るのです!」


その隙に彼らを逃がそうと言葉を送れば、一番体格のいい男の子が二人の手を掴んで右に走る。咄嗟の判断に一瞬だけ安心するが、狼は睨んでいたマリアライトよりも子供達を選んだ。大人の肉よりも子供の肉が好きなのか、単純に量が多いからか。話せない獣の気持ちなど分からないが、駆け出す彼らを追いかけていく。彼女は躊躇いなく走り出した。

怖いと思う気持ちがないわけではないが、狙われている子供達に戦う力などないと分かっていた。魔法が扱える自分が守らなければ誰が彼らを救うのか、そう思うと立ち止まることなどできない。

幸い、子供達の動きは機敏だった。狼は大型なこともあって木々の合間を駆けるには適していないようだった。幹に阻まれ、木の根に足を取られて、子供達との距離は縮まらない。

やがて、木々の向こうが開けていると後ろから追いかけるマリアライトは気付いた。走り続ける子供達も気付いたようで、速度を早めて駆け抜ける。

人里の側であればいいと思ったが、彼らが立ち止まった姿が見えた。


「どう、して・・・ああ!」


漂う湿気と聞こえてきた水の音。子供達の誰かが言っていた湖に辿り着いたと分かり、彼らが途方に暮れたとも気付いた。

狼にとっては障害などない場所だ。小さな子供の歩幅など、獣であれば地面を一蹴りしただけで詰められるだろう。


「せめて・・・水の中に!!」


決死と出したことのない大声で告げれば、やはり体格のいい男の子が動いた。他の二人の手を引いて走り出す。

水に入る音、誰かが転んだようで飛沫を上げる音が聞こえる。合流しなければとマリアライトは思うも、狼が森から抜け出してしまった。


「・・・お願いします!」


咄嗟に、立ち並ぶ木々に自分の魔力を飛ばして根を動かす。森の木々を味方に付けたが、狼の後ろ足に当たるだけで捕らえることはできなかった。


「はぁ、はぁ・・・っ!」


マリアライトも森を抜け出す。悪路を走り続けたことで息が上がって足が痛むが、気にしてはいられない。止めどなく汗を流す彼女は前を見据えた。

三人の子供達は腰まで湖に浸かり身を寄せ合っていて、狼は水際で上体を屈めて彼らを睨み付けている。


(木々に呼び掛けたことで大半の魔力を使ってしまいました・・・攻撃魔法は知らないから、ああ、こんなことなら一つだけでも学んで置けばよかった・・・私の魔力量でも大波くらいは作り出せるはずなのに・・・あ)


思い付いたことでマリアライトは湖に近付き、ワンピースの裾が濡れることを厭わずに足首まで浸かった。そのまま水面を波立たせながら狼の方に近付く。


「お、おねえちゃん!」


子供達の一人が声を上げる。恐怖で引き攣った顔をしながら、釣られた二人もマリアライトに目を向けて縋るように見つめてくる。

狼はそんな三人から目を離さなかったが、マリアライトが水の中から石を拾い上げて投げ込むと、赤く光る瞳を向けてきた。

相手は話せぬ獣。それでも「邪魔をするな」と思っていると、口を食い縛って見せた犬歯から察せた。

だが、怒れる様子など今のマリアライトには通じない。


「私にできることで、私が!」


湖の底に両手を付く。水の流れと砂の感触を得ながら、彼女は自身の魔力を放った。触れている水が渦を巻き、迫り上がる。マリアライトの体を後ろから包むように高く、高く上っていくと、それは大きな水の巨人となった。


透明ながら存在感は凄まじい飛沫と雫を落とす水の塊。形成した体内には小魚が泳いでいるが、内部に居る者達は状況など分からないだろう。

魔物と化そうとする狼はその脅威が分かった。振り上げた腕が自分に降ろされると気付いたようで、後退りを始めるものの距離までは測れなかったらしい。


「ギャウッ!!」


腕が振り下ろされて、大きな水飛沫と振動、弾ける水の音と悲鳴が聞こえた。体を痛めるほどの質量を叩きつけられた狼は一瞬水に包まれたが、それが弾け飛んで流れたことで砂地にぐったりと倒れていた。全身を覆う毛はぐっしょりと濡れ、すぐに足元をふらつかせながら立ち上がるも、ボタボタと雫を落とす尻尾は自身の後ろ足の間に潜り込む。

巨人を作り出した人間の女に恐怖を覚えたようで、後退りを繰り返し、草地に足が付いたことで濡れた体を翻して逃げていった。

遠くなっていく駆ける足音。その姿も見えなくなると、マリアライトはゆっくり息を漏らした。

水を操って巨人を作るなど初めてで魔力の消費も桁違いのものだったが、脅威が去ったことで安堵をする。彼女に呼応して水の巨人は溶けるように身を沈めて、湖に戻った。

それでも放心はしないと大きく息を吸い込むと、子供達を見る。三人は目を丸くして驚いているようだったが、マリアライトが笑いかけるとホッと息を吐いた。彼女は濡れた白い手を彼らに向ける。


「大丈夫ですか?」


疲れを見せないように柔らかい声色で言えば、子供達は水飛沫を上げながら近付いてきた。その顔は涙に濡れ、そうでなくとも必死に耐えた顔をしていたが、マリアライトは彼らを迎える。

幼い子達はしっかりと彼女の体にしがみつき、啜り泣いていた。震える体を慰めようと頭や背を優しく撫でると、岸まで足を進めた。


「怖かったですね。でも、恐ろしい魔物は立ち去りました。安心してくださいね、ほら、大丈夫ですよ」


背中を軽く叩いて労ると、背の低い男の子が顔を上げた。


「いたい・・・」


「痛い?まあ!」


力が強かったか、と思ったのは僅かな時間だった。彼の膝には浅くとも抉れたような傷があり、血が流れ落ちることで靴下と革の靴を染めている。


「ごめんなさい、少し離れてくださいね」


優しく他の子供達に告げると、彼らは身を屈めたマリアライトの肩にそれぞれしがみついた。

彼女と一緒に背の低い男の子を見つめている。


「さあ、足を見せてください・・・石が当たったのかもしれませんね。もしかして湖の中で転んだのは貴方ですか?」


「うん・・・」


余程痛いのか、少年はポロポロと涙を流し続ける。潤むブラウンの瞳から辛さを感じ取った彼女は、不安を募らせないように敢えて微笑んだ。


「大丈夫ですよ、すぐに痛くなくなります。貴方の足の傷はすぐに・・・ほら」


「なおった!?」


男の子の傷口に手をかざし、回復魔法と雑菌が体内に入ったことを見越して浄化の魔法をかけた。みるみるうちに塞がった傷口に、見ていた女の子が声を上げ、男の子達は傷口のあった膝とお互いの顔を交互に見ている。


「すごい!おねーちゃん、かいふくまほー使えるの?」


簡単な回復魔法であったが、キラキラとした目と歓喜の声が上げられる。三人から輝かんばかりの眼差しを向けられたマリアライトは、既に恐怖も不安もないことに安堵すると立ち上がった。動きに一旦は離れた子供達だったが、すぐに三人共が足にしがみついてくる。


「さて、びっしょりと濡れてしまいましたね。風邪を引いてしまいますから、私がお世話になっているお家に行きましょう」


ゆっくりと、子供達の歩幅に合わせて歩き始める。魔力は尽きかけているが、周囲に結界を張った。あの狼に対する警戒は怠れないからだ。


「皆さんを守ってくれる魔法をかけました。ですので、私から離れないようにしてくださいね。少し歩けばお家に着きますからね」


返されたのは元気のいい声。マリアライトは穏やかに笑うが、しがみついてくる子供達を無事に帰すと固く決意をして木々がひしめく森の中を進んでいく・・・───。

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