この国の王子達
相変わらず、私が書けるのは異常性のある男性ばかりです。よろしくお願いします。
───・・・王城。
第二王子のスフェンは、自室で立ち尽くしていた。深く眉間に皺を寄せた、婚約者のプラチナには決して見せない表情を浮かべた彼は、手にした手紙を睨み付けている。
その手紙はプラチナから届いたもので、直筆だと筆跡から分かっているが、理解しがたい一行の文章が書かれている。
─── ・・・わたくし、「オトメゲームノアクヤクレイジョウ」という魔物だそうですので婚約者を辞退させていただきます・・・ ───。
怒りのあまり、手紙を炎の魔法で燃やして消し炭にする。彼女からの手紙はどんな文章だろうとも全部保管しているが、認めたくない単語のせいでこの世から消したくなった。
スフェンは奥歯を噛み締めると、険しい顔のまま自室を出ようとする。別れを告げてきたプラチナに会おうとしたが、次第に近付いてくる大きな足音に彼の歩みは止まった。
舌打ちをして腕を組む。近付いてくる来訪者を待ち構える態度は、王子とは思えないものだった。
「どういうことだスフェン!」
だが、音を立てるほど扉を勢いよく開け放ち、ズンズンと肩を怒らせて近付く兄・ヘリオドールのほうが遥かに王子らしくなかった。優雅さの欠片もない怒れる第一王子は、スフェンを指で指すと詰め寄る。
「私のマリアライトが自分は魔物だと言って婚約者を辞退するなど言ってきたぞ!お前のプラチナの差し金だな!!」
近距離で怒鳴るヘリオドール。普通の人間ならば筋骨隆々の大男の怒気に怯むだろうが、スフェンは怯える様子すら見せなかった。五月蝿そうに眼鏡のレンズの奥にある目を細めたあと、蔑みの籠もった眼差しで兄を睨み付ける。
「山猿のような騒々しさでやって来たと思ったら・・・兄上は脳まで筋肉になったご様子。良くも分からない言いがかりを言ったかと思えば、僕のプラチナが原因だと?何をもってそのような知性も知能もない考えに至るのか。本当に頭には筋肉が詰まっているのかもしれない。一度、中を改めたほうがいいでしょうね」
蔑みのある冷たい声色に冷酷な物言い。プラチナが見たことのないスフェンがそこにいた。
苛立ちや怒りでやや箍が外れてはいるが、これこそ本来の彼だった。優しさなどない、他者に配慮せずに物事をはっきり言う性格と冷たい態度。学問や魔法に関して非常に優秀なことで表立って非難する者はいないが、立場もあって恐怖心を持たれる王国の第二王子。
そんなありのままのスフェンの苛立ちを真っ向から受けたヘリオドールだったが、荒ぶっていた彼は激怒することなく口を閉ざした。口元に手を当てながら思案しているようだった。
「・・・今更、考えた振りなどしても兄上の直情的な愚かさは隠せませんよ」
「いや、自分以上に怒る人間を見ると人は冷静になるものだ。何があった、スフェン。一切の配慮のない言葉と険しい顔をしている」
こういうときに年長者然とするのも腹が立つが、会話のできる人間だと知らしめるために、スフェンはゆっくりと口を開いた。
「兄上と、同じです。プラチナから婚約者を辞退するという手紙を受け取りました」
「何だと?」
「まあ、燃やしたので、この世から消えたのでそのような事実は消え去りましたが」
「いや、事実までは消せていないと思うぞ」
眼力に殺傷能力があれば、ヘリオドールは死んでいただろう。それほど鋭い眼差しで睨み付けた。
兄は「ふむ」と一呼吸置くと、スフェンの肩に触れる・・・前に手で弾き飛ばした。
「慰めは結構。僕はプラチナに会わないといけないので」
「待て待て、少し落ち着け。冷静ぶっているだけで逆上していると私には分かる。深呼吸をしろ、ゆっくりとな、な?」
「・・・貴方に諭されると腸が煮え繰り返ります。止めてください」
深く呼吸をしたあとで吐き捨てれば、ヘリオドールは口元を緩めた。
「会話ができるほど落ち着いたようだな。では、物事の整理をしようか」
ヘリオドールはスフェンがいつも座っているソファチェアに勢いよく腰を下ろした。衝撃と体格からソファが壊れそうだと思い、
(ああ、他のことを考えられるほど冷静になれたか)
自己分析できるほどには落ち着いたと自覚できた。
彼は椅子には座らず、ヘリオドールの前に立つ。見下すように見つめるが、感情的である兄は怒りもせずに見上げてきた。
「私とお前は、お互いの婚約者に辞退を表明した手紙をもらった。それは間違いないな?」
「・・・はい」
「どんな文言だったか、覚えているか?」
「非常に理解しがたい不可解なものでしたが・・・『オトメゲームノアクヤクレイジョウ』という魔物だったから婚約者を辞退したいと」
「その驚くほど長い名称を何も見ずに言えるのは凄いな。まあ、いい。私もその旨の手紙を受け取った。そして、そのオト・・・魔物は共通点と言える」
「プラチナとマリアライト嬢が同じ理由で婚約者を辞退すると表明したと言うことですね」
スフェンが言えば、ヘリオドールは鼻を鳴らして背もたれに深く沈んだ。体格のせいでソファチェアがギシギシと悲鳴を上げている。
「つまりだ、これは何者かの示唆があり、私はお前のプラチナの仕業だと思う。彼女は私とマリアライトの仲睦まじさを良しとしていなかった。友を奪った私に嫉妬していたのかもしれん。いつも睨み付けたり、苦言を呈してきたからな」
「・・・はぁ」
分かりやすく溜め息を漏らすと、スフェンは頭が痛いと表すために額に手を当てた。その目はすっかり冷め切っている。
「その言いがかりは止めてもらえませんか?確かにプラチナは貴方の心身とも貧弱な婚約者の友で、人目を憚らずに引っ付く貴方を破廉恥と注意をしていました。しかし、婚約という契約の重要性、他家との関わりによる利益を良く理解した立場のある女性です。何の理由も無しに、一個人の感情からそんな子供じみたことをするわけがない」
「私とマリアライトに対して不敬極まりないな。お前でなければ処罰をしているところだ」
「事実を言って何が悪いんですか?言われたくないのなら自分を制したらいいんです」
吐き捨てるように言うと、スフェンは視線を落とした。視界にあるのは金の文様がある絨毯と自分の履く革靴。ただ、彼は思い浮かべる者のことで何も見えていない。
愛しいプラチナ。幼いときに出会った瞬間、スフェンは恋に落ちた。自分より一歳年上の彼女は、髪や肌の色素の薄さから儚く見えた。だが、青い瞳は宝石のような強い煌めきが宿っていて、その意志も強いのだと良く分かった。
大人だろうと、それが国王相手だろうと堂々とした立ち姿と眼差し。舌足らずでもはっきりと返事をして、振る舞いは優雅。それでいて愛らしい笑顔と溌剌とした物言いが、彼女が陽光のような明るさのある人だとも分かった。眩しくて目を背けようとしても、惹かれてることで背くことができずに網膜に焼き付いてしまう。それがプラチナ。
人間の持つ欲や野心、心の表裏を感じやすいスフェンはすでに擦れ始めていたが、その陰る心を明るいプラチナに照らされてしまった。
あの光が欲しい、側に置きたい・・・───。
プラチナに対する想いの始まりだった。ヘリオドールの婚約者選びに彼女が参加させられたと聞いたときは、人生で初めて怒りを露わにした。結局、マリアライトが選ばれたことで安心したが、同時に不安も感じた。早くしないとプラチナを誰かに取られてしまう、と。
初めて親に強請ったのもプラチナのことだった。彼女が欲しいと子供とは思えない望みに父である国王は驚いたが、すぐに了承してくれた。
国王からすれば、旧知の間で国に多大な影響力のあるヴァイスシュタイン家と強い結びつきが持てると思ったのだろう。スフェンの望みは国王の望みと合致した。理由は違えど、お互いの欲しいものが手に入るからだ。
(あと少し、あと一年待てばプラチナが手に入った。彼女が僕をどう思おうが、僕のものになったんだ・・・それを)
訳の分からない「オトメゲームノアクヤクレイジョウ」という魔物になったからだと嘯いて、逃げようとしている。
沸々と滾る怒りに、記憶の中にあるプラチナが見せる態度を思い出す。遠慮がちに一線を画した態度、スフェンに対して感情がないとしか思えない言動。時折、体も強張っていた。
(僕のことが嫌いなんだろうけど、そんなことはどうでもいいんだ・・・君は僕のものなんだよ、プラチナ)
あの光が手に入るなら何だってしてしまう。光を暗闇に引きずり込んで、自分だけを照らすように縛り付けようとすら脳裏に過る。
「お前は邪悪な男だな」
沈み始めたスフェンに男の声が放たれる。癇に障るその声のおかげで、彼は顔を上げることができた。
「・・・僕の言葉が気に触ったのならお門違いも良いところです。嘘偽りはありませんから」
「そのことを言っているわけではないが・・・そうだな。何よりも優先すべきは我らが婚約者達だ。このまま辞退など受け入れることはできない。お前もそうだろう?」
「勿論です、僕の妃はプラチナだけです。他はいらない」
「きっぱりと言えるのは気持ちがいいものだな」
肘掛けに片肘を突いたヘリオドールは真っ直ぐにスフェンを見つめている。臆することのない彼はそのまま視線を返した。
「オト何とかが魔物かなど知らないが、出どころはあるはずだ。恐らくはプラチナ嬢周辺だろう。調べてみる価値はある」
「プラチナではなくてマリアライト嬢からかもしれませんよ。何でもプラチナが原因と考えないでください」
「そうだな、うん・・・プラチナ嬢とマリアライトの近々の様子を調べてみよう。何か分かるかもしれないからな」
「それで懸命かと・・・僕はプラチナ自身に話をしたいと思いますが、よく考えれば難しいでしょうね」
「・・・逃亡したか」
「ここ数日、プラチナというよりヴァイスシュタイン公爵から彼女との面会を拒否されていました。最後に接触できたのはアカデミーの卒業式の日。あれ以来、僕はプラチナに会えていません。兄上もマリアライト嬢と面会すらしていないご様子ですよね。つまり、二人はあの卒業式のあとで姿を消した。あの日の夜は卒業パーティーでしたから、人の目も意識もパーティーに参加する兄上に向けられていました。いくら王国の花と言われた美女だとしても、国にとっての重要性と言う面では兄上には劣ります。誰も動向など気にされない。姿を消すなら、僕らから逃れるつもりなら、その隙を突いて王都を脱出するでしょう」
ヘリオドールは自身の唇を親指でなぞる。思案しているようだが、彼は結論ではなく過程について考えているのだろう。
「プラチナとマリアライト嬢は、幼いときより貴族令嬢として教育を受けています。貴族間の婚約の重要性は熟知している。薄っぺらい手紙にたった一行書いただけでは解消すらできないと理解している。ですから本人が不在となることで、こちらから婚約解消になるように仕向けたんです。国を背負う王子が未婚のままではいられませんからね。兄上や僕の気持ちなど二の次で、父上並びに王家の重鎮としては、いなくなった婚約者など待ってはいられない」
「確かにな」
小さくも長く息を吐いたヘリオドール。顔を天井に向けたことで途方に暮れている、というよりも苛立ちを感じているようだった。眉間に渓谷のように深い皺が刻まれ、その視線の鋭さは大の男でも身震いをするほどのものだった。
「リオン侯爵が父上に婚約解消の嘆願を述べたそうだ。丁寧にもマリアライト自筆の辞退届付きでな。お前はどうだ?ヴァイスシュタイン公爵から婚約解消の話は出ていないか?」
「いえ、まだ・・・プラチナからの手紙を受け取ったときに、侍従から父上がお呼びだと聞きましたけど」
「怒りでそれどころではなかったか・・・驚くべきことだが、父上は婚約解消を渋々ではあるが飲むつもりだ。ヴァイスシュタイン公爵とリオン侯爵は幼馴染みとアカデミーの同級だからな。古馴染みからの気安い雰囲気のせいで上手く言葉に乗せられたのだろう。マリアライトの辞退届には、慢性的な体調不良を理由に辞退したいとあった。そのオト何たらは流石に言えなかったのだろうな」
「頭がおかしくなったと思われますからね」
「もう少し配慮のある言葉を使え・・・とにかくだ、プラチナ嬢からの辞退届でも父上が納得する理由が書いてあるはずだ。このまま何もしなければ、お互い愛する女を逃がすことになる。嫌だろう?」
スフェンは無言で目を細めた。それが肯定だと分かったヘリオドールは笑みを浮かべる。それは、にやりと口角が上がった邪悪な笑みだった。
「マリアライトは私を愛している。だから、『彼女の位置は分かる』のだ。プラチナ嬢も一緒にいるだろう。ただ、このまま捕縛に乗り出しても逃げられてしまう。相手も間者や協力者がいるだろうからな。まずは、その協力する者の力を殺ごう」
「ああ、『話し合い』ですね」
「口から生まれたようなお前の得意分野だ。お前はヴァイスシュタイン公爵、私はリオン侯爵を相手取る。未来の義父殿達に我々との契約がどのようなものか分からせてやろう」
「兄上」
スフェンは銀の眼鏡のブリッジを指で押した。剣呑になっていた目がレンズの奥に隠れる。
「貴方のほうが邪悪では?顔も相まって魔王そのものです」
「なんだ、私が魔物だと言いたいのか?・・・はっ!マリアライトが手に入らぬのなら魔王にすらなってやる」
見開く切れ長の目。金色の瞳は爛々としていてた。スフェンが分かりやすく怒っていたせいで隠れていたが、ヘリオドールも激怒と心が燃え上がっているのだろう。
「魔物だと書いてはいますが、貴方の直情的な性格にマリアライト嬢は嫌気が差して辞退を申し上げたのかもしれないですね」
「それはない、マリアライトは私を愛している。お前のプラチナ嬢が余計なことを言ったから惑わされたのに違いない」
「臆面もなく愛など言えるのは兄上らしいですが、憶測で話すのは止めてもらえませんか?」
「いや、待てよ。プラチナ嬢がお前と別れたいがためにマリアライトを巻き込んだ可能性がある。幸せな結婚をする第一王子と違って、第二王子は独り身に」
「下らない言葉を述べるならその口を切り刻みます。いいんですね?」
右手に空気が集まり、音を立てて回転する。魔法を用いて作り出した風の球体を、兄のキラキラしい顔にぶつけてしまおう。スフェンは躊躇なくそう思った。
「余裕のないお前を見るのは初めてだな。プラチナ嬢の存在は余程大きいのだろう」
そう言って笑みを浮かべるヘリオドールに、彼は溜め息を漏らすことで留まる。
核心を突かれたから何も言えない。動揺や怒りという人らしい感情はプラチナあってこそ。彼を人にしてくれた眩しい光の人。
(ああ、プラチナ・・・)
必ず、君を見つける。絶対に逃がしはしない・・・───。