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2.1/首都プノム・ペンの風景

 プノム・ペンはトンレ・サープ河の西岸にあるカンボジアの首都である。プノム・ペンへの遷都が行われたのは、カンボジアが仏領インドシナ連邦の一員となる直前の1887年以来である。プノム・ペンがカンボジアの首都となったのは歴史上初めてではなく、アンコール(シエム・リアプ)衰退後になってからたびたび遷都先として指名された。かつてプノム・ペンはチャドムクと呼ばれ、その時代にはチャドムクとスレイ・サントールとの間で遷都が繰り返されていたのだった。


 街の中心にはモニヴォン通りがあり、大きな市場があり、シハヌーク王の宮殿があり、独立記念塔があり、カンボジア鉄道の本拠地であるプノム・ペン中央駅がある。そして現在もなお水上交通の要所でもある。それはプノム・ペンの所でトンレ・サープ河、メーコーン河、パーサック川がX字状に交わっているからだ。トンレ・サープ河はシエム・リアプのところでどん詰まりながら、東南アジア最大の淡水湖となる。パーサック川は海に流れ出ることなくメーコーン河に合流する。東南アジア各国を貫くメーコーン河はヴィエトナムを越えて海までつながる公海扱いとなっている。


 鉄道駅近くには、トンレ・サープ河を跨ぐチュロイチャンワー橋がある。この橋の建設は日本がシハヌーク元首時代に、第二次世界大戦中の戦時賠償として行われた。しかし、UNTACがカンボジアに乗り込んで来た1991年の段階では、まだ橋の中央部が途切れたままであったので橋としての機能は失われていた。橋が破壊されたのは1979年で、破壊したのは民主カンボジアを支配していたカンボジア共産党である。カンボジア共産党はヴィエトナムのプノム・ペンへの侵攻を恐れた橋の爆破させたのだ。それと同じ理由で、カンボジア共産党はヴィエトナムへと通じる国道2号線も破壊した。しかし、日本のゼネコンと自衛隊の活躍によって、哀れな橋と国道が現在では復旧している。日本はとても東南アジアに貢献をしているという事実を立証する一証拠である。しかし当のカンボジア人は日本人への恩など感じていないようだ。最近ではこの橋で記念写真を撮ろうとして、地元警察にお金を巻き上げられる日本人旅行者が増加中だからだ。しかしそれでもロン・ノル時代のロン・ノン大佐の一派と比べればはるかにマシなようだ、と思ってあきらめるしかない。


 街の交通を支えるのは信号とロータリー式の交差点。道路はアメリカと同じ右側通行で我々日本人にとっては感覚が狂う。さらにバイクの逆走などは当たり前ので、プノム・ペンの交通は実にカオスだ。プノム・ペンでは交通道徳はまだ定着してはいないと考えて差し支えないかと思う。


 プノム・ペンで一番ハイカラという言葉が妙にぴったりくるのが、独立記念塔のあるシハヌーク通りだ。日本のスーパー感覚で買い物のできるラッキー・スーパーや長崎屋がある。実は多少の出費をケチらなければ、この周辺の方が世界的に有名な安宿のキャピトール・ホテル周辺よりもはるかに良質なホテルへの宿泊ができる。もしキャピトール・ホテルの雰囲気が妙に馴染めないのならば、この周辺へ宿を変えることをお奨めする。


 映画「キリング・フィールド」のヒット以来、カンボジアと言えば虐殺というイメージが先行している。プノム・ペンには1970年代の悪行が昨日のことのように振り返れる有名スポットがある。それはポル・ポト時代に、「S21」と呼ばれていたツールスレン刑務所跡地に作られた、「ツールスレン刑務所博物館」のことである。位置的には意外にも街の中心地付近にあり、バイク・タクシーに乗れば片道1000リエルで訪れることができる。しかし朝一番に訪れると、夕日が落ちるまで気分沈み続けるくらいに、重い資料が詰まっている。もし骸骨に語りかける趣味がないならば、そしてカンボジアを楽しい思い出だけで終わらせたいならば、訪れないほうが良いと思う。


 当然、ちょっと郊外にある虐殺の被害者の遺骨が散らばるキリング・フィールドも同様だ。それでもどうしても行きたいという方には、正式なツアーに参加することをお奨めする。もし個人で行ってみて、バイク・タクシーに嘘を付かれたならば、何でもない草原をキリング・フィールドと誤解して涙を流すことになるからだ。


 プノム・ペンで一番スマートな地域はワット・プノン周辺のトンレ・サープ河沿いではないかと思う。外国人とカンボジア人の金持ちを対象としたお洒落なレストランやバーが立ち並んでいる。ちなみに、ワット・プノンとはプノム・ペン(ペン婦人の丘)という小山の上に建っている寺院で、その丘の名前がプノム・ペンの街の名称の由来となった。


 実はトンレ・サープ河と記述するのは多少の戸惑いを感じ得ない。何故ならトンレ・サープの『トンレ』とは『河』という意味のカンボジア語であるからだ。しかし、英語の地図にも日本語の地図にも『トンレ・サープ河』と書かれているので、業界標準を遵守する必要性から、私も『サープ河』とは記述しないことにしている。しかしながらもし大湖パン・トンレ・サープのことはバンが『湖/沼』を意味するのでトンレ・サープ湖で統一する。なお深くてゆっくり流れる川は『ストゥン』である。例えばシソポン川やサンケー川はそれぞれ『ストゥン・シーソポーン』と『ストゥン・サンケー』となる。


 プノム・ペンではどこにでも屋台が立ち並んでいたり、移動している。屋台の販売品目はインドシナ名物のフランス・パンのサントウィッチ、肉まん、麺屋、一杯飯屋にアイス屋など。それ以外には夜に輝くカラオケ屋や海鮮料理屋、そして鍋屋などが目立つ。その中でもかなりお奨めなのが最後に紹介した鍋屋だ。カンボジア語ではその料理の名前は何というのかは知らないが、勝手にカンボジア鍋と呼ばせてもらっている牛モツ鍋屋がプノム・ペンには多い。牛モツ・ベース+味の素で味付けられたらしいスープに肉、麺、野菜、中華系の食材等を自分の好みで煮込んで食べるのが流儀である。味はまあまあだけれど、何となく暇つぶしになるのでお薦めな料理だ。ただでさえ暑いプノム・ペンの夜に、熱々の鍋料理を食していれば汗だらけになってしまう。おかげで食中のビールが大変美味い。カンボジアにはサンミゲルなどの外国産のビールも多いが、やはりお薦めはカンボジア産のアンコール・ビールだ。ラベルには『Export Quality』とデザインされているが、まだカンボジア国外でこのビールをお目にかかったことはない。カンボジアでは鍋料理に限らず、少し高級そうな店で食事をしていると、いつの間にかは可愛いお嬢さんがビールなどをお世話してくれる。店のお姉さんかと思うとそうでもない。実は彼女たちは各ビール会社から派遣されてくるコンパニオンさんで、各銘柄のビールの売り上げに貢献しているのだ。なお、ビール娘の類似品として、タバコ娘なども存在する。


 最近ではプノム・ペンでも、中国語やヴィエトナム語以外に韓国語を耳にする機会が増えた。実際、韓国製品がプノム・ペンでもかなり見られるようになっている。危険と言われ続けたプノム・ペンにも韓国人が一旗揚げに来る時代が到来したらしい。そんな彼らを見かけるのが夕暮れ時のレストランだからと言うわけではないが、独断と偏見を許していただけるなら、私はこう言い放つだろう。「プノム・ペンは夕暮れ時に限る!」


 まず、夕暮れ時は涼しいので散歩が苦にならない。そしてプノム・ペンの建物や人々、そして市場などが一番フォトジェニックになる時間帯であることも重要だ。プノム・ペンの深夜の徘徊は薦められないが、夕暮れ時の散歩を誰にでも、是非とも体験していただきたい。きっとプノム・ペンを気に入ってもらえると思う。ただし、交通事故には気を付けて、ではあるが。

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