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2.0/カンボジア鉄道最長路線を征服しよう 〜混成列車PB12の冒険〜 2000年3月

 2000年3月ホテル〜バッタムバン駅間


 05時00分の早朝に起床。バンコクの伊勢丹で買ったタイメックス・アイロンマンのアラームが無情にも安らかな眠りを引き裂く。しかし今日ばかりはどんなに辛い起床にも耐えて見せよう。そして今日こそは旅のハイライトのバッタムバン〜プノム・ペン間というカンボジア鉄道最長区間を走る列車へ乗車するという夢を実現させるのだ。


 気合いを入れてベッドから離れる。TVを付ければ、インドのカシミールで大量虐殺と早朝から暗い内容のニュースだ。同じ時計(タイメックス社製のアイロンマン)を持っているクリントン・アメリカ大統領(2000年当時)は、不運にもその時にニュースの舞台なったカシミールを訪問中だった。彼の困惑した顔がTVの画面に映った。でもNYで自分でプロデュースしたハンドバックを発表したモニカ・ルウィンスキーとの情事を議会で追求された時ほどに、彼の顔は疲れていないので大丈夫だろうと思った。


 シャワーを浴びて、タバコを吸って、定宿のホテル・アンコールをチェックアウトすると時間は05時30分。徒歩10分でバッタムバン駅に到着。切符売り場でまた切符購入を試みるが失敗。駅員のおじさんは「さっさと勝手に乗ってしまいなさい」と列車を指した。


バッタムバン駅


 バッタムバン駅のプラットホームにある駅長室にお邪魔する。黒板にチョークで書かれた本日の予定ダイヤを見せてもらって、今日のバッタムバン発プノム・ペン行きの混成列車PB12番の発車時間は時刻表の通り06時40分ではないと知らされた。プノム・ペン発バッタムバン行きの混成列車PB11番は06時25分出発予定となっていたので納得した。混成列車PB11番の定刻の出発時間は06時00分である筈だから、すでにプノム・ペン中央駅からの遅延の連絡が入っているようだった。混成列車PB11番の遅延の理由は後で判ったのだが、プノム・ペン発バッタムバン行き臨時貨物列車の発車が遅延したためだった。カンボジア鉄道では旅客列車よりも貨物列車を優先して、先行発車させる傾向がある。


 まだ発車には時間があるので、プラットホームの散歩に出かける。サンダルでペタペタと歩いているとフランスパンを発見したので、大きいのを二本購入。パンをかじりながら混成列車PB12番の先頭の機関車を見に行くと、とシソポン〜バッタムバンでお世話になった1053番であることが分かった。今日もよろしくと車体を叩いて願を掛ける。


 この機関車もプノム・ペンへ帰った後は整備を受けるのだろう。カンボジア鉄道公称650キロメートルのネットワーク上で機関車や車両の整備をできる車両工場はプノム・ペンに1つしかない。どんなに遠くで列車にトラブルが起こっても、応急処置で復活できなければプノム・ペンまで牽引して輸送することになるのだ。


 混成列車PB12番には2両の客車が連結されていた。1両は緑色の標準三等車で、もう1両はクリーム色と赤色のツートン・カラーの臨時三等車だった。高い乗車料金を払ってくれる上質な乗客を機関車の煙や騒音、そして脱線時の衝撃から守るために、2両の客車は列車の最後部に連結されている。これは蒸気機関車の時代の名残だ。またこの連結の順番は特にプノム・ペンのような櫛形のプラットホームを持つ大型の駅には有効だ。何故なら、客車を進行方向を向いている機関車から一番遠くに連結するということは、乗客が改札から歩く距離を縮めることになるからだ。


 隣のプラットホームに停車しているBS31には、まだ機関車が連結されていない。このシソポン行きの列車には混成

列車PB12番が出発した後でないと機関車の連結をしない。出発予定時間は07時00分となっているが、この路線は混成列車BS31番(下り)/32番(上り)専用の閉塞区間なので、出発が早まろうが遅れようが大した問題にはならない。


 6時を過ぎて空も明るくなった頃、客車の座席取りに入る。これは正解だった。バッタムバン〜プノム・ペン間の列車の混雑はシソポン〜バッタムバン間の比ではなかったからだ。やはり首都と地方都市をつなぐ列車は地方都市同士をつなぐ列車よりも乗車率が高いのだ。それはつまり首都へ赴く用事のある人が多いということだろう。


 1900年以前のカンボジアにはまともな国道網がなかった。おかげで、首都へ赴くどころか国内のどの地域への移動するのも非常に困難であった。鉄道文明が入り込む以前のヨーロッパの人々のように、一生を自分の生まれた土地で過ごしたに違いない。つまり、そんな長距離移動をするなど一般国民は考えもしなかったのだ。この既成概念を崩し、人間の移動と容易にしたのは、やはり植民者フランスの作り上げた道路網の影響が大きい。例え、それがフランスが自国の利益の為だけに行った国道計画から偶然に生じた副産物だとしても、カンボジア民衆への大きな贈り物となったことは誰にも否定できない。


 それは第一次世界大戦後にフランスの実施した超した増税に怒った農民が、カンボジアの歴史の中で初めて王都プノム・ペンに集まって大規模なデモが起こしたことからも分かる。大規模なデモを起こすに足りる人数が地方から王都プノム・ペンまですんなりと移動できたのも、この道路網あっての可能となったことは間違いないからだ。


 06時40分になっても列車は動かない。車窓から首を出してプラットホームを行き交う人々を眺める。貨物車両に信じられない量の卵を乗せる人。藁を敷いた車両に牛を乗せる人。一本の紐で足を縛られて自由を奪われた鶏をまるで荷物のようにぽ〜んと、貨物車両の屋根へ投げている人。すごいなあ。日本やタイではとても考えられないぞ。


 客車の屋根の上で誰かが魚の天ぷらを注文したらしく、売り子さんが魚を上に投げる。お客さんも上手くキャッチしたらしく、魚は落ちて来ない。その代わりに、リエル紙幣が木の葉のようにひらひらと舞い落ちて来る。今度はビニール袋に入った水を下から投げる。これは失敗。お客さんは取り損ねたらしい。客車の中から屋根の上は見えないので「らしい」ばかりだが勘弁願いたい。屋根にぶつかった水袋やぶれたらしく、水が飛び散りびしゃっと車窓をぬらした。近くを通りかかった人にも水が掛かったが、誰も気にしていない。何とおおらかな人々だろう……。これも日本やタイではとても考えられないぞ。


バッタムバン〜プルサト間


 混成列車PB12番の出発は結局、07時00分まで遅れた。がっこん、と大きな揺れの後でゆっくりと列車が動き出した。機関車の発車を伝える警笛が「ぷわああぁぁ……ん」と鳴る。旗信号で進路がクリアーなことを伝える駅員の横を、 列車はゆっくりと通過する。いよいよ出発かと胸が熱くなる。一般道と交差し、東に大きなカーブを描いた後、サンケー川の鉄橋を越えた。


 このバッタムバン〜プルサト〜プノム・ペンの路線全長は274kmと32の停車場と8つの駅で構成されている。バッタムバン〜プルサト〜プノム・ペンの建設が、フランスによって調査が開始されたのは1928年で、着工式は1932年となっている。他の資料によれば1932年は運行開始という説もあるので、これを記述するには少々の退けるところもあるが……。


 設備自体が蒸気機関車の時代のままなので、列車が通過する各駅には給水施設や車両下部へもぐることのできる溝を備えたレールを見ることができる。現在では機能していないが、中継地点のプルサトにも車両の整備車庫跡が存在していることから、プルサト〜プノム・ペンだけでも十分に独立して列車運行も可能であったことが伺える。フランスがカンボジア鉄道を運営していた時代には、この駅から始発する蒸気機関車の列車があったに違いない。


 混成列車PB12番は熱帯雨林を突っ走り、最初の停車場のオーダッムボンに停車した。すると、子供二人を連れた中年の婦人が客車に乗り込んで来た。相席のおばさんが彼女をこちらのブロックに呼び込む。乗り込んできた婦人は涙を流している。家庭の問題でもあったのだろうか?


 子連れでプノム・ペンへ家出なのだろうか?


 東南アジアでは夫婦の連れ方の浮気などが頻繁に起こる。そんなトラブルではないかとちょっと心配だ。そこへハンモックから身を起こした車掌のプゥーウ・ソカさんが検札にやって来た。涙を流す婦人に切符を売る。どうやら子供は無料のようで一人分だけだ。車掌さんはこちらの顔を見て「今回は切符は要るのかい?」と訊いてきた。笑顔で「はい!」と答える。


 そのやりとりで客車内で、外国人であることがバレたらしい。正面のおばさんは英語は駄目だがタイ語を話すことができたので、容易くコミュニケーションがとれた。「貴男は中国系カンボジア人ではなかったのかい?」「はいそうです。本物の日本人です」「あら、タイ人でもなかったのかい。肌が真っ黒だから分からなかったよ!」「あははは……」


 カンボジアなどの危険と噂される国々では、日本人であることを隠して現地人になり切って旅をするのがもっとも安全に移動できるテクニックだ。ただあまり徹底し過ぎると希に困ることがある。例えば、以前マレーシアの空港のイミグレーションで外国人の列に並んでいて、オフィサーに無理矢理マレーシア人の列に連れて行かれて、とどめに入国時にその日本のパスポートは本物か? と疑われたことがある。しかし、この問題を差し引いても荷物の盗難の可能性を限りなく0%に近づける為には必要な詐欺行為だ。


 とは言え、国籍がバレてしまっては仕方がない。おっおぴらにタイ語で会話を始める。だいたいカンボジアではタイ同様に対日感情はかなり良いので、会話に遠慮が必要ない。「日本はこんどコムポン・チャムに新しい橋をかけてくれるそうだよ」「え? そうなんですか? 知らなかったなあ」


 そんな話をしていると、列車はいつの間にかオースローラオ停車場、レーンケセイ停車場を過ぎてスワイチット停車場に到着していた。スワイチット停車場でも停車時間は一分以下だったが。その間にたくさんの物売りが乗り込んでくる。商品の中にネズミのあぶり焼きがあった。値段は一匹で500リエル。タイ語を話すおばさんがの話に熱中している間に彼女の息子が何時の間にはネズミのあぶり焼きをかじっている。「あああ……こんなもの食べて! お父さんが知ったら悲しむよ!」


 そう言いながら、ネズミの頭だけはむしり取って窓から外へ投げ捨てた。タイでもそうだが、カンボジアでもネズミはあまり高級な食べ物ではないらしい。実際、ミャンマーでカレン族の反政府軍に義勇兵として参加した日本人兵士がネズミのあぶり焼きにあたって命を落とした話がある。さわらぬ神に祟りなしと味見は遠慮させてもらった。


 そこで突然、おばさんは写真を取り出して見せ始める。そこには可愛いカンボジア人の女の子が写っていた。「この娘は私の妹で、17才。まだ恋人はいないの。貴男の奥さんにどうかしら?」「ええ??」「タイ人の娘さんの方が可愛いかしら?」「いや、そんなことは……」


 17才の幼妻。日本なら援助交際になりそうなカップリングだ。ただし早婚なカンボジアやバンコク以外のタイでは17才は既に結婚適齢期でもある。酷い話であるが、タイのタクシーの運転士に言わせると22才になった女性はもうおばさんなのだそうだ。ああ、可憐な花の寿命は短い。「いえ、一応恋人がいるのです。あ、タイ人じゃなくて日本人ですが……」


 この場さえキレイに切り抜けられれば、嘘でも真実でもどうでも良い。タイ人ではないことを強調しておく気配り。ここはカンボジアなので彼らのプライドも傷つけてはいけない。実はカンボジアとタイはライバル感が強いのだ。「あら、そう。残念だねえ」


 それでおばさんのお見合い話は終わったが、次の写真は結婚式のものだった。さっきの女の子を少し成長させた顔つきの女性がウエディング・ドレスを着ていた。彼女前には二人の少女も写っている。「この娘も私の妹でバッタムバンに住んでいるの。夫に先立たれて……連れ子がいるんだけど再婚したの。新しい夫は中国人」


 カンボジアで中国人はビジネスの達人を意味する。カンボジアの男の子が今一番結婚したい女性は、中国人の娘さんらしい。そう考えると性別が逆とは言え、おばさんの妹は玉の輿ということなのだろうか?


 カンボジアにはフランスに植民地化される前から、中国からの移民が存在する。きっとジャンク船で海を渡ってきた商人の末裔なのだろう。クメール・ルージュの時代を通過したことでかつて栄えていた中国人街はプノム・ペンから一度は消えたが、その後継者たちは独自の文化を復活させてカンボジアで今でも頑張っているのだ。


 09時54分にモンッ駅に到着。いったいいつの間にゴックポウン、プノム・テイッパタイ、コック・トロム、コチャーという停車場を過ぎて来たのか良く把握できなかった。特にプノム・テイッパタイ停車場に興味があったのだ。それはプノム・テイッパタイが「民主主義山」という意味だからだ。プラチャー・テイッパタイなら「偉大なる民主主義」となるのだから、山の名前には何か深い意味があるに違いないと思っていたのだ。なおプラチャー・テイッパタイは隣国のタイ語からの借用語である。


 モンッ駅構内でも列車交差を前提とした待避線が敷かれていた。しかしずいぶん長い間待避線には列車が入線してはいないように見えた。線路脇には他の駅同様に崩れかけた駅舎と蒸気機関車用の給水塔があった。


 崩れかけた駅舎の中に若者がたくさんいる。不思議に思って中をのぞき込んでみると、ビリヤードの台が置かれている。なるほど、駅舎としての機能は失われても、集客力だけは継続されているのだ。きっと小さなコミュニティーにとってモンッ駅はなくてはならないものなのだろう。


 突然に客車内に子供の悲鳴が響いた。何事かと顔を向けると、先ほどの泣きながら乗車してきた婦人が、隣のブロックで自分の息子を折檻していた。しかし折檻の度合いが日本の常識では信じられないほどに激しい。婦人は泣き叫ぶ息子を足蹴りにして怒鳴っている。これがカンボジアの教育かと思うとぞっとした。この婦人は喜怒哀楽が激しすぎる傾向がある様だ。タイ語を話すおばさんがその哀れな息子をかばって、こっちへおいでと招き入れた。


 モンッ駅を出発してから、混成列車PB12番は頻繁に警笛を鳴らしながら徐行を繰り返す。この路線の状態も確かに誉められた整備状態ではないけれど、シソポン〜バッタムバンよりはかなりマシである。なのに何故?


 と思って車窓から首を出すと、線路横の草むらに車輪軸2つ、エンジン1つ、木製の台1つに分解されたトロッコ列車が待避していた。このトロッコ列車は付近の住民がカンボジア鉄道のレールを勝手に利用して、運営されている『私鉄』のようなものだ。トロッコ列車はカンボジア鉄道の全線で見られる。列車の本数も少ないので仕方のないことなのだろうが、しかしこれが列車の高速運行の新たな障害になっていることは間違いない。


 混成列車PB12番は村の回りに時々現れるバナナや椰子などの熱帯雨林の林を通過している時以外は、何もない荒野をひたすら走っている。本当は荒野ではなく、乾期の為に水が貼られていない水田なのだが、乾燥し過ぎているので荒野にしか見えないだけなのだ。


 カンボジアでの乾期と雨期では降雨量の劇的なまでの差は、地形が変わったと錯覚させるほどにその眺めを一変させる。おかげで、カンボジアでは押し寄せる水を避ける為に、高床式住居が一般的だ。どのくらいの規模で増水があるかと言うと、少し前までは陸続きだった島が雨期になって水没してしまったりするくらいに激しい。事実、東南アジア最大の淡水湖、トンレ・サープの船着き場は水位によって臨機応変に移動する。きっと雨期になればこの荒野も一面に水がやって来て、一面が稲の緑で埋め尽くされるのだろう。


 その乾いた風景からは想像もできなかったのだが、次の停車場の名前はプレイ・サワーイだった。これには「マンゴーの森」という意味がある。きっと遙か昔にこの辺り一帯はマンゴーの森であったのだろうと勝手に納得する。そして混成列車PB12番は定期的に森と枯れた水田を通り抜け、ガロム・プゥック停車場、そしてサン・クゥム停車場に停車した。サン・クゥムとはかつてシハヌーク王が大統領だった時代に作った独裁政党のサン・クゥムなのだろうか?


 そう言えばシハヌーク王はもうすでに関与していないとは思うけれど、プノム・ペンには政党としてサン・クゥムは存在している。もちろん大きな政党ではないので、ヴィエトナム勢力の優勢なカンボジアの議会での発言力はゼロなのだが。


 10時50分になって崩壊気味の大きな橋を越えて、スワイ・ドン・ケウ駅に列車は到着した。この駅にあった西側の待避線は、道床が崩れ落ちて一部レールが浮いてしまっているので、列車の交差は物理的に不可能となっていた。おかげで、線路は植物に覆われて、こんもりとした茂みとなってしまっている。その駅で驚いたのは、駅手前の川に橋を掛け直す鉄橋を待避線の端の方で組み立てていたことだ。カンボジア鉄道が、新しい鉄橋の建設などという大きな資金を必要とする種類の路線補修をしていることは意外だった。ちょっと前まで辛うじて運行を行っていたカンボジア鉄道にもやっとお金が回るようになって来たということだろう。それならこれからのカンボジア鉄道にはかなり期待できそうだ。


 この駅を最後に混成列車PB12番はバッタムバン州を後にして、プルサト州へと入ることになる。ただし車窓の風景に劇的な変化は起こりはしないし、バン・カナー、トローペアン・チョーン、スナームプラという各停車場への停車もバッタムバン州同様に、まるで保安装置のATS(自動停車装置)による抑制がかかった程度の「減速・停車・発車」を繰り返しただけだった。


プルサト駅


 13時00分になって、混成列車PB12番はプルサトに到着。ここはバッタムバン〜プノム・ペンの中継地点で、待避線が2本もある大きな駅だ。


 プルサトは街もかなり大きい。立派なホテルこそないが、ゲストハウスならばあるので外国人の長期滞在も不可能ではない。乗り合いタクシーの休憩場所にもなっているので、鉄道を利用したことのない旅行者でもきっとこの街に足を地に着けたことがあるとはずだ。


 この駅では混成列車PB12番はプノム・ペンからの対向列車である混成列車PB11番との交差との為に、ちょっと休憩に入る。カンボジア鉄道は全線が単線なので、このような時間的なロスが生じるのは仕方がない。時間の無駄だが、正直言うとバッタムバンを出発してから初めての長時間停車は嬉しくもある。


 駅の引き込み線では混成列車PB12番の出発を待つトロッコ列車までが待機中。トロッコの上で乗客がイラついている。それではトロッコ列車はさっさて出発して混成列車PB11番と出会ったところでレールから退去すれば良いような気もするが、冷静に考えればそれは危険すぎる。トロッコ列車が混成列車PB12番に追いつかれた場合は双方が同じ方向に向かっているので相対速度は時速10km程度。レール横に待避する時間は十分とれるだろう。しかし混成列車PB11番と対向していた場合の相対速度は時速30kmとなるので、待避する時間が短く危険極まる。おまけに山岳地形特有の切り取りとられた溝の中に線路が敷かれている区域が多数存在するので、待避するスペースがない場合もありえる。トロッコ列車の運転士はプロらしく、そんな危険をすべてを理解しているのだろう。そんな訳で、混成列車PB11番の遅延の影響は妙な人たちにまで波及している。


 ところで、ガイドブックや地図などではこの街と駅の名前はプルサトであるが、カンボジア語でもタイ語でもポールサットになっている。もしこの路線を走る列車に乗車される予定の方にはこの事実を覚えておいて欲しい。なお、ポールサットの最後の『ト』はほとん発音されないので、ポールサッでもOKだ。


 客車の通路にまで乗客がいっぱいなので、仕方なく車窓から外へと飛び降りてプルサト駅の見学に出た。この駅はちゃんとプラットホームがあり、今は使われていないが一応は鉄道車両用の車庫もある。そしてその車庫にはフランス製の蒸気機関車、SL231型506番が放置されていた。


 さすがに一眼レフカメラと三脚を担いで歩いていると、中国系カンボジア人ではないと即座にバレる。いたるところから、「ヤッパン!」や「ハロー!」が襲いかかる。その度に笑顔を振りまくが、乾期の強い日差しには勝てずに、また車窓から無理矢理よじ登って座席へ戻る。不在の間、席を死守していてくれたおばさんにお礼を言って、バッタムバンで買ったフランスパンで昼食を始める。すると、あまりに寂しい昼食に同情して、回りの皆さんがパンに挟むオカズをカンパしてくれた。皆さんの善意の結果、貧しい昼食は一瞬にしてフルコース・ランチになってしまった。ああ、日本の とかNGOはこうやって返って来るんだなあと感動した。「オークン!(=ありがとう)」と合掌を連発してしまった。


 しかしそれにしても交差する列車が来ないなあ、と皆でぼやいていると、まず13時36分になってディーゼル機関車1051番に引かれた銀色の石油タンク貨車がプルサトへと滑り込んできた。何と、タンク貨車の上にも無賃乗車のカンボジア人がいる。いや、何と機関車の屋根の上にもいるぞ。屋根が丸くなってるタンク貨車では座りづらいというわけだろうか?


 可燃物を輸送する貨物列車、もっとも危険なタンクの上や連結分に無料乗りするという光景は、鉄道大国インドでも見ることができなかった。


プルサト〜ローメア間


 12時13分になってディーゼル機関車1056番に引かれて混成列車PB11番がのろのろとプルサトへ到着した。三本の列車が同じ駅に並ぶなんてカンボジアではプレミアものなのだが、運転士にはそんな事はどうでも良い。しびれを切らして混成列車PB11番が停車すると同時に駅を出発した。まだ顔は拝んでいないが、その男はダイヤを聖典と信じる程にスジ線に忠実であろうとしているのだろう。


 混成列車PB12番はヒステリー気味に加速を掛けながらプルサト川の鉄橋を越えて、ダムレイ山脈の東の端のサミットへと挑む!


 ここはカンボジア鉄道のハイライトでもある。サミットと言ってもかなりなだらかな峠なのだが、カンボジア鉄道の旧式の機関車に無動力の車両を20両も抱えた列車編成という条件ではかなり慎重に登る必要がある。機関車は「ぼぼうう!」と黒い煙をしきりに吐き出している。この際、NOxとか、硫化ガスの廃棄物による環境汚染という問題は忘れて、機関車を応援するに限る!


 ダムレイ山脈はバッタムバン州のパイリンの辺りから、カンボジア鉄道の最果てのシハヌークヴィルまで続く長い長い山脈だ。ちょっと前までは山脈の西部にあるカンボジア・タイ国境地帯には、ポル・ポト亡き後にもポル・ポト派と呼ばれた反政府ゲリラ=民主カンボジア国民軍の残党が潜んでいた。彼らはカンボジア辺境の三カ所に解放区を作り上げていたが、そこもその一つでヌオン・チア元人民代表議会議長が司令官として君臨していた。1993年度の英国発行のミリタリー・バランスによれば、ポル・ポト派は戦力として旅団25個に独立連隊2個からなる約9000名の熟練兵士を抱えていたそうだ。


 だが現在ではイエン・サリに続いてキュー・サムパンやヌオン・チアが投降し、ポル・ポト派の最後の大物であったタ・モクが政府軍に身柄を拘束されてしまっている。これで長年恐れられていたカンボジア最大の反政府活動組織が壊滅した。しかし1980年代に一体誰がこんな見事な解決を予想できたであろうか?


 平和を実現させたカンボジアでは、かつて反政府ゲリラが出没していた、トゥートン停車場、バムナック駅、カドル停車場、クラン・スキァ停車場といった地域にも列車が停車できるようになった。カンボジア鉄道の旅客サービスの移り変わりこそ、どんな政治声明よりも当てになる、時代を測る尺度であるに違いない。


 山越えの最中に、タイ語を話すおばさんとの世間話を楽しんだ(お互いそれ以外にすることもなかった)。その結果、おばさんの旅の目的地がUNTAC統治時代に日本の自衛隊が駐屯したタケオであることが分かった。「タケオまでは鉄道で行くんですか?」「鉄道はプノム・ペンで終わりだよ」


 通路の向こうからおじさんが会話に加わって来たので、しっかりと鉄道路線が記載されている地図を見せてあげた。実はカンボジアの人は鉄道には疎い。実際、今だにバッタムバン〜プノム・ペンの運行は二日に一往復と思いこんでいる人も多いのだ。さすがに鉄道を常用しているおばさんはこのことは知っていたが、プノム・ペンからはバスで行くと言った。「バスなら2時間かからないからねえ。鉄道だと2倍は時間がかかる」「それはそうですね……」


 カンボジア鉄道はカンボジア人にかなり不評である。理由は、『遅い!』に尽きる。シソポン〜バッタムバン以外の移動ではカンボジア鉄道は車と比べて絶望的にまで遅いからだ。鉄道では車の所要時間の二倍三倍はお約束なのである。その分安いのだが、欧米人用のガイドブックのロンリー・プラネットには、「鉄道マニアでないならば乗車する価値は皆無、危険!」と書かれてしまっている(2000年当時。2001年度版ではバッタムバン〜プルサト、カムポット〜シハヌークヴィル間は鉄道の利用を推奨している)。もちろん、「危険」以外のところは大方、同意するしかないのだが……。


 サミットを越えて混成列車PB12番は小さな山々の間を走るが、ここでは今まで併走していた国道五号線は遠く東へ反れてしまっている。それは国道五号線がウドンやコンポン・チュナン方面のトンレ・サープ沿いの平地を抜けてからだ。とは言え、ダムレイ山脈に入ってからも鉄道は未開の地に突入するわけではない。何故なら電気も届いていない山中にも、鉄道路線を中心にした小さな集落が無数に存在するからだ。そんな都会を離れたカンボジアの人々の生活を垣間見れるのも鉄道の旅のハイライトの一つである。


 ところで、カンボジアの内陸地域のポイペッド、バッタムバム、プノム・ペン、シエム・リアプなどで目にするヤシは我々日本人が想像するあのハワイなどの熱帯のイメージを支えるヤシの実をもたらすココ・ヤシではなく、正式にはパルメラ・ヤシである。このパルメラ・ヤシはタイやカンボジアなどでは砂糖・椰子と言われることもある。しかしながら植物学の分類上はではパルメラ・ヤシなのでやっぱり違うのだ。パルメラ・ヤシの外見は特に木の幹がココ・ヤシに似ている。しかし、葉が『PALM』と表現されるようには広がらない。それはまるで木の幹の先にボールのように丸く、こんもりと葉が茂るのだ。もしその様子を想像できないならば、アンコール・ワットの写真を参照して欲しい。アンコール・ワットの代表的な写真には寺院の左右に一本づつのボール状の葉を生やしたヤシが写っている筈だ。なおパルメラ・ヤシは「砂糖・椰子」や「オウギ・ヤシ」などの別名も持っている。


 窓枠に肘を掛けて流れていく風景を眺めていると、時々「ごろごろ! どっしゃーん!」と妙な音がする。それは列車が停車場にもなっていない小さな集落を通過する時に、材木などの荷物を車両の屋根から投げ落としている音だ。この材木で新しい家でも作るのだろうか?


 かなり乱暴な配達だが、送り手も受け手も全く平気らしい。しかし、万が一にもそれにぶつからないようにと身をひそめる。この際断言して置くが、カンボジア鉄道の車窓は飛び込んでくる木々以外にも危険は多い。例えば、屋根に乗った乗客がまだご飯の入った駅弁や水やシジミの殻等々を頻繁に投げ捨てるので、それらのゴミが降りかかる可能性がある。そして子供は車窓からおしっこをしたりするので、その飛沫が飛んでくる可能性すらある。まあ、昔は銃弾まで飛んできたらしいので、これでも乗車環境は改善されたのだろう。


 ところで、車窓や客車の屋根からゴミを投げ捨てるなんて許せないモラリストがいらっしゃるかも知れない。そしてそれを改善するための指導の必要性を説くナチュラリストもいらっしゃるかも知れない。しかし、郷に入っては郷に従えの精神ではなく、それがカンボジアには必要な行為であることも理解して欲しい。カンボジア鉄道では人家からはるかに離れた場所で犬を見かける。犬たちはカンボジア鉄道から放出される残飯で生きている。そして犬以外にも目に見えない野ネズミなどの生き物も同様に、そのゴミをあてにして生きているかと思う。現在はそういった形で生態系ができ上がってしまっているので、ゴミのポイ捨てを止めてしまっては、逆にそこに住む生き物達が困ってしまう。また、稀にではあるが、その「生き物達」には人間も含まれることもある……。


 プノム・ペンを目指す混成列車PB12番は、コムポン・チュナン州へと入る。この州には古都ウドンがある。アンドゥオン王の時代はまだウドンにこそカンボジアの権力の中心があったのだ。なお現在ではウドンも観光資源として、精力的にプロモートされている。


 まだ車窓の景色から小さな山は見える。山の向こう夕日が真っ赤に空を燃やし始める。この頃になると乗客も疲労困憊。車内は静かになる。誰もが混成列車PB12番が一刻も早く終着駅のプノム・ペンへ到着を願っているようだった。


ローメア〜プノム・ペン間


 混成列車PB12番はやっとローメア駅に着いた。コムポン・チュナン州の辺りではやはり物資はプノム・ペンから流れてきているようだ。タイのシンハービールの代わりにタイガービールなどが販売されているのを見ると、本当にダムレイ山脈を越えて来たんだと実感できる。


 5分の停車時間があったので、ローメア駅で少々の食料を仕入れた。客車内の皆で、ぼしょぼしょと夕食を始める。もう誰も話さない。食後は寝ているか、車窓から見えるうつろに漆黒の闇を見つめているかのどちらかだ。すでに昼食の頃の元気はなくなってしまったようだ。


 ほとんどの乗客が夢の中へ入る頃、混成列車PB12番はバッダン停車場に到着した。ブレーキの衝撃で目を覚まして辺りを見回したが、その行為は全く無駄だった。何故なら街灯一つないこんな田舎では、蝋燭や懐中電灯の光の点しか見えないからだ。小さな停車場は漆黒の闇に支配されていたのだ。


 漆黒の闇の中、いくつもの停車場で後にしながら、混成列車PB12番はプノム・ペンへ向けて微速前進を続けた。本当に何も見えない草原のど真ん中の停車場でも、たくさんの乗客が降りては闇の中へと消えていく。一体どこへ行くんだろうか?


 まるで闇に溶け込んでしまって、彼らがもう二度と姿を現さないかのような錯覚にとらわれる。


 やがて混成列車PB12番はシハヌークヴィルへと向かう路線とのジャンクションである、PK9分岐点を過ぎた。しばらくしてから、闇夜の中で高度を急激に下げるプロペラ推進の飛行機の光が見えた。そしてその時、口からはチャールズ・リンドバークによるかの有名な言葉が漏れた。「翼よ! あれが(小)パリの灯だ!」


 そう、プノム・ペン郊外に位置するポーチェントン国際空港とプノム・ペンの街の光が見えたのだ。やっと文明の明かりが乗車している混成列車PB12番にも届いたのだ。


 混成列車PB12番が進むにつれて線路の脇に明かりが増え、人影が多くなっていく。列車がポーチェントン駅を越えてから、線路の右も左もバラックの小屋が立ち並ぶようになる。この光景を見てプノム・ペンへの到着を確信。線路脇を歩く人々は列車を見つめているので、まるで目と目が合ったような錯覚に陥る。混成列車PB12番は二つの踏切を通過して、二つの車両工場の横を通過して、21時56分にプノム・ペン中央駅へと到着した。さすがに混成列車PB12番はバッタムバンを出発してから激しい暑気と揺れに見回れた15時間は濃密だった。


 冷静に考えれば、カンボジア鉄道の利用価値は短距離にあり、始発駅から終着駅まで乗車するというのは他に移動手段の選択のない人たちだけだろうことが分かる。乗り合いタクシーでならバッタムバンを05時30分に出発すれば、どう間違っても14時00分にはプノム・ペンのメイン・ストリートであるモニヴォン通りに到着している。時は金なりという発想で考えれば、鉄道での移動は大損に違いない。


 混成列車PB12番の到着時間は限りなく深夜に近い。ここで新しい問題が持ち上がる。ああ、こんな時間にプノム・ペンの街中を大荷物を抱えて移動とは危ないなあ。実はこの街ではまだまだ夜のホールドアップが頻繁に起こっている。安全にホテルに到着して初めて落ち着けるというものだ。そう言えば、列車の中でカンボジアの若者が「プノム・ペンはクメール・ルージュがいなくなって、今度はギャング・スターがはびこるようになった。どっちも危なくて仕方がない!」とか言っていたっけ。


 プノム・ペン到着後、同行の皆さんにお礼と別れを告げた。駅の正面に集まっていたバイク・タクシーに500リエル払って、早々にホテルへと向かってしまった。もしプノム・ペンの訪問が初めてだったら、途方に暮れているところかも知れない。


 ホテルで水のシャワーを浴びた後で、夜食を食べに外出してみた。しかし、この時間では煌びやかに輝く怪しげな店しか開いていなかった。仕方がないので、屋台でタイ製のインスタント・ヌードルを食べて就寝。あまりに疲れていたので、歯を磨くのを忘れてしまっていた。


 最後に、『小パリ 』とは昔のプノム・ペンの別称である……。

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