1.1/探検、バッタムバン駅!
お気に入りのバッタムバン駅の風景を伝えたいと思う。この駅こそがカンボジア鉄道全路線の中でもっとも居心地の良い駅ではないかと思う。列車の到着時間などまったく関係なしであちらこちらで暇人が屯している。小さな子供達が遊んでいる。駅周辺には敷地内と外を区切る壁が一切無いので、どこからでもいつでも出入り自由。だから早朝と夕方には屋台も集まる。駅には交通の要所と言う機能が与えられてるだけでなく、街の社交場的と言う別種の機能も付加されているのだ。
また、そう言うのは全く関係無しで列車の到着を待ちながら、夕日が落ちる姿を気ままに(安全にと言う意味もある)見守ることができる唯一の駅でもある。列車はだいたい日没までに現れる(絶対に実現しない「定刻」からはだいぶ遅れるが)。ダメでも、西日が空を焦がしているギリギリのタイミングには間に合う。絶望的でも街に人間の往来が辛うじて残っている時間帯にはプラットホームへ滑り込める。
バッタムバン駅構内には数多くの分岐する線路が存在している。その中の使える部分を使用して、ゲームのテトリスのように、上手に編成を組立てる風景が毎朝見られる(列車到着後は暗くて様子がよく見えない。ドライバーも疲労困憊なので翌朝に回す)。早朝にはたくさんの屋台も開かれるので、朝御飯を食べながら駅の風景を眺めるというのも面白いと思う。
駅舎は意外に大きく、フランス風のお洒落なクリーム色の1階建て。鉄道員が常駐し、切符売り場も窓口が5つも並んでいるのだが、実際には1つしか使用されていない。昔は追い返された思い出の切符売り場も、今では外国人乗客を大歓迎してくれる。何故なら2001年より外国人旅行者はカンボジア人より2〜3倍高い、特別料金を徴収されることになっているからだ。事実、切符売り場には手作りの外国人用乗車料金表がぶら下げられている。「外国人には売れない」と言われて追い返された昔が懐かしい。
また蒸気時代から使用されている歴史の長い大型の駅にならば、機関車の向きを変えるターン・テーブルがあるに違いない、と普通の鉄道ファンならば予想するのではないだろうか?
ポイペッドまで路線が延長された後でも、この付近では唯一の大型車両整工場を兼ね備える駅がバッタムバンであったのだから。
蒸気の全盛の時代、ほとんどの蒸気機関車はディーゼル機関車と違って、進行方向を前から後に変更する場合に、何らかの方法で機関車の向きを回転させる必要があった。そうでなければ前方確認をできないまま、運転士はブラインド状態で列車を進行するしかなくなる。そんな危ない運転で、バッタムバンから遠く離れたプルサトやプノム・ペンまで向かわせるわけにもいかないだろう。その一般的な機関車の回転方法がターン・テーブルを使用したものなのだ。このターン・テーブルは蒸気の時代が終わった、日本やタイにもまだ残っているのだから、1992年に蒸気の時代を終えたばかりのカンボジアになら、まだ動くターン・テーブルがあるに違いないと推測するのは自然なことだろう。
しかし結論から述べればターン・テーブルはバッタムバンにはないのだ。代わりに、駅に隣接したバラック住居地帯の中でトライアングル型のスイッチバックがあるのだ。カンボジア鉄道は設置に大きな資金を要するターン・テーブルではなく、線路を三角に敷くだけで機関車の向きを変えることができる、スイッチバック方式を採用していたのだ。スイッチバック方式は低予算で設置できるが、いろいろと問題が多い。
ターン・テーブルはプノム・ペン中央駅にもなかった(南線はそもそもSLを運用する施設がない。独立後に建設された新線だ)。これはつまりカンボジアにはターン・テーブルが一つも存在しなかったということだ。このことから推測できるのは、フランスはカンボジア鉄道を植民地鉄道としてかなり割り切ってデザインしたということだ。もっともラオスにもメーコーン河のコーン島とデット島の間を鉄橋で結んでまで6.5キロメートルの鉄道を敷くなどの多角的投資をしていたので、予算的に苦しかったことも間違いないだろう。
それで、工場の裏手、スイッチバックのあるバラック住居地帯には、2000年まではスクラップになった蒸気機関車が5両ほど放置されていた。その中の2両はタイから無償供与されたモデルだったので、歴史的価値も高かった。しかし2001年11月にはすでに撤去され、そこには新しい住居が建てられていた。寂しい限りである。
その後の追跡調査によって判明した史実は下記の通り。タイから供与された蒸気機関車はNBLのE型はカンボジアで、カンボジアではSL10型100番代と呼ばれていたことだ。通常ならばSL230型100番代と呼ばれるべき車両が単にSL10型100番代蒸気機関車と呼ばれたことは、カンボジア鉄道での機関車の分類方法に違反しているので解せない部分も多い。NBLのE型を見たい方は同型車両がタイのカンチャナブリー駅近くの戦争博物館正面や南部のチュムポーン駅前に静態保存されてるので、そちらに行くしかない。